1754日日・・・「旧約聖書(撒母耳記)」の「預言」は「予(豫=あらかじめ・前もっての未来的な事象の先見、兆候、徴候を予測・予知・予見・予告)するコトの言」ではない・・・「命令の言葉を預かる」と云うコトである。もちろん預かるのは「神の命令のコトバ」である。「万能の神様」であっても忙しく、万人に直接かたりかける時間は無いらしいのである。しかも一般人には「理解できないコトバ」であるからその「神のコトバ」を理解し、仲介、媒介し、伝達する「通訳」が必要である・・・その通訳である情報伝達のメディア(media=m
「全能であるハズの神様」はアダム、ノア、アブラハム、モーゼ、アロンの時代から「イスラエルの一部の人々」をコントロール出来なかったのである。「律法」を与えても遵守せず、命令にも従わず、なかなか頑固で疑い深く、「他の神々」へ簡単に浮気してしまう厄介な存在が「神の選んだ人々」でもあった。
そして「命令違反者=反抗者」が出るたびにそれらのを人々を根こそぎ処分しなければならなかった。
「神」もイイ加減、面倒くさくなり、「人々」も「他人の犯罪」で「連帯責任」でトバッチリを受けるのにはウンザリしていた・・・ユダヤ人社会だけではない「法を犯しても責任をとりたくない人間」がワンサカの社会である・・・「国家」も「法人格(立憲国家)」であるが「責任をとりたくない人間が抜け道を作って操っているザル組織」である・・・それでも「日本(国)憲法」である・・・
そして、人々は「神の命令違反の全責任を背負ってくれる人」を「王」として税金で養うことにしたのだ・・・
↓↑
「ジェームズ・ジョージ・フレイザー
(Sir James George Frazer)
1854年1月1日〜1941年5月7日)」
父はダニエル・フレイザー
ダニエルとは、「神は私の裁判官」の意味
ユダヤ教では「預言者」ではない・・・?
「フレイザー」が「金枝篇(The Golden Bough)」考察したことにはなるほどである・・・
↓↑
だが「王」となった人間も「自己保身」に大変だった・・・ここは「知恵」の出しどころである・・・
↓↑
だが、その伝達された神のコトバを「話してもワカラない奴」をどうするか・・・コトバを理解しても、その内容に「納得」のいかない者はどうするのか・・・「納得」のいかなかった者が「サウル」だった・・・
「預言」とはどうやら、臨戦、戦争時の人間への絶対命令服従の「戦争の戦略・戦術の戦陣訓」であるようだ・・・
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旧約聖書
舊約(旧約)
サムエル記=撒母耳記
第19章
19:1
サウルはその子
ヨナタン
および
すべての家来たちに
ダビデを殺すようにと言った。
しかし
サウルの子
ヨナタンは深く
ダビデを愛していた。
19:2
ヨナタンはダビデに言った、
「父サウルは
あなたを殺そうとしています。
それゆえ
あすの朝、
気をつけて、
わからない場所に
身を
隠していてください。
19:3
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)は
出て行って、
あなたがいる野原で
父の
かたわらに立ち、
父に
あなたのことを話しましょう。
そして、
何か
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)に
わかれば、あなたに告げましょう」。
19:4
ヨナタンは
父サウルに
ダビデのことをほめて言った、
「王よ、
どうか家来
ダビデに対して
罪を犯さないでください。
彼は、
あなたに罪を犯さず、
また
彼のしたことは、
あなたのためになることでした。
19:5
彼は命をかけて、
あの
ペリシテびとを殺し、
主(あるじ・ぬし・シュ)は
イスラエルの人々に
大いなる勝利を与えられたのです。
あなたは
それを見て喜ばれました。
それであるのに、
どうしてゆえなく ダビデを殺し、
罪なき者の血を流して
罪を犯そうとされるのですか」。
19:6
サウルは
ヨナタンの言葉を聞きいれた。
そして
サウルは誓った、
「主(あるじ・ぬし・シュ)は
生きておられる。・・・・・?
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)は
決して
彼を殺さない」。
19:7
ヨナタンはダビデを呼んで
これらのことを
みなダビデに告げた。
そして
ヨナタンがダビデをサウルのもとに
連れてきたので、
ダビデは、
もとのようにサウルの前にいた。
19:8
ところが
また
戦争がおこって、
ダビデは出て
ペリシテ・・・・ペリシテ人(フィリスチア人)
↓ パレスチナ地方の漢字表記
↓ 巴勒斯旦・巴勒斯且・巴列斯丁
巴力斯坦・巴利斯底尼・巴勒斯的拿
不利斯底尼・羽礼須多院
↓ ↓↑
↓ 古代ペリシテ人とは異なる
↓ エーゲ海方面〜地中海東海岸
に進出した「海の民」
ダゴン(Dagon)神を崇拝
ヘブライ語の
ダーグ(魚)とアオン(偶像)
とも
ダーガーン(穀物)とも・・・
バアルの父・魚の頭の海神
↓↑
ハムの子
ミツライムの子の
カフトルの子孫・・・?
ミケーネ海洋種族・・?
海洋貿易の五市連合
↓↑
幕末なら
黒船の国の「ぺりー」?
マシュー・カルブレイス
ペリー
(Matthew Calbraith Perry)
英米戦争の
カナダ5大湖での
1813年9月10日の
「エリー湖の戦い」における
アメリカ海軍の
オリバー・ハザード・ペリー
の弟
ペルリ=彼理(漢字表記)
1794年4月10日〜1858年3月4日
アメリカ海軍の軍人
「彼理(ヒリ)」=カレのコトワリ
↓↑ 理=きめ・道理・理由
びと
と戦い、
大いに彼らを殺したので、
彼らは
その前から逃げ去った。
19:9
さて
サウルが
家にいて
手に槍(やり)を
持ってすわっていた時、
主(あるじ・ぬし・シュ)から来る
悪霊が
サウルに臨んだので、・・・悪霊が憑依
ダビデは
琴(こと・キン)を・・・・琴=王+王+今
糊塗・言・事・古都
ひいていたが、
19:10
サウルは
その槍(やり)を
もって
ダビデを
壁(かべ・ヘキ)・・・壁=辟+土
尸の口の辛の十一
に刺し通そうとした。
しかし彼は
サウルの前に
身(み・シン)を
避(かわ・ヒ)したので、
槍(やり・ソウ)は
壁(かべ・ヘキ)
に
つきささった。
そして
ダビデは逃げ去った。
19:11
その夜、
サウルは
ダビデの家に
使者たちをつかわして
見張りをさせ、
朝になって
彼を殺させようとした。
しかし
ダビデの妻
ミカル
は
ダビデに言った、
「もし
今(いま・コン)夜のうちに、
あなたが
自分の命を救わないならば、
あすは
殺されるでしょう」。
19:12
そして
ミカル
がダビデ
を
窓から
つりおろしたので、
彼は逃げ去った。
19:13
ミカル
は
一つの像をとって、
寝床の上に横たえ、
その頭に
山羊(やぎ)
の
毛の
網をかけ、
着物をもってそれをおおった。
19:14
サウルは
ダビデを捕えるため
使者たちをつかわしたが、
彼女は言った、
「あの人は病気です」。
19:15
そこで
サウルは、
ダビデを見させようと
使者たちをつかわして言った、
「彼を寝床のまま、
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)の
所に連れてきなさい。
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)が
彼を殺そう」。
19:16
使者たちがはいって見ると、
寝床には
像が
横たえてあって、
その
頭には、
山羊(やぎ)
の
毛
の
網が
かけてあった。
19:17
サウルはミカルに言った、
「あなたは
どうして、
このように
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)を
欺いて、
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)の
敵を逃がしたのか」。
ミカルはサウルに答えた、
「あの人は
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シム)に
『逃がしてくれ。
さもないと、
おまえを殺す』
と言いました」。
19:18
ダビデは逃げ去り、
ラマにいる
サムエルのもとへ行って、
サウルが自分にしたすべてのことを
彼に告げた。
そして
ダビデ
と
サムエル
は行って
ナヨテ
に住んだ。
19:19
ある人がサウルに
「ダビデは
ラマの
ナヨテにいます」
と告げたので、
19:20
サウルは、
ダビデを捕えるために、
使者たちをつかわした。
彼らは預言者の
一群が
預言・・・・・・預言とはナニか?
憑依された言動?
記録されたモノ(言語)
を預かる?
暗唱された読経?
していて、
サムエルが、
そのうちの、
頭(かしら)
となって
立っているのを見たが、
その時、
神の霊は
サウル
の使者たちにも
臨んで、
彼らもまた
預言・・・・・・預言とはナニか?
憑依された言動?
した。
19:21
サウルは、
このことを聞いて、
他の使者たちをつかわしたが、
彼らもまた
預言・・・・・・預言とはナニか?
憑依された言動?
した。
サウルは
三たび
使者たちをつかわしたが、
彼らもまた
預言・・・・・・預言とはナニか?
憑依された言動?
した。
19:22
そこで
サウルは
みずから
ラマに行き、
セク・・・・・・施句
の
大井戸・・・・・
に着いた時、
問うて言った、
「サムエル
と
ダビデは、
どこにおるか」。
ひとりの人が答えた、
「彼らは
ラマ
の
ナヨテ
にいます」。
19:23
そこで
サウルは
そこから
ラマのナヨテに行ったが、
神の霊は
また
彼(サウル)にも臨んで、
彼は
ラマの
ナヨテ
に着くまで
歩きながら
預言・・・・・・預言とはナニか?
憑依された言動?
した。
19:24
そして
彼もまた着物を脱いで、
同じように
サムエルの前で
預言・・・・・・預言とはナニか?
憑依された言動?
し、
一日
一夜、
裸で
倒れ伏していた。
人々が
「サウルもまた
預言者たちの
うちにいるのか」
というのは
このためである。・・・・・?
↓
・・・サウルは「預言者(先見者)」ではない、と云うことか・・・「コトバを預かる者」ではない・・・サウルは「神の悪霊」で「頭痛」に悩まされていたのだ・・・
そもそも「経典のコトバ」は「仏と弟子の問答」を「聞いた者の記録」である。しかも漢字からは
「預=予(あらかじめ・あたえる・与=與
+ 一人称の代名詞の私=我・吾・余)」
+
「頁(ページ・大貝)」
の「言(ことば)」である。
「Page=頁」には
「綴じられた書物、書籍の枚数番号」が記される
「巻き物」には「ページ」がない、
「一巻」である。
そして、
「予」の類字は
「矛(ほこ・鉾・鋒)=マ+了+丿(ひく・ヘツ・ヘチ)」
である。
「矛」=「戈(カ)」の先につけた
「マ=両刃の剣」で「薙ぎ殺す武器」である
更に
「予」は
「豫の略字」で、
「機織り機の杼」で
「互いに与えあうところ(交換)の象形」で
「交換するモノは糸の種類」である
「舍」は「予」の
「古文(三体石経)」としているらしい・・・
ならば「舎人の写人の文書交換」である・・・
「予」は
中国大陸の
「河南」省の別称
「劉豫(劉予、字は彦遊・1078年〜1143年)」は
「金(女真・女直)王朝の傀儡政権、
金・宋戦争時代の
大斉の皇帝名」
「櫲(くすのき・木+豫)」
「櫲樟(くす)→樟=楠(くす)」は
「虫よけ・防虫剤・鎮痛剤」の「樟脳」の原料
「楠正成(くすのきまさしげ)」は
「建武中興(後醍醐天皇)」の君臣
橘氏(橘諸兄=葛城王=葛木王)の後裔?
↓↑
橘諸兄の
父は美努 (みぬ) 王
(弥努王・美奴王・美弩王・三野王
でも記録
栗隈王=栗前王の子・・・
壬申の乱の美濃王・・・?)
母は県犬養橘三千代・・・犬養毅?
「話せば分かる」?
栗本鋤雲?
大伴家持と共に
万葉集の撰者・・・
↓↑
「楠正成」は
建武三年・1336年
南王朝方で
湊川で戦死
徳川光圀が忠臣として持ち上げ
明治政府も宣伝した
「櫲樟(くす)→樟=楠(くす)」は
櫲、記紀の与かる象
木=十八(おはこ)は
記紀の章
記紀は南朝の示唆
害虫・鎮痛の薬剤
↓↑
旧約聖書の「預言」は「予(豫)の言(未来的な事象の先見、兆候、徴候・予知・予見・予告)」ではない・・・?
「選権者」・「撰懸写」・・・ではない・・・?