2028日目・・・ウルグアイ(宇柳具・Uruguay)の元大統領、尊敬するョ、ッ・・・昨日、調べた「撟=扌+喬(たかい・キョウ・ギョウ=呑+冋)」は「もとる・キョウ」だったが、「呑=夭(わかい・ヨウ)+口」である。「夭」は妖(あや)しいの部首でもあり「妖艶」である・・・で、「もとる」と訓読みする異字漢字は結構ある・・・「もとる=悖(ハイ)・愎(フク)・乖(クワイ・カイ)・婞(コウ)・佷(コン)・歹(カツ・ガチ)・刺(シ)・・・「摸訳留(もとる)」?・・・「悖る=もとる=戻る」は「道理にそむく・反する・ね

 真っ黒に塗りつぶしたのは国会に提出された日本政府の「甘利のTPPの交渉文書」、世界の「政治屋」は「甘利」である・・・
 兎に角、「巴奈馬」の「パ(巴)」は、「巴(中国四川省東部の異称、巴蜀・ともえ=水の渦巻き模様」で「巴布 (パップ)・巴比倫 (バビロン)・巴里 (パリ)・巴爾幹 (バルカン)」、「奈= 柰(いかん・なんぞ・どうして)」の「馬(うま・め・バ)」である・・・まったく、博打稼業にも「モトル」奴等が各国の「政治屋の頭領」・・・野球、バトミントンの選手を非難できるか・・・
 ボクの父方のオバァちゃんの苗字は「高橋」だが、故郷は金沢、新潟からダンナとカケ落ちで北上して蝦夷地にヤッテきた・・・「橋=木+喬」の「喬」も「たかい」の意味である。橋の類字は、「華僑(移民)」の「僑=イ+喬」でもあるが・・・「矯正」は社会生活での「規範・倫理・道徳・礼儀」を守らせる再教育・・・福島原発の反省のハの字も浮かばないサイバン屋、嗤っちゃう前に九州消滅だな、「九州川内原発」の「裁判官」・・・矯正、再教育はオマエラ、サイバン屋だな・・・
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 說文解字
 「撟、舉手也」 高舉・・・手を高くカカゲル・挙手
 漢書、卷八十七・揚雄傳上
 「仰撟首以高視兮、目冥 眴而亡見」
 糾正、矯正。通「矯」・・・・・・修正
 漢書、卷十四、諸侯王表
 「而藩國大者夸州兼郡、
  連城數十、
  宮室百官同制京師、
  可謂撟枉過其正矣」・・・枉は曲がった木
  假託、假造。・・・・・・・・・仮託・珂理に造る
  如「撟詔」
 「喬」は「説文」に
 「高くして曲がれるなり」
 とある
  ↓
 撟=correct・・・「撟」の英訳コレクト
   正しい・最も正しい
   事実に合致して正しい
   間違いのない、正確な
   規準に合って間違いのない
   一般的に認められた基準
  ↓
 一般的に認められた慣習に合った
 誤りを訂正する
 直す
 校正する
 修正する
 添削する
  ↓
 キョウ、 コウ
  ↓
 矯=矢+喬・・・・・矢を高く飛ばす
   U+77EF; 2. 矯.
   通仮字=僑=イ(人)の稼ぎを高くする
       撟
       橋=木(建築)を高くする
   異体字=矫・𢱪・撟・𥏹・挢
   簡体字=矫
 喬を部首とする漢字
 僑=華僑
 敽
 蕎=蕎麦(そば)
 鐈・嶠・蹻
 嬌=愛嬌
 橋=鉄橋
 蟜
 「故に
君子は・・・・訓示は
和して・・・・名古哉化似して
流れず、・・・名臥例事(図・亠=音)
  強なるかな・・キョウ鳴るカナ
  矯たり・・・・教他理
(中庸)」・・・メソテース=ギリシア語Mesotes
               英語Golden Mean
                 Happy Mean
            middle course (way)と云うよりは
            バランス(balance)のコトだろう
 ・・・「嚆矢(コウシ)=鏑(かぶら)矢」の戦闘開始の合図なら拮抗が崩れる時かな・・・
  ↓
 矯正=欠点・悪習などを
    正常な状態に直すこと
    刑務所・少年院などに収容人たちの
    改善更生のための処遇を行うこと
   「行刑」に代わって用いられている語
  ↓
 橋=はし=葉詞
      歯史→1833年(天保四)以来の「天保の飢饉」の
         紀州藩儒の遠藤勝助主催の
         対策会合
         尚歯会(ショウシカイ)←蛮社の獄
         田原藩渡辺崋山
         シーボルト門下の高野長英
         岸和田藩医の小関三英
      頗詞
      梯・箸・𣘺・嘴・箸・趨
      端=立+山+而・・・而→形而上・形而下
               而=しこうして
                 しかして
                 しかも
                 しかれども
                 しかるに
                 すなわち→素名和智?
      波子=島根県
         江津市
         波子(はし)町
         波の子=伊弉諾伊邪那岐、伊耶那岐
             神武天皇の以前
             神代
             七代先祖
             伊弉冉伊邪那美、伊耶那美、伊弉弥
             別名は
             黄泉津大神道敷大神
      土師→土器製作の工人
   たかはし=高梁・郄橋・高椅・高階
        鷹嘴
        孝橋・鷹橋・高端
        啄鷹・喬橋
        鷹羽司
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 これらの漢字の関連性から「モウソウ」すれば、
 ↓↑
 「高橋=御膳=膳部=かしわでべ=柏手部」
 膳部の伴造(とものみやつこ)を
 膳臣(かしわでのおみ)=宮廷調理長官
 ↓↑
 孝元天皇の皇子
 大彦命
 阿倍臣の祖の孫
 磐鹿六雁命・・・・・・・蛮(播)録(緑)理句借理?
 (いわかむつかりのみこと)
 (意和化務通掛理之視語訳)?
 (バンロクリクガンメイ)
 (版 録 陸 含 名)?
 が
 景行天皇
 堅魚(かつお)
 と
 蛤(はまぐり)を調進して
 膳部の膳臣(長官)に任命
 ↓↑
 膳部は中央にあって
 天皇・百官の食事の調製にあたり、
 また
 各地に分散居住して
 食料品の貢納を担当・・・食料品の流通拠点と調達網
             地方情報の掌握担当も兼ねた?
 律令制下では
 宮内省
 大膳職(だいぜんしき)に
 膳部160人、
 同省
 内膳司に
 膳部40人が所属
 百官・天皇の食膳の調理
 内膳司の長官(正)には
 膳臣の
 高橋朝臣を・・・・・・高橋・鷹嘴・啄鷹・喬橋
            鷹羽司=鷹羽の産地は蝦夷
 任命することが多く、
 内膳奉膳
 (ないぜんのぶぜん)
 と称し
 一般官人を任じた
 内膳正(しょう・かみ)と区別された
 ↓↑
 高橋氏文(たかはしうじぶみ)
 古記録
 宮内省内膳司に仕えた
 高橋氏が
 安曇氏と勢力争いし
 古来の伝承を朝廷に奏上した
 789年(延暦八年)の家記が原本・・・
 完本は伝わっておらず、
 逸文
 『本朝月令』、『政事要略』、『年中行事秘抄』
 その他に見える・・・?
 ↓↑
 伴信友
 1842年(天保十三年)に・・・・「13」?
 自序の
 『高橋氏文考註』にまとめた
 これに関する
 791年(延暦十一年)の・・・・・「11」?
 太政官符が存在する・・・らしい・・・
 ↓↑
 高橋-連-虫麻呂・・・・高橋に連(つら)なる虫麻呂?
 (たかはしの-むらじ-むしまろ)
 『新撰姓氏録』 に
 「高橋連
  右京神別
  高橋連
  神饒速日命
  七世孫
  大新河命之後
  山城国
  神別
  高橋連
  饒速日命
  十二世孫
  小前宿禰之後
  河内国
  神別
  高橋連
  饒速日命
  十四世孫
  伊己布都
  大連之後」
 の記録・・・
 ↓↑
 物部氏の「神別氏族」・・・
 「地方の伝説や人事を詠んだ」・・・
 「『万葉集
  に
  34首の作品が入集
  長歌
  14首
  旋頭歌が
  1首
  巻6の2首目からは
  虫麻呂の歌(=高橋連虫麻呂歌集)の中に出ず
  として載せている
 (巻6の1首目は笠金村の歌)
  下総国真間(千葉県市川市)の
  手児奈(てこな)の歌
  摂津国葦屋(兵庫県芦屋市)の
  菟原処女(うないおとめ)の歌
  (二人の男から求婚された娘が自ら命を絶ち、
   男たちが後を追って死んだという伝説)
  ↓↑
 『万葉集』巻九
 高橋虫麻呂作の長歌(歌番号1740)
 「詠水江浦嶋子一首」
 ↓↑
 ウイッキペデアから添付
 「春日之 霞時尓 墨吉之 岸尓出居而 釣船之 得〈乎〉良布見者〈古〉之 事曽所念 水江之 浦嶋兒之 堅魚釣 鯛釣矜 及七日 家尓毛不来而 海界乎 過而榜行尓 海若 神之女尓 邂尓 伊許藝T 相誂良比 言成之賀婆 加吉結 常代尓至 海若 神之宮乃 内隔之 細有殿尓 携 二人入居而 耆不為 死不為而 永世尓 有家留物乎 世間之 愚人〈乃〉 吾妹兒尓 告而語久 須臾者 家歸而 父母尓 事毛告良比 如明日 吾者来南登 言家礼婆 妹之答久 常世邊 復變来而 如今 将相跡奈良婆 此篋 開勿勤常 曽己良久尓 堅目師事乎 墨吉尓 還来而 家見跡〈宅〉毛見金手 里見跡 里毛見金手 恠常 所許尓念久 従家出而 三歳之間尓〈垣〉毛無 家滅目八跡 此筥乎 開而見手歯〈如〉本 家者将有登 玉篋 小披尓 白雲之 自箱出而 常世邊 棚引去者 立走 □袖振 反側 足受利四管 頓 情消失奴 若有之 皮毛皺奴 黒有之 髪毛白斑奴〈由〉奈由奈波 氣左倍絶而 後遂 壽死祁流 水江之 浦嶋子之 家地見」
 ↓↑
 「高橋虫麻呂」の意味は・・・
 「矯正・嬌声・強請・強制」からの「解放」だった・・・?
 ↓
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 で、他のブログ記事を参照にしたモノだが、
 ↓
 「高」は「京」の省略形と「口」を合わせた形・・・?
 ・・・漢字構成は「高=亠+口+冂+口」である。
 「京」は出入り口のある都の城門の形・・・?
  ・・・「京=亠+口+八+亅(ケツ)」である、
 「口(サイ?)」は
  顔の「くち」のことではなくて、
  神への祈りの祝詞を入れる器・・・?ではないだろう・・・
 ・・・「口」は四方を囲む「囗(城壁)」か「口(くち)」そのもので・・・
 ↓↑
 「高」は門の上に望楼、物見矢倉ではあるのはそのとうりだが・・・「京」は「お祓(はら)い」の文字ではないだろう・・・城の城門、楼閣ならば
 「京」
 「亠(音・トウ)・・・鍋蓋冠としているところがミソ
  +
  口(くち)
  +
  八(ハチ)
  +
  亅(かぎ・ゴチ・ケツ)」
 の意味である・・・「亅」は「鉤」であるから「高い楼閣の窓口にモノを吊るし上げる小さいハ形(入れ物)の鉤縄」であろう・・・京都・・・
 ↓↑
 ・・・で、随分と叉、トンでしまった「喬」
 「愛嬌」の「嬌」は女性の姿の美しいことで
 「喬」は「しなう」は高い竹か、柳の枝垂れ・・・揺れる曲線美・・・?・・・梢(こずえ)が揺(ゆ)れる・・・「坪内逍遥」あたりの発想かも・・・
 「驕慢」の「驕」は「たかぶる荒馬」は「鼻息が荒い」のは「須佐之男=素戔男=素戔嗚」の「尊(命)=みこと=視事」であるかな・・・
 ↓↑
 台湾や香港など
 一部の地域で使用されている
 伝統的なタイプの漢字が
 繁体字(traditional)と云われているらしい・・・
 「挢=撟」・「挣=掙」・「挤=擠」・「挥=揮」・「挽=輓」
 「捞=撈」・「损=損」・「捡=撿」・「换=換」・「捣=搗」
 「捣=擣」・「据=據」・「捻=撚」・「掳=擄」・「掴=摑」
 「掷=擲」・「掸=撢」・「掸=撣」・・・
 ・・・「簡体字」じゃぁ、視覚を無視するモノである・・・
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 ・・・漢字は簡略化されても、草書化されても、その意味内容をヨム、ヨミトルのはムズカシイ・・・