1837日目・・・本日、ココは蒸し暑い日、デした・・・ペンキ塗り・・・ベランダ(veranda)じゃなく、縁側でもなく、ウッドデッキ(wood-deck)でもない。一階部分の家の外部に二畳ほどの広さのコンクリートで出来ている柵枠が無い、皹(ひび・罅)が入っている物干し台に白いペンキを塗った・・・「ベランダ(葡萄牙、ポルトガル語Veranda・verandah)は、家屋の母屋から外接して張り出した部分。縁や柵で囲まれ、庇や軒下に収まるもの、屋根がかかっているモノ。室内とは窓やドアなどで隔てられており、戸外

ーーーーー
 「乎(か・や・かな・コ・オ)」
 「〜であるならば、尚更〜である」
  ↓↑
 ・・・ブログ辞典には例題として、
 「況生者乎。・・・いわんや、生きているモノならば
  馬今至矣。・・・馬(うま・バ)は、いま、至る
 (ましてや、
  生きている(馬)ならば、
  なおさらである
  馬はすぐに来るだろう)
  戦国策・燕策」
 とあったが・・・
 「まず隗(郭隗)より始めよ」の
 「昭王の燕国」である・・・
 「春秋戦国時代の末期」の「燕国」とは
 燕の家臣
 「鞠武」が
 「秦の亡命してきた元将軍、
  樊於期」
 を庇うことは
 「飢えた
  虎(秦)の・・・・虎(とら・コ)でアル・・・
  目の前に肉を置く」
 ようなものと諌めたが
 「燕国の太子の
  丹」は
 暗殺者
 「荊軻」を秦王(始皇帝)に送って、
 秦王暗殺に失敗し、
 その後、
 紀元前222年
 「燕国」は「秦国」に滅ぼされた・・・
 その後の
 「燕国(奄?・匽?)」の記録は
  ↓↑
 「呉(三国史の呉)」と同盟し
 「魏(三国史の魏)」に反旗を翻し
 「燕王」に即位した
 「公孫氏(公孫淵)」であったが、
  238年
  太尉
  司馬懿(三国史の魏)
  に滅ぼされた
  ↓↑
http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/himiko.htm
  ↓↑
 「明刀銭・刀形銅貨(刀貨)」は
 「戦国時代の燕国」で通用し、拡大・・・
  ↓↑
ーーーーー
 ・・・ハナシがマタ、トンでしまった・・・
 ベランダ(veranda)・・・・・・部等務拿?
 ウッドデッキ(wood-deck)・・・得通度出通記?
 バルコニー(balcony)・・・・・葉留拠似意?
 いずれも、家には無くても不都合なモノではないが・・・
 ・・・胡瓜の収穫が三本、ミニトマトが四個・・・茄子はまだ小さく収穫を断念・・・昨夜のTVニュースでは、天候不順で胡瓜が一本、250円とか・・・250円のキュウリをダレが食べるんだか・・・「窮理」である・・・「瓜子姫」に訊いてみたい・・・
 コスモス(cosmos)の異名が「秋桜」ですか・・・コスモ(cosmo-)は「世界・宇宙」だが・・・「虎素母」はダレなんだか、「斉明天皇(財姫・宝姫)」・・・
ーーーーー
 旧約聖書(キュウヤクセイショ)
 列王記 下(げ・した・しも・くだる・カ)
ーーーーー
 旧約聖書
 列王記 下
第25章
25:1
そこで
ゼデキヤ・・・是出記埜・施出記埜

治世(ジセイ・チセイ)


九(キュウ・く・ここのつ)
年の
十月
十日
に、
バビロン・・・葉
       備(尾・美・靡・毘・琵・彌・鼻)
       論(賂務)

王(おう・ワン)
ネブカデネザル・・・音部化出音指留
          禰武掛出挿留

もろもろ(諸々)・・・諸書・初書

軍勢(グンゼイ)・・・具務世意
           組務是意
           汲務逝意

率(ひき・ソツ)い、
エルサレム・・・重例作(差)例務(謀・武)
にきて、
これに
むかって
陣(ジン)を・・・・事務・字務・似務
          時務
          次務・児務・自務
張(は・チョウ)り、
周囲(シュウイ)に
とりで(砦)を・・・取手
          録り出・採り出
          鳥出・酉出
          鳥取・似史・爾志
築(いづ)いて
これを
攻(せ・コウ)めた。
25:2
こうして
町は
囲まれて、
ゼデキヤ・・・是出記埜・施出記埜
王(おう・ワン)の
第(ダイ)
十一(ジュウイチ・とうアマリひとつ)・・・拾壱
年(ネン・とし)
にまで
及(およ・キュウ)んだが、
25:3
その
四月(シゲツ・シガツ)
九日(ここのか)
になって、
町の
うちに
ききん(飢饉)が・・・基金・寄金
激(はげ・ゲキ)しくなり、
その地の
民に
食物(しょくもつ・くいもの・ショクブツ)

なくなった。
25:4
町(まち・チョウ)の
一角(イッカク・ひとすみ)が
ついに
破(やぶ・ハ)れたので、
王(おう・ワン)は
すべての
兵士(ヘイシ)とともに、
王(おう・ワン)の
園(エン・その)の
かたわら(傍・側)にある
二つの
城壁(ジョウヘキ・しろかべ)

あいだ(間)の
門(モン・かど)の
道(みち・ドウ)から
夜(よ・よる・ヤ)のうちに
逃げ出して、
カルデヤ・・・掛留出埜・軽出也
       珂瑠出哉→文武、孝徳天皇
びとが
町を
囲んでいる間に、
アラバ・・・蛙等葉

方へ
落ち延びた。
25:5
しかし
カルデヤ・・・掛留出埜・軽出也
       珂瑠出哉・文武、孝徳天皇
びとの
軍勢は
王(おう・ワン)
を追い、
エリコ・・・重理拠(虎・子)・選り拠

平地(ヘイチ)で・・・併地・並値・閉質
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比

追いついた。
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比

軍勢は
みな
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比

離れて
散り去ったので、
25:6
カルデヤ・・・掛留出埜・軽出也
       珂瑠出哉・文武、孝徳天皇
びとは
王(おう・ワン)を捕え、
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比

リブラ・・・理部等
にいる
バビロン・・・葉
       備(尾・美・靡・毘・琵・彌・鼻)
       論(賂務)

王(おう・ワン)

もとへ
引いて
いって
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比

罪を定め、
25:7
ゼデキヤ・・・是出記埜・施出記埜
の子たちを
ゼデキヤ・・・是出記埜・施出記埜
の目の前で殺し、
ゼデキヤ・・・是出記埜・施出記埜

目を
抉(えぐ)り、
足枷(あしかせ・ソクカ)を
かけて・・・掛けて
バビロン・・・葉
       備(尾・美・靡・毘・琵・彌・鼻)
       論(賂務)

連れて行った。
25:8
バビロン・・・葉備(尾・美・靡・毘・琵・彌・鼻)論(賂務)
の王(おう・ワン)
ネブカデネザル・・・音部化出音指留・禰武掛出挿留


十九
年の
五月
七日
に、
バビロン・・・葉備(尾・美・靡・毘・琵・彌・鼻)論(賂務)
の王(おう・ワン)の臣、
侍衛の長
ネブザラダン

エルサレム・・・重例作(差)例務(謀・武)
にきて、
25:9
主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種

宮と
王(おう・ワン)の家と
エルサレム・・・重例作(差)例務(謀・武)

すべての家を焼いた。
すなわち
火(ひ・カ)をもって
すべての
大きな家を
焼いた。
25:10
また
侍衛の長と
共にいた
カルデヤ・・・掛留出埜・軽出也・珂瑠出哉・文武、孝徳天皇
びと

すべての
軍勢は
エルサレム・・・重例作(差)例務(謀・武)

周囲の
城壁を
破壊
した。
25:11
そして
侍衛(ジエイ)

長(おさ・チョウ)
ネブザラダン・・・音部挿等拿務
         禰武指蠃多務
            ↓
         秦の始皇帝
          姓=嬴(エイ)
          名=政(セイ)
         漢字書体の統一
         皇帝は「篆書(テンショ)」
         家臣は「隷書(レイショ)」
        「度量衡」の制定
        「法治主義
        「阿房宮(アボウキュウ)」建設
        「阿房」とは彼の愛妾の名とか、
         始皇帝の紫宮は四柱が支える
         大きな
        「ひさし(廂・庇・
         四阿旁広)を有した」から、とか・・・
         ↓↑
        「万里の長城」建設
        「馳道(道路)」建設
        「大運河」建設
        「紀元前220年、天下巡遊」
        「真人」の追求
        「怪迂阿諛茍合之徒」
        「阿諛=ごまをする・媚び諂う」
        「茍合=調子のイイ卑しい戯言」の
        「方士」によって
         不老不死思想にカブれ
        「徐福=徐茀=徐芾=徐市(フツ)」
         に騙されて
         彼を倭国の蓬莱山に派遣・・・
        「茀=芾」は
        「翳(かざし)し扇」、
        「衣笠=市目笠」
        「市(フツ・ハイ)」は
        「亠+巾」で
        「市(いち・シ)=十+冂」
         とは異字・異議
        「杮落し」の「杮(こけら)」の右字
        「市(フツ・ハイ)=亠+巾」は
        「前掛け(apron・エプロン)」
        「万里の長城」建設
         ↓↑
         万葉集の「重畳」
       太安万侶の「古事記
         ↓↑
         紀元前212年
        「焚書坑儒」・・・焚く書
                 坑(ほる)
                 儒(イ+需)
                 需(もとめる)
        「始皇帝」の名前の記録
        「秦始皇帝=秦始皇本記・六章
                    十四節」
         ↓↑
         郡県制
         行政区=郡、県、郷、亭(里)
             を設置し
             中央政権化
         ↓↑
         天武天皇(?〜686)
         第四十代天皇
         漢風諡号(シゴウ・673?〜686)
         名=大海人皇子
        「壬申の乱
        「八色の姓
         和風諡号
         天渟中原瀛真人
             ↓真人は始皇帝が求めた
             ↓ 不老不死
             ↓  ↓↑
     (あまのぬなはらおきのまひと)
          ↓   ↓
          渟=氵(水)+亭(始皇帝の里)
          瀛=氵(水)+嬴(始皇帝の姓)
          ↓
         音部挿等譚
         禰武作等男
         武内宿禰・・・
は、
町に
残された

および
バビロン・・・葉
       備(尾・美・靡・毘・琵・彌・鼻)
       ↓ 尾張
           美濃・美作
            邪靡台
               毘沙門天
                 琵琶
                   彌生→宿禰
       ↓             鼻=須佐之男
       論(賂務)
王(おう・ワン)に
降服(コウフク)・・・降伏・・・考副・稿附(符・譜)句
           交附句
           幸福
           口腹
           公福
           香福
した者と
残(のこ・ザン)り

群衆(グンシュウ)・・・群集・・・郡州(周)
            群=君+羊(未)

捕(とら・ホ)え
移(うつ・イ)した。
25:12
ただし(但し)
侍衛(ジエイ)・・・自衛・自営
          字英

長(チョウ・おさ・ながい)

その地の
貧(まず・ヒン)しい者

残して、
ぶどう(葡萄)を
作る者とし、
農夫(ノウフ)・・・廼得譜・納付
とした。
25:13
カルデヤ・・・掛留出埜・軽出也
       珂瑠出哉・文武、孝徳天皇
びとは
また
主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種

宮(みや・く・キュウ)の
青銅(セイドウ)の
柱(はしら・チュウ)と、
主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
の宮の
洗盤(センバン)

台(ダイ・タイ)と、
青銅

海(うみ・あま・カイ)を
砕(くだ・サイ)いて、
その
青銅を
バビロン・・・葉
       備(尾・美・靡・毘・琵・彌・鼻)
       論(賂務)

運び、
25:14
また
つぼ(壺・坩・坪)
と、
十能(ジュウノウ)
と、
心切り(シンきり・シンセツ)
ばさみ(鋏)・・・葉差視
と、
香(した・ゼツ)

盛(も・セイ)る
皿(さら・ベイ)
および(及)・・・御呼び
         尾予備
すべて
神殿(シンデン)

務(つとめ・ム)に
用(もち・ヨウ)いる
青銅

器(うつわ・キ)、
25:15
また
心取り(こころとり・シンシュ)
皿(さら・ベイ)と
鉢(はち・バツ・ハツ)を・・・鉢=金+本
               葉値
取り去った。
侍衛(ジエイ)の
長(チョウ・おさ・ながい)は
また
金(こがね・かね・キン)

作った物

銀(しろがね・ギン)

作った物

取り去った。
25:16
ソロモン

主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種

宮のために造った
二つ

柱と、
一つ

海と
洗盤の台
など、
これらの
もろもろの
器の青銅の
重さは
量ることが
できなかった。
25:17
一つの
柱の
高さは
十八(ジュウハチ・おはこ)
キュビト・・・究人
で、
その上に
青銅の
柱頭があり、
柱頭の
高さは
三(サン・みつ)
キュビト
で、
柱頭

周囲に
網細工(あみざいく・モウサイコウ)

ざくろ(石榴・柘榴)
があって、
みな(皆)
青銅
であった。
他の柱も
その
網細工も
これと
同(おな・ドウ)じ
であった。
25:18
侍衛の長は
祭司長
セラヤ・・・施等哉

次席(ジセキ)

祭司(サイシ)
ゼパニヤ・・・是葉似埜

三人(サンニン)

門(モン・かど)を
守る者を
捕え、
25:19
また
兵士(ヘイシ)を
司(つかさ・シ)どる
ひとり(独り・一人)・・・比訳理

役人(ヤクニン・エンジン)・・・訳人
                役の行者←文武天皇
と、
王(おう・ワン)の
前に
侍(はべる)者のうち、
町で
見つかった者
五人(ゴニン)
と、
その地の民を
募(つの・ボ)った
軍勢の長の
書記官(ショキカン)と、
町で見つかった
その地の

六十(ロクジュウ)・・・六拾・陸拾


町から
捕え去った。
25:20
侍衛の長
ネブザラダン・・・禰武挿等探

彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
らを
捕えて、
リブラ・・・理部等
にいる
バビロン・・・葉
       備(尾・美・靡・毘・琵・彌・鼻)
       論(賂務)

王(おう・ワン)の
もとへ
連れて
行ったので、
25:21
バビロン・・・葉
       備(尾・美・靡・毘・琵・彌・鼻)
       論(賂務)

王(おう・ワン)は
ハマテ・・・葉万出(弖・氐・弟)
の地の
リブラ・・・理部等

彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
らを
撃ち殺した。
このようにして
ユダ・・・委拿・諭拿・喩妥・由妥

その地から
捕え
移された。
25:22
さて
バビロン・・・葉
       備(尾・美・靡・毘・琵・彌・鼻)
       論(賂務)

王(おう・ワン)
ネブカデネザル・・・音部化出音指留
          禰武掛出挿留

ユダ・・・委拿・諭拿・喩妥・由妥
の地に残して
とどまらせた
民の上に、
シャパン・・・社蕃・・・蛮社の獄
       写番・写版
の子
アヒカム・・・蛙比化務
の子である
ゲダリヤ・・・解太(多・他・拿)理也
       解足哉
       解垂也・・・垂仁天皇
を立てて
総督(ソウトク)・・・総て解(とく・訳句)
とした。
25:23
時(とき・ジ)に
軍勢の長たち
および
その
部下の人々は、
バビロン・・・葉
       備(尾・美・靡・毘・琵・彌・鼻)
       論(賂務)

王(おう・ワン)が
ゲダリヤ・・・解太(多・他・拿)理也
       解足哉
       解垂也・・・垂仁天皇

総督
としたことを聞いて、
ミヅパ・・・視通葉
      水葉
      三つ葉・・・葵→徳川
にいる
ゲダリヤ・・・解太(多・他・拿)理也
       解足哉
       解垂也・・・垂仁天皇

もとにきた。
すなわち
ネタニヤ・・・音多似埜
       禰多似埜
の子
イシマエル、・・・意志馬重留
         石舞える・・・石舞台=蘇我馬子
カレヤ・・・化例也
の子
ヨハナン、・・・夜葉何・与葉名務
ネトパ・・・・・音訳葉(馬・場・婆・芭)
びと
タンホメテ・・・太務補目出
        探 誉めて
の子
セラヤ、・・・施等埜
マアカ・・・・万蛙化
びとの子
ヤザニヤ・・・埜挿似哉
および
その
部下の人々が
ゲダリヤ・・・解太(多・他・拿)理也
       解足哉
       解垂也・・・垂仁天皇

もとにきた。
25:24
ゲダリヤ・・・解太(多・他・拿)理也
       解足哉
       解垂也・・・垂仁天皇

彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
らと
その
部下の人々に
誓って言った、
「あなた・・・貴方・貴女・彼方
       蛙名他・吾拿他・阿名太
 がたは
 カルデヤ・・・掛留出埜・軽出也
        珂瑠出哉・文武、孝徳天皇
        おかる、かんぺい→忠臣蔵
 びとの
 しもべとなることを
 恐れてはならない。
 この地に住んで、
 バビロン・・・葉
        備(尾・美・靡・毘・琵・彌・鼻)
        論(賂務)
 の
 王(おう・ワン)に
 仕えなさい。
 そうすれば
 あなた・・・貴方・貴女・彼方
       蛙名他・吾拿他・阿名太
 がたは
 幸福(コウフク)
 を得るでしょう」。
25:25
ところが
七月(シチゲツ・なながつ)・・・漆月
                文月
                文暴月
になって、
王(おう・ワン)の
血統(ケットウ)の
エリシャ・・・重理写・得裏舎マ
の子である
ネタニヤ・・・音多似埜
の子
イシマエル・・・意志万重留
        石舞える

十人
の者と共にきて、
ゲダリヤ・・・解太(多・他・拿)理也
       解足哉
       解垂也・・・垂仁天皇

撃ち殺し、
また
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
と共に
ミヅパ
にいた
ユダ・・・委拿・諭拿・喩妥・由妥

人と、
カルデヤ・・・掛留出埜・軽出也
       珂瑠出哉・文武、孝徳天皇
びとを
殺した。
25:26
そのため、
大小(ダイショウ)・・・代償・第章
            代背負う

民(たみ・ミン)
および
軍勢(グンゼイ)

長たちは、
みな
立って
エジプト・・・埃及・重字附訳
へ行った。
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
らは
カルデヤ・・・掛留出埜・軽出也
       珂瑠出哉・文武、孝徳天皇
びとを
恐れたからである。
25:27
ユダ・・・委拿・諭拿・喩妥・由妥
の王(おう・ワン)
エホヤキン・・・重補埜金・重補哉記務
が捕え
移されて

三十七(サンジュウシチ・みそアマリななつ)
年の
十二月・・・12解通・十二支
二十七日、・・・弐拾七比
        二十七宿曜経
すなわち
バビロン・・・葉
       備(尾・美・靡・毘・琵・彌・鼻)
       論(賂務)

王(おう・ワン)
エビルメロダク・・・重備留目賂拿句
          海老留目賂諾

治世(ジセイ・チセイ)の
第一年
に、
王(おう・ワン)は
ユダ・・・委拿・諭拿・喩妥・由妥
の王(おう・ワン)
エホヤキン・・・重補埜金
        重補哉記務

獄屋(ゴクヤ)
から
出して
25:28
ねんごろ(懇ろ)

彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比

慰(なぐさ・イ)め、
その
位(くらい・イ)を
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
と共に
バビロン・・・葉
       備(尾・美・靡・毘・琵・彌・鼻)
       論(賂務)
にいる
王(おう・ワン)たちの
位よりも
高くした。
25:29
こうして
エホヤキン・・・重補埜金・重補哉記務

その
獄屋

衣を脱ぎ、
一生(イッショウ)の間、
常に
王(おう・ワン)の前で
食事した。
25:30
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比

一生の間、
たえず
日々の分を
王(おう・ワン)から賜わって、
その食物とした。
ーーーーー
 ・・・・ヒミコのツバメ・・・公(ハム)の孫(ボウフラの系)の氏・・・