2067日目・・・「就職率95%以上」・・・「青年は就職を目指す」、そして「青年は離職も目指す」、「中高年は定年を目指し、老後の年金を目指す」・・・「荒野を目指す青年」も喰いながら目的地を目指すだろう・・・多かれ、少なかれ、人びとは結果としての「生活財」を媒介する「カネ」を目指すのである。「生活水準」とは「エンゲル係数」だが、「エンゲル係数」にも「レベル」がある。「贅沢者のエンゲル係数が99%」もある。収入の多寡で喰うモノにも、着るモノにも、住む場所にも個々人のレベルは異なっている。レベルは異なるが「エ
相撲、面白いね。サッカーは完全にチームワークが決定的であるが、野球の攻撃は投手と打者の一騎打ちのワザの対決、守備ではチームワークの連携ワザ・・・
個人競技の「相撲・柔道・レスリングなどの格闘技」は「強くなれ、強さを目指せ」とは「技(わざ)で相手に勝つ・心(こころ)で自分自身に克つ」である・・・
団体競技では「チームワークでの強さ」であるが、それでも「個々人の技と団結力」である・・・
一般市民社会では「強くなれ」とは、「出世とカネ儲け」を目指せであるが、詰まる所、「社会」とは「個々人の生活の余裕の多寡のレベル」である。
「蛭子能収(えびすよしかず」さんの「ファミリーヒストリー(蛭子能収〜伝説の漁師集団=阿波船団・父は死の海にこぎだす〜)・長崎育ちの蛭子能収さん・両親が徳島出身・父は一獲千金を狙う伝説の漁師集団のリーダー・戦争中、軍に徴用・機雷除去作業で船が爆発事故し、父は兄を失う・長崎に移住する前に父は兄弟と共に徳島に蛭子(エビス)家の墓を残していた」をみた・・・
・・・人間は生きている間の「経験」によってのみ、「自他」との「喜怒哀楽」の意味を知る・・・
「つげ義春」氏の作品「紅い花」には当時、意味も判らず、共感したけれど、「キクチサヨコ」にも「チョジ」にも惚れた・・・「有名」になると「傲慢(?)」にもなる典型だったかも・・・ボクは「NHK」放映の「紅い花(1976年(昭和51年)10月22日放送(70分)」には「マンガ」と同じくらいに「共感」したけれど・・・彼は気に喰わなかったらしい・・・
で、「ファミリーヒストリー」と同じアイデアは、ボクの小樽の伯父さんが、1977年ころに「家族と御先祖様の系譜をビデオカメラ」に撮ってビジネスすれば、と云っていたコトだが・・・
「プチブル意識」としての利害関係での自己利益の拡大志向、「社会的影響力」、そして、個としての「権力」の集約化であり、「共存共栄の社会的人間」と云うわけにはイカない・・・
・・・なにかしらの「権力」が動き、動きまわされるのはカネに翻弄される「プチブル社会意識」のプールの中・・・溺れても、溺れなくてもネッ・・・カネの重さ次第だが・・・
「オバマ米大統領、5月27日に広島へ訪問」・・・広島のカネは鳴るんだろうか・・・綱(つな)を曳いてカネの音を鳴らす・・・「銅鐸の音」を聞いたコトがないがブログで検索したら・・・「銅鐸の音が聴こえる」を見つけたので添付しておく・・・
https://www.youtube.com/watch?v=jk7GG-hjwxI
https://www.youtube.com/watch?v=BzNQ8SVCgL0
・・・なんか、物悲(哀)しい音だが、敢て言えば、「風鈴の音」・・・寺の梵鐘の音(ゴォ〜ぉ〜ン)とは異なる・・・
文字も絵も「記録」されるが、音そのものは「録音機」が発明されるまでは無理だった。だが、いずれも「生きている人間の脳ミソ」に記憶されるが・・・音の聴覚を通しての感情的な「喜怒哀楽・驚愕恐怖」を曳き出す幅(巾)は、「視覚」よりも大きいカモ・・・「形の見えないモノ」は恐ろしい・・・
確かなモノは「目」で確認したいが、音と音声でのコトバは曖昧で、不確かであるかな、「マスゾエ」・・・