2068日目・・・5月21日(土)に「そしてテレビは“戦争”を煽(あお)った〜ロシアvsウクライナ2年の記録〜(2016年5月21日(土) 午後9時00分〜9時49分)」をみたが・・・「テレビ」の犯罪か、ジャーナリズムに関わり、それを利用して「戦争を煽った人間」の「犯罪」なのか・・・「プーチンさんのコトバ」を信じるモノはロシア以外に存在しないし、「習さん、金さん、朴さん、トランプさん」、そして「アベさんのコトバ」を信じるモノは、彼らの「自国民」にしかいない・・・が、「自国民」の一部であれ、全部であれ、「

 モチロン、「外敵」は「異種同士の天敵関係」でもあるが、これは「自然界」に生きて行く「人間種」をも含めた「弱肉強食」、「食物連鎖」の「自然界の法則性」でもある・・・
 だが、「人間種」は、「人間同士」の諍(いさか)いに於いては、この「自然の法則性」からの「解放」を目指してきたハズであるのだが・・・「解放」とはナニからの解放なんだか・・・「人間疎外」・・・
 あの悲惨で残酷な「第一次大戦」、「第二次大戦」を経験したのにも関わらず、この「21世紀」に「戦争」での殺し合いとは・・・「映画」でも、「TVドラマ」でも・・・「お伽噺」でもない「現実」である・・・
 「日本国憲法」下で、「スーダン(Sudan・南-蘇丹)→Republic of South Sudan)・2013年12月、内戦勃発で、約二百五十万人の南部住人が殺された」への「自衛隊の国連平和維持活動(PKO)派遣とは・・・今回はやらないと云っているが、安全保障関連法に基づく新任務・・・「駆け付け警護」と「他国軍の共同陣地設営」・・・発砲・・・戦闘は意図的にも偶発的にも起きるのが常識である・・・今夜のニュースでも過去から現在まで「自衛隊が誤って発砲した事件」・・・同胞を「誤って撃っ」ても、「敵国人」を撃ったらどうなる・・・
 南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)に第10次隊として派遣される陸上自衛隊北部方面隊(総監部・札幌)の先発隊約130人が22日、新千歳空港を出発した。
 10次隊は陸自第7師団(千歳)を中心に編成
 PKOの任務を
 拡大した安全保障関連法が
 3月に施行された後での初の派遣・・・半年間・・・
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 2013年の南スーダンGDPは140億ドル「一人当たりのGDP」は1,289ドルであり、ケニアとほぼ同額で、エチオピアよりずっと多いらしい・・・その98%は石油利権による「支配階級」の裕福な生活を維持し、一般庶民は貧困、貧苦、難民・・・
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 で、
 テレビは「戦争」を煽(あお)った〜ロシアvsウクライナ2年の記録
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 「事実」は「インターネットの映像」だが、それらがコピーされその「TV映像の添付説明」は「事実の説明」ではない。それらのTV映像への説明を「歪曲と虚偽」で添付し、「自国民」への「愛国プロパガンダ放送」へと「改作報道」したのである・・・国家権力者の「大本営発表」である・・・敵対国家間、国家間戦争で至極当たり前の「謀略、調略戦」である・・・「東京ローズ・アワァー」は米軍人気の癒しの時間だったが・・・そして、むかしは「愛国小説(敵中横断300里・山中峯太郎著=戦前に黒澤明小国英雄が脚色し、昭和32年=1957年12月28日に大映映画が公開)」などがあった・・・現在も「本屋大賞」などを受賞したアイコク?作家がいる・・・大学も軍事兵器の研究が盛んになりつつあるらしい・・・
 「歪曲と虚偽」はナニも「国家の愛国プロパガンダ放送」だけの問題では無い。この「国家枠(全世界)の「プチブル意識(出世欲・金銭欲)=私有財産化意識」社会の一般市民社会での「誹謗中傷」現象は日常性でもある・・・
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 「戦闘が始まると、ネット上には無数の残酷な映像が溢れかえった。その場に偶然居合わせた市民が撮影した映像がネット上に拡散。それをテレビ局が自国に都合良く使った。ネット上に市民が何気なく投稿した一枚の写真が、使われ方次第では、世論を大きく動かすほどの影響力を持つ時代となった」
 「国家が戦争状態になると、メディアはどう変質し、メディアにいったい何が起きるのか。情報はどのように国民に伝わり、どんな影響を及ぼすのか。ロシアとウクライナのテレビ局に密着し、現代の“戦争”におけるメディアの持つ危うさ、その課題に迫る」
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 ・・・「その課題」の説明は「TV」では無かった、が・・・NHKのブログでは、
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 「2012年9月、
  民主党・野田政権による尖閣諸島の国有化。
  中国の猛烈な反発を招き、
  尖閣諸島の周辺海域では
  海上保安庁の巡視船と中国の公船が連日にらみ合った。
  中国側が火器管制レーダーを
  日本の巡視船に照射するなど、緊張は極度に高まった。
 歴史に「もし」はないが、
 あのとき
 ひとりでも犠牲者が出ていたら
 「NHK」はどうなっていたのだろう。
 当時、地方から報道局にあがって2年目の私は連日ニュースセンターで勤務にあたっていた。
 怒号が飛び交い緊迫する職場の中で、
 右から左へ命じられるがままに
 ニュースを作っていたことを記憶している。
 それが
 社会に何をもたらすのか
 考えるゆとりもなく…。
 得意とするロシア語を生かし制作した今回の番組。
 日本からは
 遠く離れたウクライナ紛争を
 テーマにしながらも、
 その問題意識は
 いつも
 日本にあった。
 いったん戦争状態となると
 社会やメディアはどう変わるのか。
 テレビは人々の憎しみを煽り、
 再び悲惨な戦争を
 繰り返すことに力を貸してしまうのか。
 それとも、
 何が問題かを冷静に分析し伝え、
 緊張の糸を解きほぐすことに寄与できるのか。
 地味で難しいテーマ。
 でも、
 世界が激動する今だからこそ、
 しっかりと考えたいと思い、取材、制作した。
 当然、
 メディアで働く自分自身への戒めでもある。
 (報道局ディレクター 田中雄一
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 ・・・「その問題意識はいつも日本(国・人)」にではなく、そして、「社会やメディア」でにでもなく、「人間」としての「自分自身の立場」にあったハズ・・・