2105日目・・・「1830年の世界史」にコダワリたい・・・「1830年の嬉遊笑覧(キユウショウラン)」の文字を重ねて、今現在を俯瞰、鳥瞰・・・「杞憂照覧」と「隋書(魏徴・長孫無忌)・瑞皐(高野長英)・玄瑞(久坂玄瑞)・随筆・随分・随処・随所・随縁・随縁真如・随縁放曠・隋園食単・楕円・遣隋(犬上御田鍬の630年のタスキガケ)・随行(小野妹子と煬帝)」などの書で「滴天髄(四柱推命は亥の地の北西)」の「源註余滴」の「涎(よだれ)」で、人物を観るか、「キカガク」図形・・・「記仮画句・気化學・奇禍愕・帰化嶽」の

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 1830年
 干支は庚寅年・・・かのえノとら・・・
 日本(寛政暦)
 文政十三年は
 天保一 (1830) 年に重なる
 皇紀2490年・・・・弐阡肆陌玖拾ネン
          2+4+9+0=15・・・1+5=6
 中国
 清王朝
 道光十年 
 朝鮮
 李氏朝鮮
 純祖三十年
 天保(てんぽう)年号は、
 文政の後、
 弘化の前
 1830年〜1844年までの期間
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 1830年
  ↓↑
 ・・・大コロンビアが解体、エクアドルベネズエラが独立。7月27日にフランス7月革命が勃発・・・
 ベルギーが独立宣言・・・
 ・・・2016年3月22日、ブリュッセル比律悉・不魯捨拉斯・布魯塞爾)=Brussels(沼地、湿地=bruoc、bruc、broek)の家(sella、zele)の空港、マールベーク駅は大混乱・・・
  ↓↑
 1830年前後の流れは
 1825年 (文政八年)
 異国船打払令
 1828年 (文政十一年)
 シーボルト事件・・・・・高橋景保が塩漬け後に処刑
 1829年 (文政十二年)
 江戸大火
 1830年 (天保元年)
 伊勢の御蔭参り大流行
 1832年〜1837年(天保三年〜八年)
 天保の大飢饉
 1837年(天保八年)
 大塩平八郎の乱生田万の乱
 1835年(天保十年五月)
 蛮社の獄・・・・・高野長英・渡邉崋山・小関三英
          尚歯会への弾圧
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  ↓↑
 「嬉遊笑覧(キユウショウラン)」は、
 天保一 (1830) 年に
  江戸時代後期の
  風俗習慣、
  歌舞音曲を記録した随筆で
 「喜多村信節(きたむら のぶよ)
  天明三年十月十六日(1783年11月10日)
   〜
  安政三年六月二十三日(1856年7月24日)
  喜多村 筠庭(きたむら いんてい)
  筆号は他に筠居・節信 (ときのぶ)
  が発刊」
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  ↓↑
 1830年
 王政シャルル10世が
 亡命貴族に対する
 金銭的補償の立法化
 言論の自由を剥奪の勅令
 議会を強制的に解散
 などで
 7月14日
 バスチューユ牢獄襲撃
 7月27日
 フランス7月革命が勃発
 7月29日〜9月1日
 イギリスで総選挙
 ウェリントン公爵内閣の
 与党保守党が多数派
 8月19日(文政13年7月2日)
 文政の京都地震発生
 11月16日
 イギリスで
 ウェリントン公爵内閣が総辞職
 11月22日
 イギリスで
 グレイ伯爵内閣(ホイッグ党政権)が成立
 11月25日
 ワルシャワ士官学校
 ロシア人教官が
 二人の若い生徒を
 笞(むち)で打とうとしたコトで反乱が始まる
 11月29日
 ロシア帝国支配下
 ポーランドワルシャワ
 11月蜂起
 セルビア公国が完全自治権を獲得
  ↓↑
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 1830年
 誕生した人物
 9月20日(文政十三年八月四日)
 吉田松陰(〜1859年)
 9月26日(文政十三年八月十日)
 大久保利通(〜1878年
 10月3日
  ↓↑
 アルベルト=ギュンター・・・・存部留訳・疑由務他蛙
(Albert Gunther)
 ドイツ人
 動物学者
 (1830年10月3日〜1914年2月1日)
 1857年
 イギリスの大英博物館勤務
 1874年に
 イギリス国籍となり
 1877年
 ロンドン・リンネ学会の会員・・・・・輪廻
 1896年〜1900年まで会長
 1880年
 日本固有種の
 ミズラモグラ・・・みずら=角髪・角子
  ↓↑          鬟(わげ・みずら
                びんずら・びずら
カン)
              髻(わげ・みずら
びんずら・びずら
カン)
              鬟=髟+睘(瞏 )
                  瞏=罒+土+口+衣)
                  睘→環→還→圜→懁
              髻=髟+吉(士口・十一口)
髪(かみ)を束ねて
                丸く輪にしたもの
                わげ→和解?
                山のとりまくさま
                山々が盆地の周りに
                連なるさま
                (會津盆地)
                召使の女
  ↓↑          もぐら=土竜・鼢・鼴
  ↓↑       見図等摸具等?
 Euroscaptor
 mizura (Günther, 1880)は、
 神奈川県横浜市産の
 標本に対して、
 新種として記載
 魚類・・・・・・・真名仮名(まな・漢字)の類
 爬虫類
 両生類
 分野の動物学者
 8巻の
 魚類図鑑(1859年〜1870年・Ray Society)発刊
 『動物学文献記録』は現在も
 「Zoological Record」として
 トムソンロイター社からオンラインでも発行
  ↓↑
ーーーーー
 1830年
 死亡・死去した人物
  ↓↑
 5月16日
 ジョゼフ・フーリエ、数学者(1768年〜)
 ジャン・バティスト
  ↓↑
 ジョゼフ・フーリエ男爵
 (Jean Baptiste Joseph Fourier, Baron de)
 1768年3月21日〜1830年5月16日
 フランスの数学者・物理学者
 パリで病没。63歳
  ↓↑
 1796年
 代数方程式の実数解の数に関する定理
 (フーリエの定理)を証明
 1831年
 『定方程式の解析』が出版された
  ↓↑
 固体内での熱伝導研究
 熱伝導方程式(フーリエの方程式)を導き、
 これを解くためにフーリエ解析理論を展開
 フーリエ解析
 複雑な周期関数を
 簡単に記述することができ、
 音や光といった
 波動の研究に広く用いられ、
 現在は
 調和解析という数学の一分野を形成
 他に、
 方程式論
 方程式の数値解法の研究
 次元解析の創始者
 統計局に勤務した経験から、
 確率論
 誤差論
 の研究も行った
  ↓↑
 1768年3月21日
 フランス中部、
 ヨンヌ県の
 オセール
 仕立屋の
 9番目の息子として誕生
 1789年
 フーリエ
 『定方程式の解法』
 と題した論文を発表するため
 パリへ向かい、フランス革命に遭遇
 幼年学校の数学教師になり
 オセール
 革命委員会に加わり、その委員長となった
 ロベスピエールの政府との対立から、
 フーリエは要注意人物とされ、
 逮捕される
  ↓↑
 フランス革命後の恐怖政治
 多くの科学者が処刑、亡命
 革命政府は学校の設立を奨励し、
 パリに
 エコール・ノルマル・シュペリュール
 エコール・ポリテクニーク
 といった新しい
 高等教育機関グランゼコール)が創設
 1794年
 フーリエ
 エコール・ノルマル・シュペリュールに
 第一期生として入学
 エコール・ノルマル・シュペリュールは
 翌年一時閉鎖され
 フーリエ
 ラグランジュ
 モンジュのもとで
 エコール・ポリテクニーク
 築城学の助講師に、
 のち
 解析数学の教授になった
 この講義の中で、
 彼は
 代数方程式の
 実数解の個数に関する
 フーリエの定理を証明
  ↓↑
 1798年
 ナポレオンはイギリスとインドの連絡を絶つため、
 「不幸な人民を救い、文明の恩恵を与える」
 ことを口実に
 エジプトへ遠征
 フーリエは文化使節団の一員となり
 モンジュやベルトレらとナポレオンに随行
 フーリエ
 新設された
 エジプト学士院の書記として
 数学的・考古学的研究を行い、
 のちに発表された
 『エジプト誌 (Description de l'Egypte) 』
 (1808年-1825年)も監修
 このエジプト滞在で
 ロゼッタ・ストーンを発見して
 フランスへ持ち帰り、
 しばらく
 自室で保管(シャンポリオンには見せている)
  ↓↑
 1799年
 ナポレオンは
 モンジュ他わずかな部下を伴って
 フランスへ帰国
 フーリエは大多数の将兵とともに
 エジプトに取り残され、
 イギリスやオスマン帝国との間に
 停戦協定が成立後
 1801年に帰国
  ↓↑
 1802年1月2日
 行政・外交手腕をナポレオンに認められ
 イゼール県知事に任命
 グルノーブルに赴任
 革命後悪化していた
 治安の回復、
 トリノへの道路の建設、
 ブルゴア沼沢地の干拓
 マラリアの一掃
 などといった事業
 1808年
 皇帝ナポレオンによって
 男爵に叙
 1807年
 熱伝導に関する最初の論文を
 アカデミー・デ・シアンスに提出
 ラグランジュ
 ラプラス
 モンジュ、
 アンペール
 まどが論文の審査委員会の委員
 ラプラスラグランジュ
 フーリエ級数の正当性を疑問視
 ラプラス、ビオ、ポアソン
 熱伝導方程式の説明が不十分であると指摘
 アカデミーは掲載は見送った
 1812年
 懸賞論文の題目を
 「熱の解析的理論」とした
 フーリエは大幅に加筆訂正し
 第二論文を提出
 審査員のラグランジュは、
 数学的厳密性に難があると厳しく指摘したが
 (ラグランジュも同様なことを考えていた)
 論文はアカデミー大賞を受賞
  ↓↑
 電流を論文中における
 熱の流れと同じように扱って
 オームが
 オームの法則を導き、
 方程式を解くために導入された
 フーリエ級数解析学に大きな影響を与えた
  ↓↑
 ロゼッタ・ストーンを、
 12歳の
 シャンポリオンに初めて見せた
 刻まれている
 三種の文字のうちの一つ(ヒエログリフ)が
 未解読であることを告げられた
 シャンポリオンは、
 約20年の歳月をかけて解読に成功
  ↓↑
 ライプツィヒの戦い
 ナポレオンは敗北し
 1814年
 退位
 エルバ島へ流刑
 フーリエ
 ラプラスらととも
 ルイ18世に忠誠し
 知事を続ける
 1815年3月1日
 ナポレオンがエルバ島を脱出
 フーリエはリヨンへ赴き王党派に通報
 グルノーブルへ戻った時
 そこはナポレオンに占領
 捕らえられ
 再びナポレオンに従って
 ローヌ県知事に任命されるが、
 強権的姿勢に反対して辞職
  ↓↑
 ワーテルローの戦い
 ナポレオンは
 セントヘレナ島へ流刑
 フランスは王政に復帰
 復位した
 ルイ18世
 フーリエを罷免
 友人の
 セーヌ県知事
 シャブロル伯によって
 セーヌ県統計局長の職に就き
 生命保険に関する研究を行なった
  ↓↑
 1816年
 アカデミー・デ・シアンスは
 フーリエを会員に推薦したが、
 ルイ18世に拒否されたが
 1817年
 会員に選出
 1822年
 アカデミー・デ・シアンスの
 終身幹事
 1826年
 アカデミー・フランセーズ会員
 エコール・ポリテクニーク理事長
 学界で君臨
 フーリエ級数が収束するために必要な
 「ディリクレの条件」
 を導いた
 ディリクレは教え子
  ↓↑
 フーリエの定理
 「条件を満たしたフーリエ級数
  もとの関(函)数
   f(x)
  に収束する」・・・元の函(箱・匣)の中のxに収束
           「x」とは
           「漢字の分解字数」である・・・?
  ↓↑
 1830年5月16日
 下院の選挙で
 シャルル10世に対する反対派が圧勝
 再び革命(7月革命)へと動いていく中で
 フーリエ
 心臓病or動脈瘤で死亡
 方程式論の研究をまとめるべく
 全7巻の予定で執筆途中だった
 『定方程式の解析』は、
 ナヴィエが遺稿をまとめて
 1831年に2冊だけが出版
  ↓↑
 フーリエの法則
 熱伝導方程式
 「各点での熱の移動する速さは、
  その点における
  温度勾配に比例する」
 ある時刻のある領域における
 熱量は
 流入した熱と
 流出した熱の差で表すことができる
 熱量と比熱・温度の関係式からも
 熱量を表すことができる
 フーリエはこれらの関係式を用いて
 熱伝導方程式を導き、
 いくつもの境界条件のもとでこれを解いた
  ↓↑
 フーリエ解析
 ある有限区間上の関数を
 三角関数級数で表すことを
 フーリエ展開といい、
 無限区間に拡張されたそれを
 フーリエ変換という
 フーリエ解析とは、
 これら
 フーリエ展開
 フーリエ変換を用いて
 関数を解析すること、
 特に
 関数を周波数成分に分解して調べること
 これは
 線形微分方程式を解く
 物理学や工学において
 光や音、振動、
 コンピュータグラフィックス
 などの分野で用いられている
 『熱の解析的理論』において、
 「任意の関数は、
  三角関数級数で表すことができる
  (フーリエの定理)」
 フーリエ解析
 「ほとんどあらゆる」関数が
 周期関数の和として「表せる」
 後の
 リーマンの積分
 カントール集合論
 もこれに関する研究から生まれた
ーーーーー
 ・・・そして、「石川雅望」が死亡している・・・?
  ↓↑
 1830年5月16日(文政十三年閏三月二十四日)
 石川雅望
 狂歌師・国学者
 誕生1754年〜
 狂名は
 宿屋飯盛(やどやのめしもり)
 通称は
 石川五郎兵衛
 号は
 六樹園、五老山人
 字は子相
 別号に五老斎
    逆旅主人・・・逆に旅する主(あるじ)の人
 「狂歌絵本」を
 蔦屋重三郎から出版・・・蔦屋(つたや)ですか・・・
 雅語用例集
 『雅言集覧』や
 『源氏物語』の注釈書
 『源註余滴』・・・「余滴」とはナニか・・・
  ↓↑       四柱推命は宋代の
           徐公升(ジョコウショウ)の
          「渕海子平(エンカイシヘイ)」
           明代の
           劉伯温(リュウハクウン・劉基)の
          「滴天髄(随・ズイ)」だが
          「滴天髄・窮通宝鑑・子平真栓」と

           日本人の
          「桜田虎門」の
          「淵海子平」の和訳の
          「推命書」は必読カナ・・・
           兎に角、
           天文学
           幾何学に当てはめたモノで、
          「5角形、五芒星」のバランス論で、
           更には
          「人生履歴」を推察したモノであるカナ
          日本の歴史的には
  ↓↑     「隋・瑞・随」書の「滴天髄」の
  ↓↑     「源註余滴」の涎(よだれ)だろう・・・
  ↓↑      天から地上に降り注いでいるモノは
  ↓↑      宇宙線の粒子である・・・   
 などを出版・・・
ーーーーー
 1789年8月26日
 人権宣言
 Declaration des droites de l'homme
 人権宣言の盾
 ラファイエット将軍によって採択
 全17条
 「新しい市民社会」とはナニか?
  ↓↑
 人間は生まれながらにして自由、平等である
 自由、所有権、安全、圧制への抵抗は人間の権利である
 国家の主権は人民にある
 自由とは
 他人を害しない全てのことをすることができる、
 ということにある
 法律は、
 社会に有害な行為でなければ、
 禁止する権利を有しない
 法の前にはみな平等である
 いかなる者も
 法律が定める形式による場合でなければ、
 追訴、逮捕、拘禁はされない
 法律は厳正かつ明白に
 必要な刑罰でなければ定めてはならない
 全ての人は、
 有罪と宣告されるまで
 無罪と推定される
 いかなる者も
 公の秩序を乱さない限り
 迫害されることはない
 思想、言論、出版の自由を保障する
 市民の権利の保障は、
 公の権力を必要とする
 公権力の維持、
 行政の費用のために
 租税は不可欠である
 全ての市民は公の租税の必要を
 確認し、承諾し、
 その使途を監視する権利がある
 社会は全ての官吏に対して、
 行政について
 報告を要求する権利を有する
 権利の保障が確保されない社会は、
 憲法を有していない
  ↓↑
 「人民の友(L'ami du peuple)
 マラーが発行した新聞
 1789年9月12日
 46歳のマラーが創刊
 初期の革命を監視する役目を自ら担った
 「人民の友」はパリの日常生活に定着
  ↓↑
 ジャン=ポール・マラー(Jean-Paul Marat)
 1743年5月24日〜1793年7月13日)
 フランスの革命指導者
 医師
 山岳(ジャコバン)派に加わり
 恐怖政治を推進・・・持病は皮膚病・・・
 恐怖政治を嫌った
 シャルロット・コルデー
 (Charlotte Corday)
 本名は
 マリー=アンヌ・シャルロット・コルデー・ダルモン
 に暗殺された・・・恐怖政治を嫌い、「教養」があった女性も「殺人」を冷静にする・・・
  ↓↑
 敵は
 ラファイエットであった・・・
 「一年前に500〜600の首を刎ねていれば、
  諸君は自由と幸福を手に入れていたはずだ。
  今日では10,000の首を刎ねなければならない。
  おそらく数ヶ月もすれば十万の首を刎ねるだろう。
  そうすればずっとよくなるだろう。
  なぜなら、
  祖国の情け容赦ない敵を
  最後の子供に至るまで
  皆殺しにしなければ
  諸君には
  絶対平和は訪れないのだ」
 「武器を取りに走れ!
  諸君の最初の一撃を
  卑劣な将軍(ラファイエット)に!
  国民議会の堕落した連中、
  不実なミラボーを真っ先に生贄に捧げよ!」
 1790年1月
 マラーはイギリスへの亡命
 4月、パリに戻って
 「人民の友」の再刊
 マラーは文字通り地下にもぐり、
 「人民の友」を発行しつづけた
 ・・・ナゼ、「マラー」は「ラファイエット」を敵としたのかは「ラファイエット」が採択した「人権宣言」は「プチブル(階級)意識」を有し、それを「代弁」していたからである・・・「マラー」は「人民(意識)の友」であって、「市民(意識)の友」ではなかった・・・だが、「新聞」を発行できる資産を有し、知識を有する「階級」でもあった・・・
ーーーーー
 ・・・
 人間は生まれながらにして自由、平等ではない・・・
 自由、所有権は人間の権利ではない・・・
 ダレの自由なのか・・・
 ダレの所有権なのか・・・所有権は私有権ではない・・・
 安全、圧制への
 抵抗は人間の権利である・・・コレは是・・・
 法の前にはみな平等である・・・ダレの法なのか・・・
 国家の主権は人民にない・・・「支配階級」にある・・・
 権利の保障が確保されない社会は、
 憲法を有していない・・・「憲法は権利の保障」を確保しているか
 ・・・「憲法があっても権利は保障」されない・・・「憲法」を護らない「詐偽・強奪・殺傷」の「人間」がワンサカ存在する・・・「ギョウセイカン」、「サイバンカン」は「憲法」を護らない・・・「階級意識国家の税金収奪カンリョウ」であるカナ・・・