1693日目・・・やっと、オワッタ・・・「創世記」・・・「医者の道」よりも「社会変革の道」を選んだ「キューバ=玖馬・玖瑪・久場・古巴」の「チェ・ゲバラ(エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ=Ernesto Rafael Guevara de la Serna」・・・「エル・チェ (El Che)」、「病人の治療より重要なこと、病人を出さないこと」・・・「キューバ社会」は貧しくはない・・・教育費の無償化、医療費の無料化、人権の公平化、何よりも「高級車(骨董者)」を乗り回している・・・「エル・チェ

 「病人・患者」を「救うコト」を目指していたのは「新約聖書のルカ(コロサイ書・愛する医者ルカ)=路加」のシンボルは「牛」だったが・・・癩病(ライ病・ハンセン病ツァラアト・レプラ)や様々な医療を施した「キリスト」も元々は「治療、治癒技術を有する医者」だったに違いない・・・キリストは、
 ヒポクラテスヒッポクラテス・Hippocrates)の弟子だった。
 ヒポポタマス(Hippopotamus)は、
 「河馬」である。
 アフリカ(アフロ ユーラシア)の淡水域に棲息し、
 水陸両棲の形質を持つ、大型の草食性哺乳類だが、時速40キロで走る。皮膚が弱く「血の汗」と云われる粘液を体表から分泌する。人間は象牙に替わるモノとして河馬の歯牙で印鑑も造っているらしい・・・エジプトでは「トゥエリス女神」は、河馬の女神で、妊婦の守護神である。河馬と共生する鳥は「ウシツツキ」で、一般的に草食動物の皮膚に寄生するダニなどを捕食する・・・
 以下の参照、参考原文は「ウイッキぺデア」・・・
  ↓
 ツァラアト・・・・たらあと(鱈痕・太良跡)・通粗痕?
 語源
  アラビア語
  「撒布・発疹・斑紋」
  「崩壊する・打ちくだく
   →神によって打ちくだかれた」
  「屈従・天罰」へ意味転化・・・
  レビ記
  人間の皮膚表面に現れる
  「斑紋・疥癬・白癬・腫物・潰瘍」
  「疥癬(かいせん・scabies)」は、
   無気門亜目ヒゼンダニ科の
   ダニ(壁蝨、蜱、蟎、螕)、
   ヒゼンダニの
   寄生による皮膚感染症
   湿瘡(しっそう)
   皮癬(ひ ぜん)
   羊(ヒツジ)の
   疥癬カイセン)は
   家畜伝染病予防法の伝染病
   itch=かゆ(痒)み、掻痒(ソウヨウ)
   itching=かゆ(痒)い・うず(疼)く
   my skin itched(itching)
  衣服、織物、皮革などの表面に現れる
  「変色・汚れ・カビ・しみ」
  家屋の壁の「変色・カビ・崩れ」
  「人間の皮膚の鱗(うろこ)状の病気」
  「壁、布、皮のかび(黴、醭)」
  「儀式上の汚(けが・穢)れ」
   ↓
 「シーボルト(置維波斯徳利)」は「鳴瀧塾」で日本人の弟子たちにナニを教えたのか・・・
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 種痘
 古くから西アジアや中国では、
 天然痘患者の
 膿を健康人に接種して
 軽度の天然痘を起こさせて
 免疫を得る
 人痘法が行なわれていたが、
 安全性は充分でなかった。
 1796年に
 イギリスの医師
 エドワード・ジェンナーが、
 ウシが感染する
 牛痘の膿を用いた
 安全な牛痘法を考案・・・・牛痘=牛頭
              牛頭大王
              祇園祭
 「ワクチン」・・・・・・・和苦鎮?
 という言葉も
 この時から用いられた
 天然痘ウイルスを
 兎(ウサギ)の睾丸を通して
 弱毒化した後に
 牛に接種して作った
 「牛化人痘ワクチン」が開発・・・ミノタウルス
  ↓
 日本への伝来、普及
 1790年
 秋月藩藩医
 緒方春朔
 が種痘を実施
 ジェンナーの牛痘方法ではなく、
 天然痘
 瘡蓋(かさぶた)の粉末を接種する方法
 1810年
 ロシア(露西亜)に拉致された
 中川五郎治が、
 帰国後に牛痘を用いた種痘法を実践
 1814年
 安芸国の漂流民
 久蔵が種痘法を覚え、
 牛痘を日本に持ち帰って効果を
 広島藩主に進言、一笑に付される
 1849年
 佐賀藩の医師
 楢林宗健
 と
 長崎のオランダ人医師
 オットー・モーニッケが種痘を実施
 日野鼎哉が京都で
 緒方洪庵が大坂で
 「除痘館」を設立開館
 1858年
 江戸で
 伊東玄朴・箕作阮甫・林洞海・戸塚静海
 石井宗謙・大槻俊斎・杉田玄端
 手塚良仙ら蘭方医
 83名の資金拠出により、
 神田
 松枝町(東京都
     千代田区
     神田
     岩本町2丁目)の
 川路聖謨の屋敷内に
 「お玉が池種痘所」が設立された
 (後の東京大学
 1909年
 「種痘法」によって国民に定着
  ↓
 牛頭人身の怪物
 クレーテー島の
 ミーノース王の妻
 パーシパエーの子
 「ミノタウロス」・・・美濃多雨露洲?
 ミーノース王は、
 後で返すという約束で
 ポセイドーンに願って
 白い雄牛を得たが、
 ポセイドーンとの約束を反故にし
 白い雄牛を生け贄に捧げず、
 代わりの
 雄牛を生け贄とした
 激怒したポセイドーンは
 后妃パーシパエーに呪いをかけ、
 彼女は
 白い雄牛に性的に発情
 ダイダロスに命じて
 雌牛の模型を作らせ、
 彼女は
 模型の中へと入り雄牛と性交し
 ミーノータウロスを産む
 子供は
 「アステリオス(Asterios=星・雷光)」
 と名づけられるが、
 「ミーノース王の牛」として
 「ミーノータウロス」と呼ばれた
      多得賂素
 ミーノース王は
 ダイダロスに命じて
 迷宮(ラビュリントス)を建造
 彼を閉じ込めた
 ミーノース王は
 ミーノータウロスの食料として
 アテーナイから
 9年毎に
 7人の少年、
 7人の少女
 の生贄を送らせることにし
 3度目の生贄にアテーナイの
 英雄
 テーセウスが混ざり、
 ラビュリントスに侵入し
 ミーノータウロスを倒した
 迷路であるラビュリントスから
 ミーノース王の娘
 アリアドネーからもらった
 糸玉によって脱出・・・・
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  ↓
 キリスト教
 1549年(天文十八年)
 日本へ伝えられた
 1563年(永禄六年)頃まで
 イエズス会
 フアン・フェルナンデス(J.Fernandez,SJ)
 「新約聖書」の
 「四福音書
 (マタイ福音書、マルコ福音書
  ルカ福音書ヨハネ福音書)」
 を翻訳
 火災で原稿が焼失・・・
 ルイス・フロイス(Luis Frois,SJ)
 典礼用に四福音書
 3分の1ほどを訳す
 1613年(慶長十八年)頃まで
 京都で「新約聖書」全体を
 イエズス会が出版
 だが、
 「キリシタン
  日本語訳新約聖書」は現存しない
 内容の一部分が、
 残存文書から知れる
 最古のものは、
 アレッサンドロ・ヴァリニャーノ
 が編纂した
 「日本のカテキズモ(カテキズム)」の訳稿
 ポルトガル
 エヴォラ図書館の
 古屏風の
 下張りから発見
 「キリシタン版日本語訳新約聖書」のうち、
 コヘレトの言葉(3章7節)
 イザヤ書(1章11節)
 が記されている
 他にも、
 「キリシタン
  日本語訳新約聖書」のうち、
 受難物語部分の
 「御主ゼス キリシト御パッションの事」
 カテキズムをまとめた
 「どちりなきりしたん」
 などがある。
 「御主ゼス
  キリシト
  御パッションの事(原文はローマ字)」
 「パンを取り挙げ、文をとなえ、割り給い、
  御弟子達(でしぼろ)に賜り、
  これ
  わわが
  身肉なり
  服せられよとのたまひて
  また
  カリスを取り上げ給い、
  御礼あって
  御弟子達に下され
  のたまいけるわ
  各々これを飲まれよ
  汝達と
  数多の
  人の科(とが)を送るべきために
  流すべき
  新しき
  テスタメントのわが身の血なり。
  汝達われを思い出すために
  かくの如くいたされよ
 (マタイ26:26-29,一部ルカ22:19挿入)」
 1630年(寛永七年)
 キリスト教関係の書物輸入が禁じられ、
 キリスト教文献はことごとく放逐
 漢籍やオランダ書のキリスト教文献が
 小規模ながらも密輸されており、
 聖書に関する知識は
 細々と日本に入ってきた
 中には、
 平戸藩領主
 松浦静山のように、・・・・松浦静山
 聖書の注解書を手に入れて
 密かに
 蘭学者に翻訳させていた
 復古神道の大成者である
 平田篤胤・・・・・・・・・平田篤胤
 が著した
 「本教外編」
 の中には、
 「山上の垂訓」と
 そっくりの記述
 これは、
 漢籍
 キリスト教文献からの
 剽窃であることが
 実証されている・・・・
 平田篤胤
 「本教外編」
 「義の為にして。
  窘難を被るものは。
  すなわち
  真福にて
  その己に
  天国を得て
  処死せざると為るなり」
 (山上の垂訓・マタイ伝福音書-第五章・文語訳)
 「幸福なるかな、
  義のために責められたる者。
  天國はその人のものなり。(マタイ5:10)」
 「我主イイススハリストスノ新約
  イオアンに因る
  聖福音(ヨハネによる福音書・第一章1節-3節」
 1 太初(はじめ)に言(ことば)有あり、
  言(ことば)は神(かみ)と共に在(あり)、
  言(ことば)は即(すなは)ち神(かみ)なり。
 2 是(この)言(ことば)は
  太初(はじめ)に神(かみ)と共に在(あり)。
 3 萬物(ばんぶつ)は彼に由(より)て造れたり、
  凡(およそ)造(つくられた)る者には、
  一(いつ)も彼に由らずして造られしは無(なし)。
 ・・・
ーーーーー
  ↓↑
 旧約聖書
 創世記
第50章
50:1
ヨセフ

父の
顔に
伏して
泣き、
口づけした
50:2
そして
ヨセフは
彼のしもべで
ある
医者たちに、・・・・・・医者たち
父に
薬を塗ることを
命じたので、
医者たちは
イスラエル
薬を塗った
50:3
このために
四十日を費した。
薬を塗るには
これほどの日数を要するのである。
エジプトびとは
七十日の間、
彼のために泣いた
50:4
彼のために
泣く日が過ぎて、
ヨセフは
パロの家の者に言った、
「今もし
 私(わたし・ム・よこしま)が
あなたがたの前に恵みを得るなら、
どうか
パロに伝えてください
50:5
『私(わたし・ム・よこしま)の父は
私(わたし・ム・よこしま)に
誓わせて言いました
「私(わたし・ム・よこしま)は
やがて死にます。
カナンの地に、
私(わたし・ム・よこしま)が
 掘って置いた墓に葬ってください」。
 それで、
 どうか
 私(わたし・ム・よこしま)を
 上って行かせ、
 父を葬らせてください。
 そうすれば、
 私(わたし・ム・よこしま)は
 また帰ってきます』」
50:6
パロは言った、
「あなたの父が
 あなたに誓わせたように
 上って行って彼を葬りなさい」
50:7
そこで
ヨセフは
父を葬るために上って行った。
彼と共に上った者は
パロのもろもろの家来たち、
パロの家の長老たち、
エジプトの国(くに・コク)の
もろもろの長老たち、
50:8
ヨセフの全家と
その兄弟たち
及び
その父の家族であった。
ただ
子供

羊(ひつじ・ヨウ)

牛(うし・ギュウ・ゴ)

ゴセン・・・・(語選)
の地に、残した・(埜字似。、遺した)
50:9
また
戦車と
騎兵も
彼と共に上ったので、
その行列は
たいそう盛んであった
50:10
彼らは
ヨルダン・・・・
の向こうの
アタデ・・・・
の打ち場に行き着いて、
そこで
大いに嘆き、
非常に悲しんだ。
そして
ヨセフは
七日の間
父のために嘆いた
50:11
その地の住民(たみ・ミン)、
カナンびとが
アタデの打ち場の嘆きを見て、
「これはエジプトびとの
 大いなる嘆きだ」
と言ったので、
その所の名は
アベル・ミツライム
と呼ばれた。
これは
ヨルダン
の向こうにある
50:12
ヤコブの子らは
命じられたように
ヤコブにおこなった
50:13
すなわち
その子らは彼を
カナン・・・・

地へ運んで
行って、
マクペラ・・・・
の畑の
ほら穴に葬った。
このほら穴は
マムレ・・・・
の東にあって、
アブラハム

ヘテびと・・・・
エフロン・・・・
から畑と共に買って、
所有の墓地としたものである
50:14
ヨセフは父を葬った後、
その兄弟たち
及び
すべて父を葬るために
一緒に上った者と共に
エジプトに帰った
50:15
ヨセフの兄弟たちは
父の死んだのを見て言った、
「ヨセフはことによると
我々(われわれ・ガガ)を憎んで、
我々(われわれ・ガガ)が
彼にしたすべての悪に、
仕返しするに違いない」
50:16
そこで
彼らは
ことづけして
ヨセフに言った、
「あなたの父は
 死ぬ前に
 命じて言われました、
50:17
『おまえたちは
 ヨセフに言いなさい、
 「あなたの兄弟たちは
  あなたに悪をおこなったが、
  どうかその
  とがと罪を
  ゆるしてやってください」』。
 今どうか
 あなたの父の神に仕える
 しもべらの
 とが
 を
 ゆるしてください」。
ヨセフはこの
言葉を聞いて泣いた
50:18
やがて
兄弟たちもきて、
彼の前に伏して言った、
「このとおり、
 私(わたし・ム・よこしま)たちは
 あなたのしもべです」
50:19
ヨセフは彼らに言った、
「恐れることはいりません。
 私(わたし・ム・よこしま)が
 神に代ることができましょうか
50:20
 あなたがたは
 私(わたし・ム・よこしま)
 に対して
 悪をたくらんだが、
 神はそれを
 良きに変らせて、
 今日のように
 多くの民(たみ・ミン)の
 命を救おうと計らわれました
50:21
 それゆえ
 恐れることはいりません。
 私(わたし・ム・よこしま)は
 あなたがたと
 あなたがたの子供たちを
 養いましょう」。
彼は
彼らを慰めて、
親切に語った
50:22
このようにして
ヨセフは
父の家族と共に
エジプトに住んだ。
そして
ヨセフは
百十年
生きながらえた
50:23
ヨセフは
エフライム・・・・

三代の子孫を見た。
マナセ・・・・
の子
マキル・・・・
の子らも
生れて
ヨセフの
ひざの上に置かれた
50:24
ヨセフは兄弟たちに言った、
「私(わたし・ム・よこしま)は
 やがて死にます。
 神は必ず
 あなたがたを顧みて、
 この国(くに・コク)から連れ出し、
 アブラハム
 イサク、
 ヤコブ
 に誓われた地に
 導き上られるでしょう」
50:25
さらに
ヨセフは、
「神は
 必ず
 あなたがたを顧みられる。
 その時、
 あなたがたは
 私(わたし・ム・よこしま)の
 骨を
 ここから携え上りなさい」
と言って
イスラエルの子らに
誓わせた
50:26
こうして
ヨセフは
百十歳
で死んだ。
彼らは
これに
薬を塗り、
棺に納めて、
エジプト
に置いた
ーーーーー
 ・・・