1881日目・・・「喜子(蜘蛛)の瓜上に網すること有れば、則ち以て符応と為す」って?・・・「荊楚歳時記」は「揚子江中流域地方を中心とした年中行事記。6世紀、梁の宗懍撰。当時の庶民の信仰、習俗などがわかる。7世紀の初め頃、隋の杜公膽が改編増補し注をつけた中国歳時記の古典」、「中国、六朝時代荊楚(湖北・湖南省)地方の年中行事や風俗を記録したもの・梁(りょう)の宗懍(そうりん)の撰・6世紀半ばごろ成立・全1巻」であるらしい・・・

ーーーーー
 ↓↑
 中国、六朝時代
 荊楚(湖北・湖南省)地方の
 年中行事や風俗を記録したもの
 梁(りょう)の宗懍(そうりん)の撰
 6世紀半ばごろ成立
 全1巻
 ↓↑
 七月七日は、
 牽牛織女、聚会の夜なり。
 是の夕、
 人家の婦女、
 綵縷を結び、
 七孔の針を穿ち、
 或いは金銀・鍮石を以って
 針と為し、
 几筵・酒脯・瓜果を庭中に陳ね、
 以って
 巧(裁縫技術)を乞う。
 喜子(蜘蛛)の瓜上に網すること有れば、
 則ち以て符応と為す。
 ↓↑
 原文 
 七月七日
 爲牽牛織女、聚會之夜。
 是夕、
 人家婦女、結綵縷、穿七孔針、
 或
 以金銀鍮石爲針、
 陳几筵酒脯瓜果於庭中、
 以乞巧。
 有喜子網於瓜上、
 則以爲符應。
 ↓↑
 七月十五日
 僧尼道俗は、尽く盆を営み諸仙を供す
 盂蘭盆経を按ずるに云う、
 仏は衆僧に勅し、皆な施主の為に、
 七代の父母を呪願し、
 禅定意を行ぜしめ、
 然る後に食を受けしむ。
 是の時、目連の母、
 一切の餓鬼の苦を脱するを得たり。
 目連の佛に白すに、
 未来世の仏弟子にして、
 孝順を行う者も、
 亦た応に盂蘭盆を奉じて供養すべし、と。
 仏の言うに、
 大いに善し、と。
 故に後人は此に因り、
 広く華飾を為る。
 乃ち木を刻み竹を割り、
 蝋を飴にして綵を剪り、
 花葉の形を模し、
 工妙の巧を極めるに至る。
 ↓↑
 原文
 七月十五日
 僧尼道俗、悉營盆供諸仙。
 按盂蘭盆經云、佛勅衆僧、皆爲施主、
 呪願七代父母、行禪定意、
 然後受食。
 是時、目連母、得脱一切餓鬼之苦。
 目連白佛、未來世佛弟子、行孝順者、
 亦應奉盂蘭盆供養。
 佛言、大善。故後人因此、廣爲華飾。
 乃至刻木割竹、飴蠟剪綵、模花葉之形、
 極工妙之巧。
 ↓↑
 ボク的には「荊・楚・歳・時・記」の漢字そのものは
 「荊=いばら=棘の冠」、
 「楚」=「木+木」+「疋(ショ・ソ・あし・ひく)」
 「疋」=「¬(横かぎ)+ト(うらなう)+人(ひと)」
 ・・・「きき(記紀)を疋(ひく)」・・・「歳=サイ=祭・蔡・載・差異・作意」、「時=とき(訳記)=事・似・字」、「記」で、「イエス・キリスト磔刑の事件の記録」である・・・妄想かもだが・・・現実的な世界史はそう、単純ではない。色々な「宗教」が複雑にコンガラガって、網の縄として撚り合わされ、編み込まれ、網の眼として織り込まれている・・・そして「宗教」は幻想であり、支配権力を握る「政治の道具」である・・・「自然科学」が発達しても、一旦、憑依してしまっては、そこからの解放は至難のワザである・・・「ヨブ」は何を呼びたいのか・・・「カミ」でも「サタン」でもなく、自分自身の「生命存在」と、その存在の在り方の「自己認識」である・・・
 しかも、友人との弁証法的な会話の中での「自己存在」の確認であった・・・
 結論は「カミ」がいても、居なくても、「アクマ」がいても、居なくても「生きている自己存在を支えている肉体の変化(老衰・罹病)」には「信仰の有無、深浅、正悪の義」には関係ないというコトである・・・
 問題なのは「剣」での「死傷」であり、「暴力」での「分捕りと掠奪」であり、「階級利害関係でのエゴな収奪システム」である・・・
 ・・・「ヨブの噺(はなし)」は、はじまったばかりだが・・・
ーーーーー
 旧約聖書
 約伯 記
 ヨブ 記・・・・与分・余部記・・・呼ぶ記(紀)
第2章
2:1
ある日、
また神の子たちが来て、
主の前に立った。
サタン・・・差探・詐譚・詐多務・詐太務
      作譚・佐多務

また
その中に来て、
主の前に立った。
2:2
主は
サタン・・・差探・詐譚・詐多務・詐太務
      作譚・佐多務
に言われた、
「あなたは
 どこから来たか」。
サタン・・・差探・詐譚・詐多務・詐太務
      作譚・佐多務
は主に
答えて言った、
「地を
 行きめぐり、
 あちらこちら
 歩いてきました」。
2:3
主は
サタン・・・差探・詐譚・詐多務・詐太務
      作譚・佐多務
に言われた、
「あなたは、
 わたしの
 しもべ(下部)
 ヨブ・・・呼ぶ・与分・余部
 のように
 全(まった・ゼン)く、
 かつ(且)・・・尚且つ
          克(克復・克服)
          勝(勝負・勝敗)
          括(総括)
          轄(総轄・分轄)
          ∧(&・∩)=and
          恰(恰好)
          滑(滑落)
          筈(矢筈・やはず)=竹+舌
          弭(弓弭 ・ゆはず)=弓+耳
          渇(渇望)
          葛(葛藤・葛飾・葛城)
          カツ
          割→割販・分割
          活→活版
          仮通・掛通
          嘗(かつ-て)→已然形?
                 「已(や)むを得ず」
                 「已已巳己=いえしき」
                  臥薪-嘗胆
          曽=曾(かつ-て)→以前→過去完了?
                   「未曾有=ミゾウ」
                     曾孫・木曾
 正しく、
 神を恐れ、
 悪に遠ざかる者の
 世にないことを
 気づいたか。
 あなたは、
 わたしを
 勧(すす・カン)めて、・・・勧誘→官有・漢有
 故(ゆえ・コ)なく・・・・・諭重・結え
               コ
               拠・呼・虎・虚
 彼を
 滅ぼそうとしたが、
 彼は
 なお
 堅(かた・ケン)く
 保(たも・ホ)って、
 己(おのれ)を
 全(まっと・また・ゼン)うした」。・・・木全(きまた)
2:4
サタン・・・差探・詐譚・詐多務・詐太務
      作譚・佐多務

主に答えて言った、
「皮(かわ・ヒ)・・・・・革(革命)
             側(側近)
             渇(渇望)
             掛和・掛倭・掛話
             掛羽・掛輪・掛分
             佳和(字)
             河・川
            秦河(川)勝→虫(蚕)祭り
                   申楽・猿楽
             非(非合法・outlaw・非国民)
             比(比較・比古・比売・比国)
             秘(秘密・秘書)
             被(被害・被告)
             婢(婢僕・奴婢・奴顔婢膝)
             卑(卑弥呼・卑屈)
             碑(碑文・碑石)
             檜(桧)
             斐(斐紙・斐然・斐爾
               斐文・甲斐)
             肥(肥前・肥後)
 には
 皮(かわ・ヒ)
 をもってします。
 人は自分の
 命(いのち・みこと・メイ)・・・意埜地
                 視言(事・異
                    糊塗)
                 目意・名・明
 のために、
 その
 持(も・ジ)っている・・・・・摸っている
                字・事・時・自・似
 すべての物をも
 与(あた・ヨ)えます。・・・・與→壱與
                輿(地理)→神輿
                      視越
2:5
 しかし
 いま、
 あなたの手を伸べて、
 彼の
 骨(ほね・コツ)・・・補音→骨肉=肉親
            乞・忽・惚・堀・紇
 と
 肉(にく・ジク)・・・宍
            似句・字句・事句・似句
            磁区
            軸(車軸・基軸・機軸・記軸)
            竺(天竺=印度・India)
 とを
 撃(う・ゲキ)って・・・打って・討って・売って
 御覧(ゴラン)なさい。
 彼は
 必ずあなたの顔に向かって、
 あなたを
 呪(のろ)うでしょう」。
2:6
主は
サタン・・・差探・詐譚・詐多務・詐太務
      作譚・佐多務
に言われた、
「見よ、
 彼は
 あなたの手にある。
 ただ
 彼の命を助けよ」。・・・比の名(命)を援け(太助)与
              魚屋天秤売りの一心太助、与ッ
              大久保彦左衛門(御隠居様)
2:7
サタン・・・差探・詐譚・詐多務・詐太務
      作譚・佐多務

主の前から出て行って、
ヨブ・・・呼ぶ・与分・余部

撃ち、
その
足(あし・たり・ソク)の(之)
↓↑       ↓↑
↓↑       あし・阿詞・蛙詞・會史
↓↑       たり・他理・太理・多理
↓↑       ソク・素句・素苦
         楚句→乞巧奠(荊楚歳時記
         文選・七夕祭)
         ↓↑
         淤登多那婆多=弟棚機
        (おとたなばた)
         乙登多奈婆多
         願事を
        「梶(カジ)の葉」に書いた
         七娘媽(織女)の誕生日
         織姫は安産、
         子供の病、息災、災厄
         の守護神
         ↓↑ 
        「奠」=神仏への供え物・香奠=香典・奠茶
         ↓↑ 奠=酋+大→「猶太・酋長・尊重」
            猶太=ユダヤ
               以色列=イスラエルヤコブ
            猶=なお・愚図る・ユウ(イウ)
              ためらう
              はかりごと・謀略・調略・企画
              猶予=執行猶予・実刑据え置き
              猿の一種
↓↑       ↓↑   猷の異字=酋+犬=大イヌ
↓↑ーーーーーーー↓↑ーーー
↓↑      「奠都(テント)」
         ↓↑
         前島密の「江戸遷都論」が
         参与、大久保利通に上申
        「慶応四年七月十七日(1868年9月3日)
         江戸が東京と改称
         同年九月に元号が明治に改元
         同年十月十三日に天皇が東京入り」
         ↓↑
        「奠都(テント)=明治天皇
                 東京に「奠都」し
                 京都は都として
                 残し、
                「遷都(セント)」
                ではなく「奠都」とした
         ↓↑     スナワチ、「二都」
         ↓↑
         「奠都」
        明治二十八年(1895年)
        京都市
        延暦十三年(794年)の
        平安「遷都」を
        平安「奠都」千百年記念祭」と称したモノ
         ↓↑
        慶応四年(1868年)
        閏4月1日
        大木喬任(軍務官判事・参与・東京府知事
             民部卿・文部卿
             参議兼司法卿・参議兼元老院議長)
        と
        江藤新平東征大総督府監軍・司法卿)
        が、
       「佐賀藩」論として
       「東西両都」
        の建白書を
        岩倉具視に提出
        慶応四年(1868年)
        5月24日
        東西「両都」案決定
        新政府は
        同年
        6月19日
        参与、木戸孝允
        大木喬任
        が
        江戸「遷都(奠都)」を調査
        有栖川宮
        三条実美
        大久保利通
        江藤新平
        らと協議し
        同年
        7月7日
        に京都へ戻り、
       「奠都」可能を報告
        同年
        7月17日
       「江戸を東京とする」の詔書
        明治元年
        9月20日
        明治天皇
        京都を出発して
        東京に行幸
        岩倉具視
        議定
       「中山忠能」・・・権大納言忠頼の長男
                明治天皇の外祖父
                字は子個
        外国官知事
       「伊達宗城」・・・・宇和島藩主・文部卿
        らをともない、
        長州藩土佐藩備前藩、大洲藩
        の四藩の兵
        総数3,300人と
        同年10月13日
        江戸城へ到着
         ↓
        明治元年(1868年)12月8日
        天皇は京都に還幸し
        同年
        12月22日
        到着
         ↓
        明治二年(1869年)
        3月7日
        三条実美らを従えて
        再び東京への行幸
       (2度目の東幸、再幸)
        同年
        3月28日
        東京(江戸)城に入城
↓↑ーーーーーーーーーーーー
     ・・・「楚句」の
        「乞巧奠(荊楚歳時記
         文選・七夕祭)」から飛んだ・・・
        「七夕津女=七娘媽(織女)」の源泉は同話?
          ↓↑
        「訶梨帝母=鬼子母神
              夜叉」は
         七日間、
         末息子の
        「ピンカラ(嬪伽羅
         氷迦羅・畢哩孕迦)」を
         釈迦に
        「乞食(こつじき)の鉢」→「古事記の葉知」
         に隠され、
         半狂乱で捜しまわった
        「八の付く日」が
        「鬼子母神の祭日」
         ↓↑
  ・・・・・・・足(ソク)の延長・・・
↓↑       ↓↑
↓↑       即・則・側・速・塞
↓↑       促(二十八宿曜経の目盛の促進度)
裏(うら・リ)から・・・・・・得等
               里・理・履・狸・利
頭(あたま・かしら・こうべ・トウ)

頂(いただき・チョウ)まで、
いやな
腫物(はれもの・シュブツ)・・・おでき・腫瘍・瘤
をもって
彼を
悩ました。
2:8
ヨブ・・・呼ぶ・与分・余部

陶器(トウキ)・・・陶磁器=トウジキ=訳得字記
          当記・当紀
          問記・答記・唐記・等記

破片(ハヘン)を取り、・・・葉片・葉編・葉偏
              頗辺→横島の辺り
              頗=皮+頁(ページ・大貝)
それで
自分の身(み・シン)を・・・字文の視(振・審)
掻(か)き、・・・・・・・・下記・書き
              掛記
              牡蠣
              夏記・花記
灰(はい・カイ)の中に・・・葉意・化意・甲斐
坐(すわ・ザ)った。・・・・諏訪・州和・蘇和
              挿・指・覚
2:9
時(とき・ジ)に
その
妻(つま・サイ)は
彼に言った、
「あなたは
 なおも
 堅(かた・ケン)く
 保(たも・ホ)って、
 自分を・・・字分・似文・事文・時文
 全(まっと・すべて・ゼン)う
 するのですか。
 神を
 呪(のろ・ジュ)って
 死(シ)になさい」。・・・「シ」のスベテの同音異字漢字
2:10
しかし(然し・併し)・・・・詩化し・詞化史
ヨブ・・・呼ぶ・与分・余部

彼女に言った、
「あなたの語ることは
 愚(おろ・グ)かな・・・於賂掛
 女(おんな・おうな・ジョ・ニョ)・・・音名・恩名・序・如
 の
 語(かた・ゴ)るのと
 同(おな・ドウ)じだ。
 我々(われわれ・ガガ)は
 神から
 幸(さいわい・さち・コウ)を
 うけるのだから、
 災(わざわい・サイ)をも、
 うけるべき
 ではないか」。
すべて
この事において
ヨブ・・・呼ぶ・与分・余部

その
唇(くちびる・シン)・・・句知尾(備)留
をもって
罪(つみ・ザイ)を
犯(おか・よこしま・ハン)さなかった。
2:11
時に、
ヨブ・・・呼ぶ・与分・余部

三人(サンニン・サンジン)の
友(とも・ユウ)が
この
すべての災の
ヨブ・・・呼ぶ・与分・余部

臨(のぞ・リン)んだのを
聞いて、
めいめい
自分の所から
尋ねて来た。
すなわち
テマン・・・出(弟・弖・氐)萬(万・満・蔓)
びと
エリパズ、・・・重理葉事(亠・図)
シュヒ・・・守秘・種皮・取比・諏避・主肥
びと
ビルダデ、・・・尾(備)留拿出(弟)
ナアマ・・・名阿万・名海女(海部・海人・尼・雨・贏)
びと
ゾパル・・・添葉留・副張・曾頗留
である。
彼らは
ヨブ・・・呼ぶ・与分・余部

いたわり、
慰(なぐさ・イ)めようとして、
たがいに
約束(ヤクソク)・・・訳則
してきたのである。
2:12
彼らは
目をあげて
遠方(エンポウ)から見たが、
彼の
ヨブ・・・呼ぶ・与分・余部
であることを
認(みと・ニン)めがたいほど・・・水戸・実訳
                 似務・仁
であったので、
声(こえ・セイ)を
あげて泣き、
めいめい
自分の上着を裂き、
天に向かって、
塵(ちり・ジン)を
うちあげ、
自分たちの
頭の上に
まき・・・・巻
      撒・播・捲・薪・蒔
散らした。
2:13
こうして
七日
七夜、
彼と共に
地に座していて、
ひと言も
彼に話しかける者がなかった。
彼の苦しみの
非常に
大きいのを見たからである。
ーーーーー
 ・・・「七日七夜」・・・ナナ比、ナナ選ル・・・「なのかななや」・・・