1646日目・・・「ベルギー(白耳義)」・・・「ベルガエ(Belgae)=勇士」・・・ブリュッセル・・・ブリュッセル(比律悉)は事実上の欧州連合本部所在地で、「NATO」の本部が存在する・・・「比べる律の悉(全て・ことごとく・シチ・シツ)」、訓読みは「つ-きる(尽・盡)、ことごと、ことごと-く(毎々・儘)、つ-くす、つぶさ-に(具に・備に・委に・審に)」・・・ユーロの問題はカネを貸しても回収できないコト・・・金貸しの宿命だから・・・

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 瞿曇 悉達(クドン シッタ)
      (Gautama Siddha)
 8世紀唐代の占星術
 長安西安)生まれ
 祖先はインド
 玄宗の時代
 太史監(国立天文台長)
 開元年間
 占星術書の
 「開元占経」編纂
 インドの天文暦書(シッダーンタ・Siddhanta)
 を漢訳した
 「九執暦」が含まれ
 開元六年(718年)
 インド数字の
 「〇(零・ゼロ・ZERO)」を
 中国にもたらした・・・?
 「瞿(ク)」=目+目+隹(ふるとり・スイ)
        驚いて四方を見回す
        恐れる
        見る
        ゴータマ・シッダールタの音訳
         (瞿曇 悉達多)=釈迦
        瞿=鷹隼の視(説文解字
          はばたく
          讀みて
          章句の句の若くす(説文解字
          䀠の俗字で左右を見るさま
           ↓
     寵辱(チョウジョク)に
     驚くが若(ごと)くし
     寵辱=名誉と恥辱
     「気に入られることと、
      はずかしめられること。
      栄えることと、
      零落すること」
  寵辱=名誉と恥辱
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  老子
  第十三章
   ↓
  寵辱若驚。
  貴大患若身。
  何謂寵辱若驚。
  寵為上、辱下為。
  得之若驚、・・・・若(ごとし)なのか?
           or
           若(わかし)なのか?
           or
           若(もし)なのか?
        ・・・如(ごとし)=・・・のようでアル
  失之若驚。
  是謂寵辱若驚。
  何謂貴大患若身。
  吾所以有大患者、
  為吾有身。
  及吾無身。
  吾有何患。
  故貴以身為天下、
  乃可寄天下。
  愛以身為天下、
  乃可託天下。
 ・・・「生きているからこそ、寵にも辱にも驚くがゴトシ」・・・どっちも同じ・・・
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 第二編
 聖パウロの事蹟
 第十項
 パウロマルタに漂流しロマに至る
 第28章
  28:1
 我等、既に迯れて後、此島の
 マルタと呼るることを知しが、
 夷等(えびすら)・・・・・・蝦夷(えぞ・カイ)
               北海道・渡島・亘理島
 一方ならぬ親切を示し、
  28:2
 雨降て寒ければとて、
 火を焚(たき)て
 我等一同を保養せしめたり。
  28:3
 パウロ
 若干の柴を集て火に加しに、
 火熱の為に
 蝮(まむし)
 出でて其手てに
 噬ひ付きしかば、
  28:4
 夷等虫(えびすらむし・イラチュウ)
            伊羅中・医蘭中
 の
 パウロ(サウル)の手に
 噬(く)ひ付る・・・・噬(かむ・セイ・ゼイ)
            噬=口+竹+巫
              筮=筮竹=占いの棒
        噬臍=噬斉(セイゼイ)
       「春秋左伝・荘公六年」
       「臍(へそ)」
        取り返しのつかないことを後悔すること
        悔(くや)しむ・後悔
        臍(ほぞ)を噛(咬)むコト
       「噬指棄薪」
       「呑噬(ドンゼイ)」
 を見て、
 此人
 定て殺人者なるべし、・・・殺人者=殺される人(死刑)
 海よりは迯(にげ)たるも、
 天
 之に
 活る事を許さず、
 と語合ひけるに、
  28:5
 パウロ、虫を火の中に振り落して、
 聊も・・・・・聊(いささか・すこしも)=耳+卯
 害を受ざりき。
  28:6
 人々は、彼必ず脹れ出だして
 忽(たちまち)に
 倒ふれ死するならんと思へるに、
 待事久しくして
 聊も害の及ばざるを見るや、
 翻りて、是、神なりと謂ひ居たり。
 28:16
 斯(かくて)我等、
 ロマ(羅馬)に至(いたり)しに、
          伊太利
 「百夫(ヒャクフ)長・・・モモのオット
           モモ=桃・腿・股
              百済・百濟
              伯爵領
  囚徒を
  近衛(このゑ)
  隊長に付したれど」
 パウロは己が宿に一人の守衛兵と
 共に留まる事を許されたり
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 ラゲ訳・新約聖書使徒行録
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 ラゲ Raguet, Emile
 1854〜1929 フランスの宣教師
 1854年10月24日
 ベルギー(白耳義)生まれ・・・白い耳の義
       ベルギー=ベルガエ(Belgae
            ケルト語で戦士の意)
       ガリアに住んでいたベルガエ人から
 明治十二年(1879)
 パリ外国宣教会から派遣されて来日
 明治二十九年
 鹿児島教会司祭
 同地で
 「仏和会話大辞典」を編集
 「新約聖書」を翻訳し刊行
 明治四十三年
 長崎市浦上教会司祭
 大正3年
 浦上天主堂を完成させた
 昭和4年11月3日
 東京で死去。75歳
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 エミール・ラゲ
 (音訳:拉藝、Émile Raguet)
 1854年10月24日 - 1929年11月3日
 ベルギーの神父、
 聖書翻訳家、
 辞書編集者。
 パリ外国宣教会に所属
 九州各地で布教
 文語体による
 日本語訳聖書を作成し、
 仏和辞典を編纂
 1854年
 ベルギーのブレーヌ・ル・コントに生まれる
 ボンヌ・エスペランス小神学校で中等教育を終え
 トゥールネーの中央神学校に学び、
 1877年、パリ外国宣教会に入会し、
 同年、同会神学校で副助祭に、
 1879年、司祭に叙階され、
 同年日本に派遣される。
 最初に
 長崎県
 伊王島
 次に
 平戸で従来の信者に相対した後、
 1887年、福岡(博多あるいは筑前)で宣教開始
 1890年11月より、
 大分カトリック教会で講演による宣教活動
 1891年
 宮崎カトリック教会を創設
 1896年
 鹿児島で宣教開始
 1902年
 東京市築地教会
 『佛和㑹話大辭典』出版のために転居
 1908年
 同書の売上金により
 聖フランシスコ・ザベリオ聖堂を
 鹿児島に建立
 1911年2月
 浦上小教区主任
 1914年3月
 フレノ神父の後を引き継いでいた
 浦上天主堂の建築を竣工
 1920年9月まで
 教区に在籍
 1929年
 東京で死去
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 「Raguet」?・・・スペル違い・・・「ragout」とはフランス料理の「ラグー」・・・肉(ジク・にく)や魚(ギョ・まな・さかな)、野菜(ヤサイ・のな)を煮込みスパイス(香辛料)を加えた「シチュー料理」・・・「史中漁(令)吏」・・・