1703日目・・・家の外壁の換気孔にスズメが巣を造り、卵を育てているらしい・・・雛(ヒナ)が生れるのは、もうすぐだとは思うけれど、ここの季節は未だ寒し・・・夏が恋しい「土用の丑(牛)の日」は「うなぎ」の「うし(憂し・愛し)の日」・・・ナゼ、「鰻(マン)」が「日本語」で「うなぎ」なのか?・・・「万葉集」には「むなぎ(?)←ぬる(古語)」・・・「明治時代」に整理整頓された「萬(万)葉集」に意図戸的な挿入や改作、改竄があったのではないか・・・何故、「大伴家持」と「石麻呂=吉田連老(レンロウ)」が繋がっているの

 「大(おほの・ダイ)の伴(ともなう・バン)、家(いえ・カ)の持(もつ・ジ)」
 と
 「石(いし・いわ・コク・ゴク)の麻(あさ・マ)の呂(お と・とも・なが・ふえ・かね・せぼね・ロ・リョ)」・・・
 ・・・しかも「万葉集」の「巻十六(16)−三八五四(3854・参千八百五拾四)」である・・・
   ↓
 「石麻呂(いしまろ)に
  我れ物申す
  夏痩せに
  よしといふものぞ
  鰻(むなぎ)捕りめせ
 (大伴家持・巻16の3853)」
 「石麻呂」の
  本名は「吉田連老(むらじのおゆ)」
 「百済から渡来した医師、
  吉田連宜(よしだのむらじよろし)の息子」
 である・・・「宜」の類字は「宣」である・・・
 「痩す痩すも 
  生(い)けらばあらむを
  はたやはた
  鰻を捕ると
  川に流るな
 (大伴家持・巻16−3854)」 
 「痩す痩すも
  生けらばあらむを
  はたやはた
  武奈伎を漁ると
  川に流るな」
   ↓
  鰻(マン)=うなぎ←むなぎ←武奈伎
  ・・・万葉仮名は、「武奈伎」と記されている・・・字面からは、
 「武
  の
  奈(な=大+示・・大(おほ・ダイ)を示す
     or 一+人
      +
      示
・・・一(はじめ・イチ)の人を示す
     or 二
      +

・・・二(つぎ・ジ)は
小(ちいさい・ショウ)
     or ハ+亅・・・ハはカギ)
  の
  伎(わざ=人+支)」
 である・・・
 「奈=柰(正字)」ならば
 「木+示」である・・・
 奈の音読み
 呉音=ナ・ナイ
 漢音=ダ・ダイ
 奈の訓読み
 からなし・いかん・いかんせん・いかんぞ
      いかん=如何=奈何=物事のなりゆき、状況
          疑問又は反語の「どのようか」
      いかん=不可=いけない・ダメ(駄目)だ
 「うなぎ=ぶなぎ=武奈伎」が形状で一致するのは「かたな」であり、薙ぎるワザだろう・・・「土用の丑の日のウナギの蒲(かば)焼き」がポピュラーになったのは江戸時代の讃岐の人「平賀源内」の宣伝広告からで、父親は「白石茂左衛門(良房)」、母親は「山下氏の女(娘)」であった・・・
 平賀源内は
 享保十三年(1728年)
  〜
 安永八年十二月十八日(1780年1月24日) 
 讃岐国
 寒川郡
 志度浦(香川県さぬき市志度
 で誕生
 讃岐高松藩
 足軽身分の家系
 元々は
 信濃国佐久郡の
 豪族(信濃源氏平賀氏)
 戦国時代
 平賀玄信の代に
 甲斐の
 武田信虎・晴信父子に滅ぼされ、
 奥州の
 白石に移り
 伊達氏に仕え、
 白石姓に改めた
 後に
 伊予
 宇和島藩主家(伊達)に従い
 四国へ下り、讃岐で帰農
ーーーーー
 旧約聖書
 舊約(旧約)
 ↓
 出埃及記=出エジプト記
1:5
ヤコブ
腰から出たものは、
合わせて
七十人。
ヨセフはすでに
エジプトにいた。
1:6
そして、
ヨセフは死に、
兄弟たちも、
その時代の人々もみな死んだ。
1:7
けれども
イスラエル
子孫は
多くの子を生み、
ますますふえ、
はなはだ強くなって、
国に満ちるようになった。
1:8
ここに、
ヨセフのことを
知らない
新しい王が、
エジプトに起った。
1:9
彼はその民に言った、
「見よ、
イスラエルびと
 なるこの民は、
われわれにとって、
あまりにも多く、
また強すぎる。
1:10
 さあ、われわれは、
 抜かりなく
 彼らを取り扱おう。
 彼らが多くなり、
 戦いの起るとき、
 敵に味方して、
 われわれと戦い、
 ついに
 この国から
 逃げ去ることの
 ないようにしよう」。
1:11
そこで
エジプトびとは
彼らの上に
監督をおき、
重い労役をもって
彼らを苦しめた。
彼らは
パロのために
倉庫の町
ピトム・・・・「Pithom」=アトゥムの神殿

ラメセス
を建てた。
  ↓↑
 ラムセス2世(Ramesses II)
 紀元前1314頃〜紀元前1224年
  or
 紀元前1302頃〜紀元前1212年)
 古代エジプト
 第19王朝のファラオ
 在位
 紀元前1290〜紀元前1224年
 or
 紀元前1279〜紀元前1212年)
 ラムセス
 第21年(紀元前1269年)
 「ヒッタイト」の
 「ムワタリ2世」・・・・ムワタリ
 と平和条約
 ヒッタイト王女を
 王妃とする
 エジプトは
 リビア・ヌビア・パレスチナ
 勢力下において繁栄
 ラメセスの名は
 ラー(太陽神)=「ラー・メス・シス」
 のギリシア
 「カイサリアの
  エウセビウスなど
  キリスト教教会史家の間には、
  ラムセス2世を『出エジプト記』に
  登場するユダヤ人を
  奴隷から解放するように
  モーセが要求した
  ファラオと同一視」・・・
 次代のファラオの
 「メルエンプタハ」
 とする説もある・・・
 テーベの葬祭用の
 「永遠の城」=「ラメセウス」を建造
 「アブ・シンベル」神殿を造営
 「カルナック神殿
 「ラムセス2世葬祭殿(ラムセウム)」の建造
   ↓
 「ピトム」=(Pithom)「アトゥムの神殿」
 アトゥム(Atum)はエジプト神話の男神
 アトム(Atmu)
 アテム(Atem)
 トゥム(Tum)
 テム(TemuもしくはTem)とも
 原初の丘
 「ヌン」より出し、
 ヘリオポリス神学における
 天地 創造の神
 「すべての神々の父、
  宇宙の主人、
  万物の創造者」
 エジプト
 九柱の神々の筆頭格
 原初の水から誕生した
 アトゥムの最初の姿は
 ヘビ(蛇・蝮)だったとされ、
 生まれたての
 太陽を手に掲げる
 巨大なヘビ(蛇・蝮)で表現される
 太陽は、朝、昼、夜の
 三形態をとる
 朝=「ヘプリ」
 昼=「ラー」
 夕=「アトゥム」
 中王国時代には
 「アトゥム」は
 一日を照らす太陽そのもの
 「始まりにして終わりなるもの」
 太陽神ラーと習合して
 「ラー・アトゥム」神となった
 プトレマイオス朝時代
 「アトゥム神」の神聖な動物は
 「ウナギ(eel)」・・・イイル
 フランス語=アンギーユ(anguille)
 ギリシャ語=エンケリュス
 鰻(うなぎ・マン)=魚+曼(日+罒+又)
   ↓      眞名は日の網の又
   ↓      うなぎ=鰻=武奈伎
 イール=eel
 アール=Aal(独)
 アンギーユ=anguille(仏)
 アングィッラ=anguilla(伊)
 アンギーラ=anguila(西)
 アングイッラ=anguilla
 エンケリュス=(希臘)
 ウーガリ=(露西亜
 カピトーネ=Capitone(伊・大うなぎ)
 ウナス・・・エジプト古王国
       第5王朝の「ウナス王」
 ケリィ=χέλι (希臘)
   ↓↑
 「石麻呂(いしまろ)に
  我れ物申す
  夏痩せに
  よしといふものぞ
  鰻(むなぎ)・・・・・ムなぎ=武奈伎
  捕りめせ(大伴家持)」
   ↓↑ 
 第19王朝の
 ラムセス家の信仰により
 「セト」は宗教上での復権を果し
 セトの名を冠したファラオ、
 セティ1世が即位
 「セティ」=「セト神による君主」
 「セティ1世」の息子
 「ラムセス2世」は
 セトから弓の使い方を学んだ
   ↓↑
 セティ1世
 在位は
 紀元前1294年〜紀元前1279年
 古代エジプト
 第19王朝
 第2代ファラオ
 ラムセス1世の息子
 「セティ」=「セト神の君」
 即位名は
 「メンマアトラー」=「永遠なるはラーの正義」
 ラメセス2世の息子
 メルエンプタハ王の石碑の記録
 旧約聖書の「出エジプト」の王
 「アシュケロンは征服され、
  ゲゼルは占領された
  イェアノムは制圧された。
  イスラエルは滅ぼされ、
  子孫は絶えた」
ーーーーー
 ・・・「うなぎ」は「うみへび(海蛇)」・・・「ヒドラヒュドラ」・・・「ヒュドラー」とは古典ギリシア語で「水蛇」だが、レルネーに住むヘーラクレースに退治された「ヒュドラー」・・・
 テューポーンとエキドナの子で、ヘーラーがヘーラクレースと戦わせるために育てた・・・恐竜のような巨大な胴体と翼、「9つ(5から100までの異説あり)の首を持ち、一本の首を切り落としても、すぐにそこから新しい2本の首が生えてくる。「うみへび座(海蛇座、Hydra)」の「うみへび=ヒュドラー」・・・
 もし、あなたが「お日様」を画用紙にクレヨンで描くとしたら・・・どのように描く・・・カナ・・・?