1662日目・・・「忠犬ハチ公(満十一歳没)」になるべきか?・・・「ゴドー(Godot)を待ちながら(En attendant Godot)・劇作家サミュエル・ベケットの戯曲・二幕からなる喜悲劇(副題)」・・・「今日は来ないが明日は来る」・・・1940年代末、ベケットの第2言語、フランス語で書かれた・・・以前にも同様な書き込みをしたかな・・・「 忠犬ハチ公の80年の命日・2015年3月8日・東京大学農学部のキャンパスにハチ公と上野英三郎博士(1925年・大正十四年5月21日脳溢血で死亡)像」・・・「忠犬

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 東京朝日新聞(1932年・昭和七年、1933年・昭和八年)
 「いとしや老犬物語」
 というタイトルで掲載・・・
 尋常小学校二年生の修身教科書(1934年・昭和9年
 「恩ヲ忘レルナ」
 と掲載・・・
 「1923年(大正
      十二年
      十一月
      十日)」誕生
 ハチ公の
 父の名は
 「オオシナイ(大子内)」
 母の名は
 「ゴマ(胡麻)」・・・
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 以上も以下も、参照参考原文は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%A0%E7%8A%AC%E3%83%8F%E3%83%81%E5%85%AC
 「彫塑家・安藤照は、
  斎藤弘吉にハチの銅像を作りたい希望を伝え、
  日本犬保存会からの依頼により
  ハチの像が作成されることとなり、
  上野の死後、1927年(昭和二年)から
  ハチの飼い主となっていた
  小林菊三郎はモデルとなるハチを連れて
  代々木富ヶ谷の自宅から
  初台にある
  安藤のアトリエまで毎日通った。
  安藤がハチ公像を作っている最中、
  ハチに関する件を全て
  上野家から託されたと
  自称する老人が現れ、
  美術院同人の
  大内青圃に
  ハチ公
  木像製作を依頼するための
  資金集めと称して
  絵葉書を売り始める事態が発生。
  安藤はそれを阻止する意図で
  より早く銅像を作らなければならなくなり、
  ハチが生きているうちに
  銅像が建てられた・・・経緯がある」
   ↓
 ・・・「ハチ公」は「カネの欲得利権」に利用された・・・
  「銅像
  1944年(昭和十九年)十月、
  戦時の金属供出として撤去・供出されることになった。
  同年十月十二日、
  ハチ公像では像に
  日本国旗のたすきをかけるなどの
 「出陣式」が行われた。
 その後、
 ハチ公像が実際に
 溶解されたのは
 終戦を迎える前日、
 1945年(昭和二十年)八月十四日だった。
 鉄道省浜松工機部で溶解された像は
 機関車の部品となり、
 東海道線を走ることになった」
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 ・・・新約聖書の・・・
 雅各書=ヤコブの手紙
 ディアスポラ
 (διασπορά
  Diaspora, diaspora‎)とは
  植物の種などの
 「撒き散らされたもの」という
  意味のギリシャ
  ↓
 離散(ディアスポラ)した
 ユダヤ人共同体=自治組織(qehilla)
 の
 シナゴーグ
 (英語=synagogue
  独語=Synagoge
  蘭語=Synagoge
  ハンガリー語=zsinagóga
  中国語=犹太教堂・烟草街会堂
 ギリシャ語=シュナゴゲー)
 「集会所」、
 「会堂」での
 聖書の朗読と解説を行う集会所につどう
 ユダヤキリスト教徒に向けられた書簡
  ↓
 地中海世界
 ユダヤ人は
 ギリシャ人と商業面で競合
 迫害
 ローマ帝国において、
 兵役に就かず
 唯一神以外礼拝しなかった
 離散ユダヤ系は追放されたり
 土地が与えられなかった
  ↓
 ヤコブ(Jacobus)とはダレ?
  ↓
 「義人ヤコブ
 イエスの兄弟(従兄弟?)
 十二使徒ではない
 パウロ
 「ガラテヤの信徒への手紙」で
 「主の兄弟(1:19)」、
 「教会の三人の柱の一人(2:9)」
 とされる人物
  ↓
 「アルファイの子
  ヤコブ
 マタイの兄弟で
 レビ
 と呼ばれた人物
 「マルコによる福音書(15:40)」
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 キリスト教徒迫害者・・・「ネロ(水の意)皇帝」の時代の迫害ではない・・・
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 ローマ皇帝「デキウス皇帝」
 ガイウス・メッシウス・クィントゥス・
 トラヤヌス・デキウス
 (Gaius Messius Quintus Trajanus Decius)
 201年〜251年7月1日
 皇帝在位は
 249年〜251年
 パンノニア
 ブダリア出身
 232年
 コンスル
 プロコンスルとして
 下ゲルマニアやモエシア属州の総督
 在中
 ローマ帝国の統治強化のため
 ローマの伝統的な神々の祭儀復興を図り
 キリスト教徒を迫害
 フィリップス・アラブス帝(在位244〜249)
 の命令で
 ドナウ軍を指揮していたが、
 兵士に推戴され
 先帝の
 フィリップス・アラブスを
 249年9月ころ
 マケドニア属州
 ベロエア(シリア、アレッポ)=ウェロナ
 付近で破って
 先帝を殺し 
 軍人皇帝となった
 251年7月ころ
 ゴート人の
 侵入を防ごうとして
 (ゴート人を襲って)
 部下の反乱にあい、敗死
 (アブリットゥスの戦いで
  ゴート族の罠にはまり
  長男で
  共同皇帝・・・不安定期に後継者や兄弟を
         共同皇帝とした
  だった
  ヘレンニウス・エトルスクス
  とともに戦死)
 共同皇帝・・・双子の「大碓(おほうす)、小碓(をほうす)」・・・ナゼか「双子・双生児」のモノガタリが多いが・・・オランダの風車を回し、大臼(碓)の中の穀物を杵(きね)で搗(つ)く・・・釜で沸かした蒸気(湯気)で両輪の水車を回して推進する黒船の蒸気船・・・ペリー亜米利加艦隊・・・泰平の眠りを覚ます「上喜撰」たつた四杯で夜も眠れず・・・
  ↓
 ・・・旧約聖書の「ヤコブ」は・・・「双子のエサウ」の兄弟・・・「ヤアコブ」はヘブライ語で「かかと(踵)をつかむ(把握)者=人を出し抜く者」の意味だった。別名、イスラエル (Israel)・・・長子の祝福を得たため、兄、エサウから命を狙われ、逃亡。
 ハラン
 に住む
 伯父
 ラバンのもとに身を寄せ、
 「悪知恵?」で
 一財産を築いて独立・・・
 兄、エサウとの和解を志し、
 会いに行く途中、
 ヤボク川の渡し(ペヌエル)で
 天使と格闘
   (相撲・レスリング・wrestling)で勝ち
 神の勝者を意味する
 「イスラエル=イシャラー=勝つ者+エル(神)」
 の名を与えられた・・・「医者等?慰藉等?慰謝等?」・・・息子の「ヨセフ」は兄弟のイジメでエジプトで数奇な人生を送り、エジプト王のファラオの宰相・・・なった・・・
 後の「イスラ−エル」の国名・・・
 「エル=神・L・重留・得る」だが
 「水」に関係するか?
 「ジンジャー・エール= ginger ale」
  「ale」は、
古英語は 「ealu」に由来
  ゲルマン祖語形「aluth-」
 「エール」はホップが加えられていない醸造
、「ビール」はホップを加えての醸造
 「水のフランス語= eau・オー」、
 ドイツの「ケルン=Köln=Cöln」、
 「ケルンの名は
  ラテン語で植民市の
  Colonia に由来」、
 「オー・デ・コロン (eau de Cologne) 」は、フランス語で「ケルンの水」、「colon(コロン=記号の:)=すなわち(that is, namely)」・・・スペイン語の冠詞「el(エル)」やアラビア語の冠詞「al(アル)」もこれらと同源で、「(自分とは異なる)向こう側」・・・
  ミカ-エルが「神に似た者」
 ラファ-エルが「神の薬」
 ガブリ-エルが「神の力」
  ell=エル=昔の英国尺度の単位
        45インチ→4+5=9(玖)
        45インチ→4×5=20(念)
    エル      
    L の字の発音
 L 形のもの=継ぎ手= (建物の)そで(袖)
           袖=ネ(衣)+由(来)
 水井戸=「water well(ぅエル)」
 イド(id)=ラテン語で、それ、の意
       ドイツ語では「エス(Es)」
 精神分析の人格構造に関する基本的概念
 人間が生まれつき持っている
 無意識の本能的衝動、
 欲求など
 精神的エネルギーの源泉
 快を求め
 不快を避ける快楽原則
 「イド」は性衝動(リビドー)と攻撃衝動の源泉
 「welcome・welcomea」は「歓迎」
 アイヌ語の「エルム」は「ねずみ・鼠・ネズミ」・・・「移鼠」は「イエス・キリスト景教)」・・・「ワッカ=清い水」、「べ=汚水」・・・
 「コーランクルアーン第12章)でヤコブ(ヤアクーブ)は、息子のユースフ(聖書のヨセフ)で登場するが、に関連する物語の中で言及される。ヨセフが兄たちによって捨てられ悲嘆に暮れヤコブは悲しみのあまり盲目となったが、ヨセフによって視力を回復する」・・・「目が見える」ようになったのだ・・・テント職人の「パウル(サウル)」が見て、気絶し、倒れ、メクラになった原因は「ゼウスの落雷」だった・・・そして「腓(こむら)返し」で歩行困難・・・3日後、「アナニア」の介抱で回復した・・・「あなによし(阿那邇夜志)、愛」・・・同名の人物は土地を売って献金の額を偽った「アナニア」と、彼の妻「サフィラ」が「ペトロ」に叱責された上に、命を奪われた(使徒言行録5章)・・・「ペトロ」には「キリストの愛」が無かったのか・・・それとも、このハナシは「パウロ」の作りばなしなのかか・・・?
  ↓
 使徒の一人
 「大ヤコブ
 使徒ヨハネの兄弟
 ゼベダイの子
 ヤコブの殉教は
 紀元44年以前・・・
  ↓
 内容
 生活行為に於ける戒め
  ↓
 律法厳守の形式主義
 誘惑の神への転嫁(1:13)
 貧富での差別(2:2)
 言葉での誹謗中傷(3:2-12)
 自慢と偽証(3:14)
 悪口(4:11)
 高慢(4:16)
 贅沢(5:4)
  ↓
 試練の忍耐(5:7)
 他者への施し(1:22-25)
 神の再臨までの我慢忍耐(5:8)
  ↓↑
 「行為(律法道徳)によって義とされること」
 パウロ
 「信仰(信仰倫理)によって義とされること」
 ヤコブ
 「他者(律法)の前で義とされること」
 パウロ
 「神の前(信仰)で義とされること」
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 人間に救いをもたらす信仰は「愛」である
 「愛」ゆえに善行が伴う
 「信仰だけ」とは
 「口先だけ」になりかねない
 「使徒言行録26:20」
 パウロ
 「悔い改めて神に立ち返り、
  悔い改めに
  ふさわしい行いをするよう」
 は
 ヤコブ
 生きた「愛=信仰=こころ」が
 生きた「愛の行い」を伴う・・・強姦では無く
             相互の合歓である
 心の信仰と
 生活実践の一致
 倫(理)と行(為)の一致
 ・・・「言行一致」の「言」とは「信仰」であり、「行」とは「日常生活」の「行為」である・・・「愛=信仰+行為」・・・
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 道徳心が無くても「愛の行為」はある
 倫理心が無くては「愛の行為」はない・・・?
 「道徳」も「倫理」も「人間のモノ」である
 「不道徳」も「不倫理」も
 生きている「人間のモノ」であるのだが・・・
ーーーーー
  ↓
 第1章
  1:3
 あなたがたの知っているとおり、
 信仰がためされることによって、
 忍耐が生み出されるからである。
 1:6
 ただ、
 疑わないで、
 信仰をもって願い求めなさい。
 疑う人は、
 風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。
 1:7
 そういう人は、
 主から
 何かをいただけるもののように思うべきではない。
 1:8
 そんな人間は、
 二心の者であって、
 そのすべての行動に安定がない。
 1:14
 人が誘惑に陥るのは、それぞれ、
 欲に引かれ、さそわれるからである。
 1:15
 欲がはらんで罪を生み、
 罪が熟して死を生み出す。
 1:22
 そして、
 御言を行う人になりなさい。
 おのれを欺いて、
 ただ聞くだけの者となってはいけない。
  1:23
 おおよそ
 御言を聞くだけで
 行わない人は、
 ちょうど、
 自分の生れつきの顔を
 鏡に映して見る人のようである。
 1:24
 彼は自分を映して見てそこから立ち去ると、
 そのとたんに、
 自分の姿がどんなであったかを忘れてしまう。
 1:25
 これに反して、
 完全な
 自由の律法を一心に
 見つめてたゆまない人は、
 聞いて忘れてしまう人ではなくて、
 実際に行う人である。
 こういう人は、
 その行いによって祝福される。
 1:26
 もし人が
 信心深い者だと
 自任しながら、
 舌を制することをせず、
 自分の心を
 欺いているならば、
 その人の信心は
 むなしいものである。
 1:27
 父なる神のみまえに
 清く汚れのない信心とは、
 困っている孤児や、
 やもめを見舞い、
 自らは
 世の汚れに染まずに、
 身を清く保つことにほかならない。
 第2章
 2:5
 愛する兄弟たちよ。よく聞きなさい。
 神は、
 この世の貧しい人たちを選んで
 信仰に富ませ、
 神を愛する者たちに
 約束された御国の相続者とされたではないか。
 2:6
 しかるに、あなたがたは
 貧しい人をはずかしめたのである。
 あなたがたをしいたげ、
 裁判所に引きずり込むのは、
 富んでいる者たちではないか。
 2:8
 しかし、もしあなたがたが、
 「自分を愛するように、
  あなたの隣り人を愛せよ」
 という聖書の言葉に従って、
 このきわめて
 尊い律法を守るならば、
 それは良いことである。
 2:9
 しかし、
 もし分け隔てをするならば、
 あなたがたは
 罪を犯すことになり、
 律法によって違反者として宣告される。
 2:11
 たとえば、
 「姦淫するな」と言われたかたは、
 また
 「殺すな」とも仰せになった。
 そこで、
 たとい
 姦淫はしなくても、
 人殺しをすれば、
 律法の違反者になったことになる。
 2:12
 だから、
 自由の律法によって
 さばかるべき者らしく
 語り、
 かつ
 行いなさい。
 2:13
 あわれみを行わなかった者に対しては、
 仮借のないさばきが下される。
 あわれみは、さばきにうち勝つ。
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 ・・・「ペテロ」には「あわれみ」は無かった・・・現実社会の現世で「冤罪者」は「あわれみ」では救われない・・・