1782日目・・・ィヤァ〜ッ、「俳句」や「短歌」の「才能」とはボクには判らないが、「TV番組(19:00)プレバト!!才能ランキング」の「俳句」の「自信作・俳句」、「毒舌先生」が面白かった・・・それに比べて日本語の「現代語訳・旧約聖書」の「文学性」は「モノガタリの説明に忠実」な「翻訳文」だからその「文章」に「芸術性」を要求するのは酷だろう・・・だが日本語に翻訳された「漢字文字・カタカナ文字」の「文学性」は有るかも・・・日本人が「古事記」に「文学性」を見出すのは「万葉仮名」が「日本語と漢字の曖昧性」にある

 それにしても、今夜の「お題」の「梅雨と猫」に対するゲストの「みんなの才能」にはナルホドで、それを添削する「毒舌先生(夏井いつき女史)のプロの才能」もナルホドである・・・「猫の欠伸」、「梅雨の虹」、「梅雨の星空」、「空の音」と「ジャズ」、「夢二」ですか・・・
 「万葉集の歌の真意」はボクにとっては「謎」だらけで、妄想解釈に尽きるが、「出来あがった文学の真意」は「文字・文法」を理解していたとしても「個々人である享受者の理解範囲のモノ」で、「作者の意図」と別である・・・
 それにしても、「日本語」、本当に「厄介な言語」であるカナ・・・文字の徘徊・・・
ーーーーー
 旧約聖書
 サムエル記
 撒母耳 記(下)
第17章
17:1
時に
アヒトペル・・・・阿比賭経留

アブサロム
に言った、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)に
 一万二千
 の人を
 選(えら・セン)び
 出(だ・でる・シュツ・スイ)させてください。
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 立(た・リツ)って、
 今夜(コンヤ・キンヤ)
 ダビデ
 後(あと・ゴ)を
 追(おい・ツイ)い、
17:2
 彼(かれ・ヒ)が
 疲(つか・ヒ)れて
 手(て・シュ・で)が
 弱(よわ・ジャク)く
 なっているところを
 襲(おそ・シュウ)って、
 彼(かれ・ヒ)を
 慌(あわ・コウ)て
 させましょう。
 そして
 彼(かれ・ヒ)と共にいる
 民(たみ・ミン)が
 皆(みな・みんな・カイ)
 逃(に・トウ)げるとき、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)は
 王(おう・ワン)
 ひとりを
 撃(うち・ゲキ)ち
 取(と・シュ)り、
17:3
 すべての民を
 花嫁(はなよめ・カカ)・・・「嫁=よめ・カ」
            とつぐ・降嫁・再嫁
            なすりつける・転嫁
            許嫁 (いいなずけ)
 が
 その
 夫(おっと・フ)
 の
 元(もと・ゲン)に
 帰(かえ・キ)るように
 貴方(あなた・キホウ・彼方)に
 帰(かえ・キ)らせましょう。
 貴方(あなた・キホウ・彼方)が
 求めて
 おられるのは
 唯(ただ・ユ)
 一人(ひとり・イチニン)の
 命(いのち・みこと・メイ)
 だけですから、
 民(たみ・ミン)は
 皆(みな・みんな・カイ)
 穏(おだ・オン・ヲン)やかに
 なるでしょう」。
17:4
この言葉は
アブサロム

イスラエル
のすべての
長老(チョウロウ)

心(こころ・シン)

適(かな・テキ)った。
17:5
そこで
アブサロムは言った、
「アルキ・・・・・或記・歩記・一書
 びと
 ホシャイ・・・・補写意
 をも
 呼(よ・コ)び
 寄(よせ・キ)なさい。
 我々(われわれ・ガガ)は
 彼(かれ・ヒ)の言うことを
 聞(き・モン・ブン)きましょう」。
17:6
ホシャイ・・・・補写意

アブサロム

もとにきた時、
アブサロム

彼(かれ・ヒ)に言った、
アヒトペル・・・・阿比賭経留
 は
 このように言った。
 我々(われわれ・ガガ)は
 彼(かれ・ヒ)の
 言葉のように行うべきか。
 いけない(駄目・不可・非・否・違・異)
 のであれば、
 言いなさい」。
17:7
ホシャイ・・・・補写意

アブサロム
に言った、
「この
 度(たび・ド)
 アヒトペル・・・・阿比賭経留が
 授(さず・ジュ)けた
 計(はか・ケイ)り
 ごと(事)は
 良(よ・リョウ)く
 ありません」。
17:8
ホシャイ・・・・補写意

また言った、
「御存知(ごぞんじ)・・・語存知・語尊知
 のように、
 貴方(あなた・キホウ・彼方)の
 父(ちち・フ)と
 その
 従者(ジュウシャ)たちとは
 勇士(ユウシ)です。
 その上
 彼(かれ・ヒ)らは、
 野(の・ヤ)
 で
 子(こ・ね・す・シ)
 を
 奪(うば・ダツ)われた
 熊(くま・ユウ)のように、
 酷(ひどく・コク)
 怒(おこ・いか・ド)っています。
 また、
 貴方(あなた・キホウ・彼方)の
 父(ちち・フ)は
 いくさびと
 ですから、
 民と共に
 宿(やど・シュク・スク)ら
 ないでしょう。
17:9
 彼(かれ・ヒ)は
 今でも
 穴(あな・ケツ)
 の
 中(な・チュウ)か、
 どこか
 ほかの所に
 隠(かく・イン)れて・・・・隠≠穏
 います。
 もし(若し)
 民のうちの
 幾人(いくにん・キジン)かが
 手始(てはじ・シュシ)めに
 倒(たお・トウ)れるならば、
 それを聞く者はだれでも、
 『アブサロムに
  従う民のうちに
  戦死者があった』
 と言うでしょう。
17:10
 そうすれば、
 しし(獅子・猪)
 の
 心のような
 心のある
 勇ましい人で
 あっても、
 恐れて
 消え去ってしまうでしょう。
 それは
 イスラエルのすべての人が、
 貴方(あなた・キホウ・彼方)の
 父の
 勇士(ユウシ)であること、
 また
 彼(かれ・ヒ)と共にいる者が、
 勇(いさ・ユウ)ましい
 人々であることを
 知っているからです。
17:11
 ところで
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)の
 計りごとは、・・・謀略・陰謀
 イスラエル
 ダン・・・・・談・旦・譚・拿務
 から
 ベエルシバ・・・部重留司馬
 まで、
 海(うみ・カイ)べの
 砂(すな・サ)のように
 多(おお・タ)く
 貴方(あなた・キホウ・彼方)のもとに
 集(あつ・シュウ・ジュウ)めて、
 貴方(あなた・キホウ・彼方)
 みず(自ず)
 から
 戦(たたか・セン)いに
 臨(のぞ・リン)むことです。
17:12
 こうして
 我々(われわれ・ガガ)は
 彼(かれ・ヒ)の見つかる場所で
 彼(かれ・ヒ)を
 襲(おそ・シュウ)い、
 露(つゆ・ロ)
 が
 地(チ・ジ)に
 降(おり・コウ・下)る
 ように
 彼(かれ・ヒ)の
 上に
 下(おり・くだ・しも・した・ゲ・カ)る。
 そして
 彼(かれ・ヒ)
 及(およ・キュウ)び
 彼(かれ・ヒ)と
 共にいる
 すべての人を
 ひとりも
 残(のこ・ザン)さないでしょう。
17:13
 もし
 彼(かれ・ヒ)が
 何(いずれ)かの
 町(まち・チョウ)に
 退(の・タイ)くならば、
 全(ゼン・すべて)イスラエル
 その町に
 縄(なわ・ジョウ)を
 掛(か・カ・カイ)け、
 我々(われわれ・ガガ)は
 それを
 谷(たに・や・コク)に
 引(ひ・イン)き
 倒(たお・トウ)して、
 そこに
 一つの
 小石(こいし・ショウセキ)
 も
 見られないように
 するでしょう」。
17:14
アブサロム

イスラエルの人々は
皆(みな・みんな・カイ)、
「アルキ・・・・・或記・歩記・一書
 びと
 ホシャイ・・・・補写意
 の
 計りごとは、
 アヒトペル・・・・阿比賭経留
 の
 計りごとよりもよい」
と言った。
それは
主が
アブサロム

災(わざわい・サイ)を
下そうとして、
アヒトペル・・・・阿比賭経留

良い
計りごとを
破(やぶ・ハ)ることを
定(さだ・テイ)められた
からである。
17:15
そこで
ホシャイ・・・・補写意

祭司(サイシ)たち、
ザドク・・・・・指読・作度句

アビヤタル
とに言った、
アヒトペル・・・・阿比賭経留は
 アブサロム
 と
 イスラエル
 長老(チョウロウ)
 たちのために
 こういう
 計りごとをした。
 また
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)は
 こういう
 計りごとをした。
17:16
 それゆえ、
 貴方(あなた・キホウ・彼方)がたは
 速(すみ・はや・ソク)やかに
 人をつかわして
 ダビデに告げ、
 『今夜、
  荒野の渡し場に
  宿らないで、
  必ず渡って行きなさい。
  さもないと
  王(おう・ワン)
  および共にいる民は
  皆(みな・みんな・カイ)、
  滅ぼされるでしょう』
 と言いなさい」。
17:17
時に、
ヨナタン

アヒマアズ

エンロゲル・・・・重務賂解留

待(ま・タイ)っていた。
ひとりの
仕女(つかえめ・シジョ・侍女)

行って
彼(かれ・ヒ)らに
告(つ・コク)げ、
彼(かれ・ヒ)らは
行って
ダビデ王(おう・ワン)に
告げるのが
常(つね・ジョウ)であった。
それは
彼(かれ・ヒ)らが町に
はいるのを
見られないように
するためである。
17:18
ところが
ひとりの
若者(わかもの・ジャクシャ)・・・和歌物

彼(かれ・ヒ)らを見て
アブサロムに告げたので、
彼(かれ・ヒ)ら
二人(ふたり・ニニン・ニジン)は
急いで去り、
バホリム・・・・葉補離務
の、
ある
ひとり



家に
きた。
その人の
庭(にわ・テイ)に
井戸(イド)があって、
彼(かれ・ヒ)らは
その
中に
下ったので、
17:19


覆(おおい・フク・蔽い・蓋い)

取ってきて
井戸

口の上に
広(ひろ・コウ)げ、
麦(むぎ・バク)を
その上に
撒(ま・サン)き
散(ち・サン)らした。
それゆえ
その事は
何も知れなかった。
17:20
アブサロムの
僕(しもべ・ボク・僮)・・・下部
たちは
その
女(おんな・ジョ)

家(いえ・や・カ)

きて
言った、
「アヒマアズ
 と
 ヨナタン
 は
 何処(どこ・何所)に
 いますか」。
女(おんな・ジョ)は
彼(かれ・ヒ)らに言った、
「あの人々は
 小川(おがわ・・ショウセン)
 を
 渡(わた・ト)って行きました」。
彼(かれ・ヒ)らは
尋(たず・ジン)ねたが
見当らなかったので
エルサレムに帰った。
17:21
彼(かれ・ヒ)らが
去(さ・キョ)った
後(のち・あと・うしろ・ゴ)、
人々は
井戸(イド・セイト・セイド)から
上り、
行って
ダビデ王(おう・ワン)に
告(つ・コク)げた。
すなわち
彼(かれ・ヒ)らは
ダビデに言った、
「立って、
 速(すみや・はやい・ソク)かに
 川(かわ・セン)を
 渡(わた・ト)りなさい。
 アヒトペル・・・・阿比賭経留
 が
 貴方(あなた・キホウ・彼方)がたに
 対(タイ・つい)して
 こういう
 計りごとをしたからです」。
17:22
そこで
ダビデは立って、
共にいる
すべての民と
一緒(いっしょ・イチショ)に
ヨルダン・・・・与留談・余留譚
        予留拿務

渡った。
夜明(よあ・ヤメイ・ヨミョウ)けには、
ヨルダン

渡らない者は
ひとりもなかった。
17:23
アヒトペル・・・・阿比賭経留
は、
自分の計りごとが
行われないのを見て、
驢馬(ロバ)

鞍(くら・アン)

置(お・チ)き、
立(た・リツ)って
自分(ジブン)の
町に行き、
その家に帰った。
そして
家の人に
遺言(イゴン)して
みずから
縊(くび・イツ)れて
死(シ)に、
その
父(ちち・フ)

墓(はか・ボ)

葬(ほうむ・ソウ)られた。
17:24
ダビデ
マハナイム
にきた。
また
アブサロムは
自分と共にいる
イスラエル
すべての人々と
一緒に
ヨルダンを渡った。
17:25
アブサロム

アマサ

ヨアブ

代りに
軍(いくさ・グン)

長(おさ・ながい・チョウ)とした。
アマサ・・・・甘さ・海女差・海部作

かの
ナハシ・・・・名葉詞・納葉詞

娘(むすめ・ジョウ・女)で
ヨアブ


ゼルヤ
の妹である
アビガル

娶(めと・シュ)った
イシマエル・・・・・意思万重留
          石舞える・・・石舞台
          医師間重留
びと、
名は
イトラ・・・・・・・意図等・異虎(寅)
          伊都等
          怡土等
という
人の子である。
17:26
そして
イスラエル

アブサロム

ギレアデ・・・・義例阿出
        疑例亜出
        欺例ア出
        儀礼亜出
の地に
陣取(ジンド)った。
17:27
ダビデ
マハナイム・・・万葉名意務
にきた時、
アンモン・・・・案文・行文
の人々のうちの
ラバ・・・・・・等葉

ナハシ・・・・・名葉詞・那覇市
の子
ショビ・・・・・書備・書尾・書美
と、
ロ・・・・・・・賂

デバル・・・・・出張・出貼
        出葉留・弟葉留・出場留
        出馬留

アンミエル・・・案視え留・行三重留

子(こ・ね・す・シ)
マキル、・・・・巻留・撒記留
および
ロゲリム・・・・賂解理務

ギレアデ
びと
バルジライ・・・葉留字等意
は、
17:28
寝床(ねどこ・シンショウ)

鉢(はち・ばち・ハチ・ハツ)、
     ・・・「鉢」=「金+本」
土器(ドキ)、
小麦(こむぎ・ショウバク)、
大麦(おおむぎ・おほむぎ・ダイバク)、
粉(こな・フン)、
炒り麦(いりむぎ・ショウバク・ソウバク)、
豆(まめ・ず・トウ)、
レンズ豆、
17:29
蜜(ミツ)、
凝乳(クリーム・ギニュウ)、
羊(ひつじ・ヨウ・未)、
乾酪(チーズ・カンラク

ダビデ
および共にいる民が
食べるために持ってきた。
それは
彼(かれ・ヒ)らが、
「民は
 荒野で飢え
 疲れかわいている」
と思ったからである。
 ↓
第18章
18:1
さて
ダビデは自分と共にいる
民を調べて、
その上に
千人の長、
百人の長
を立てた。
18:2
そして
ダビデは民をつかわし、
三分の一

ヨアブの手に、
三分の一

ゼルヤ
の子
ヨアブの兄弟
アビシャイ・・・・阿備写意・亜備謝意
の手に、
三分の一を
ガテ
びと
イッタイ・・・・・何時他意・何時碓→小碓
         逸太・逸鯛→竜宮・浦島太郎
               乙姫→音秘め
         一体・一対・一帯
         一隊・一袋

手にあずけた。
こうして
王(おう・ワン)は
民に言った、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)も
 また
 必ず
 貴方(あなた・キホウ・彼方)がたと
 一緒に出ます」。
18:3
しかし
民は言った、
「貴方(あなた・キホウ・彼方)は
 出てはなりません。
 それは
 我々(われわれ・ガガ)が
 どんなに逃げても、
 彼(かれ・ヒ)らは
 我々(われわれ・ガガ)に
 心(こころ・シン)を
 とめず、
 我々(われわれ・ガガ)の
 半ばが死んでも、
 我々(われわれ・ガガ)に
 心を
 とめないからです。
 しかし
 貴方(あなた・キホウ・彼方)は
 我々(われわれ・ガガ)の
 一万(イチマン)
 に
 等(ひと・トウ)しいのです。
 それゆえ
 貴方(あなた・キホウ・彼方)は
 町の中から
 我々(われわれ・ガガ)を
 助けてくださる方が
 よろしい」。
18:4
王(おう・ワン)は
彼(かれ・ヒ)らに言った、
「貴方(あなた・キホウ・彼方)がたの
 最も良いと思うことを
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)は
 しましょう」。
こうして
王(おう・ワン)は
門(かど・モン)

傍(かたわ・ボウ)ら

立ち、



あるいは
百人、
あるいは
千人
となって出て行った。
18:5
王(おう・ワン)は
ヨアブ、
アビシャイ・・・・阿備写意・亜備謝意
および
イッタイ
に命じて、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)の
 ため、
 若者(わかもの・ジャクシャ)・・・和歌物
 アブサロム
 を
 穏(おだや・イン)か
 に
 扱(あつか)うように」
と言った。
王(おう・ワン)が
アブサロム
の事について
すべての長たちに
命じている時、
民は

聞いていた。
18:6
こうして
民は
イスラエル
向かって
野に出て行き、
エフライム

森で戦ったが、
18:7
イスラエルの民は
その所で
ダビデ
家来(けらい・かき・ケキ・カライ)
たち

前に
敗れた。
その日
その所に
戦死者が多く、
二万(ニマン)

及んだ。
18:8
そして
戦いは
遍(あまね・普・ヘン・普遍)く
その
地の
おもてに
広がった。
この日、
森(もり・シン)・・・?・・・森鴎外

滅ぼした者は、・・・・脚気の陸軍兵士の
           ビタミンD不足
剣(つるぎ・ケン)・・・ツルギ=通留疑
            高木の神
            高木 兼寛
           (たかき かねひろ)
            嘉永二年九月十五日
           (1849年10月30日)
             〜
            大正九年
           (1920年 4月13日)
            日本の海軍軍人
            海軍軍医総監(少将相当)
            男爵
            東京慈恵会医科大学創設
            脚気の撲滅に尽力
           「ビタミンの父」

滅ぼした者
よりも多かった。
18:9
さて
アブサロム

ダビデ
家来(けらい・かき・ケキ・カライ)
たちに
行き会った。
その時
アブサロムは
騾馬(らば)・・・・ロバ(驢馬)では無い
          馬と驢馬の混血
          一代のみで増殖不可

乗っていたが、
騾馬(らば)は
大きい
樫(かし・ケン)の木
の、
茂(しげ・モ)った
枝(えだ・シ)

下を
通(とお・ツウ・ツ)ったので、
アブサロム



その
樫の木に
架(かか)って、・・・懸かる
↓          懸りの木(梅松柳楓)
↓          ↓↑
↓      「かかり」
↓      「費用・出費」がかさむ
        攻めること
        囲碁での石を打つこと
        落ちたり、滑ったりしない構造物
        釣り針の返し
        邦楽で本演奏の前に奏する部分
        髪の垂れ下がった様子
       「うちうつぶし給へる
        髪のかかり・源氏宿木」
        蹴鞠(けまり・サッカー)を
        する
        庭の
        四隅に植えた木
        北東に桜
        南東に柳
        南西に楓(かえで)
        北西に松
        かまえ・作り方・構造
        世話になること・頼ること・頼る人
       「和歌・連歌能楽」で
        風情・趣・姿・風体・様子・感じ
↓          ↓↑
        山代国(やましろのくに)の
        相楽(さがらか)地名由来
↓          ↓↑
        木の枝に首を吊って死んだ
        地名づけて懸木(さがりき)
       「円野比売、慚(ハ)ぢて言はく、
        同じ兄弟の中に、姿、醜きを以ちて
        還さえし事、隣里に聞えむ、
        これ、いと慚づかし。
        といひて、山代国の相楽に到りし時、
↓        樹の枝に
↓        取り懸(サガ)りて死なむとしき。
↓        かれ、其地を号けて
↓        懸木(サガリキ)と謂ひし」
       「淵に飛び込んで死んだ故に
        この地を
↓       堕国(おちくに)
↓       弟国(おとくに)
↓       乙訓(おとくん)
↓       と当て字
彼(かれ・ヒ)は
天地の間に
吊(つ)り
下(さ)がった。
騾馬(らば)

彼(かれ・ヒ)を
捨てて過ぎて行った。
18:10
ひとりの人が
それを見て
ヨアブ
に告げて言った、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)は
 アブサロムが、
 樫の木に
 かかっているのを
 見ました」。
18:11
ヨアブはそれを告げた人に言った、
「貴方(あなた・キホウ・彼方)は
 それを見たというのか。
 それなら、
 どうして
 貴方(あなた・キホウ・彼方)は
 彼(かれ・ヒ)をその所で、
 地に
 撃ち落さなかったのか。
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)は
 貴方(あなた・キホウ・彼方)に
 銀
 十
 シケル
 と
 帯
 一筋
 を与えたであろうに」。
18:12
その人は
ヨアブに言った、
「たとい
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)の
 手に
 銀千シケルを受けても、
 手を出して
 王(おう・ワン)の子に
 敵することはしません。
 王(おう・ワン)は
 我々(われわれ・ガガ)が
 聞いているところで、
 貴方(あなた・キホウ・彼方)と
 アビシャイ・・・・阿備写意・亜備謝意
 と
 イッタイ
 に、
 『私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)の
  ため
  若者(わかもの・ジャクシャ)・・・和歌物
  アブサロム
  を
  保護せよ』
 と命じられたからです。
18:13
 もし
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)が
 そむいて
 彼(かれ・ヒ)の
 命(いのち・みこと・メイ)を
 害(そこな)ったのであれば、
 何事も
 王(おう・ワン)に
 隠れることはありませんから、
 貴方(あなた・キホウ・彼方)は
 みずから
 立って
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)を
 責められたでしょう」。
18:14
そこで、
ヨアブは
「こうして
 貴方(あなた・キホウ・彼方)と
 共に
 とどまってはおられない」
と言って、
手に
三筋(みすじ・サンキン)の
投げやりを取り、
あの
樫の木に
懸(かか)って、
なお
生きている
アブサロム

心臓(シンゾウ)

これを
突き通した。
18:15
ヨアブ

武器を
執る
十人(ジュウニン)

若者(わかもの・ジャクシャ)・・・和歌物
たちは
取り巻いて、
アブサロム

撃ち殺した。
18:16
こうして
ヨアブ

ラッパ(喇叭)
を吹いたので、
民は
イスラエル
あと

追うことを
やめて帰った。
ヨアブ

民を引きとめたからである。
18:17
人々は
アブサロム

取って、
森の中の
大きな
穴(あな・ケツ)

投げいれ、
その


ひじょうに
大きい
石塚を
積み上げた。
そして
イスラエル
皆(みな・みんな・カイ)
おのおの
その
天幕に逃げ帰った。
18:18
さて
アブサロムは
生きている間に、
王(おう・ワン)の谷に
自分のために
一つの柱を建てた。
それは
彼(かれ・ヒ)が、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)は
 自分の名を
 伝える子がない」
と思ったからである。
彼(かれ・ヒ)は
その柱に
自分の名をつけた。
その柱は
今日まで
アブサロムの碑

称(とな・ショウ・唱)えられている。
18:19
さて
ザドク
の子
アヒマアズ
は言った、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)は
 走って行って、
 主が王(おう・ワン)を
 敵の手から
 救い出された
 おとずれ(便り・手紙)・・・音づれ・音ズレ
 を
 王(おう・ワン)に伝えましょう」。
18:20
ヨアブは彼(かれ・ヒ)に言った、
「今日(こんにち・キョウ・本日→本実)は、
 おとずれ・・・・・音ヅレ・音ズレ
 を
 伝えてはならない。
 おとずれ・・・・・音ヅレ・音ズレ
 を
 伝えるのは、
 ほかの日にしなさい。
 今日(こんにち・キョウ・本日→本実)
 は
 王(おう・ワン)の子が死んだので、
 おとずれ・・・・・音ヅレ・音ズレ
 を伝えてはならない」。
18:21
ヨアブ

クシ
びとに言った、
「行って、
 貴方(あなた・キホウ・彼方)の
 見た事を
 王(おう・ワン)に告げなさい」。
クシ・・・・句詞・句史
      九紙・玖史
      櫛・串・釧・駆使
びとは
ヨアブに
礼をして
走って行った。
18:22
ザドク
の子
アヒマアズ

重ねて
ヨアブに言った、
「何事があろうとも、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)にも
 クシ
 びとの
 あと
 から
 走って行かせてください」。
ヨアブは言った、
「子よ、
 おとずれ・・・・・音ヅレ・音ズレ
 の
 報いを
 得られないのに、
 どうして
 貴方(あなた・キホウ・彼方)は
 走って行こうとするのか」。
18:23
彼(かれ・ヒ)は言った、
「何事があろうとも、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)は
 走って行きます」。
ヨアブは彼(かれ・ヒ)に言った、
「走って行きなさい」。
そこで
アヒマアズ

低地(テイチ)・・・・・綴知

道(みち・ドウ)

走って行き、
クシ
びとを
追い越した。
18:24
時に
ダビデ
二つの門の間に
すわっていた。
そして
見張りの者が
城壁の
門の屋根にのぼり、
目をあげて
見ていると、
ただひとりで
走ってくる者があった。
18:25
見張りの者が
呼ばわって
王(おう・ワン)に告げたので、
王(おう・ワン)は言った、
「もし
 ひとりならば、
 その口に
 おとずれ・・・・・音ヅレ・音ズレ
 が
 あるであろう」。
その人は
急いできて近づいた。
18:26
見張りの者は、
ほかに
また
ひとり走ってくるのを見たので、
門の方に呼ばわって言った、
「見よ、
 ほかに
 ただひとりで
 走って来る者があります」。
王(おう・ワン)は言った、
「彼(かれ・ヒ)も
 また
 おとずれ・・・・・音ヅレ・音ズレ
 を持って
 くるのだ」。
18:27
見張りの者は言った、
「まっ先に走って来る人は
 ザドクの子
 アヒマアズ
 のようです」。
王(おう・ワン)は言った、
「彼(かれ・ヒ)は良い人だ。
 良い
 おとずれ・・・・・音ヅレ・音ズレ
 を持ってくるであろう」。
18:28
時に
アヒマアズ
は呼ばわって王(おう・ワン)に言った、
「平安でいらせられますように」。
そして
王(おう・ワン)の前に地にひれ伏して言った、
「貴方(あなた・キホウ・彼方)の神、
 主は
 誉(ほむ・ヨ)べきかな。・・・本部記仮名
 主は王(おう・ワン)、
 我(わが・ガガ)
 君(きみ・クン)・・・・・・・記視・訓
 に
 敵(あだ・かたき・テキ)して
 手をあげた
 人々を
 引き渡されました」。
18:29
王(おう・ワン)は言った、
「若者(わかもの・ジャクシャ)・・・和歌物
 アブサロム
 は
 平安ですか」。
アヒマアズ
は答えた、
「ヨアブ
 が
 僕(しもべ・ボク・僮)・・・下部
 をつかわす時、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)は
 大きな騒ぎを見ましたが、
 何事であったか
 知りません」。
18:30
王(おう・ワン)は言った、
「脇(わき・腋)へ・・・・和記経
 行(い・ギョウ・コウ・アン)って、
 そこに立っていなさい」。
 彼(かれ・ヒ)は
 わき
 へ
 行って立った。
18:31
その時
クシ
びとがきた。
そして
その
クシ
びとは
言った、
「我(わが・ガガ)
 君、
 王(おう・ワン)が
 良い
 おとずれ・・・・・音ヅレ・音ズレ
 を
 お受けくださるよう。
 主は
 今日(こんにち・キョウ・本日→本実)、
 すべて
 貴方(あなた・キホウ・彼方)に
 敵して立った者どもの手から、
 貴方(あなた・キホウ・彼方)を
 救い出されたのです」。
18:32
王(おう・ワン)は
クシびとに言った、
「若者(わかもの・ジャクシャ)・・・和歌物
 アブサロム
 は
 平安ですか」。
クシびとは答えた、
「王(おう・ワン)、
 我(わが・ガガ)
 君の敵、
 および
 すべて
 貴方(あなた・キホウ・彼方)に
 敵して立ち、
 害をしようとする者は、
 あの
 若者(わかもの・ジャクシャ)・・・和歌物
 の
 ようになりますように」。
18:33
王(おう・ワン)は
ひじょうに
悲しみ、
門の上の
部屋(へや・ブシツ)に
上って
泣(な・キュウ)いた。
彼(かれ・ヒ)は
行きながら
このように言った、
「我(わが・ガガ)子
 アブサロムよ。
 我(わが・ガガ)子、
 我(わが・ガガ)子
 アブサロムよ。
 ああ、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)が
 代って
 死ねばよかったのに。
 アブサロム、
 我(わが・ガガ)子よ、
 我(わが・ガガ)子よ」。
ーーーーー
 ???・・・「たちよらばおおきのかげ」・・・
 ???・・・「この御世、兔寸(とのき)河の西に、一本の高樹が有った。その樹の影は、朝日に当たれば淡道島におよび、夕日に当たれば高安山を越えた。そこで、この樹を切って船を作った。非常に早く行く船であった。時に、その船を号して枯野(からの)と言った。この船を以って、朝夕、淡道島の寒泉を酌み、大御水を献じた(仁徳天皇記)」・・・「高樹=高木の神=高木兼寛→海軍軍医」・・・「ビタミン(vitamin)=ヴァイタミン=びたみん」の「D(ディ)」である・・・「売女(ばいた・バイジョ)」は「比売=姫(ひめ)=巫女=御子=神子=皇女」で「廓の天女」であろうに・・・蔑称語に貶(おとし)めてしまったのはダレ・・・
 ???・・・
 「敏馬=みぬめ=美奴売」の浦=兵庫県
                神戸市
                灘区
                岩屋中町
     新羅使節の来朝時、生田神社で
     醸した酒を「敏馬浦」で給した
 を過ぐる時に、
 「山部宿禰赤人(やまべのすくねあかひと)
 (サンブ・スクネ・セキジン)」
 の
 作る歌一首
 并(あわ)せて短歌
  ↓
 御食みけ向むかふ
 淡路の島に
 直ただ向ふ
 敏馬の浦の
 沖辺には
 深海松(ふかみる)摘み
 浦廻(うらみ)には
 名告藻(なのりそ)刈る
 深海松(ふかみる)の
 見まく欲しけど
 名告藻の
 おのが名惜しみ
 間使(まつかひ)も
 遣らずて我は
 生けりともなし
 (6-946)
 反歌
 須磨の海人の
 塩焼き衣(きぬ)の
 なれなばか
 一日(ひとひ)も
 君を忘れて思はむ
 (6-947)
 ・・・???・・・