2115日目・・・「トルコ(土耳古・Turkey)」でクーデタ(Coup d'état)ですか・・・不用意で、不十分、中途半端な「政治的暴力」の行使・・・「一部の軍部の反乱により161人が死亡し、1440人が負傷したと発表した。拘束した2839人の軍人の中には一般兵士のほか、幹部も含まれるという。首謀者は拘束された・裁判官2745人を解任(ロイター通信)」・・・「民主主義選挙」で選ばれた権力者が「民主主義制度」を利用し、「人権と言論」を弾圧をしてきた・・・独裁者による「指導される民主主義」と、民主主義制

 「民主」と云うコトバに「主義」を接合する前に、「民主」と、その「民主」である定義と、その「ミンシュ」としての「手技、手法・やり方・方法」を考えるベキであるかな・・・
 ウイッキペデアや、ブログ辞典を参照にすれば、
 「主義(イズム・ism)」は・・・「主義・主張・学説」で、「多く固有名詞の下に付いて、特有な主義・流儀・傾向などの意」であるらしいが、「主義(イズム・ism)」は「正義(ジャステス・justice・ right・righteousness)」とは異なるらしい・・・ボクには「right」も「light」も同じように聴こえる、「lights(家畜の肺臓・犬、猫の餌、食べ物」・・・「right・left」って、両翼、両手、野球の守備位置?・・・
 「イズミ」なら「出水・泉」か、「イズモ」なら「出雲」に聴こえるかも・・・「小泉八雲」に訊いてみたい・・・
 で、北海道では「いづむ」は「歯がいずむ」、「いずむような痛さ」だが・・・「いづむ」とは大和方言で、「いじける・萎縮する」、「差し控かえる」、長野県では「ねたむ・ひがむ」らしい・・・イズム、ナニを妬むんだか・・・
 「主義は人、団体や政府が主張や行動の指針にする原則や思想」、「主義は中国の史記に記録された言葉であり、信じている一定の主張を意味し、明治前期に英語のプリンシプル(principle=モノがよって立つ根本的な原理、原則、公理の・主な・主要な・第 一の・先頭に立つ)訳語で、その後、英語のイズム(-ism=主義・主張・思想・信条)として定着したらしい・・・
 明治以前「君主・領主・国主・船主」と云う概念はあったカモだが、「民主」と云うコトバはなかっただろう・・・
 「民」は「君主の領民で、私有物(生殺与奪)」だったから、この漢字を字面どうりの「主・義」と考えれば、「君主=王」の「主(支配者)の義」である。「僕(下僕・被支配者)の義」ではない・・・そして、「正義」とは「君主のモノだった」・・・当然、「主の義」である。「君臣忠義(忠儀)」の主従関係の「主の義」である。
 これは、「民」への善政、悪政に関係なく「独裁者の主の義」で、「主の戯」でもあった・・・
 そして、戦争、威喝服従を媒介に領土分轄の移譲、土地の支配権利、民の支配権の利権の相互依存関係の契約(封建関係)となっていった。君臣臣従とは貢納・軍事奉仕、命令服従等の義務契約である。そして、依然として君を頂点とする臣下の階級序列支配の中で「民」は彼らの「私有物(生殺与奪物)」であり、生産物を産みだす「家畜→価値躯?」だった・・・
 今現代の「社会的な自由関係」とは「市場」での金銭を媒介にした「売買」である・・・この流通経済関係の枠内でのみ「選択の自由」がある・・・歪(ひずみ)が出れば、立法しようが、しまいが、「政治」が強制介入するか、妥協的介入をする・・・
 この関係は身分制度を残しながらも「カネ」を媒介する「商品(雇用関係の労働も含む)の売買」として、個々人相互の「利害関係(私有財産維持)」の契約となっていったのである・・・当然、カネを蓄積しているモノには有利ではあるが・・・記録された数字上の約束は、確実にソレの「使用価値」を保障しない・・・
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 「不安と恐怖」はダレのモノであるのか・・・「安心と安全」はダレのモノであるのか・・・失うモノで怖れを抱くのはダレか・・・無いモノを欲しいと願望するのはダレか・・・
 痛みと、失ったモノがあるコトを経験したモノ、観て聴いて知っているモノに「不安と恐怖」がある・・・そして、「安心と安全」も・・・生きている、生きてきた人間の自覚と覚悟の問題である・・・「自覚」があっても「覚悟」がなければ「不安と恐怖」は払拭は出来ない・・・そして、それらのレベルは個々別々である・・・
 ボケた人間には「不安と恐怖」はない。それらはボケを観て知っている人間に属する・・・
 泣き叫ぶ赤ん坊は自己存在の危機を訴えるが、子供の「危険」を認識、自覚して感じているのは、それを分身した「母親の不安と恐怖」である・・・
 いずれも、生きて、「自覚」している人間の領域である・・・「自覚」している人間とは「失うモノ」に「不安と恐怖」を感じるのだ・・・そして、それらをマモルには「リスク」が伴う・・・そして、それをマモルこと、マモルモノには個々人で異なる・・・
 「天国」には「安全」と「危険」は無い・・・無いモノは無いのである・・・「地獄」はあるのか・・・在るモノは在るのである。「天のウエの獄」ではない、この「地のウエの獄」にである・・・
 最近では「宇宙空間」にもあるかも・・・
 だが、殆んどは・・・「エゴのレベル」は地上に「生きている社会的人間」にある・・・
 ・・・「なんでも云ってイイ」ケレどねッ・・・イエる時がハナである・・・