2222日目・・・2016年12月22日・・・「ことば」は「音声化」、「文字化」されても、それを「相互情報」として発し、「表現・記録」した人物の「ココロの中」は重なっていないカモ、受け取った人物には解らないカモ、である。「誤解・不理解・非理解・曲解」もあるカモ・・・表現された「物」は共通理解と云うよりも、相互の「妄想」も重なるからお手上げである・・・唯一の「共通理解」出来る「モノ」は「数学の加減乗除」とその「計算結果」である・・・だが「虚数」、「無理数」と云う概念もある・・・明治の福澤諭吉の創作漢字の「

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 「civil(市民・公民)・・・citi-zen=シチ-ズン
  +           cite=city⇔civis=citizen=市民
  +           出生、帰化による
  +           法的に保障された
  +           市民権利をもつ公民・国民・人民
  iza(ize)=〜化)
  +
  tion(sion)=行為・状態・結果=動詞の名詞化の語尾)
  = civil-iza-tio⇔civitas
  +    (ラテン語の都市市民の行為)
  =civil+iza+tion」
  +
 「culture(耕作→耕し、種を植え、育て、採集して食べる)」
  ↓↑
 ・・・「西洋文明=Western civilization」・・・「古代文明=ancient civilization(シヴィリゼイション)=ancient civilisation(シヴィライゼイション)」のスペル「li(リ)+Zz(米語)」と「li(ライ)+Ss(英語)」が異なるが「訛りの相違がスペル(spell)のチガイ」になったのか?・・・古代「中国=中華=China、巴比倫(バビロニア)=Babylon、 印度=India、埃及=Egypt」の「文明文化」・・・
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 ・・・「国名」の漢字からナニが「理解=リカイ=裏可意」ができるのか・・・
 「中華=China」=「中+華」・・・・・註化・秦=三人ノ十八
 「巴比倫=Babylon」=「巴+比+倫」・ 葉備倫(理)
 「印度=India」=「印+度」・・・・・寅怒=虎怒・音(韻)吐
 「埃及=Egypt」=「埃+及」・・・・・地理及、知理及
 ・・・カンジ文字には、その構成の形象に「意味」がある・・・
 「巴比倫」=「巴=渦=蛇・蝮」を「比較」する「倫理」である・・・「バビロン(Βαβυλωνία)」の「法」とはナニか?・・・

 「ハンムラビ(アッカド語=Hammurabi
              ハンムラピ Hammu-rapi)」
 は、
 「都市国家バビロン(Βαβυλωνία)
  第6代王
 後に、
 メソポタミアに勢力を拡大し
 バビロニア帝国の初代王
 アムル(Amorite)=アムル(Amurrū)
          =マルトゥ(mar.tu)=エモリ
=カナン諸部族の一=ハナ族」
 主神は「マルドゥクMarduk)=太陽の子牛・牡牛の神
     マルドウク=メロダク(ヘブライ語
     アマルトゥ(シュメール語・アッカド語
     知恵と水の神・・・多数の神の習合神
 シンボルは「鍬・鋤・犂」
 ウル・ナンム法典
 に次ぐ世界で
 2番目に古い最古の記録された法律、
 ハンムラビ法典
 (紀元前1792〜1750年)を編纂、整備」
 「ハンムラビ法典は、後、
  石柱(玄武岩製の碑)に書き写され、
  バビロンのマルドゥク神殿に置かれた」
 ↓↑
 ハンムラビ王
 王が下した判決、「判例法」
 「目には目で、歯には歯で(タリオの法)」
 ハンムラビ法典196・197条
 195条に子がその父を打ったときは、その手を切られる
 205条に奴隷が自由民の頬をなぐれば耳を切り取られる
 「目には目を」は対等な身分同士
 ハンムラビ法典
 犯罪に対しての厳罰が主目的ではない
 財産の保障
 奴隷階級であっても一定の権利を認め、
 条件によっては奴隷解放を認める条文
 女性の権利
 (女性の側から離婚する権利
  夫と死別した寡婦を擁護する条文)
 女性の地位が高かったシュメールの影響
  ↓↑
 条文は
 男女平等
 人権擁護
 と同類の指向を持つ条文
 犯罪被害者や遺族に対して、
 加害者側に賠償を命じる条文
 加害者が知れない場合に
 公金をもって損害を補償する条文
 被害の軽重に応じて賠償額
 を定めてある
 「ハンムラビ法典
 太陽神シャマシュ
 から
 ハンムラビ王に授けられた
 特定の宗教的主観に偏った内容ではない
 身分階級の違いによって刑罰に差がある
 弱者救済
 「強者が弱者を虐げないように、
  正義が孤児と寡婦とに授けられるように」
 の文言
 等価
 負債取り消しに関する記述
 報酬にかかる費用
 当時の社会での等価は
 市場メカニズムではなく
 慣習、法によって決められていた・・・
 私益のための利用を含まない
 等価を維持
  ↓↑ 
 モーセの律法書のもとになった・・・
 「目には目」と
 旧約聖書
 出エジプト記21章、
 レビ記24章、
 申命記19章
 における「目には目」の律法が似ている
 が、異なる・・・
 身分の違いによってその刑罰が異なるのに対し、
 聖書律法は身分の違いによる刑罰の軽重はない
 神との倫理的な罪は重い
 物品等損害など商業的罪は軽い
 「強き者が弱き者を圧迫せぬよう、
  悩ある者に光を与えるよう」
 古代の諸法典の模範
 282 条に及ぶ条文
 条文は
 44欄300行
 「朕はハンムラピ、完(まった)き王。
  民の為に幸い溢れる土地を捜し、
  その重き苦悩を取り除き、
  彼らの頭上に光をもたらした。
  ・・・朕はすべての民を心安らかに住まわせ、
  彼らを脅かす敵が襲いかかるのを決して許しはしなかった。
  我が良き蔭は国土をあまねく覆い、
  我が智恵はその民を守る。
  強き者が弱き者を圧迫せぬよう、
  孤児や寡婦に正義がなされるよう、
  ・・・
  正しき法が定められ、正しき判決が下されるよう、
  そして圧迫されている者に正義が施されるよう、
  朕は自ら至高の言葉を
  『正義の王』と名付けられた
  我が像と共に、この石碑に刻みつけた」
  ↓↑
 ハンムラピの法典
 七つの内容から構成
 第一は裁判・判決関係の項目
 第二は財産関係の法規
 第三は商業・金融関係の法規
 第四は家族法並びに傷害に関する
   民法的・刑法的取り決め
 第五は特定の職業集団に対する規制
 第六は価格・賃金関係の法規
 第七は奴隷法
   奴隷の行政上の位置づけ
  ↓↑
 第7条
 奴隷は自ら売買活動を行ない、
 契約を取り結ぶ主体となり得ていた
 第15〜20条
 奴隷の逃亡に関するもの
 「宮殿または自由民の所有になる男女の奴隷が
  市門から逃げ去るのを助けたる者は死罪」
 逃亡奴隷を隠匿した者も
 同罪(第16条)
 第15〜20条
 奴隷は宮殿に据え付けの
 「奴隷登録台帳」に記載
 国家管理の下に置かれていた(第18条)
 15条とは逆に、
 第17条では
 「逃亡奴隷を捕えて元の所有者に引き渡した者には、
  所有者は銀2シェケルを支払うべし」
 と定めている
 (1シェケル=銀半オンス=2.5〜5ドル。
  60シェケル=1ミナ、
  60ミナ=1タラント
 逃亡奴隷の引き渡しに賞金が課された
 第26条以下
 第87条までは
 兵士に関する規定
 農地についての規定
 それに欠損部
 88〜126条まで
 商法
 127条〜194条が
 家族法(全体の4分の1を占める)
 ここには奴隷に関する規定がある
 113条〜119条
 債務による人身抵当を述べ
 「もし賃借人が自己の義務を履行し得ない時には、
  負債牢に投じられ、
  且つ
  債権者の家で奴隷として奉仕しなければならない
 (113条以下)」
  借金の為に妻子を売り奉公に出す場合は、
  この妻子は買取人即ち主人の家で
  三年間だけ働き、
  第四年目には解放されて自由を与えられる
 (117条)」
 旧約聖書の「レビ記」等に見られる
 「安息の年・ヨベルの年」の設定による
 奴隷解放の規定の原型・・・
 パビロニアでは夫の家父長的権威が絶大
 奴隷は終身ではなかった
 家族法
 129条
 「姦通を行なった妻は水死の刑」
 「もしも主人たる夫がその妻の命乞いをすれば、
  王も自分の奴隷(姦通を行なった者)を許す」
 女性は法的行為の主体となる権利を保有し、
 夫の死後もその権威を引き継ぎ
 自己の意志で再婚できた
 144〜147条
 妾としての女奴隷に関する規定
 相続問題の複雑化
 162条以下
 相続の細かな規定が設けられた
 第170条
 嫡出でない直系卑属の人格を嫡出子と平等に認め
 「父親の認知がありさえすれば、
  たとえ妾腹の子供であっても実子と財産を均分す る」
 と規定
 「一もし或る者の配偶者が彼の為に子供を産み、
  さらに彼の奴隷も彼の為に子供を産んだ場合い
  父たる主人が、奴隷が産んだ子 に対して
  『お前たちもまた私の子である』
  と言い、配偶者の子に彼らを数えたならば、
  父の死後には、
  配偶者の子供と奴隷の子供とは財産を平等に分割せよ
 (170条)」
 認知のない場合には当然相続権も与えられないものとされた
 その場合、
 妾腹の子供は母と共に解放され、
 財産の代わりに自由民の資格を得ることとなった
 (171条)」
 新バビロニアの時代
 正妻でない女性は奴隷の地位に留まり、
 主人の死後には奴隷として売られてた・・・
 175条、176条
 奴隷と自由民との結婚を認める規定
 バビロニアの奴隷は家族を持つ機会も与えられた
 奴隷同志の結婚は全く認められず、
 この規程は
 配偶者のない白由民の女性の結婚対策として定められた・・・
 古バビロニアでは妾と共に養子も多く、
 これに関する諸規定にも奴隷が度々係わっていた
 養子は義父母の方から養子関係を清算しようとした場合
 その義父母の家を追放されるだけで済んだ
 自分の方から義父母の家を去りたいと申し出た場合には、
 自由民の権利を剥奪されて奴隷化された(191条〜193条)
 196条〜227条
 傷害に対する刑罰規定
 「目には目を」という返報主義は、
 バビロニアにだけ特有のものではない
 身分によって
 様々 に異なった処罰・報復方法のあった
 法の下の平等は保証されてはいない
  ↓↑
 196条 「もし自由民が他の自由民の目を傷つけたならぱ、
       人々はその加害者の目を傷つけよ」
 197条 「もし自由民が他の自由民の骨を折ったならば、
       人々はその加害者の骨を折れ」
 198条 「もし下級自由民の目を潰し、
       或いはその骨を折ったならば、
       銀1ミナを支払え」
 199条 「もし他人の奴隷の目を潰し、
       或いはその骨を折ったならば、
       銀2分の1ミナを支払え」
 200条 「もし自由民の歯を打ち落としたならば、
       その加害者も歯を折られるべし」
 201条 「下級自由民の歯を打ち落とした場台には、
       銀1ミナを支払え」
 202条 「自分より身分の高い者の頬を打てば、
       牛の鞭によって公衆の面前で60回打たれる」
 203条 「同身分の者の頬を打った場合には、
       銀1ミナを支払え」
 205条 「奴隷が自由民の頬を打った場合には、
       耳を切り取られる」
 215条 「外科医が上級自由民の重傷を癒して命を助け、
       或いは目の腫物を癒した場合には、
       10シェケルが支払われる」
 216条 「下級自由民の場合、前条の半額を外科医は受け取る」
 217条 「奴隷の場合には、奴隷の主人が外科医に
       2シェケルを支払う」
 218条 「もし外科医が治療に失敗し、
       上級自由民を死亡させた場合には、
       外科医は指を切られる」
 219条 「それが奴隷の場合、外科医は同価の奴隷で償うべし」
  ↓↑
 219条以後に暫く奴隷への言及がないが、
 226条・227条では、
 「奴隷の目印を消したる者は死罪」と規定
 「奴隷の逃亡幇助(ホウジョ)」と同罪
 奴隷は、その目印として
 前額を剃り、
 腕に所有者の名前ないしは紋を刺青し、
 奴隷票を持ち歩く・・・
 もし誰かが他人の奴隷を死亡させた場合
 219条に準ずるものとされ、
 同価の奴隷をもって
 補償することが要求された(231条)
 全文282条の内の
 最後の五箇条は、
 本来的な奴隷法となっている
 278・279の二箇条は
 奴隷の取り戻しについて触れ、
 289条以下は
 外国奴隷の購入について規定
 第282条の条文が、
 法典本文の末文
 「もし奴隷がその主人に向かって
  『汝は我が主人ではない』
  と言った様な場合には、
  主人はこの奴隷に対して、
  彼が奴隷であるということを証明せよ。
 そして、その片耳を切り落とすが良い」
  ↓↑ ↓↑
 男奴隷はワルドゥム、
 女奴隷はアムトゥム
 と呼ばれていた
 自由民
 上層の者はアウェールム、
 下層の者はムシユケーヌム
 大規摸奴隷制の展開はない
 ハムラビ法典
 刑法・商法・家族法・税法等々に
 連なる様々な規定をそれなりに体系化し、
 その下敷きは
 奴隷法の内容を示す
 ウル第三王朝期の
 ウル・ナンム法典・・・・・・「得る・難無」
 イシン・ラルサ期の・・・・・「維新」ですか?
 リピト・イシュタル法典
 などの諸法典が既に存在していた・・・
  ↓↑ 
 新バビロニア
 ハンムラピの王国は
 ヒッタイト
 ムルシリ王の攻略によって滅亡
 (紀元前1595年頃)
 その後
 カッシート人の支配下
 次いでは
 アッシリアの支配を経て、
 前625年、
 新バビロニアの時代となる
 新バビロニア時代の奴隷制
 奴隷は社会の最下級に位置し、
 賠償金額についても、
 医者への謝礼についても、
 刑罰に ついても、
 「法の下に平等」ではなく、
 大きく差別された
 奴隷たちは逃げるだけで死刑(15条)
 頬を打つだけ、
 主人に反抗の言を述べるだけで
 耳を剃がれた
 (205条、282条)
 バビロニアの奴隷たちは
 売買・契約の主体となり(7条)、
 結婚・再婚の機会を持つ(175条、176条)
 で、一定の「人格」を認められていた・・・
 古バビロニア期の諸王が、
 債務を帳消しとして奴隷を解放を度々実施
  ↓↑
 新バビロニア時代(前625〜前539年)
 「バビロン市に入る者は犬でも自由」
 奴隷に対する比較的穏健な扱いも
 一層広範囲にわたった
 奴隷の中には、主人の単なる手代ではなく
 自ら事業主として事業を営む者が現われた
 法律上も、
 主人は勝手気儘に
 奴隷の生命を奪ってはならない
 とされ、
 過度の虐待も勅令によって禁止された
 商人・職人・借地農夫等として
 ある定度まで自立でき、
 「自らの奴隷を持つ奴隷」
 さえ現われた・・・?
  ↓↑
 ハンムラピの時代は
 バビロニア文明の古典期
  ↓↑
 新バビロニア第二代の英王
 ネブカドネザル
 (前604年〜前562年)時代
 「古代バビロニアの復興期」
 バベルの塔=聖塔(Ziggurat)
 バビロンの空中庭園
 ネブカドネザル
 二次の「バビロン補囚」
 イスラエルの王国を滅ぼし
 ユダヤ人をバビロンへと強制移住
 ハンムラピの法典は
 身分差別法で奴隷法が要
 「神聖売春」奴隷も
 「借金抵当売買」奴隷も居 た
  ↓↑
 貨幣経済の発達
 鋳貨が大量に流通
 貸付利率は20〜30%
 自由民も没落
 商業活動で
 自由民の負債で奴隷へ転落
 高利貸しが富を独占
 ネブカドネザル王の死後
 ナボニドス王(前555年〜前539年)時代
 100タラント21ミナ(3040kg)の銀、
 5タラント17ミナ (160kg)の金
 と共に、
 2万8500人もの奴隷が
 マルドウク神殿に献納
 奴隷一人当たりの値段が
 銀50(16)ゼーケル(420g)
 新バビロニアの栄華
 ナボニドスの時代に
 ペルシアのキュロス王が
 バビロンに攻め入るに及んで終焉
 バビロン捕囚、幽閉民族は
 キュロス王が「解放」し
 宗教や風俗に「自由」を与えた
 が、
 大王自身がペルシア帝国最大の奴隷保有
 ペルシア軍侵攻後
 バビロン市そのものの栄華は続いき
 アレクサンダー大王
 熱病に冒され
 33歳の生涯を閉じる
 マケドニア王国の首都でもあった・・・
ーーーーー
 ・・・バビロン、「北緯32度32分11秒、東経44度25分15秒」の東方は「会稽」、「阿蘇山」・・・・