1694日目・・・「秋葉実」さん・・・名前も著書も、全然知らなかった人物だけれど、ボクの「大先輩(?)」だったヒトらしい・・・知っていたなら一度はお会いして「ハナシ」を訊いてみたかった・・・松浦武四郎の著書「百蟲行」の内容はどうなんだろう・・・

 1926年
 大正十五年誕生
 東京の
 陸軍
 少年
 通信
 兵学
 を修了
 日大法学部を中退
 丸瀬布に帰郷
 1948年
 町広報紙を兼ねる
 週刊新聞
 「山脈(やまなみ)」創刊に参加
 ・・・「1948年」ですか・・・終戦が「1945年」だった・・・その頃、ボクは何処に居たんだろう・・・「西芦別」・・・
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 以下・・・
 原文は「どうしんウェブ」の記事より抜粋・・・
  ↓
 秋葉実さん死去
 八十八歳
 松浦武四郎の研究家
 04/12 07:15
 秋葉実さん
 (遠軽
 北海道の名付け親である
 江戸時代の
 蝦夷地(えぞち)探検家、
 松浦武四郎研究
 オホーツク管内
 遠軽町
 丸瀬布の歴史研究家
 秋葉実(あきば・みのる)さんが
 11日午前9時31分、
 肺気腫のため丸瀬布厚生病院で死去
 88歳
 1926年(大正15年)生まれ
 東京の
 陸軍少年
 通信兵学校を修了
 日大法学部を中退
 丸瀬布に戻り、
 1948年
 町広報紙を兼ねる
 週刊新聞「山脈(やまなみ)」創刊に参加
 1953年から1989年まで編集長を務め、
 郷土史研究に打ち込んだ。
 その過程で出会った武四郎の研究に没頭。
 武四郎の多くの著作、
 探検中のメモ帳などを
 解読して現代語訳したほか、
 研究書を数多く発表した。
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 ・・・ブログで「百蟲行」を調べていたら・・・「百蟲綱」があった・・・「Vilekin」は直訳すれば「不快な血族」、「卑しい種族」といった意味・・・「貴金属に対する卑金属とかいったニュアンス」・・・「アリ、サソリといった、いわゆる「虫(≠昆虫)」系の魔物がここに分類」・・・「虫(系)の魔物」?・・・「虫(中+ム)の魔物」・・・
 チゴー属
 スウォーム属
 ナット属
 ヤーゾン属
 アントリング属
 ダイアマイト属
 ビートル属
 ・・・「貴金属」は「寄金族」で、対する「卑金属」は「非金族」・・・「卑弥呼は勤続」・・・
 ついでに、興味が「馬籠・馬篭・馬込」に飛んで、チョッと調べて添付した・・・コモっているのは「新約聖書」の「馬」と、「史記」の「馬」と、「古事記日本書紀」の「天孫降臨」だから・・・関係無い妄想か・・・
  ↓
 「奥州千葉氏の一族
  千葉介胤正の末子
  胤親が
  寛喜二年(1230)、
  桃生郡・・・・・伊達正宗が
          洋型帆船を造船
  深谷に移り住み、
  その子
  胤次が後を継ぐ・・・
  正応二年(1289)年
  本吉郡
  馬籠村に移り
  馬籠氏を称し・・・
  忠広 の嫡子
  広行は
  馬籠
  遠野城を築いてそこに移り住み、
  弟の広胤は
  気仙郡矢作に移って
  矢作を称している」・・・?
   ↓
  妻籠(つまご)
  江戸時代は
  中山道
  木曽
  十一宿の宿駅として栄えた
  ↓
  妻籠宿
  中山道
  四十二番目の
  宿場(中山道六十九次
  長野県
  木曽郡
  南木曽町
  蘭川(あららぎがわ)東岸に位置
  ↓
 馬籠
 岐阜県
 中津川市の北
 馬籠峠
  ↓
 地名は
 馬を宿に置いていったことが由来
 峠の頂上に
 1891年(明治二十四年)に
 訪(オトず)れた
 正岡子規の石碑がある・・・
 「ホトトギス」は結核の象徴
 ・・・「ホトトギス」の漢字の異字・・・
 山の中の
 「妻籠宿・馬籠宿」
  ↓
 マゴメ=馬籠・・・天孫をコメタのは「衾」
 鹿児島県
 肝属郡
 南大隅町
 佐多
 馬籠発祥
 栃木県
 芳賀郡
 茂木町
 小井戸(馬籠)発祥
 岐阜県
 中津川市
 馬籠発祥
 ↓
 創賜
 江戸時代にあった
 門割制度の
 馬籠門から「馬篭
 位置の例は
 鹿児島県
 日置市
 吹上町和田
 鹿児島県
 姶良市
 三拾町
 宮崎県
 都城市
 乙房町
 真籠
 ↓
 宮城県
 北海道
 宮城県
 気仙沼市
 本吉町
 馬籠(マゴメ)町発祥
 馬篭
 埼玉県
 真篭
 間込
 眞籠
 宮城県茨城県福島県
 真米
 間米
 真菰
 孫本 和歌山県田辺市
  ↓
 馬籠の地名の由来
 「馬が越えられないほど
  険しい峠なので
  麓に馬を置いて峠越え」
 ・・・
 中山道
 木曾路最南端の宿場町
 長野県
 木曾郡
 山口村に属
 馬籠の地名の初出は
 1215年
 (建保三年)
 馬籠
 法明寺旧蔵の
 大般若経の奥書に記録
 木曾氏の部将、
 島崎氏に馬籠砦を守らた
 1601年
 (慶長六年)宿駅に指定
 1843年
 (天保十四年)
 「中山道宿村大概帳」に
 東西
 3町33間
 家数
 69軒と記録
 木曾
 十一宿の中
 最小規模の宿場町
 島崎藤村の生地で、
 藤村の小説
 「夜明け前」の舞台
 島崎藤村
 馬籠宿の
 本陣の子・・・