1714日目・・・「選ばれた人々」には最早、「選択の自由は無い」・・・「選民思想」って、「自由が無い人々のコト」なんだ・・・前日は「旧約聖書(民数記)」に記されてある「ヌビア(スーダン)で成立した古代「クシュ人の王国」の「クシ(クシュ・クシテ)」の「娘(女)」をモーゼが娶ったコトに関して兄姉が文句を云ったコトに知識不足で「お手上げ?」としたが、現在の「スーダンの事情」しかボクにとっては「知識が無い」の一言に尽きる。TV番組やニュースで「スーダン(内戦)」をみたコトが・・・その程度の知識である。

 国家間の紛争は「国内、身内」の「兄弟姉妹の内紛」から、である・・・「難事の隣人を兄弟のように愛せ」とは「愛が恨み」に変わり、「根深い損得感情のエゴの恨みが身内同士に染み付いて」は手の打ちようがない・・・多分、「汝の親子供、兄弟姉妹を、隣人、客人のように愛せ」である。「ニホンジン」は「客人・隣人」には「気を使う人々」である。「自分、身内の食べ物を削ってもモテナス」。「京都」では少々違っているらしいから田舎モンは出された菓子は食べないほうがイイ。それも「菓子を出す方も困窮しての建前の作法」のコト・・・「出されたモノを食べないの」は「礼儀」だそうだが、「お互いが暗黙の了解」があってこそだが・・・香りと鑑賞だけ、とはねッ・・・
 それにしても「アフリカは内戦と難民の諸国」で、中古の「兵器・武器」の国際市場。その銃を持つ少年兵が村を襲う・・・ブログで色々調べてみたが、「クシ(クシュ・クシテ)」・・・
ーーーーー
 「クシ(クシュ・クシテ)」の
 「娘(女)」は「黒人」だった・・・
 ・・・「神」は「人種差別」に怒った・・・
  ↓
 「スーダーン」は
 アラビア語
 「黒い人」の意味・・・
 スーダン
 ナイル川流域北部は
 ヌビア
 北方の
 古代エジプトの影響を強く受けた地域
 古代エジプトの諸王朝
 ナイル川沿いに南下
 金や象牙の交易拠点を作り支配
  ↓
 紀元前2200年頃
 南部から移動してきた黒人集団が
 「クシュ王国」を建国
 王国は中王国時代のエジプトの
 影響を受けながら勢力拡大
 エジプト新王国時代
 トトメス1世が・・・トトメス1世(紀元前1524年〜1518年
 ↓               OR
                 紀元前1506年〜1493年)
           古代エジプト
           第18王朝
           第3代ファラオ(王)
          「トトメス」は
          「トート神の造りしもの」
           即位名
          「アアケペルカラー」は
          「偉大なるはラーの魂」の意味
          「アメンホテプ1世の子ではなかったが、
           王の将軍で、
           シリア、
           ヌビアへの遠征軍を指揮」
          「アメンホテプ1世の王女
           イアフメスと結婚」
           し、王の後継者となった
           アメンホテプ1世の信頼を受けて
           共同統治者となり
           各方面に遠征
           宗教政策で
           アメンホテプ1世のアメン神官団と協調
           カルナックのアメン大神殿の造営継続
           アメン神官団の権力拡大させた
           アメン神官団の膨張
           アメン(アモン)神
 ↓          ↓↑
           太陽信仰
        「旧約・エレミヤ書・46章25節」に
        「万軍の主、イスラエルの神は言われた、
         『見よ、わたしは
          テーベの
          アモンと、
          パロと、
          エジプトと
          その神々と
          その王たち、
          すなわち
          パロと彼を
          頼む者とを罰する。』」と記述
     ・・・「アモン」はモーゼの神の「敵」なのか?
     ・・・「唯一神教」の手前だが、
     ・・・「結多神教の主神」で、「ゼウス」である・・・
 ↓         ↓
          アンモナイトアンモニウム
          アンモニアなどの語源
          アンモナイト
         「Ammon(アモン神)+ ites(石)」
「太陽の石」=「アモンの石」は
         「渦巻く円形」の意だろう・・・
          太陽のフレア(縮れ髪)の
          スピン(Spin)を
          観察していた・・・
          「ites(イテス)」は
          「石(いし・いわ・セキ)」である
          アメン神を、
         「ゴエティア
         (Goetia=17世紀から伝わる
          作者不明の
          グリモワール
          『レメゲトン』の
          第一書の表題)」に記載された
         「悪魔アモン(Amon)」・・・ 
 ↓          ↓↑
            第20王朝の末期
            最後の王
           「ラムセス2世」時代
            ヌビア総督
            パネヘシは
            テーベ周辺の
            上エジプト南部まで管理権拡大
            後、
 ↓          ↓↑
           「パネヘシ」は
            謀反の罪で地位を追われ、
             ↓↑
            新しく
            アメン大司祭に
            クシュ(上ヌビア)副総督と宰相職の
            ヘリホルが就任
            ヘリホルの妻
            ノジメト(Nodjmet)は
            ラムセス2世の姉妹
            ヘリホルは
            姻戚関係を軸に権勢拡大・・・
            ヘリホルは
            アメン神官団の財力を背景に
            第20王朝を無視して
            独自の年号
           「ウヘム・メスウト」を採用
            神託によって
            テーベの
            統治権を与えられたと主張
            上エジプトを領土とする
            事実上の国家を形成
            独自に王号を称し、
            即位名(上下エジプト王名)を
            ヘムネチェルテピエン-アメン
            (アメン第1の預言者)とした
            ヘリホルは
           「ラムセス2世」より早く死亡
            その後、
            ヘリホルの娘婿と推定されている
            ピアンキが
            アメン大司祭職を継いだ
            彼は
           「ラムセス2世」と
            ほぼ同じ頃に死んだ・・・
 ↓    ↓     ↑
    「アテン神」VS「アメン(アモン)神」
    「アテン神」
     夕日を神格化した神
     テーベで祀られていた
     神像も神話もない
    「夕日の神」であることから、
     太陽神ラーと同一視
     後、
     神ではなく、
    「天体としての太陽」
     を表すようになっていった
 ↓  ↓↑
   「アマルナ革命」
    アメンホテプ4世の妃
    ネフェルティティは
   「アテン神」を信仰
    妃の影響で
   「アメンホテプ4世」も
    アテン神を信仰
    当時エジプトでの信仰は
   「アテン神」ではなく、
  「太陽神アメン」であった
  「アメンホテプ4世」の治世
  「アメン信仰」は全盛期
  「アメン」を讃えていたエジプトの
  「アメン神団」は
   ファラオをも凌ぐ権勢を誇った
  「アメンホテプ4世」は、
   これらの
   アメン神団を抑圧し
   王権を強化する目的で、
   自分の名も
  「アクエンアテン」に改め、
  「アメン神の文字を削った」
   王家として
  「アメン信仰」を停止
  「アテン信仰」に換え、
   他の神々の祭祀も停止した
   ↓
  「アマルナ様式」
  「アテン神の変貌」
   アテン神は、
   動物的、人間的形態である
   他のエジプトの神々とは異なり、
   先端が手の形状を取る
   太陽光線を何本も放ち、
   光線の一つに
  「生命の象徴アンク」を
   握った「太陽円盤の形」で表現された
  「アテン神は平和と恵みの神」とされた
   太陽光線を崇めるため、
   リアリスティックな表現が行われた・・・
   宗教改革
   アメン神団の抵抗で失敗
   アメンホテプ4世アクエンアテン死亡後
   息子である
  「ツタンカーメン王」の時代に
  「アメン信仰」に戻った
  「アテン信仰」は消滅・・・
   ↓
  「フロイト」は、
   アクエンアテンの治世年と
   出エジプトの年と推定される
   年代がほぼ同じであるとし、
  「アテン神」が
  ユダヤ教の神
  「ヤーウェの原形」だと唱えた・・・
   ↓
  「ネフェルティティ」は
  「ミタンニ」出身との説がある・・・
  「アテン神」は
  「ミタンニ」で信仰されていた
  太陽神
 「ミトラ」とが習合した神・・・
  アメンホテプ4世は対外的には
  戦争を忌避し、
  外国に侵略されることもあった
  遺棄したハズの
  アメン神団の存続も許していた・・・ 
         ↓   ↑          
         アメン大司祭国家
         ピアンキ死亡後
         その息子
         ピネジェム1世が
         アメン大司祭となった
         下エジプトでは
         スメンデス1世
         が
         タニスを中心に
         第21王朝を建てた
         パネジェム1世は
         名前を
         カルトゥーシュの中に刻んで
         王として振舞った
          ↓↑
         ピネジェム1世(アメン大司祭)は
         対外的に
         第21王朝の王権を認め、
         スメンデス1世の
         治世年を年号として用いた
         ラムセス2世の娘
         「Duathathor-Henuttawy」を妻とし
         王女「マートカラー」をもうけた
         既に初代のアメン大司祭であった
         ヘリホルは
         ラムセス2世の姉妹を、
         第21王朝の
         スメンデス1世は
         ラムセス2世の娘の一人を娶って
         第20王朝の
         ラムセス2世を介して姻戚関係が形成
          ↓↑
         スメンデス1世が死去後
         政治闘争で
         ヘリホルとノメジトの息子の
         アメンエムニスウが
         第21王朝の王位
         これが激しい政治闘争を伴っていた
         彼の即位に伴って
         多数の人々が
          ↓↑
         エジプトから
         追放されている・・・モーゼではないのか?
          ↓↑
         という点から確認
         反対派の官吏はその地位を失っている
         アメンエムニスウ死去後
         ピアンキは自分の息子である
         プスセンネス1世が
         第21王朝の王位に付いた
         ピアンキの別の息子である
         マサハルタ
         メンケペルラーは
         アメン大司祭職を継承
         メンケペルラーは
         プスセンネス1世の娘
         イシスエムケブ(Istemkheb)と結婚
         アメン大司祭国家と
         第21王朝の間には濃密な血縁関係が構築
          ↓↑
         第22王朝
         タニスの第21王朝と
         アメン大司祭国家の協力関係は、
         第21王朝が倒れると変化
         第21王朝最後の王
         プスセンネス2世の後に
         第22王朝の
         シェションク1世は、
         元々
         エジプトに土地を与えられた
         リビア人傭兵の子孫であり、
         その軍事力を背景に
         アメン大司祭国家に対して
         統制を強めて人事権を握った
         シェションク1世は
         アメン大司祭職に
         息子
         イウプトを充て、
         以降
         アメン大司祭国家は
         第22王朝の制御下に置かれる
         しかし自律的な組織を持つ
         アメン神殿や
         アメン神官団の勢力は
         その後も健在で、
         第22王朝下においても
         アメン大司祭職は強い権限を保持
         その権力は
         国内を二分する争いを引き起こした・・・
          ↓↑
         歴代王
        「国家」の創始者とされるのは、
         独自の年号を用い王号を称した
 ↓     ヘリホル以降
 ↓      ↑
 「トトメス1世」が
 クシュを滅亡させた
 紀元前900年ごろ
 ナパタを都として
 「クシュ王国」は再興
 衰退したエジプトに攻め入って
 エジプト第25王朝を建国
 第25王朝は
 アッシリアに敗れ
 ヌビアへと撤退
 ヌビア支配権は保持し続けた
 紀元前6世紀半ば
 クシュは首都を
 南の
 メロエへと遷都
 王国はメロエ王国
 メロエは牧畜と
 ソルガムの農耕を主産業とし、
 鉄の産地
 ↓
ーーーーー
 クシュ(クシテとも)・・・クシ・・・
 ↓
 現在の
 南エジプトと北スーダンに当たる
 北アフリカ
 ヌビア地方を中心に繁栄した文明地
 最も早い時代に
 ナイル川流域で発達した文明の一
 クシュ人の国は
 エジプトの領域内への進入の時期の後で発展
 クシュ文化は、
 期間は短いが、
 エジプト新王国と相互影響の関係
 メロエ語
 およそ紀元前1000年〜紀元前750年の間
 ヌビア(スーダン)で成立した
 クシュ人の王国
 紀元前800年頃の
 古代ヌビアの碑文があり
 全て、
 ヒエログリフ(神聖文字)の
 エジプト語で記録
  ↓
 「メロエ語」
 国家の成立から
 数世紀の間に、
 メロエ語による碑文
 古代のヌビアの人名は
 「メロエ語」・・・
 「クシュ人の王国」の
 中心地は
 ナパタ(Napata)であった
 紀元前300年頃に、
 現在の
 ハルツームの北の
 メロエ(Meroë)に中心地が移動
 同じ頃に独自の文字、
 「メロエ文字」による
 表記法が発展し、
 メロエ語が公的な記録に使用
 メロエ語は現在のところ充分に解明されていない。
 メロエ語を特定の語族と結びつけることはできず、
 推測することも困難・・・
 後にヌビアにおいて
 書記言語となった
 古ヌビア語と似ている点も見られない・・・
 メロエ語には
 古代エジプト語からの
 借用語がいくつかあるが、
 短く、定型的な
 奉納文を翻訳する以上のことは不可能・・・
 メロエ語は
 ナイル・サハラ語族に含まれる・・・
 紀元300年頃には、
 環境破壊による大異変、
 あるいは
 「アクスム王国」による軍事的敗北
 かによって、
 「クシュの王国」は滅亡し、
 「メロエ語は死語」となった・・・
  ↓
 エジプト第1王朝頃
 (紀元前3100年頃〜紀元前2890年頃)
 ヌビアに現れた
 「クシュの国」
 最初の国は
 「ケルマ王国」
 紀元前2600年ごろ
 「ケルマないしケリーマ王国」は
 アフリカ最初の
 「黒人王国」
 ヌビアの全てと
 エジプトの一部を支配・・・
 だが、記録が(あまり)無い・・・?
ーーーーー
 古代エジプト
 トトメス1世=(在位:紀元前1524年〜1518年
        OR
紀元前1506年〜1493年)
        第18王朝
        第3代ファラオ(王)
 トトメス2世=(在位:紀元前1518年〜1504年
        OR
        紀元前1493年〜1479年)
        第18王朝
        第4代ファラオ(王)
        即位名
        アアケペルエンラー
       (偉大なるはラーの形)
        下位の王妃の子
        正妃の第一王女であった
        異母姉
        ハトシェプストと結婚
        王位簒奪を警戒して
        側室
        イシスとの間の子
        トトメス3世を後継指名
 トトメス3世=(在位:紀元前1479年頃〜紀元前1425年頃)
        第18王朝6代目のファラオ
 トトメス4世=(在位:紀元前1419年〜1386年
        OR
        紀元前1401年〜1391年
        OR
紀元前1397年〜1388年)
        第18王朝
        第8代ファラオ(王)
        即位名
        メンケペルウラー
       (永遠なるかなラー神の出現)
       「トトメス」の名は
       「トト神の生み出したもの」の意味
       「夢の碑文」に記されている
       「砂に埋もれたスフィンクス
        掘り出して救い、
        スフィンクスの助力によって
        ファラオとなった」
        スフィンクスとは
        ヘリオポリスの太陽神崇拝を示す
        即位後の
        トトメス4世は
        アメン神官団の影響力の排除を試み、
        アメン大神官が
        就任する慣例であった要職に
        腹心を任じた
        息子アメンホテプ3世の時代
        テーベからマルカタへの遷都
        墓所にも
        様々な神と対話する姿が描かれており、
        アメン神官団との間には確執があった
        軍事面では
        ヒッタイトの危機に対抗するため、
        ミタンニをはじめとする
        諸国との間に同盟を締結、
        シリア方面の情勢を安定させた
ーーーーー
 ・・・「トトメス」=「トト神の生み出したもの」
 トート神(希臘語・トトとも)
 古代エジプト
 知恵の神
 書記の守護者
 時の管理人
 楽器の開発者
 創造神
  ↓
 自らの力で「石」から生まれた
 早く生まれた為に「足」が悪くなった
 セト神の頭を割って誕生した
  神々の書記
 ヒエログリフを開発
 書記の守護者
 死者の審判で
 死者の名前を記録する神
 王が即位したときに
 王の名前を
 「イシェド」と呼ばれる
 永遠に朽ちない葉に書き記す
 時の管理者
 天空の神ヌトが
 オシリスたちを生む際に、
 太陽神であるラーが
 「その子供たちは災いを生む」
 と言って子供を産むことを禁じた。
 困ったヌトはトートに相談
 トートは
 月と賭けをして勝ち、
 時の支配権を手に入れ、
 太陽神の管理できない5日間を作りだす
 (太陰暦太陽暦の差)
 ヌトはこの5日に
 オシリス
 セト、
 大ホルス、
 イシス、
 ネフティス
 の5柱を生んだ
 そして
 月としての属性を得たため
 太陽の沈んだあとの
 夜の時間は、
 トート神が太陽にかわって
 地上を守護する
  ↓
 魔法に通じており、
 イシスに数多くの呪文を伝えた
 病を治す呪文も熟知し
 医療の神・・・
 魔法の書物を書き、
 この世のあらゆる知識を収録する
 42冊の本も書いた
 楽器の開発者
 ピラミッドの建設方法を人間に伝えた
 シナイ半島では
 トルコ石や銅鉱石を採掘に行った
 エジプト人の守護者
 「遊牧者の主」
 「アジア人を征服するもの」
 シナイでの信仰はハトホルよりも古い
 スネフェル王の時代から、
 シナイ半島の碑文に名前が登場
 「大いなる導きヒヒ」と呼ばれ
 ヒヒの姿で描かれる
 ヒヒを聖獣とする
 知恵の神
 ヘジュウルとの習合による
 ヒヒは魔術の象徴
 ラーを補佐する事から
 「ラーの心臓」とも呼ばれる
 古代エジプト以外での
 トート
 ギリシア神話のヘルメス神と同一
 発展して
 ヘルメス・トリスメギストスを生んだ
 エジプトの知恵は
 タロットに残されたと考えられたため、
 タロットは
 「トートの書」とも呼ばれた
  ↓
 古代エジプト
 ジェフティ(エジプト語・ḏḥwty)
 聖獣は
 朱鷺(トキ)
 と
 狒狒(ヒヒ・霏霏)
 数学や計量を司る女神
 セシャトを妻(または妹)としている・・・
ーーーーー
 ・・・「蒼頡(ソウケツ・倉頡)」は、「目が四つ目」で・・・「鳥や獣の足跡の形」から文字を発明した・・・
 「頡」=「吉(十一口)」+「頁」
 「蒼頡」廟は
 現在の
 陝西省・・・・陝西省=略称は「秦」、
            または「三秦」
        古代中国の
        長安一帯を含む地域
        黄河が流れ、黄土高原
 「白水」県
 「史官」郷にあり、
 彼の墓の横には大きな
 「柏=木+白」が植えられている・・・「カシワギ(可視和議)」・・・