1771日目・・・「文字」を追うのは面白いが、「眼」には辛いし、曇りでも「光」が眩しい・・・

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 サー・アーサー・イグナチウス・コナン・ドイル
 (Sir Arthur Ignatius Conan Doyle,)
 (1859年5月22日〜1930年7月7日)
  ↓↑
 大英帝国主義者、国家主義者で、国粋主義者、その枠内で「市民社会の正義の人」で、スコットランドヤード (Scotland yard・ロンドン警視庁)の警察権力の腐敗に抗議し、その「冤罪事件」の不正を暴いた人物である・・・「大英帝国」、その「時代の人物」だった。だが、「原稿・印税・著作権」で膨大に得た財産と、その形成の根拠と、死後の「彼の遺産相続争奪」での子供達の「争い」の根源には無自覚だった・・・大阪市長大阪維新の会代表)が掲げた「大阪都構想」で住民投票1万741票差で敗北し、市長は政界引退を表明・・・そして「引退後は私利私欲に走りますよ」と云ったとか・・・「プチブル民主国家」の本質は「私利私欲」で支えられているのである・・・
 それに、「本屋大賞作品」で稼いだらしい日本の某作家は一財産築いたらしく、ジャーナリズムも「企業の枠内の広告料次第で潰すコトが出来る」と、自らの依って立つ金銭収入のその本質を無自覚的にも「自民党主催の講演会」で豪語したらしい・・・小説は「商品」としての「美化」されたモノガタリである。「心情に訴えるモノ」である。享受者の「形成心情」とその「判断」は経験的時間の枠内によって様々である・・・売れなければ、それまでである。彼は貧乏作家としての経験があったのか、どうなのか・・・成金作家・・・作家以前はどうだったのか・・・
 殆んど、カッては貧乏人作家(作家だけとは限らないが)であった人物が「大金」を手にしたら、彼等の意識は葛藤しながら二極化する・・・その「作品」と「自己存在の立場の矛盾」に葛藤しながら、現実的には二極化していく・・・「自己の実体的破滅」を志向する人間と、「自己の実体的保存」に居直る人間である・・・灰色の人間は「慈善屋」ともなるが、自己の「私有した財産」を捨てないし、いわんや、「命」は毛頭掛けるつもりはないだろう・・・
 「国家主義者、国粋主義者民族主義者、国際主義者、平和主義者」であろうが、その枠内で「正義」を掲げれば「自己の実体的破滅」を志向していく・・・「正義」とは「自己を含めたミンナの為」であり、「私利私欲」は「悪義」であるからだ・・・「実体的な自己破滅=自己の死」には「言行一致としての正義の思想」が必要なのだ。抜け道はある。「神の存在」と「神に贖罪したモノの天国」である・・・「神への贖罪」は「免罪符」を買えばイイ・・・
 だが、「正義」を作品、言動で宣伝する奴等は「自ら剣も銃」も握らないだろう・・・モチロン、戦場で「国家の正義である殺人」にも手を染めようとしない人間である・・・
 だが、「コナン・ドイル」は「国家枠」の「騎士道の死」を志向し、「心霊学」にのめり込んでいった・・・多分、「人間」としての「理不尽な戦死」の「合理性」を探していたのだ・・・
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 壱阡捌陌伍足玖・五(伍)・弐拾弐(念弐)
 壱阡玖陌参足 ・七(漆)・七(漆)
  己未(丁乙己)
  己巳(戊庚丙)印綬・(偏印・比肩・偏官)
   支合庚       強旺格・従旺格
  庚申(己壬庚)
   〜
  庚午 比肩(偏官)
  癸未 傷官(支合丙・偏官)
  戊午 偏印(偏官)
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  ↓↑
 1891年から
 『ストランド・マガジン』で
 読み切りの
 ホームズ短編小説の連載
 1893年発表の
 『最後の事件』において
 ホームズを死亡させた
 1912年4月
 タイタニック号沈没事件
 「英雄譚」の実否をめぐって
 否定的な
 ジョージ・バーナード・ショウ
 と論争
  ↓
 1914年
 第一次世界大戦
  ↓
 戦争遂行を支援
 戦中の相次ぐ
 身内の戦死・病死により、
 戦後には心霊主義へ傾斜
 晩年の活動はほぼすべて
 心霊主義活動に捧げられた
  ↓
 1925年
 チャレンジャー教授が
 心霊主義に目覚める
 『霧の国』発表
  ↓
 1930年7月7日に死去
 国家主義帝国主義反共主義
 婦人参政権反対、
 離婚法改正賛成などの立場
 先妻
 ルイーズ
 後妻
 ジー
  ↓↑
 コナン・ドイル
 出生
 1859年5月22日
 スコットランド
 労務
 測量技師補
 チャールズ・ドイル
 と
 メアリー(旧姓フォーリー)
 の長男として
 スコットランドエディンバラ
 ピカーディ・プレイス(picardy place)
 11番地に生まれた
 兄弟姉妹
 9人
 アーサー
 と
 アネット
 は、
 大伯父の
 美術批評家
 マイケル・コナンから
 「コナン」の姓をもらう
 捕鯨船
 船医として乗船
 1881年8月
 医学士
 外科修士
 の学位を取得
 1881年10月
 アフリカ汽船会社に
 船医として就職
 船内でマラリア感染、
 後退職
 1882年5月
 エジンバラ大学の同級生
 ジョージ・バッド
 に誘われて、
 プリマス
 バッドの診察所の共同経営者
 1882年6月末
 ポーツマス郊外
 サウスシーで診察所を
 個人開業
 8年にわたって診察所を続けたが、
 年収が
 300ポンドを超えた年は無かった
 1885年
 ルイーズ・ホーキンズ
 と結婚
 1886年3月〜4月
 長編小説
 シャーロック・ホームズシリーズの第一作
 『緋色の研究』
 1886年10月末
 ウォード・ロック社に
 25ポンド
 の安値で買い取ってもらった
 1887年11月出版
 の
 『ビートンのクリスマス年鑑』に掲載
 1887年7月〜1888年
 17世紀後半の
 モンマスの反乱を描いた
 歴史小説『マイカ・クラーク』を執筆
 1889年2月に出版
 1889年
 アメリカの
 J.B.リピンコット社からの依頼で
 シャーロック・ホームズシリーズ
 第二作の長編小説
 『四つの署名』を執筆
 1890年2月に英米で出版
 『四つの署名』執筆後、
 14世紀を舞台にした
 歴史小説
 『ホワイト・カンパニー』の執筆
 ホームズのシリーズ化
 ホームズ短編小説6編は
 1891年1月
 歴史小説
 『亡命者』の執筆の
 1892年2月までに同作品を完成
 1893年12月号の
 『最後の事件』で
 ホームズを
 ライヘンバッハの滝に
 落として死んだことにしてしまった
 1894年から
 ナポレオン戦争時代を描いた
 『ジェラール准将』シリーズの執筆を開始
 1896年
 『ジェラール准将の功績』として単行本化
 続く8編は
 1903年
 『ジェラールの冒険』として単行本化
 南アフリカ
 帝国主義的野心を抱いていた
 ソールズベリー侯爵内閣
 植民地大臣
 ジョゼフ・チェンバレンは、
 南アフリカ
 ボーア人国家
 トランスバール共和国
 を追い詰め、
 1899年10月
 同国がイギリスに
 宣戦布告してくるよう持ち込んだ
 (第二次ボーア戦争
 ボーア人
 侵攻してきた
 イギリス軍に大きな打撃を与えていた
 戦死者の増大を前に
 イギリス本国では
 インド人など植民地人を代わりに戦わせ、
 イギリス人の人的損害を減らすべきことが
 盛んに主張されるようになった。
 ボーア戦争従軍
 四十過ぎだったため、
 陸軍兵役検査で不合格
 代わりに
 50人の
 医療奉仕団を戦地に派遣するという
 友人ジョン・ラングマンの計画に
 医師の一人として参加
 1900年6月
 イギリス軍は
 トランスヴァール
 首都プレトリアを陥落させた
 ドイルは
 占領下
 プレトリア
 で
 イギリス軍司令官
 ロバーツ卿と会見し、
 医療奉仕団の活躍を報告
 『大ボーア戦争』を執筆
 1900年10月の
 解散総選挙を前にして、
 自由統一党からの出馬
 落選
 ボーア戦争はゲリラ戦争化
 イギリス軍は焦土作戦
 1912年4月
 タイタニック号沈没事件
 1912年
 SF小説『失われた世界』を公刊
 1913年
 『毒ガス帯』を執筆
 1914年8月
 第一次世界大戦が勃発
 「義勇軍」と称する民兵団を創設
 1916年末
 大戦に乗じて反乱を起こした
 アイルランド独立運動
 サー・ロジャー・ケースメントの
 死刑執行延期の嘆願書に署名
 一次大戦前から心霊主義に関心
 1918年
 心霊主義に関する著作
 『新たなる啓示(The New Revelation)』
 子供は全部で5人
  ↓↑
 1902年
 日本と対露を目的とした
 日英同盟を締結
 1909年
 英国留学した英語教師の安藤貫一
 1910年1月
 ピカデリー・ホテルでドイルと会見
 薩摩治郎八
 彼は20歳の頃の
 1921年にロンドン日本協会副会長
 アーサー・デーオージー
 の紹介で
 ドイルと会見
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 旧約聖書
 サムエル記
 撒母耳 記(下)
第6章
6:1
ダビデ
再びイスラエル
えり抜きの者
三万人

ことごとく集めた。
6:2
そして
ダビデは立って、
自分と共にいる
すべての民と共に
バアレ

ユダ
へ行って、
神の箱を
そこから
かき上ろうとした。
この箱は
ケルビム・・・・・懸留備武
の上に
座しておられる
万軍(バングン・マングン・よろずいくさ)
   磐 群  蔓 具務 与賂事意句作
   伴 具務 萬 愚務 余蘆頭異句差
             代賂頭医苦佐  

主(あるじ・ぬし・シュ)

名(な・メイ)

もって呼ばれている。
6:3
彼らは
神(かみ・シン・ジン)

箱(はこ・ソウ)

新(あたら・シン)しい
車(くるま・シャ)

載(のせ・タイ)せて、
山(やま・サン)

上(うえ・かみ・ジョウ)にある
アビナダブ・・・・

家(いえ・カ)
から
運(はこ・ウン)び出した。
6:4
アビナダブの子たち、
ウザ・・・・宇座・有座・鵜挫

アヒオ・・・・阿比尾・亜比訖
とが
神の箱を載せた
新しい車を指揮し、
ウザ・・・・
は神の箱の
かたわらに沿い、
アヒオ・・・・

箱の前に進んだ。
6:5
ダビデイスラエルの全家は
琴(こと・キン)

立琴(たてこと・リッキン)

手鼓(てづつみ・シュコ)

鈴(すず・りん・レイ)

シンバル・・・・新葉留
とを
もって
歌(うた・カ)を
うたい(唄い・謡い・謳い・詠い)、
力(ちから・リキ)を
きわめて、
主の前に踊った。
6:6
彼らが
ナコン・・・・・名根・拿混(恨・昆・今)

打ち場にきた時、
ウザ・・・

神の箱に手を伸べて、
それを押えた。
牛(うし・ギュウ・ゴ)

躓(つまず・チ)いた・・・躓=足+質
からである。
6:7
すると主は
ウザ
に向かって
怒(いか・おこ・ド)りを発し、
彼が手を
箱に伸べたので、
彼をその場で
撃たれた。
彼は
神の箱の
傍(かたわ・ボウ)らで
死んだ。
6:8
主がウザを撃たれたので、
ダビデは怒った。・・・・神に対したて怒った?
その所は
今日まで
ペレヅ・・・・部例通・邊劣

ウザ・・・・・有挫

呼(よ・コ)ばれている。
6:9
その日
ダビデ
主を恐れて言った、
「どうして
 主の箱が
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 所に来ることができようか」。
6:10
ダビデ
主の箱を
ダビデの町に
入れることを好まず、
これを
移して
ガテ・・・・臥出
びと
オベデエドム・・・・尾部出江戸務
          緒部出江戸務
の家に運ばせた。
6:11
神の箱は
ガテ
びと
オベデエド
の家に
三か月
とどまった。
主は
オベデエド

その
全家を祝福された。
6:12
しかし
ダビデ王は、
「主が
 神の箱のゆえに、
 オベデエドムの家と
 そのすべての所有を
 祝福されている」
と聞き、
ダビデは行って、
喜びをもって、
神の箱を
オベデエド
の家から
ダビデの町に
かき上った。・・・・舁き上った・舁=臼+サ
          書き上った
          担ぎ上った
6:13
主の箱を
かく者は・・・・・・担ぐ者・書くモノ
六歩
進んだ時、
ダビデ


肥えた物を
犠牲としてささげた。
6:14
そして
ダビデは力をきわめて、
主の箱の前で踊った。
その時
ダビデ
亜麻布

エポデ・・・・重保出・重簿出
       司祭の礼服
       金色、青色、紫色、緋色の撚り糸、
       それらの撚り糸で織った
       亜麻布を用いてつける二つの肩当て
       
をつけていた。
6:15
こうして
ダビデイスラエルの全家とは、
喜びの叫びと
角笛の音をもって、
神の箱を
かき・・・・・
上った。
6:16
主の箱が
ダビデの町にはいった時、
サウルの娘
ミカル・・・・見歌留

窓(まど・ソウ)・・・・・・
から
ながめ、
ダビデ王が
主の前に舞い踊るのを見て、
心のうちに
ダビデ

蔑(さげす・軽蔑)んだ。
6:17
人々は
主の箱を
かき入れて、
ダビデ
そのために
張った
天幕(テンマク・テンバク)



その場所に置いた。
そして
ダビデ
燔祭(ハンサイ)・・・・判差異
            判歳

酬恩祭(シュウオンサイ)・・・周音採

主の前にささげた。
6:18
ダビデ
燔祭

酬恩祭

ささげ終った時、
万軍の主の名によって
民を祝福した。
6:19
そして
すべての民、
イスラエル
の全民衆に、
男にも
女にも、
おのおの
パン(麵麭)

菓子(カシ)一個、
肉(ジク)一きれ(切)、
干し葡萄(ほしぶどう)一かたまり(塊)
を分け与えた。
こうして
民は
みな
おのおの
その家に帰った。
6:20
ダビデが家族を
祝福しようとして
帰ってきた時、
サウル
の娘
ミカル・・・・

ダビデを出迎えて言った、
「今日(きょう・コンニチ・本日)
 イスラエルの王は
 なんと
 威厳のあったことでしょう。
 いたずら者が、
 恥も知らず、
 その身を現すように、
 今日(きょう・コンニチ・本日)
 家来たちの
 はしためらの前に
 自分の身を現されました」。
6:21
ダビデはミカルに言った、
「彼方(あなた・貴方)の
 父よりも、
 また
 その全家よりも、
 むしろ
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)を
 選んで、
 主の民イスラエル
 の
 君
 とせられた
 主の前に
 踊ったのだ。
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 また
 主の前に踊るであろう。
6:22
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 これよりも
 もっと
 軽んじられるようにしよう。
 そして
 彼方(あなた・貴方)の
 目には
 卑しめられるであろう。
 しかし
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は、
 彼方(あなた・貴方)が
 さきに言った、
 婢(はしため・ヒ)たちに
 誉(ほまれ・ヨ)を得るであろう」。
6:23
こうして
サウル
の娘
ミカル

死ぬ日まで
子供がなかった。