1661日目・・・「朋輩(ホウバイ)」・・・「提=さげる・テイ・ダイ=手にさげて持つ・持ち出す・先に立って引き連れる=手(扌)+是(曰疋→イワクをヒク?)」・・・「パウロの提多信書(親書)」・・・「提灯・提琴・提携・提案・提起・提供・提言・提示・提出・提唱・前提」・・・「提喩(テイユ)=修辞技法の・シネクドキ(synecdoche)→死値口説き?・隠喩の一種で、上位概念を下位概念で、または逆に下位概念を上位概念で言い換えること・具体的には、あるカテゴリと、それに含まれる個別要素=全体と部分=物体と材料な

 「提督=海軍将官である
     元帥
     大将
     中将
     少将
     准将
     及び代将の総称又は敬称」
 「提督
 清朝の武官
 緑営の最高責任者の
 12人の陸路提督
  と
 3人の水師提督の総称」
 黒船
 艦隊の総司令官
 嘉永六年(1853年)
 浦賀沖に来航した
 マシュー・ペリーアメリカ海軍代将)の
 「水師提督マツテウセベルリ」が語源
 「Flag officer(将官
  Admiral(海軍大将)
  Commodore(司令官)」の訳語
 「底度久(そこどく・テイトク)」は
 「猿田彦」・・・海軍提督・・・「つぶたつ・あわたつ」・・・天鈿女命(あめのうずめ)・・・亜米利加の渦目・・・
 トリートーン(古希: Τρίτων, Trītōn)・・・
ーーーーー
 提多書=テトスへの手紙
  ↓
 パウロから
 クレタの弟子である
 テトス(第2コリント書8:23)
 へ宛てた手紙
 エピメニデスのパラドックス
  ↓
 腓利門書=ピレモンへの手紙
  ↓
 むしろ愛によって、
 あなた(フィレモン)にお願いしたいと思います。
 年老いて、
 今はまた
 キリスト・イエスの囚人となっている
 私パウロが、
 獄中で生んだ
 わが子
 オネシモ・・・オネシモ・・・フィレモンの奴隷
       (オネシモス
        ギリシア語で「役に立つ」の意)
 のことを、
 あなた(フィレモン)にお願いしたい。
 彼(オネシモ)は、
 前にあなた(フィレモン)にとって
 役に立たない者でしたが、
 今は、あなた(フィレモン)にとっても
 私にとっても、
 役に立つ者となっている。
 その
 オネシモを、
 あなた(フィレモン)のもとに送り返します。
 彼(オネシモ)は
 私の心そのものです。
 私は、
 彼(オネシモ)を
 私のところにとどめておき、
 福音のために
 獄中にいる間、
 あなた(フィレモン)に代わって
 私のために仕えてもらいたいとも考えましたが、
 あなた(フィレモン)の
 同意なしに何一つすまいと思いました。
 それは、
 あなた(フィレモン)がしてくれる
 親切は強制されてではなく、
 自発的でなければいけないからです。
 彼(オネシモ)がしばらくの間
 あなた(フィレモン)から離されたのは、たぶん、
 あなた(フィレモン)が
 彼を永久に取り戻すためであったのでしょう。
 もはや
 (オネシモは)
 奴隷としてではなく、
 奴隷以上の者、すなわち、
 愛する
 兄弟としてです。
 特に私にとってそうですが、
 あなた(フィレモン)にとってはなおさらのこと、
 肉においても
 主にあっても、そうではありませんか。
 ですから、
 もしあなた(フィレモン)が
 私を親しい友と思うなら、
 私を迎えるように
 彼(オネシモ)を迎えてやってください。
 もし
 彼(オネシモ)が
 あなた(フィレモン)に対して
 損害をかけたか、
 負債を負っているのでしたら、
 その請求は
 私にしてください。
  ↓
 主人、ピレモンのもとを逃れ,
 パウロのところに来てキリスト者となった
 奴隷オネシモ
 を主人、ピレモンに送り返すに際しての添え文
 要望書である
  ↓
 主人​ピレモン​の​もの​を​盗んで
 ​ローマ​へ​逃亡​した
 ​奴隷​オネシモ​に​ついて​の要望書
 ・・・奴隷問題・・・黒人大統領になっても「黒人差別・人種差別」・・・カネでの損害賠償・・・だが、アフリカには黒人の大富豪の大統領が存在する・・・掘られたダイヤモンドは「女性が欲しがる高級装飾品」だが・・・「石」である・・・
   ↓
 希伯來書=ヘブル(ユダヤ)人への手紙
   ↓
 二つの要素の記述
   ↓
 神学・教義・・・司祭次第・律法運用
  と      神←イエス→人間
 倫理・道徳・・・確信的信仰での
  ↓      人間生活
 第2章
 2:14
 このように、
 子たちは
 血と肉とに
 共にあずかっているので、
 イエスもまた同様に、
 それらをそなえている。
 それは、
 死の力を持つ者、
 すなわち
 悪魔を、
 ご自分(キリスト)の
 死によって滅ぼし、
 2:15
 死の恐怖のために
 一生涯、
 奴隷となっていた者たちを、
 解き放つためである。
  2:16
 確かに、
 彼(キリスト)は
 天使たちを
 助けることはしないで、
 アブラハム
 子孫を助けられた。
 2:17
 そこで、イエスは、
 神のみまえに
 あわれみ深い忠実な
 大祭司(キリスト)となって、
 民の罪をあがなうために、
 あらゆる点において
 兄弟たちと
 同じようにならねばならなかった。
  2:18
 主(キリスト)ご自身、
 試錬を受けて苦しまれたからこそ、
 試錬の中にある者たちを
 助けることができるのである。
 第3章
  3:4
 家はすべて、
 だれかによって造られるものであるが、
 すべてのものを造られたかたは、
 神である。
 3:5
 さて、
 モーセは、
 後に語らるべき事がらについて
 あかしをするために、
 仕える者として、
 神の家の・・・・・家=神殿?
 全体に対して・・・全体とは何?
 忠実であったが、
 3:6
 キリストは御子として、
 神の家を・・・・・家=人々?
 治めるのに・・・・何を治めたのか?
 忠実であられたのである。
 もし
 わたしたちが、
 望みの確信と誇とを
 最後までしっかりと持ち続けるなら、
 わたしたちは
 神の家なのである。・・・神の家は信者らしい
 3:18
 また、
 神が、
 わたしの安息に、・・・神の安息=人間の極楽
 はいらせることはしない、
 と誓われたのは、
 だれに向かってであったか。
 不従順な者に
 向かってではなかったか。
 3:19
 こうして、
 彼らがはいることのできなかったのは、
 不信仰のゆえであることがわかる。
 第4章
  4:8
 もしヨシュアが彼らを休ませていたとすれば、
 神はあとになって、
 ほかの日のことについて語られたはずはない。
 4:9
 こういうわけで、
 安息日の休みが、
 神の民のために・・・民の休息日
 まだ残されているのである。
 4:10
 なぜなら、
 神の安息にはいった者は、
 神がみわざをやめて休まれたように、
 自分もわざを休んだからである。
 4:11
 したがって、
 わたしたちは、
 この安息にはいるように
 努力しようではないか。・・・祭日出勤禁止
               残業禁止
 そうでないと、
 同じような
 不従順の悪例にならって、
 落ちて行く者が出るかもしれない。
 4:12
 というのは、
 神の言は
 生きていて、
 力があり、
 もろ刃のつるぎよりも鋭くて、
 精神と霊魂と、
 関節と骨髄とを
 切り離すまでに刺しとおして、
 心の
 思いと
 志とを
 見分けることができる。
 4:13
 そして、神のみまえには、
 あらわでない被造物はひとつもなく、
 すべてのものは、
 神の目には
 裸であり、
 あらわにされているのである。
 この神に対して、
 わたしたちは
 言い開きを・・・言い訳?
 しなくてはならない。
 第5章
  5:6
 また、ほかの箇所でこう言われている、
 「あなたこそは、永遠に、
  メルキゼデクに・・・?
  等しい祭司である」
 5:7
 キリストは、
 その肉の生活の時には、
 激しい叫びと涙とをもって、
 ご自分を
 死から
 救う力のあるかた(神)に、
 祈と願いとをささげ、
 そして、
 その深い信仰のゆえに
 聞きいれられたのである。
 5:8
 彼は
 (神の)御子であられたにもかかわらず、
 さまざまの苦しみによって
 従順を学び、
 5:9
 そして、全き者とされたので、
 彼に従順であるすべての人に対して、
 永遠の救の源となり、
 5:10
 神によって、
 メルキゼデクに等しい
 大祭司と、
 となえられたのである。
 5:11
 このことについては、
 言いたいことがたくさんあるが、
 あなたがたの
 耳が鈍くなっているので、
 それを説き明かすことは
 むずかしい。
 5:12
 あなたがたは、
 久しい以前からすでに
 教師となっているはずなのに、
 もう一度
 神の言の初歩を、
 人から
 手ほどきしてもらわねばならない始末である。
 あなたがたは
 堅い食物ではなく、
 乳を必要としている。
 5:13
 すべて乳を飲んでいる者は、
 幼な子なのだから、
 義の言葉を味わうことができない。
 5:14
 しかし、
 堅い食物は、
 善悪を見わける
 感覚を実際に働かせて
 訓練された
 成人のとるべきものである。
 第6章
 6:16
 いったい、
 人間は自分より
 上のものをさして・・・上司?
 誓うのであり、
 そして、
 その誓いは
 すべての
 反対論を封じる
 保証となるのである。
 6:17
 そこで、
 神は、
 約束のものを受け継ぐ人々に、
 ご計画の不変であることを、
 いっそうはっきり示そうと思われ、
 誓いによって保証されたのである。
 6:18
 それは、
 偽ることのあり得ない
 神に立てられた
 二つの不変の事がらによって、
 前におかれている望みを捕えようとして
 世をのがれてきたわたしたちが、
 力強い励ましを受けるためである。
 6:19
 この望みは、
 わたしたちにとって、
 いわば、
 たましいを
 安全にし
 不動にする
 錨(イカリ)であり、
 かつ
 「(神殿の)幕の内」に
 はいり行かせるものである。
 6:20
 その幕の内に、
 イエスは、永遠に
 メルキゼデクに
 等しい
 大祭司として、
 わたしたちのために
 さきがけとなって、
 はいられたのである。
 第7章
 7:1
 この
 メルキゼデクは
 サレムの王であり、・・・サレム=イェルサレム
                 エルサレム
                 エレサレム
 いと高き
 神の祭司であったが、
 王たちを撃破して帰る
 アブラハムを迎えて祝福し、
 7:2
 それに対して、
 アブラハム
 彼に
 すべての物の
 十分の一を
 分け与えたのである。
 その名の意味は、
 第一に
 義の王、
 次にまた
 サレムの王、
 すなわち
 平和の王である。
 7:3
 彼には
 父がなく、
 母がなく、
 系図がなく、
 生涯の初めもなく、
 生命の終りもなく、
 神の子のようであって、
 いつまでも
 祭司なのである。
 7:6
 ところが、
 彼らの血統に属さないこの人が、
 アブラハムから十分の一を受けとり、
 約束を受けている者を祝福したのである。
 7:7
 言うまでもなく、
 小なる者が
 大なる者から
 祝福を受けるのである。
 7:8
 その上、
 一方では死ぬべき人間が、
 十分の一を受けているが、
 他方では
 「彼は生きている者」と
 あかしされた人が、それを受けている。
 7:9
 そこで、
 十分の一を受けるべき
 レビでさえも、
 アブラハムを通じて
 十分の一を納めた、と言える。
 7:10
 なぜなら、
 メルキゼデクが
 アブラハムを迎えた時には、
 レビはまだ
 この父祖の
 腰の中にいたからである。
 7:11
 もし全うされることが
 レビ系の祭司制によって可能であったら
 ――民は祭司制の下に
   律法を与えられたのであるが――
 なんの必要があって、なお、
 「アロンに等しい」と呼ばれない、
 別な
 「メルキゼデクに等しい」
 祭司が立てられるのであるか。
 7:12
 祭司制に変更があれば、
 律法にも必ず変更があるはずである。
 7:13
 さて、これらのことは、
 いまだかつて祭壇に奉仕したことのない、
 他の部族に関して言われているのである。
 7:14
 というのは、
 わたしたちの主が
 ユダ族の中から出られたことは、明らかであるが、
 モーセは、この部族について、
 祭司に関することでは、
 ひとことも言っていない。
 7:15
 そしてこの事は、
 メルキゼデクと同様な、
 ほかの祭司が立てられたことによって、
 ますます明白になる。
 7:16
 彼は、
 肉につける
 戒めの律法によらないで、
 朽ちることのない
 いのちの力によって
 立てられたのである。
 7:17
 それについては、聖書に
 「あなたこそは、
  永遠に、
  メルキゼデクに等しい
  祭司である」とあかしされている。
 7:18
 このようにして、一方では、
 前の戒めが
 弱く
 かつ
 無益であったために
 無効になると共に、
 7:19
 (律法は、
  何事をも全うし得なかったからである)、
 他方では、
 さらに
 すぐれた望みが現れてきて、
 わたしたちを
 神に近づかせるのである。
 7:20
 その上に、このことは誓いをもってなされた。
 人々は、
 誓いをしないで
 祭司とされるのであるが、
 7:21
 この人の場合は、
 次のような誓いをもってされたのである。
 すなわち、彼について、こう言われている、
 「主は誓われたが、
  心を変えることをされなかった。
  あなたこそは、
  永遠に祭司である」。
 7:22
 このようにして、
 イエスは更に
 すぐれた契約の保証となられたのである。
 7:23
 かつ、
 死ということがあるために、
 務を続けることができないので、
 多くの人々が
 祭司に立てられるのである。
 7:24
 しかし
 彼は、
 永遠にいますかたであるので、
 変らない祭司の務を
 持ちつづけておられるのである。
 7:25
 そこでまた、彼は、
 いつも生きていて
 彼らのために
 とりなしておられるので、
 彼によって
 神に来る人々を、
 いつも救うことができるのである。
 7:26
 このように、
 聖にして、
 悪も汚れもなく、
 罪人とは区別され、
 かつ、
 もろもろの
 天よりも高くされている
 大祭司こそ、
 わたしたちにとって
 ふさわしいかたである。
 7:27
 彼は、
 ほかの大祭司のように、
 まず
 自分の罪のため、
 次に
 民の罪のために、
 日々、
 いけにえをささげる必要はない。
 なぜなら、
 自分をささげて、
 一度だけ、
 それをされたからである。
 7:28
 律法は、
 弱さを身に負う人間を立てて
 大祭司とするが、
 律法の後にきた
 誓いの御言は、
 永遠に全うされた
 御子を立てて、
 大祭司としたのである。
 第8章
 8:13
 神は、
 「新しい」と言われたことによって、
 初めの契約を
 古いとされたのである。
 年を経て古びたものは、やがて消えていく。
 第9章
 9:25
 大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所にはいるが、
 キリストは、そのように、
 たびたびご自身をささげられるのではなかった。
 9:26
 もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったであろう。しかし事実、
 ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、
 世の終りに、
 一度だけ現れたのである。
 9:27
 そして、
 一度だけ死ぬことと、
 死んだ後
 さばきを受けることとが、
 人間に定まっているように、
 9:28
 キリストもまた、
 多くの人の罪を負うために、
 一度だけご自身をささげられた後、
 彼を待ち望んでいる人々に、
 罪を負うためではなしに
 二度目に現れて、
 救を与えられるのである。
 第10章
  10:9
 次に、
 「見よ、わたしは
  御旨を行うためにまいりました」とある。
 すなわち、
 彼は、
 後のものを立てるために、
 初めのものを廃止されたのである。
 10:10
 この御旨に基き
 ただ一度イエス・キリスト
 からだがささげられたことによって、
 わたしたちは
 きよめられたのである。
10:28
 モーセの律法を無視する者が、
 あわれみを受けることなしに、
 二、三の人の証言に基いて
 死刑に処せられるとすれば、
 10:29
 神の子を踏みつけ、
 自分がきよめられた
 契約の血を汚れたものとし、
 さらに恵みの御霊を侮る者は、
 どんなにか重い刑罰に価することであろう。
 10:30
 「復讐はわたしのすることである。
  わたし自身が報復する」
 と言われ、また
 「主はその民をさばかれる」
 と言われたかたを、わたしたちは知っている。
 10:31
 生ける神の
 み手のうちに落ちるのは、
 恐ろしいことである。
 第11章
 11:1
 さて、
 信仰とは、
 望んでいる事がらを
 確信し、
 まだ見ていない事実を
 確認することである。
 11:3
 信仰によって、わたしたちは、
 この世界が神の言葉で造られたのであり、
 したがって、
 見えるものは
 現れているものから
 出てきたのでないことを、
 悟るのである。
 ・・・
  ↓
 「夜来香」・・・イエライシャン・・・仏供の花瓶,香炉,燭台は一揃として三具足・・・
ーーーーー
 ・・・「イェラエ(畏怖)」+「サレム(平和)」=「エルサレム」・・・