2158日目・・・今日、ETV13:00、「こころの時代〜宗教・人生〜共にわかちあう日々を(再放送)」でバイオリニストの「黒沼ユリ子」さんを観た。「黒沼健」は知っていたが、ボクとしては全然知らない人で、初めてTV画面で知った人物・・・ブログ検索で紹介記事を調べてみたらかなりの有名人。しかも、おばぁチャン、「日本、チェコスロバキア、メキシコ、3つの国に暮らし、世界40カ国で演奏活動を続けてきたバイオリニスト」だった。

 小さいころ、やっぱ、オフクロに連れらて街の劇場で観たのは「天才バイオリニスト」といわれた「鰐淵晴子」さん。彼女は「ノンちゃん雲に乗る」や「伊豆の踊り」主演の女優だったが・・・「黒沼ユリ子」さんはマッタク知らなかった。だがTVのユリ子さんは魅力的で、なんか、その生き方には感動した・・・
 当時、彼女の旦那さんと、
 チェッコスロバキアチェコ-スロバキア・捷克-斯拉仏克・撒克-斯洛伐克)から
 ハンガリー(Hungary・匈牙利・洪牙利)、
 ルーマニア(羅馬尼亜・Rumania)、
 ブルガリア勃牙利・布爾加利亜・Bulgaria)、
 そして、
 ギリシャ(Greece・希臘)の
 パルテノン(Parthenon・帕台農神廟)を訪ねた時に、その彼が「古代ギリシャ文明が、現今の悪の根元になっているんだ」と言ったとか・・・旦那さんは「メキシコ(Mexico・墨西哥)」の「文化人類学者」だった。メキシコでの生活はムカシ、山奥に逃げ込んだ原住民の人々の山村の街。そこで、「バイオリン学校の開設」と「世界をマタにかけた演奏旅行」・・・そうですか・・・
 そして、黒沼の家は戦前東京空襲、戦後、倉庫にあったゼンマイ捲きの蓄音機を引っ張り出して、クラッシック(classic)レコードを子供の頃から聴いていたとか・・・父親が誕生日にバイオリンをプレゼントしてくれたのがバイオリストの切っ掛けになった、とか・・・
 おかげで、ボクは「メキシコの歴史」をコンピュータ検索で勉強するハメになっているが、複雑怪奇の「メキシコの歴史」・・・
 ボクが知識と知っているのは「マヤ文明」や、「慶長十八年(1613年)伊達正宗のサン・ファン・バウティスタ号(San Juan Bautista)による支倉常長のヨーロッパ派遣のノビスパン(濃毘数般)、新イスパニア(新意斯巴尼亜)・ヌエボ・メヒコ(Nuevo México」、そして、映画の「アラモ」、「リオ・ブラボー」・・・そして「トロツキー暗殺」・・・
 ・・・小学校5年生頃、オフクロがボクの誕生日にクラスの好きな友達を二人よんで誕生祝いをしてくれると云うので親友と云うほどでもなかったが、ボク同様の母子家庭で父親がいない友だち二人を誘った。モチロン、3人共、家庭は母親が炭鉱の会社で働く長屋住まいで、みんな、生活レベルが一緒で、親の苦労も知らず、貧乏とも思っていなかったが・・・その「S君」の家には「蓄音機」があって、クラッシックのレコードを聴かせてもらったコトがある・・・戦前は裕福な家庭だったのカモ・・・当時の炭鉱は敗戦で職を失った人々が、集まって来た場所で「喰える巨大な職場」があった・・・
 東京での学生生活、アルバイトで手に入れたモノが「卓上のステレヲ」だった・・・だが、クラッシックレコードの値段が高額で、トテモジャぁ〜ないけれど、だった・・・タマァ〜には喫茶店では聴いたが、コーヒーも高く、飲むモノはミルクだった。まったく聴いたコトのない古典音楽は、イイとも思わなかったが、モダンジャズなどは耳が拒絶反応で、モチロン、ヘビーメタル、ロックなんかはまったくダメ・・・好きなのは「映画音楽」と「歌謡曲・演歌・艶歌・怨歌」のタグイ・・・贅沢に音楽を聴くようになったのは名古屋在住の時からだった・・・なんせ、手に入れたのがソニー真空管の四チャンネルスピーカーのステレヲで、今現在も持っているが・・・今も昔も、狭い空間じゃぁ、イャーホーンからのオト・・・
 自分で楽器を演奏して唄いたかったが、「音符オンチ」で・・・「T・S」さんがギターの弾き方を教えてくれなかったら自分の作詞作曲の歌も唄えんかっただろう・・・「T・S」さんには感謝しています・・・
 音楽、ホトンドがTVか、「ユウチューブ」で、演奏会場で生で聴いたコトは指で数えるほどだが、「バイオリン」の演奏者も、「ピアノ」の演奏者も、トランペットの演奏者もスゴイナぁ〜と思う・・・もちろん、歌手も・・・ただ、オーケストラの「指揮者」の存在が、未だに「?」である・・・居なくてもイインじゃァないの、って・・・「絶対音感の指揮者」・・・耳が聴こえなくなった「ベートーベン」・・・不思議に思う・・・
 ・・・日本ハム、今日は勝ったけれど・・・バットのオト・・・