1962日目・・・「乙未(丁・乙・己)」年の「羊の歳」は二月の節分で終わるが・・・「(子)羊たちの沈黙(The Silence of the Lambs)」・・・ナニに「沈黙」しているのだろう・・・「羊刃=陽刃」ってコトバが「占い」であるが・・・「羊の刃」とは「羊を屠殺、屠畜する道具(刃物)」であろう・・・ヒツジにとっては、文字通りの「めいわく=目意和句・迷惑・目異惑」でもあるが・・・「用心」しようにも家畜である・・・家畜は食糧であり、皮(かわ)、革(あらためる)、皮革(ヒカク)の材料でもある・・・「屠

 「アトム大使手塚治虫)」の宇宙人の食糧は「機械で生産された空気中から取り込んだ窒素化合物の蛋白質」だったが、宇宙人は地球人に御馳走されたモノが、「屠殺、屠畜」された動物の肉の調理、料理であるコトを調理室でみて、ビックリ仰天、食べたモノを吐きだしてしまった・・・だが、地球人の肉食は宇宙人に広まっていった・・・そして、天馬博士の赤シャツ隊の宇宙人の「縮小作戦」・・・「宇宙戦争」勃発・・・ロボットのアトムが地球人の大使となって調停・・・「労働市場」はロボットで解決されるのか・・・「商品市場」はどうなる・・・ロボットにも怒りと感激、感動する日がやってくる・・・「完全なロボットとは善悪、愛憎の心を持つ存在だ」と、スカンク・草井は、うそぶく(嘯く=鷽の鳴き声の真似・口笛を吹く・とぼける・ごまかす・豪語する・平然とする)・・・TTP担当大臣の大臣室での釈明・・・
 利益はダレかの損失・・・鉄火場の博打場は「国会の議員室」、同元は「国民のダレか」らしい・・・
 明治文明開化は肉食を薦めた・・・廃棄されるべきカツ肉を横流しで儲けていたのは産廃代行業者ですか。モッタイナイし、トサツされた豚にも牛にも申し訳ない。貧困の独裁国家では問題ない商品だったかも。だが一部の大陸中国人レベル感覚であるが、秋田の資料会社や、愛知の産業用の輸入外米を売っていた米屋・・・それ以前に有害微粒プラスチックが海洋に満杯浮遊して食物連鎖で人間の口に入っているらしい。チョッと前は水銀汚染のマグロだった・・・
 蛋白質、明治以前の一般仏教徒は殺生を嫌い、原則、植物性タンパク質や、魚類からの摂取であった・・・
 食糧改善で寿命は延びたが、人間の生産が間に合わない?・・・一銭五厘赤紙召集(徴集)令状・・・明日は無いと云う実存的危機感がないと「セックス」には励まないカモ・・・将来的には「養殖人間」の大量生産かも・・・
 「国力」とは「人口の増減」ではないだろう・・・老人の年金、医療負担を子供の将来的な「労働人口の数」で考えるのは間違ってはいないか・・・日本飽食の時代に「楢山節考」でもあるまいに、しかも、子供が3食を食べさせてもらえないって・・・どうやら「コクリョク」とは「兵卒の数」、「女性の労働力」・・・イザと云う時の「国家忠誠」の安い値段の命を売買できる予備システム・・・時代錯誤的な「新富国強兵策」であるらしい・・・貧困は「国家忠誠ドリーム」の必要条件で、受け皿であるらしい・・・
 「人間人口の新陳代謝(世代交代)」は、一般動物を含めた「自然の時間的プロセスの生命の摂理」であるが・・・「人間社会」は「タダ物社会」ではないハズ・・・「社会的人間」と云う「基本・基準」がアイマイなのである・・・
 「ファシストムッソリーニ)」は「個々の人間は一過性の実存存在(限界寿命、生命)である」とした・・・「個々人の実存的な命の賭け」と云う「ロマン」を「国家枠内の利益統合への忠誠」と云う思想に加味した・・・それは「地球規模の人間の協働、公平分配で共存」していくコトを拒否した排外、掠奪、弾圧の思想だったが・・・「アナキスト・アーチスト・ナショナリスト」が「国家サンディカリスム・国家コーポラティズム」に接ぎ木された・・・
 漢字表記の「全体主義」は人間の「身体(肉体器官)の各機能(部分)」と、「脳ミソの認識、思惟、思考、判断、命令機能」に置き換えて譬えられているが、「脳ミソ(肉体器官の部分)」だけが「特殊個別の存在」として独立して「身体全体を維持」しているワケではない。医学的には人間の「最終的な死」は「脳死」とはなっているが、脳死以前的に他の各器官の機能がないとは言えない。臓器移植は器官機能を有しているコトが前提である。将来的には脳ミソの移植手術が可能であるだろう・・・「脳ミソ」が「エリート」として特別な地位で存在しているわけではない。肉体全体は個別的肉体の相互関係でこそ存在しうる。個別的に、部分的に機能しなくなっていくのも自然ではあるが、カミやツメ、ヒゲは切り取っても、他の部分は機能しなくても「壊死」や「癌」で無い限り、残しておくだろう・・・そして「健常者」ではない人びとも部分的に失った部分はあれ、残ったソレ自身を駆使しながら、生きていく。身体維持のバランスには苦労は有れ、実存者として、寿命を全うすべく、彼等自身が個的社会人として、あるべく「身体的全体」で生きて行く・・・
 蜂(bee・Apis=アピス)や蟻(螘・ant=アント・emmet・pismire・Formicidae)は「社会生活をしている」と云われるが、観察していると「特殊、個別的に機能別なポジションを堅持しながら協業」で「全体」を維持している・・・「組織化された群に生きる社会性昆虫」・・・これは「階級社会」なのか?・・・だが、女王蜂や、女王蟻に「特権」や、「私有財産」に浸っての「個的に自由な生活」をしているとは思われない。「女王アリ、働きアリ・兵隊アリ・雄アリ・処女女王アリ」は巣全体維持の中での分担生活である。だが、外敵の襲撃がある・・・
 不本意な襲撃に対しては反撃をするのは当然。侵略されたからには「防衛戦争」になるが、その各々の「アリ」は防衛のために進化させた毒針や毒液その身体に備え、防衛のための「兵隊アリ」を専門職として分業化させた・・・元々アリは「1億2500万年前、スズメバチ(Vespidae)の祖先から分化」し、「蜂の化石」は中新世(約2,300万年前〜約500万年前)に発見され、アリ科とハチ科は昆虫分類では別らしい・・・
 「スズメ蜂」は「蜜蜂」を襲い、「サムライ蟻・アカヤマ蟻・トゲ蟻」は他種の「黒アリ」を侵略、捕獲し「奴隷社会」を形成する。「軍隊アリ」は異種間の「蟻同士」どころろではない・・・
 蜜蜂の天敵は「ダニ(蟎)」や「甲虫類のスモールハイブビートル(Small hive beetle=学名 Aethina tumida)の幼虫」でもあるらしい。この「幼虫は蜜蜂の巣に産み落とされ、巣を蝕む」が。「黒い甲虫に成虫したモノは無害」となって蟻の巣を出て行くらしい・・・これは「内部に寄生する天敵」である・・・郭公(鳥)の「托卵」とか、駝鳥(ダチョウ)、鯰(なまず)、ある種の亀も鰐(わに)の巣に「托卵」するらしい・・・
 「自然界」の食物連鎖、弱肉強食は「自然」であるが、その生命生活の維持に「自由」はない。寿命も短い。女王蜂は1〜3年(最長8年)、働き蜂が最盛期で15〜38日、中間期は30〜60日、越冬期が140日、雄蜂は21〜32日であるらしい・・・
 そしてアメリカ、「アメリカンドリーム」は「自由の象徴」だが、「自由な拝金主義」である。それを煽ったのが「ハリウッド」であった。貧乏芸人だったチャップリンは大富豪になったが、政治家にはなれなかった。彼個人の「自由」は大衆の映画入場券で支えられていたが、資本家同士のイガミ合いでハジカレてしまった・・・映画の中には幻想としての「自由」があり、映画産業としてのスターは、映画資本家と共に「億万長者」になった。
 ジョン・ウェインは俳優仲間が義勇兵と戦争に参加していくのを横目で見ながら、悩んだ末に戦争参加を拒否し、非国民のレッテルを貼られていたが、戦後は自分の莫大な金を注ぎこんで「アラモ(テキサス分離独立派とメキシコの戦争)」を制作した。彼の真意を訊いてみたい・・・スポーツ選手も見世物の中で「億万長者」となって「自由(?)」になっていたが、「愛国者」として戦争に参加していった・・・彼らは「自由のタメ」だったのか・・・多分、成金にはなったが「非国民」にはなりたくはなかった・・・
 日系二世のアメリカ人はヨーロッパ戦線で殆んどが戦死した・・・家族は全財産を没収され、マンナザ沙漠の強制収容所の捕虜であった・・・戦後、生き残ってアメリカに帰還した日系二世はアメリカ国家の勲章を貰い、農業を始めたが、暴力や、放火で「善良なアメリカ人(?)」に迫害され、アメリカの新聞に告発広告記事を掲載した・・・
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 羊刃=陽刃・・・羊頭架刃=頭凶猛暴躁的公羊
 羊刃格
 羊刃者
 是指
 五陽日干見月令旺支
 如
 甲日は卯月
 丙、戊日は午月
 庚日は酉月
 壬日は子月
 等
 其の中
 甲庚壬の
 三干の旺月で用いる
 因
 地支所藏純
 沒有疑義
 名は「月刃格」とする
 丙日生は午月の因火に當旺
 雖
 有
 己土を洩氣し火勢が強大になる
 亦
 有取して「羊刃格」とする
 戊日生の午月生まれ
 火旺當令
 天干に透出する
 丙丁
 或
 地支に年月日時に會合(巳午未・寅午戌)
 火局
 則
 以
 印論
 不以「羊刃」視之
 若
 己が透
 而
 丁
 不透
 土の勢大
 亦
 可視「羊刃格」となす
 至
 五陰の干が旺支であっても
 除論
 劫財外
 通常
 不視「陰刃」と
 所謂
 「羊刃」者
 乃
 指
 日干が月令之の旺氣に合って
 是以
 「羊刃格」
 四柱(年月日時)に
 官殺
 食傷
 財
 剋洩交
 加之力大
 於
 日干者
 以外
 通常
 均可
 作旺論
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 不倶戴天
 同じ天の下には一緒にはいない、
 同じ天の下には生かしておかない意
 恨みや憎しみの深いこと
 もとは父の仇(かたき)
 「倶(とも)には天戴(いただかず)」
 「礼記」曲礼の
 「父の讐(あだ)は
  倶(とも)に
  天を戴(いただ)かず」
 「この世に生きられない、
  生かしてはおけないと思う恨み怒り」
 「不倶戴天の敵」
 「不倶戴天・不退転」
 「不倶戴天(フグタイテン)」
 「不倶」は共存することができないこと
 「戴天」は同じ世界にいること
 「同じ世界に生かしてはおかない」
 「共に世にいることができない間柄
 生かしてはおけないほどの深い憎しみ」
 「出典は
  礼(禮・ライ)記の
  曲礼・上の
  復讐の法に登場」
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 ・・・ここでは、「漢字の研究」+「にほんゴの妄想」であるから、漢字自体がその個々人の実体に重なるモノとは考えていないが、だからこそ、デアル・・・意味も行為もカンガエルべき・・・みんな、時間的なプロセスの人生は個々別々にして「波乱、葉乱」で、「特殊」デある・・・場所的、時間的に同じ経験枠、経験域で過ごした人びとは「善」にも、「悪」にもキズナが強くなるの当り前だが、「絆」とは「利害勘定の理屈」ではあまり繋がらない、殆んどが、その時、その場での「恩」としての行為に対する「相互感情」である・・・だが、これには「理屈」が必要なのだ・・・思い込みは一方的な「主観」でもあるから・・・相手の思惑は視えないコトが多い・・・
 「おめぇッ、利用されてんじゃネェのッ」・・・「それでもイイから・・・・」・・・