1826日目・・・今朝の11時過ぎごろ、「犬猫病院」から電話連絡があり獣医さんがモモちゃんの病状を直にハナシタイとのことで電車で病院に行った。モモは衰弱ぎみだったが餌は食べたと云う・・・左前脚は骨折では無く、神経麻痺だとのコトだったが・・・外見上は外傷は無かったが肢の引き摺りぐあいからも、折れたようにブラブラとする状況からもボクには骨折のように見えた。レントゲンでは骨折は無いとのコトだった。「猫エイズ」のせいでもあるらしい。北海道には存在しない「蚤とダニ」が寄生しているとのコト。確かに生まれ故郷は名古屋

 モモちゃんと帰宅できるコトになったが「診察代と治療代、薬代」の持ち合わせが足りない。財布の中身2万円そこそこ。支払いは2万7千119円。取り敢えず1万円を支払い、明日、一番でカネをおろして、借りた駕籠(cage)と、お金を返すコトに快く承諾してもらった。昨日は2万4千840円だった・・・
 動物病院は隣の隣の町。電車は1時間に1っ本ぐらい。片道260円。ニャンコの乗車賃は280円・・・その駅から病院までタクシーで片道630円・・・車があれば、すぐに行けるのになッ、と思うが・・・モモちゃん、ゴメン・・・カネの計算ばかりで・・・
 もし、これが名古屋だったら、とも思ったりするが・・・極寒の時期があるけれど、今年は極暑・・・広い庭つきのボロ家での「モモとブブ」との生活のチャンスは「楽園」の如くだったが・・・貧乏人は何処にいても、動物との一緒の生活は阻まれる・・・
 モモちゃんと何とか今年の年末の紅白も一緒にみたいが・・・2008年から8年目の紅白と除夜のカネ・・・
 ・・・或時、善人も悪人も簡単にヒトを殺傷してしまう可能性がある・・・事故であれ、なんでアレ、その時の「殺傷」は一瞬かも・・・だがヒトが生まれて今現在まで生きてきた時間帯自体はダレであれ、他人の、特に母親の陣痛からはじまった。生きているコト自体、生かされているコト自体が「奇蹟」である。
 「汝、ヒトを殺めるなかれ」
 「汝、ヒトのモノを盗むなかれ」
 「汝、ヒトにウソをつくなかれ」
 「汝、ヒトを差別するなかれ」
 ・・・「人間モーゼのコトバ」は「イシ(奇石・石板)、後にカミ(記籍・書籍本)に記されたコトバ」であった。だがコレラの、人間同士の個々人の認識理解に於いての「レベル」は「平等」ではないし、「対等」でも、「公平」でもなかった。文字道理の実行は「暴力の枠内」でのコトであった。「旧約の神」は「暴力行使」しながら、「威喝」しながら「汝等、我等、人間」に迫ったのである・・・
 ましてや、この時代に於いてさえも、国家間指導者の戦争、テロ組織の頭目でのテロで生かされるか、殺されるかの「キセキ=奇蹟・奇跡・軌跡・鬼籍」は人間同士が行使する「暴力」の結果である。
 人間が「人間」として生かされるか、どうかは人間同士の相手次第による・・・「新約のイエス・キリスト」は「天国・地獄・隣人愛」を武器にしながら無抵抗で人間に殺された・・・だが、
 「汝、ヒトを殺めるなかれ」
 「汝、ヒトのモノを盗むなかれ」
 「汝、ヒトにウソをつくなかれ」
 「汝、ヒトを差別するなかれ」
 は、今現在も「暴力」でしか保障されない現実なのである。
 「地球地区、日本居住民の願いと祈り」は「日本国憲法」の地球的規模の拡散、拡大である。この「日本居住民の願いと祈り」は、コレを実現する為に「命を賭ける地球規模での実行」が必要である。
 願いは「無抵抗な殉死」ではない。だが、今現在は相手次第によっては「暴力」で護らざるを得ないパラドックスとしての現実がある・・・「大陸中国、半島南北朝鮮」、「魯西亜」の政治的指導者は論外だが、本質同類の「亜米利加」の政治的指導者は、その「同士」足りウルのか?・・・
 そもそも、アメリカは
 「汝、ヒトを殺めるなかれ」
 「汝、ヒトのモノを盗むなかれ」
 「汝、ヒトにウソをつくなかれ」
 「汝、ヒトを差別するなかれ」
 の逆説実行国家であったし、今現在もソウである・・・「自由と民主主義の国家」であるハズなのに、この「規範」を守れない「時は金なり」の基本的なシステムのエゴな拝金国家である。
 戦後の「日本独立国家」も「民族自決の国家」も支配階級の「人種のトップ」が変遷しただけである。そもそも「民族」とは何であるのか、そこの領域国家には「公平」は無かった。
 「ナンジ等」と地球規模で「同士」足り得るのはダレなのか・・・「国家」を否定し、「人間の公平化」を「地球規模」で願うヒトビトとはダレなのか・・・「私有財産」としての「カミぺらの数字で人々を愚弄する奴等」を否定する人びと・・・難事である・・・そんな地球規模のシステムを構想、構築できるのか・・・
 金銭契約のプロ野球ではない・・・政治的な「日本ハムの中村投手とチーム」かも・・・そして、バットを振る時に「西武ライオンズの中村、チカラを抜いてホームラン」を打つ・・・だが「戦い」に勝利しても、その後の世界規模でのシステムの実行構想は・・・
 「主税(ちから)の数字を減じない、抜かない」のは「私腹(シフク)」するカミの数字操作屋と、彼等に寄生する政治屋と官僚屋だが・・・エゴな彼らの相場、博打システムを逆用するだけのコトである・・・
 スパーコンピュータは「全人間の衣食住」への生産されたモノの公平な「需要供給」のそれらを迅速に「シュミレーション」できる・・・デキルならば、人間は「エゴな儲けと私腹抜きの公平配分の実行」もデキルはずだが・・・競争での出世の夢も、自由選択での実業家、富豪になる夢もなくなる、ってか・・・そんな、ユメ、戦争で殺傷するよりはマシだろう・・・
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 旧約聖書
 列王記 下
 ・・・本日は「ナンジ」のモウソウ解釈はサボリ・・・