2007日目・・・「荀子(ジュンシ)」ですか・・・「ジュンシ・シュンシ」はダレに掛けられているんだろう?・・・「荀草(ジュンソウ)=草の名・荀草、赤実、厥の状、菅の如し。夏姫、是れ艶あり。厥の媚三たび遷れり(郭璞、山海経・円実下・荀草)」、「筍草(ジュンソウ)=草の名・黄華赤実、其の本、蒿本(コウホン・藁本)の如し。名づけて荀草と曰う。之を服せば人色を美とす(山海経・中山経)」・・・そうですか、クレオパトラ、楊貴妃も服用した?「美容薬・媚楊薬」ですか・・・

 だが、「蒿=藁(わら・コウ・艸+高+木)=稿」である。そして「蓬(よもぎ)の種類」。小さい頃、高熱を出し、オバちゃんがお灸の艾(もぐさ)を煎じてくれ、飲まされたコトがある。確かに解熱した記憶があるが・・・
 「厥(その・くぼむ・まげる・もらす・カク・ケツ)の媚(こびる・なまめかし・巫女)、三たび遷れり」の「厥」だが、以前にも書き込んだ
 「厥→蕨→闕←憠=厥+心
  厥=厂+屰(ゲキ・ギャク・ハク・ヒヤク・ ヒャク)
     +
     欠←欮(ケツ・屰(ぎゃく)
       +
       欠(欠伸・あくび)=口から出た息が
                 逆にもどる形、
                 息気が逆になること
                 気が逆になる
                 のぼせる
                 しゃっくり」
 「屰」の構成漢字は「朔(朔望月=新月〜満月〜新月のサイクル)」、「塑(塑像)」、「逆(真逆・逆進・逆心・逆進・叛逆)」・・・
 「厥角稽首(ケッカクケイシュ)=最敬礼・厥は下げる、角はツノ、また、人の頭骨」で、
 「稽首は頭を地に付けて礼拝すること」・・・これって「蕨生(わらび)」がヒトが首を垂れている様な「お辞儀」か、タメ息をついて「項垂(うなだ)れている」イメージでもある・・・
 「荀」とは「荀の草」で、「蒿本(コウホン・藁本・わらぼん?)→ヨモギ・蓬・蕭・蔞・艾)の如し」であるなら、
 この「厥(これ・それ)」は、「蕨(わらび=倭等(覶)備?」とした漢字の「艹」を欠落させた「誤字?」かも・・・
 「わらび=和良比=蕨生」は「ゼンマイ(薇)←薔薇・紫薇斗數命・微笑」と同種の草の「羊歯(シダ)」でもある。「蕨生(わらび)」なら、ボク的なイメージは更に「高波の形」で、九州地方(珍敷塚・鳥船塚・日の岡・王塚・太田)の古墳に装飾された大波(津波?)の絵柄(γ)である。古代エジプト埃及→繪、絵字附都)のナイル川に浮かぶ「蘆(芦)船」と全く絵画構造にある・・・ワラび・・・さとイモ・・・デある・・・



ーーーーー
 で、以下はウイッキペデアや、ブログ辞典などから参照、参考にしたモノを少々改作して、添付した・・・
 ↓↑
 荀子(ジュンシ)
 紀元前4世紀末ごろ
 趙に生まれる
 50歳で初めて
 斉に遊学
 斉の
 襄王に仕え、
 斉が諸国から
 集めた学者たち
 (稷下の学士)
 の
 祭酒(学長職)に任ぜられ
 後に、
 讒言のため斉を去り、
 楚の宰相
 春申君・・・・・・春の申君
          葉留の猿君・猿女君(宇受女)
 に用いられて、
 蘭陵の令となり、・・・阿蘭陀(和蘭)の令
 任を辞した後も
 その地に滞まった
 後漢
 荀紣
 荀攸
 はその末裔
 (史記)
 ↓
 「性悪説
 荀子、後学の著作群は、
 前漢末に
 劉向によって整理
 河平三年、BC26年
 『孫卿新書』32篇12巻・・・孫の卿の新書
 元和十三年、818年・・・・元話(倭・分)壱拾参撚
                  八百壱拾八撚
 唐の
 楊?(イ京)が校訂して注釈し
 書名を『荀子』とし
 劉向の篇の配列を一部改め
 32篇20巻とした
 『孫卿新書』は亡佚し、・・・亡佚→逸書・一緒・佚書
 現存するものは
 楊?(イ京)注本の系統
 ↓
 最初の出版物
 熙寧元年(1068年)
 北宋神宗
 淳熙八年(1181年)
 南宋孝宗
 台州知事
 唐仲友・・・・・・・唐の仲(安倍仲麻呂?)の友?
 が復刻
 この宋代の刊本が宋本
 中国で散逸し、
 日本の
 金沢文庫に一冊のみ残された・・・仮名佐和文庫?
 この写本が
 影宋台州
 ↓↑
 江戸期文政時代
 文政三年、1820年の自序
 文政八年、1825年刊
 久保愛・・・・・・・・句模亜(蛙)意
            意図(伊都)詞意
 が
 影宋台州本を参照して
 『荀子増注』を著した
 宋本を参照した注釈は、
 日本の『荀子増注』が中国より早い
 ↓
 光緒十七年、1891年
 中国では
 王先謙・・・・・・・王(和爾・王仁)が先見
 が
 清代考証学の成果を取り入れ、
 日本の宋本も参照して、
 『荀子集解』を著した・・・集めて解(解釈・理解)
 ↓
 現行の
 『荀子・参拾弐篇』の構成
 1. 勧学、・・・・カンガク
 2. 修身、・・・・シュウシン
 3. 不苟、・・・・フク・フコウ
          いやしくも・・・しない、でない
おろそかにしない
          いい加減に…しない
ゆるがせにしない
          苟=取り敢えず・一時凌ぎ・概略
           ア(ォ・ァ)ウトライン(outline)
 4. 栄辱、・・・・エイジョク・・・恥辱
 5. 非相、・・・・ヒソウ
 6. 非十二子、・・ヒジュウニシ
 7. 仲尼、・・・・シンニ・仲(のば)す尼(あま)
 8. 儒效、・・・・ジュコウ・・・效=効
                  効果・効き目・効用
 9. 王制、・・・・オウセイ
10. 富国、・・・・フコク
11. 王霸、・・・・オウハ・・・・覇者
12. 君道、・・・・クンドウ
13. 臣道、・・・・シンドウ
14. 致士、・・・・チシ
15. 議兵、・・・・ギヘイ
16. 彊国、・・・・キョウコク・・・彊=つよい・しいて
                  キョウ・ゴウ・カン
17. 天論、・・・・テンロン
18. 正論、・・・・セイロン
19. 礼論、・・・・レイロン
20. 楽論、・・・・ガクロン
21. 解蔽、・・・・カイヘイ・・・・蔽の解・・・
22. 正名、・・・・ショウメイ・セイメイ
23. 性悪、・・・・しょうあく・セイアク
24. 君子、・・・・クンシ
25. 成相、・・・・セイソウ
26. 賦、・・・・・フ・ブ・賦=貝+武
27. 大略、・・・・ダイリャク
28. 宥坐、・・・・ユウザ・・・身近や身の回り
29. 子道、・・・・シドウ
30. 法行、・・・・ホウギョウ
31. 哀公、・・・・アイコウ
          紀元前467年の魯の第27代君主
          魯の「曲阜」生まれの
          孔子の晩年の君主
          孔子著作の「春秋」の
          「獲麟(カクリン)」は
           物事の終わりや絶筆のこと
          哀公問、「弟子孰為好学」
          孔子対曰、「有顔回者。
                好学、不遷怒、不弐過。
                不幸短命死 矣。
                今也則亡。
                未聞好学者也」
          哀=あわれ・アイ
            哀歓・哀愁・哀悼・悲哀
            哀憐・哀願・哀訴
            喜怒哀楽
            可哀相
32. 堯問・・・・・ギョモン
 ↓
ーーーーー
 ・・・「孔子」は愚図で決断力に欠けた「哀公」に仕える「戦略・戦術」家でもあった・・・失業期間も長く、その期間は「弟子」達の寄付金(上納金)で喰っていた・・・?
ーーーーー
 「荀子
  ↓
 勧学篇
 「学は以て已(や)む可からず」
 人間は終生学び続けることによって
 自らを改善しなければならないと説く
 「青は之を藍より取りて、藍よりも青し」
 は勧学篇の言葉であり、
 「青は藍より出て藍より青し」の成語
 学ぶことは自分勝手な学問ではものにならず、
 信頼できる師の下で体系的に学び、
 かつ正しい礼を
 学んで身に付けた君子を
 目指さなければならない。
 荀子にとっての
 君子は、
 礼法を知って
 社会をこれに基づいて指導する者
 ↓
 統治技術としての礼
 勧学篇で君子が学ぶべき対象は、
 「礼」であること
 修身篇では、
 君子は
 「礼」に従って行動するべきこと
 「礼は法の大分、類の綱紀なり(勧学篇)」
 「礼なる者は、治弁の極なり、
  強国の本なり、
  威行の道なり、
  功名の總(そう)なり(議兵篇)」
 「礼」の中に、
 国家を統治するための
 公正な法の精神がある
 国家の法や制度は、
 「礼」の中にある
 精神に基づいて制定される
 ↓
 王制篇
 王者は
 「人」=輔佐する人材、
 「制」=礼制、
 「論(倫)」=身分秩序と昇進制度、
 「法」=法律を制定するべきことが説かれ
     君子は礼を身に付け、
     法に従って統治し、
     法が定めない案件については
 「類」=礼法の原理に基づいた
     判断を適用して行政を執る
 「その法有る者は法を以て行い、
  法無き者は類を以て挙するは
  聴の尽なり(王制篇)」
 ↓
 君主が頂点にあり、
 君子が
 礼法を知った官吏として従い、
 人民が法に基づいて支配される、
 法治国家の姿を描写し、
 その統治原理として「礼」を置く
 孔子孟子
 「礼」を
 個人の倫理のみならず
 国家の統治原理として
 捉える側面を一応持っていたが、
 荀子はそれを前面に出して
 「礼」を完全に
 国家を統治するための技術として捉え、
 君子が
 「礼」を学ぶ理由は
 明確に国家の統治者となるためである
 ↓
 国家体制
 彼の弟子である
 李斯が
 秦帝国の皇帝を頂点とする
 官僚制度として実現し、
 続く
 漢帝国以降の
 中国歴代王朝では
 官僚が儒学を学んで修身する
 統治者倫理が加わって、
 後世の歴代王朝の
 国家体制として実現することとなった
 ↓
 実力主義成果主義
 王制篇
 や
 富国篇
 等では、
 治政にあたって
 実力主義
 や
 成果主義の有効性を説いた
 王制篇では、
 王公・士大夫の子孫といえども
 礼儀にはげむことができなければ
 庶民に落し、
 庶民の子孫といえども
 文芸学問を積んで
 身の行いを正して礼儀にはげむならば
 卿・士大夫にまで昇進させるべきと説いた
 ↓
 王覇論
 天下を統一する王者がいない条件下では、
 覇者が勝利する
 覇者は領地を併合することなく、
 諸侯を友邦として丁重に扱い、
 弱国を助けて
 強暴の国を禁圧し、
 滅んだ国は復興させ
 絶えた家は継がせる
 正義の外交によって
 覇者は諸侯を友として、
 単に力あるだけの強者に勝利すると説く
 現実的な覇者よりも、
 絶対正義を示して
 天下全てを味方につけて
 戦わず勝利する理想(利双?)的な
 王者を優位に置き、
 覇者ではなく王者を理想とした
 王者の王道政治を理想とするのは、
 孟子と同じく儒家の基本思想
 ・・・今現代の「政治思想」とお変わりない様である・・・
 ↓
 性悪説
 社会起源論
 人間の性を
 「悪」、
 利己的存在と認め、
 君子は本性を
 「偽」・・・「偽(にせ・詐偽)」って?
 後天的努力
 (学問を修めること)
 によって
 修正して善へと向かい、
 統治者となるべきことを勧めた
 性悪説の立場から、
 孟子性善説を批判
 ↓
 富国篇
 人間の「性(本性)」は
 限度のない欲望
 各人が社会の秩序なしに
 無限の欲望を満たそうとすれば、
 奪い合い・殺し合いが生じて
 社会は混乱して窮乏する
 それゆえ
 人間はあえて
 君主の権力に服従して
 その規範(礼)に従うことによって
 生命を安全として窮乏から脱出できる・・・
 社会契約説の一種・・・?社会契約の概念
             近代憲法の理論的な基礎
             国家の正当性の契機を
             契約ないし
             市民の同意に求める理論
             社会契約論
             ロック、ルソーよりも遥か昔
             だが、「荀子」は・・・
            「自由と平等の享受」ではなく、
            「人間社会」そのものの「人間」が
            「性悪」なのである・・・?
 ↓
 規範(礼)の起源を
 社会の安全
 と
 経済的繁栄のために制定され
 高貴な者と一般人民との
 身分的・経済的差別は、
 人間の欲望実現の力に
 差別を設け
 欲望が衝突することを防止して、
 欲しい物資と
 嫌がる労役が
 身分に応じて
 各人に相応に配分されるために
 必要な制度と正当化
 そのために
 非楽(音楽の排斥)
 節葬(葬儀の簡略化)
 節用(生活の倹約)
 を主張し
 君主は
 自ら働くことを主張する
 墨家を、倹約を強制することは
 人間の本性に反し、
 なおかつ
 上下の身分差別をなくすことは
 欲望の衝突を招き、
 結果社会に混乱をもたらすだけであると批判
 実力主義による
 昇進降格と
 身分による
 経済格差の正当化は、
 メリトクラシー・・・メリトクラシー (meritocracy)
           メリット(merit・業績・功績)
           と
           クラシー(cracy・ギリシャ語の
           支配、統治のクラトス)
           を組み合わせた造語
           リトクラシー(meritocracy)
           「業績・能力・実力・学歴」主義
           努力の結果としての
           業績(メリット)基準で
           社会的地位が決定する、と云う考え
 として表裏一体
 ↓
 天人の分
 天論篇
 「天」を自然現象である
 従来の
 天人相関思想
 (天が人間の行為に感応して
  禍福を降すという思想)
  を否定
 ↓
 「流星も日食も、
  珍しいだけの自然現象であり、
  為政者の行動とは無関係だし、
  吉兆や凶兆などではない。
  これらを
  訝るのはよろしいが、
  畏れるのはよくない」
 「天とは自然現象である。
  これを崇めて供物を捧げるよりは、
  研究してこれを利用するほうが良い」
 祈祷等の
 超常的効果も否定
 「雨乞いの儀式をしたら雨が降った。
  これは別に何ということもない。
  雨乞いをせずに雨が降るのと同じである」
 「為政者は、
  占いの儀式をして重要な決定をする。
  これは別に
  占いを信じているからではない。
  無知な民を信じさせるために・・・・トランプの戦略?
  占いを利用しているだけのことである」
 ・・・「方便」と云うコトか・・・無知なアメリカ選挙民?
 ↓
 中国・秦漢代
 荀子の弟子としては、
 韓非・李斯・浮丘伯・陳囂・張蒼
 など
 韓非・李斯は
 荀子の統治思想を批判的に継承
 韓非・李斯は、
 外的規範である
 「礼」の思想を
 「法」による人間の制御を説き、
 韓非は
 法家思想の大成者となり、
 李斯は法家の実務の完成者となった
 「法家思想」そのものは
 荀子韓非子の生まれる前から存在しており、
 荀子の思想から
 法家思想が誕生した、というのは誤り・・・
 ↓
 浮丘伯は
 漢代に『詩経』の伝承の一である
 魯詩を伝えた
 申公の師である
 張蒼は漢代初期の丞相であり、
 『経典釈文叙録』によれば
 その学を荀子に学んだ
 荀子の学が漢学に大影響した
 『詩経書経・春秋』
 の三学のごときは
 荀子の伝承に出たもの・・・
 ↓
 中国・唐代以降
 唐代に『荀子』を校訂した
 楊(イ+京)は、
 『孟子』は
 唐代の君子たちの多くが読んでいるのに
 『荀子』にはいまだ注釈がなく、
 テキストが混乱し
 意味が取れなくなっているので
 自分が校訂して注釈した、と
 『荀子』の自序に記録
 『荀子』は
 『孟子』に比べて読まれなくなっていた・・・
 唐代の
 韓愈は
 『原道』で儒学復興を提唱したが、
 その中で古代の聖人の道統を述べた。
 堯、舜、禹、湯王、文王、武王、周公
 の聖人たちが伝えた
 道は孔子に継がれ、その後に孟子に継がれ、
 その死後は
 道が断絶したと評した
 そして
 荀子
 および
 漢の揚雄は、
 「選びて精(くわ)しからず、
  語詳(つまびら)かならず(『原道』)」
 と聖人の道を選んで
 正しく伝えることができなかったと評した
 韓愈の評価が、
 後の宋代儒学
 道統の標準となり、
 孟子の後に現れた
 荀子は排斥される道を辿った。
 北宋
 蘇軾は
 『荀卿論』を著して、
 王安石を暗に批判するために荀子を取り上げ、
 弟子の
 李斯の過ちが師の荀子に由来すると批判
 その後の中国思想を支配した朱子学においては、
 荀子は「四書の一」である
 『中庸』『孟子』を書いた
 子思・孟子を批判し、
 孟子
 性善説を否定して
 性悪説を説く異端として、
 遠ざけられた
 清代になって考証学が盛んとなり、
 『荀子』もまた
 先秦の古文献として
 客観的な研究が行われるようになった。
 ↓
 日本・江戸時代
 日本で荀子に一定の評価を与えたのは、
 荻生徂徠
 「荀子は子・孟(子思と孟子)の忠臣なり」
 と言い、
 荀子
 子思や孟子
 理論的過ちを正した忠臣といえる存在であり、
 荀子のほうが孔子が伝えようとした
 先王の道
 (子思・孟子の言う儒家者流の倫理ではなく、
  先王が制定した
  礼楽刑政の統治制度)・・・ローマ帝国
 をよく叙述していた
 徂徠は
 『読荀子』において
 『荀子』の日本における初期的注釈を行った
 ↓
 『荀子』研究成果としては、
 久保愛(筑水、宝暦九年〜天保六年、1759-1835)
 が師の
 片山世璠(兼山、山子。享保十五年〜天明二年、1730-1782)
 を継いで
 『荀子増注』を作った。
 江戸時代を通じて日本儒学の主流は
 朱子学
 あるいはその
 アンチである
 陽明学であり、
 いずれも孔子孟子は評価したが、
 荀子への評価は高いとはいえなかった。
 久保愛
 『荀子増注序』においてこの書を
 天下で知る者は少ない、と嘆いた・・・
 ↓↑
 荀子(紀元前313年頃〜紀元前238年以降)
 中国の戦国時代末の思想家・儒学者
 諱は況(キョウ)
 尊称して荀卿(ジュンケイ)
 漢代には孫卿
 『荀子』は
 荀況
 および後代の言行録を前漢末にまとめた
 『孫卿新書』(伝世せず)が
 唐代に校訂の上注釈を加えて
 再編纂されたもの
 ↓
 勧学篇第一
 学は以て已むべからず
 學不可以已。
 ↓↑
 巻頭言。
 青は之を藍より取りて而も藍より青し
 氷は水之を為りて而も水より寒し。
 青取之於藍、而青於藍。冰水爲之、而寒於水。
 成語
 「青は藍より出て藍より青し」の元
 「出藍の誉」とも・・・
 ↓↑
 驥は一日にして千里なるも、
 駑馬も十駕すれば、
 即ちまたこれに及ぶ。
 驥一日而千里、駑馬十駕、則亦及之矣。
 ↓↑
 小人の学は耳より入りて口より出づ。
 小人之學也入乎耳、出乎口。
 ↓↑
 脩身篇第二
 我を非と当むかう者は吾が師なり。
 非我而當者吾師也。
 ↓↑
 正論篇第十八
 子の宋子に曰はく、
 侮らるるの辱ならざるを明らかにせば、
 人をして闘わざらしむ。
 子宋子曰、明見侮之不辱、使人不鬭侮。
 ↓↑
 性悪篇第二十六
 人の性は悪にして、
 其の善なる者は偽なり。
 今、人の性は、生まれながらにして利を好む有り。
 是に順う、故に争奪の生じて辞譲は亡ぶ。
 生まれながらにして疾悪有り。
 是に順う、故に残賊の生じて忠信は亡ぶ。
 生まれながらにして耳目の欲有り、声色を好む有り。
 是に順う、故に淫乱の生じて礼義文理は亡ぶ。
 然らば則ち人の性に従い、
 人の情に順えば、
 必ず争奪に出で、
 犯文乱理に合して、
 暴に帰す。
 故に必ず将に師法の化、
 礼義の道有り。
 然る後に辞譲に出で、
 文理に合して、
 治に帰さん。
 此れを用て之を観れば、
 然らば則ち人の性の悪なるは明らかならん。
 其の善なる者は偽なり。
 人之性惡、其善者僞也。
 今人之性、生而有好利焉。
 順是、故爭奪生而辭讓亡焉。
 生而有疾惡焉。
 順是、故殘賊生而忠信亡焉。
 生而有耳目之欲、
 有好聲色焉。
 順是、故淫亂生而禮義文理亡焉。
 然則從人之性、
 順人之情、
 必出於爭奪、
 合於犯文亂理、
 而歸於暴。
 故必將有師法之化、
 禮義之道。
 然後出於辭讓、
 合於文理、而歸於治。
 用此觀之、
 然則人之性惡明矣、
 其善者僞也。
 ↓↑
 大略篇第二十七
 富を欲するか。
 恥を忍べ。
 傾絶せよ。
 故旧を絶て。
 義と分背せよ。
 欲富乎。
 忍恥矣。
 傾絶矣。
 絶故舊矣。
 與義分背矣。
ーーーーー
 ・・・???・・・「性悪な人間」って、云われてもナァ〜ッ・・・困っちゃうナッ・・・リンダ・・・