2296日目・・・「インデペンデンス-デイ」・・・寝ぼけて、混乱・・・深夜に「オーメン」があるらしい、が・・・

 13:00「こころの時代〜宗教・人生・アンコール」
 「人から人へ」(再放送)を観た・・・
 「近藤紘子氏」・・・
 「平和への願いを語り続けてきた」、
 「生後8か月で広島にて被爆
  父は被爆者救済に尽力した牧師」
 ・・・1月8日放送の再放送・・・
  ↓↑
 近藤紘子氏
 B29パイロットとの
 出会いが変えた「復讐心」・・・
 父、
 谷本清さんは
 戦後の広島で
 平和のために尽力した牧師として、
 アメリカの作家
 ジョン・ハーシー
 が書き、世界で
 ベストセラーになった
 「ルポルタージュ・広島」
 に登場する人物、
 この本がきっかけで
 広島の原爆について取り上げた
 アメリカのTV番組に出演した際、
 「幸子(紘子?)さん」は、
 広島に原子爆弾を落とした、
 B29
 エノラゲイ
 副操縦士パイロットと対面
  ↓↑
 爆心地から1.1km
 10歳
 「広島の25人のお姉さんたち
 ニューヨークにある
 マウントサイナイ病院が
 治療してくれることになり、
 父は付き添ってアメリカに行った」
 アメリカのTV番組
 (This is Your Life)で
 「これはあなたの人生だ」
 という番組に出てもらう為に、
 アメリカに来るようにとの話があり、
 アメリカに出かける舞台に
 知っている人が2人いた
 父は神学校に学んだが、
 アメリカでの同級生、
 あと
 白人の女性は・・・・・・パールバックにも会ったとか・・・
 日本で
 宣教師をしていた人
 もう一人いたが、
 解らず聞いたが
 躊躇したような感じだった
 あそこに立ってる人は
 キャプテン ロバート・ルイスといって
 広島に原爆を落とした
 B29エノラゲイという飛行機に乗っていた
 副操縦士だと教えてくれた
  ↓↑
 司会者が、
 ロバート・ルイスに爆弾を落とした後に
 どう思いましたか、と聞いた
 「天えんを出発して、
  広島上空にいき、
  8時15分に爆弾を落として、
  そこを飛び去り、
  しかし
  落とした爆弾の威力を見てくるようにとの、
  指示があり、
  引き返して上空から広島を見た
  広島が消えていた」
 「神様、私たちはなんてことをしたんだと」
 と飛行日記に記載した
  ↓↑ 
 彼の眼を睨みつけていたら、
 彼の目から(涙が)溢れていたのを、
 私はしっかりと見た
 はっと気がついた・・・
 7年間ずーっと憎み続けてきたが
 この人の涙を見たときに、
 この人も苦しみ、悲しみがあると言う事が
 心に伝わってきた
 申し訳ないと言う涙に見えたので、
 もうそれ以上その人を
 敵としてということは、
 人間としていけないと思ったのではないか
 その後
 憎しみは薄れていったように思う・・・
 一番つらいこと
 広島、長崎にはアメリカの政府の機関
 ABCCという機関を作った
 原爆が人体にどのように影響するかを、
 研究する機関
 私が対象になったのは、
 子供からデータを取る事
 全部脱いで、
 木綿で出来た
 ガウン とふんどし見たいなもの
 それを付けるのが嫌だった
 中学生になった時に、
 検査室から検査室に回っていましたら、
 どこどこに行ってくださいと言われたが、
 そこは講堂だった
 いろんな言語が耳に入ってきた
 舞台に上がるようにと言われて、
 ガウンを脱ぐように言われて、
 ふんどし見たいなちいさな
 一枚しか付けていない
 右、左と言われるままに、動かされて、
 涙があふれてきて、
 悔しくてしょうがなかった
  ↓↑
 何故、私はここまでしなくてはいけないのか、
 中学生になれば、
 子供の体から大人の体になってゆくところ、
 悔し涙、屈辱感だった
 同じ日本人ならば、
 何故、助けてくれないのか、
 と先ず思った
 解った、
 誰も助けてくれないのなら、
 もういい、
 もう私はこれで
 広島とさようならをしよう
 もうたくさんだと思った
 私が生きてゆく限り、
 もう二度と広島にいたと言う事は
 ひとさまの前では言うまいと
 その時の出来事は
 私には大きな大きな出来事だった
 広島から離れたかったので
 高校は東京に行った
 大学はアメリカに留学する
 奨学金が消えるので、
 日本に帰らなければいけなくなり、
 あのABCCの舞台のことを思い出す
  ↓↑
 アメリカの留学先の大学の人と婚約する
 一旦日本に帰るが、
 彼から手紙が来る
 彼の専門が、
 放射能が人体にどう影響を与えるか
 という事で
 「幸子(?)」は良くない、
 まともな子供を産むことはできない人だから、
 駄目だと家族会議で決まったそうだ
 原爆乙女とは、
 私はケロイドもないし、違うと思っていた
 東京の外資系の会社に入って、
 同社の人と結婚した
 妊娠したが、
 流産してしまったが、
 或る日母と先生のところに言ったら、
 母が実は
 「幸子」ちゃんは小さい時から
 お医者さんに子供を授かる事は
 無理だと言われていたんですよと言われて、
 ショックだった
  ↓↑
 弟が結婚して、
 弟のところに子供ができたと聞いたときに、
 とめどもなく涙が出た
 子供がこんなに欲しかったのかと改めて心底思った
 人間て、涙はいいですね
 またそこを飛び越えられたような気がして、
 また前に立って歩ける
 父がずーっと理解できない人だった
 小学校4年生のころ、
 父の書いた本を書斎の本棚から取りだした
 「ノーモア広島
  広島の十字架を抱いて」
 を読み始めた
 或るページで、
 父と母が広島の街で偶然に出会い、
 父が高木さんはどうしたかと聞く
 高木さんは
 あの日一緒に訪ねてゆく人だった
 母が解りませんと言うと
 父は凄い怒る、
 この女は牧師の妻なのに、
 教会員としての
 その人を見捨てて、
 自分だけ逃げたことに対して
 物凄い怒りを書いたページがある
 自分の娘が助かっているのに、
 私のことなんてどうでもよくて、
 他人を大切にする
 この場面で本を閉じてしまった
 後に、
 教会で父の話を聞いて、
 父はあの日
 大切なものを
 リヤカーに乗せて田舎に持ってゆくが、
 爆風で吹き飛ばされたが
 体は大丈夫だったので、
 街に入ってゆくと、
 そこから聞こえてくるのは、
 助けてくれ、助けてくれとの声、
 家で挟まった人を引っ張りだすことはできない、
 彼はやはり牧師で
 人の役に立ちたいと思ったあの日、
 私は、
 彼曰く
 自分の子供、
 自分の妻、
 自分の教会の人たち
 自分の住んでいる町内の人たちのことしか考えなかった
 それは
 エゴ(えご)です、
 物凄い悔いとなって残るわけ、
 だからこそ
 自分は広島のために役に立ちたいと思って生きてきた、
 と言う事を聞いて、
 それほどまでに私のことを想ってくれた
 子供のころは、
 自分のことを想っていてくれなかったと、
 思っていたがそうではなかった、逆だった
 父が歩んだ道を少しでも歩みたいと思っている
 子供たちのこと、戦争、子供たちを犠牲にしたことは、
 アメリカは謝らなければならないと、
 父は言っているずーっと子供たちのことを心にあった、
 だからまずは原爆乙女、
 彼にとっては子供のような、助けたかった
 与えられた命をどんなことがあっても、
 奪ってはいけない
 ましてや戦争の犠牲に子供たちがなってはいけない
 核廃絶はどんなことをしても無くしてほしい、
 誰かが間違ってボタンを押したら
 あっちの国、こっちの国ではない
  ↓↑
 原点は
 私は生き残っている
 与えられた命を大事にしてほしい、
 ひとの命も大切にしなければいけない
 本当に、
 ロバート・ルイス
 との出会いに感謝している
 この私
 10歳の私を変えてくれた
 ずーっと
 アメリカ、
 アメリカ人を憎んできたかもしれない
 自分に非があれば、責められない
 間違いがあってもいい、
 その間違いを
 踏み台にして歩めばいいと思っている
 今の子供たちは捨てたものではない
 いろんな話を聞き、
 きっと、きっと
 私は信じている
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 71年前の8月6日は生後8カ月。
 キノコ雲の記憶はない。
 しかし、子供の頃に教会で遊んでくれた10〜20歳代の「お姉さん」たちは顔や手にひどいやけどを負っていた。父の本や大人の会話を通じ「あの爆弾のせいだ」と分かっていた。
 「大人になったら、爆弾を落としたやつらを殴ってやる。
  姉さんたちのかたきをとってやる」
 と心に秘めていた。
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 10歳の時、米国で父を紹介するテレビ番組の収録現場にいた。
 1人の米国人男性が気になった。
 「あの人、誰」。
 母は一瞬ためらい、
 「ロバート・ルイス。原子爆弾を落とした爆撃機エノラ・ゲイ』の副操縦士よ」
 と教えてくれた。目を見開き、にらみつけた。
 しかし、ルイス氏の行動は予想外だった。
 原爆投下後の飛行日誌に
 「おお神よ、我々は何をしてしまったのか」
 と記したことを明かし、目には涙があふれた。
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 自分たちは被害者。原爆を落とした人は加害者で悪い人−−。そんな思い込みは崩れた。「どうして私は会ったこともない人を憎んだのだろう。この人もずっと悩んでいた。悪いのは爆弾を落とした人じゃなくて戦争なんだ」。ルイス氏に近寄り大きな手を握ると、優しく握り返してくれた。自らの目で見て感じる大切さを知った。
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 米国では被爆者が講演すると、退役軍人らを中心に「お前たちが先に戦争を仕掛けたんだろう」と反発も出る。それでもルイス氏との逸話は誰もが静かに聞いてくれる。「『憎い』という気持ちでは分かり合えない。戦争中を振り返れば日本だって謝らなきゃいけないことがたくさんある。謝罪は求めることじゃないと思うの」
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 4月に広島であった主要7カ国(G7)外相会合では、
 ケリー米国務長官らが平和記念公園を訪れた。
 「核兵器なき世界」の実現に向けて各国が一致したわけではないだろうし、複雑な国際情勢も背景に透けて見える気もする。それでも−−「原爆慰霊碑の前に立ったら、心に感じることがきっとあるはずです」
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 谷本清さん
 関西学院大学神学部を首席で卒業後、
 渡米して1940年にエモリー大学大学院修了。
 沖縄中央教会牧師を経て、
 1943年に広島流川教会の牧師に就任。
 1945年8月6日の広島市への原子爆弾投下の際に、
 爆心地から3kmの
 己斐町疎開作業をしており直接の難を免れるが、
 広島市内に引き返して救護活動に従事。
 その後、原爆症により生死の境をさまようが奇跡的に回復。
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 教会復興に尽力している最中、
 1946年5月、
 ジョン・ハーシー (ピュリッツァー賞作家)
 の取材を受けたことから、
 谷本の被爆体験が世界中に紹介され、
 著書『ヒロシマ』となって大きな反響を呼ぶ。
 1948年10月に
 アメリメソジスト教会
 ミッション・ボードの招請により渡米。
 15カ月間に渡り
 31州256都市で講演を行ない、
 広島の惨状と平和を訴えるとともに、
 流川教会復興に奔走。
 のちにアメリカ上院で開会祈祷を行うなど、
 アメリカでは一躍時の人となる。
 しかし国内では、
 占領軍による
 メディア統制(プレスコード)のために、
 原爆被害の実情も、
 谷本の活動もよく知られていなかった。
 また国内のキリスト教関係者の中には
 彼の事を
 原爆牧師とあだなして非難する人もあったという。
 1986年に死去。
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ーーーーー
 rep=横畝織り・繰り返し
    repetition
    rap
    rep=うね織(布)
       カーテン・椅子の上張り
       repertory
       company
       repertory
       theater
       販売外交員
       representative
       略語
       republic
       Republican
       略語
       report
       reporter
       representative
       代表する・代理の・代議制の
       representative body
       代表団
       代表者・代理人 〔for,of〕
       delegate
       会議などに出席する代表者
       代議士・米国の下院議員 (congress)
       販売代理人・外交員
       代表物・見本・標本・典型
       representatively
       は副詞
ーーーーー
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 湯王=(トウオウ・ゆオウ)
    湯(氵+昜)→(氵日一勿)+「王」
 情報=(ジョウホウ)・・・「情(なさけ)」に
              「報(むく)いる」
    情(忄)+主+月(肉)
    報=幸(一+辛)→(一立十)+卩+又)
 ↓↑
 アイオーン(古代ギリシャ語 αἰών
       ラテン文字転写 aiōn
       ラテン語 aeon or æon
       英語 aeon or eon)
 古代ギリシア語のある期間の時間
         時代や世紀
         人の生涯
 ラテン語の Saeculum
 サンスクリットの kalpa
 漢訳の「劫波(ゴウハ)」
 アイオーン
 紀元2世紀〜5世紀頃
 ローマ帝国内やその辺境地域で興隆した、
 グノーシス主義における高次の霊
 あるいは
 超越的な圏界を示す
 ↓↑
 アイオーン=「時代」や「ある期間」
       「占星術における
        魚座の時代」
        水瓶座の時代」
       魔術やオカルトにおいて
       「テレマ」の概念と関係
       特徴のある時間の期間があるという概念
 「プラトン
  アイオーンを
  永遠の意味で使った」・・・
 ギリシア神話
 抽象概念なども神と見なし
 時間の神は、
 クロノス
 季節や秩序の女神は
 ホーラ
 アイオーン=神
       永遠・永劫を象徴(背負)する神
       時間の神
 ↓↑
 グノーシス主義
 反宇宙的二元論
 この世界は
 悪であり、
 別に、
 善なる「至高者」が存在
 グノーシス主義の創作神話で
 この神的存在を
 「アイオーン」と呼んだ・・・
 ↓↑
 キリスト教グノーシス主義
 人間に「本来的自己」を
 認識させる啓示者・救済者=イエス
 イエスは「父なる神=至高者」の下から派遣され、
 旧約聖書の「創造神=劣悪なる造物主」の束縛から
 人間を解放するため、
 「本来的自己の認識」を説く福音をもたらした・・・
 ↓↑ 
 新プラトン主義(Neoplatonism)
 3世紀に成立し、
 西洋古代哲学の
 掉尾を飾った潮流
 始祖プロティノス(3世紀)
 プラトンイデア論を徹底させ、
 万物は一者から流出したものと捉えた
 ↓↑ 
 「新プラトン主義・独語 Neuplatonismus」
 18世紀のドイツで生まれた造語で
 19世紀に入って定着した近代用語
 プラトン自身のオリジナルの教説
 と
 後世の追随者の思想
 とが区別して捉えられた概念
 プラトン思想とは異なる特徴、
 それからの逸脱である、という意味で用いられる
 ↓↑ 
 プロティノス(Plotinus)
 205年?〜270年
 ネオプラトニズム(新プラトン主義)の創始者
 「プロチノス」とも
 主著に
 「エンネアデス」・・・
 ↓↑ ↓↑
 一者
 プラトンイデア論を受け継ぎ
 その二元論を克服しようとしたもの
 プラトンの『パルメニデス』に説かれた
 「一なるもの(ト・ヘン=to hen)」
 を重視し、
 語りえないもの=神
 とした
 万物(霊魂、物質)は
 無限の存在(善のイデア)である
 「一者(ト・ヘン)」から流出した
 「ヌース(理性)」の働きによる
 「一者=は有限の存在である万物とは別の存在
     一者自身は変化・増減することはない
     太陽自身は変化せず、
     太陽から出た光が
     周囲を照らし
     光から遠ざかれば暗くなる
     霊魂・物質にも
     高低のレベル差がある・・・
 ↓↑
 人間は
 「一者」への「愛(エロース)」によって
 「一者」に回帰することができる
 「一者と合一」し、
 忘我の状態に達することを
 「エクスタシス(エネアデスVI・第11節)・・・六・第十一節
 「エクスタシスに至るのは、少数の人間ができる」
 「プロティノス自身は生涯に4度、体験」・・・
 高弟ポルフュリオスは
 「プロティノスの一生と彼の著作の順序について」
 で、自らは一度体験した・・・と記録
 ↓↑
 美の根源は
 ロゴスの明るさの中心として
 光に譬喩される神、
 「超越美= to hyperkalon」=「一者=神」
 「ヌース、諸徳のイデア、諸存在者の形相、質料」
 という美の序列・・・
 プロティノスの宗教的美観は
 「汝自らの魂の内を見よ。
  自らが美しくなければ、
  自らの行いを清め、
  自己のうちに美が見えるまで努力せよ。
  神、すなわち美を見たいと欲するものは
  自らを
  神に似た美しいものにしなければならない」
 ・・・
 ↓↑
 「循環宇宙論の中で、
  1つの宇宙(世界)が
  誕生し消滅するまでの期間」
 「劫波(劫簸)」=「イーオン (aeon)」
 ↓↑ ↓↑
 『阿毘達 磨 倶舎 論』
 (あびだつま くしゃろん)
 『アビダルマ・コーシャ・バーシャ』
 漢訳本は
 真諦による
 『阿毘達磨倶舍釋論』22巻
 玄奘による
 『阿毘達磨倶舍論』30巻
 サンスクリット本と玄奘訳は
 『倶舎論』と略称
 真諦訳は
 『倶舎釈論』と略称
 漢訳本の正式な原題表記は
 『阿毘達磨倶舍論』
 『阿毘達磨倶舍釋論』
 『甘露味(カンロミ)論』・・・?
  ↓↑  ↓↑
ーーーーー
 緒方 貞子(おがた さだこ)もスゴイ女性・・・
 1927年9月16日 - )
 1927年 丁 卯(甲・ ・乙)
  09月 己 酉(庚・ ・辛)
  16日 癸 丑(癸・辛・己)寅卯=空亡
 ↓↑ ↓↑
 日本の国際政治学
 カリフォルニア大学バークレー
 上智大学名誉教授
 独立行政法人国際協力機構理事長
 国連人権委員会日本政府代表
 国連難民高等弁務官
 アフガニスタン支援政府特別代表
 などを歴任
 1927年9月16日
 東京府東京市麻布区(港区)に
 外交官
 元フィンランド特命全権公使
 中村豊
   恒子
 夫妻の長女として誕生
 命名
 犬養毅
 父の転勤で幼少期を
 アメリカ・サンフランシスコ、
 中国・広東省、香港
 などで過ごす
 小学校5年生の時に日本に戻り
 聖心女子学院に転入
 聖心女子大学文学部英文科
 (英語英文学科英語英文学専攻)を卒業
 ジョージタウン大学
 カリフォルニア大学バークレー校大学院
 政治学の博士号を取得
 曽祖父は
 元内閣総理大臣
 犬養毅
 祖父は外交官で
 犬養内閣外相の
 芳沢謙吉
 母・恒子は
 元共同通信社長の
 犬養康彦
 評論家の
 犬養道子
 エッセイストの
 安藤和津
 の従姉
 夫・緒方四十郎(元日本銀行理事)
 朝日新聞社副社長
 自由党総裁、副総理をつとめた
 緒方竹虎の三男
 緒方姓は
 竹虎の祖父
 郁蔵(本姓、大戸氏、備中、岡山県)出身
 が
 緒方洪庵
 と
 義兄弟の盟を結び
 その姓を名乗らせた
 息子の
 緒方篤は映画監督
ーーーーー
 ・・・再度、記事抜粋、添付・・・
 ↓↑ ↓↑
 近藤紘子(コウコ)
1944年甲 申(己・壬・庚)
11月乙 亥(戊・甲・壬)
20日戊 子(壬・ ・癸)午未=空亡
 ↓↑ ↓↑
 父、
 谷本清
 母、
 谷本チサ
 の長女
 広島生まれ
 牧師・平和活動家
 谷本清の娘
 生後八カ月
 広島で被爆
 爆心地から1.1キロの地点
 母親と共に助かる
 少女時代、
 広島流川(ながれかわ)教会で過ごす
 「子供心に、
  B-29エノラゲイに乗っていた人を探して、
  パンチしたり、蹴ったり、噛んだりしてやろう。
  爆弾を落とした人間は悪い奴で、
  自分は正しい人間だと、そう思っていた」
 ↓↑ ↓↑
 1955(昭和30)年
 アメリカの人気テレビ番組
 「This is Your Life」
 に父、
 谷本清が出演
 テレビ局が
 妻サチ
 紘子
 ら子供たちを番組に招待
 そこで
 エノラゲイ副操縦士
 ロバート・ルイス
 と会わせた・・・
 当時10歳
 ロバート・ルイスは
 「広島が消えていた。そのとき、
  Oh, God. What have we done?
 (神さま、私たちは何ということをしたのだ)
  と飛行日誌に記した」
 と語り
 彼の目から涙が・・・
 東京の高校を卒業後、アメリカの大学に入学
ーーーーー
 ・・・This is Your Life・・・This is X(カイ・十・拾・足) Life・・・・・・This is Y(ア・歪・賄・倭意・わい) Life・・・This is Z(ゼット・乙・L) Life・・・乙女=おとめ=音女・・・