1642日目・・・HBC・TV日曜劇場「流星ワゴン」第5話・・・TV東京系「永遠の0」第3夜・・・どちらもモノガタリだけれど・・・「人間」って複雑な動物なんだネッ・・・「浮遊霊」、信じているけれど・・・生きている間のコトである・・・「今までもらったことない…67歳男チョコ万引き(読売)」のニュース・・・そうですか・・・「バレンタイン」には「ジヒ」がないらしい・・・「貯古齢糖」・・・敗戦日本国の群がる孤児、浮浪児にチョコレートをくれたメリカン、ヤンキー・・・ヴェトナム戦争では「マリファナ漬けの米兵」は「味

 「日露戦争」の「203高地(爾霊山)」・・・満州軍総参謀長、児玉源太郎。1904年11月30日に第三軍司令部の大山総司令官の代理として、乃木将軍から一時的に「第三軍」の指揮権を取り上げ、第三軍を指揮・・・争奪戦は、北海道旭川の第7師団は、15,000人ほどの兵士は5日間で約3,000人、戦死者は1万2000人・・・増援の砲兵隊の到着8月19日、総攻撃。味方の背後からの砲撃で死んだ者は・・・
 「戦場」となった場所では「銃、武器を持った兵士」は「敵である兵士」を意図的に目的的に殺傷する。当然、「敵の銃、武器を持った兵士」も「敵である兵士」を意図的に目的的に殺傷する。「戦場での兵士の義務」は「命令」で「殺す、殺されるコト」であり、「戦場での兵士の目的」でもある。この義務と目的は・・・
  ↓↑
 「我が国の
  平和と安全を維持し、
  その存立を・・・・・「国の存立」とはナニか?
  全うするとともに、
  国民の・・・・・・・「国民」とはダレか?
  命を守ることである」
 「国民
  の命と
  平和な
  暮らしを
  守り抜くために」
 日本国憲法前文
 「国民の平和的生存権
 と
 「憲法第13条」に
 「生命、自由及び
  幸福追求に対する
  国民の権利」
 は記録されているが
 「国民の積極的生存権
 ではなかった?・・・のか
 「平和的生存権
  right to live in peace
  right to a peaceful existence
  peaceful     
  by gentle means
 と
 「積極的平和主義(生存権)」
  proactive contribution to peace
  proactive pacifism
  Positive peace
、“Proactive Contribution to Peace”
  based on the principle
    of international cooperation”
  assertive
  positive(ly)
  active(ly)
  proactive
  ↓↑   
  active pacifism=能動的平和主義
  positive pacifism=積極的平和主義
  passive pacifism=受動的平和主義
  passive pacifism=消極的平和主義
  negative pacifism=消極的平和主義
   ↓
  negative
  passive
   ↓
  be idle
  be lazy
  neglect
  be neglectful of one's duty
  ↓↑
 「日本国以外の他国民が戦争、紛争」
 を起こしたら
 「国際連合平和活動は
  紛争当事国の住民保護などの
  治安の維持をする任務」
 とは何なのか?
  ↓↑
 「自国」では「市民(?)」であった者が
 「兵士となっって敵に対する殺傷と、己の死」は「覚悟」の上であるのか・・・では、仲裁者・・・
 「市民社会」での「市民」としての「市民同士の殺傷と死」は「正当防衛・過失・意図的な犯罪」に・・・「覚悟」があるのか・・・あるいは「戦場」での「覚悟」と同じものなのか、異なっているのか・・・お節介者の仲裁者の「覚悟」は・・・トバッチリを受けた「第三者(野次馬も含む)」は・・・
 「戦場」となった「居住地区の人々」も敵味方にかかわらず無差別に「双方の兵士」から殺傷される。その空間では「兵士」は勝利に向かって「制圧地、占領地で殺人、強奪、略奪」を始める・・・例外はあったのか・・・?
 ・・・「戦場」となった場所では個々人が生き残る可能性は・・・
 「戦場」でない場所でも砲弾、ミサイル、爆撃機の爆弾で破壊され殺傷される。「戦争」でなくても「自然災害」、「人災事故」、「犯罪」で死傷する。
 ・・・「テロ」は「戦争」なのか、「犯罪」なのか・・・「レジスタンス」は「犯罪」だったのか・・・
 「アメリカ兵」は「チョコレート(貯古齢糖)」を「日本人浮浪児」にくれた・・・
 宇宙に漂うチリは渦を巻き一つの「かたままり」をめざす・・・精子卵子を目指し合体し、そして分裂する・・・無数に分裂した細胞は異なる器官を繋がりながら一個の生き物を形成する・・・無数は一つに繋がって生きていく・・・そして、又、散り散りに腐敗分解、分裂し、砕け、個々の塵になっていく・・・そして無数の塵は、浮遊し、又、小さく蠢きながら渦を巻き出しながら一つの塊まりを目指す・・・
 分裂は一つ目指し塊に、そして塊は散り散りになることをめざす・・・「平和」は「戦争の手段」なのか、「平和」は「戦争の目的」なのか・・・逆も問おう。「戦争」は「平和の手段」なのか、「平和の目的」なのか・・・
 「平和」はそれ自体で「存在」しない。「戦争」もそれ自体では「存在」しない・・・では何が「平和と戦争」の「存在」を許しているのか・・・どうやら諸国家間の「国家エゴ」、それを支えている個々人相互の「個人エゴ」・・・生きている間の一つにはなれない、と思っているらしい「人間個々人のプチブル意識」らしい・・・この意識の枠内で、階級、階層を作り出し、「カミとオウ、主」を祭り上げ、その命令秩序の序列の中で「生死」をゆだねているらしい・・・
 当然、今現在生きている貧乏人、「個々人」の「苦しみからの解放」は「カネさえあれば・・・」と云うツブヤキである・・・富豪は「永遠の命さえあれあば・・・」とツブヤイているかも・・・
 その他は「天国」か「地獄」に「解放」があると祈る・・・
 その他の余りは「生霊」となって「憑依」するだろう。あるいは・・・死んで浮遊霊になるコトを望んでいるカモ・・・