1640日目・・・「ロシア政権」がやったコト・・・「ドネツク(怒値衝く・弩値突く)・ルガンスク(留ガン衝苦)=留、銃、衝、功」・・・「レーニン・トロツキ・スターリン・毛沢東」がやったコト(人品、人民、居住地支配)は、カって「ヨーロッパ、アメリカ列強帝国」、そして「日本帝国主義」がヤッタコト・・・今現在も、2015年2月13日・・・「暴力的恫喝」→「暴力支配・軍事力支配」・・・「戦争」で「モウカッて(恩恵を享受して)」いる奴って・・・生きているオレや、アンタかも・・・

 兎に角、山賊、海賊、盗賊の不貞の輩・・・お前等には「モルジアナ」のハナシが必要だな・・・開けゴマ、去れ、ゴマのハエ・・・
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%90%E3%81%A840%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%9B%97%E8%B3%8A
  ↓↑
 「アリババと40人の盗賊・・・ババは父ちゃんの意味
 (アラビア語: علي بابا‎、
  ペルシア語: علی‌بابا‎)」
 「アラビアンナイト千夜一夜物語)」は
 原本には収録されていなかった・・・?
 18世紀初
 フランスの東洋学者
 ガランが
 「千夜一夜物語」の
 第11巻に入れたが、
 原本にも、
 独立の
 写本にも、
 アラビア語原典が見けられていない・・・
 シリア北部アレッポの出身で
 フランスに滞在していた
 ハンナ・ディヤーブ
 (Hanna Diab
 又は
  Youhenna Diab)から聞き取りした、
 千夜一夜の翻訳の続きに加えた・・・?
  ↓
 1908年
 ダンカン・B・マクドナルド
 (Duncan Black MacDonald)
 が
 オックスフォード大学の
 ボドリアン図書館の写本目録の中から
 その存在を確認・・・
 「アラビアンナイト千夜一夜物語)」は
 原本には収録されていた・・・?
 と
 1910年に英国王立アジア協会の雑誌に
 その原文を発表
 それを
 前嶋信次によって日本語訳され
 1985年3月8日初版、
 前嶋の死去のあと、
 平凡社東洋文庫アラビアン・ナイト」の
 別巻として日本で出版された・・・
 前嶋信次はこの2つの説、
 両者間に文体の差があって不確かであると疑問視し、
 シリア系の説話、又は、トルコやスラブ系の説話も混合したモノ・・・
  ↓
 1984
 ハーバード大学アラビア語の教授
 ムフシン・マフディー(en:Muhsin Mahdi)
 が、
 「千夜一夜物語」の原型といわれるものを復元
 「初期アラビア語原典による千夜一夜物語の書」
 という、研究成果を発表
 マフディーが
 マクドナルドの発見した
 アラビア語写本を子細に検討した結果、
 ド・サシー(Sylvestre de Sacy)の門下生で、
 18世紀の後期に商人となって
 エジプトに移り住んだ
 ジャン・ワルシー(Jean Varsi)という
 フランス人の筆跡によるもので、
 ガランのフランス語訳から
 逆に
 アラビア語に訳し直したものと解明・・・
 「アラビアン・ナイト」の外典としてあったのか、
 ガランが創作したのか、
 何によったのか、出所探しは振り出しに戻ってしまった
 「アリババと40人の盗賊」、
 「アラジンと魔法のランプ」のように、
 「アラビア語の原典」が
 見当たらない物語群は
 「orphan tales」と呼ばれている
 ・・・「アリババ」は兄の「カシム」の家に仕えていた若くて聡明な女奴隷の「モルジアナ」・・・「モルジアナ」は殺された「カシムの息子」の妻になり、洞穴の中に残っていた莫大な財宝は国中の貧しい人たちに分け与え、「アリババ」の家は末永く栄えた・・・
 今現在は・・・どうなんだか?・・・  
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 使徒言行録
 (ギリシア語=Πράξεις τῶν Ἀποστόλων
  ラテン語Acta Apostolorum)
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 「使徒言行録」
 キリスト教の最初期
 使徒ペトロとパウロの活躍
 エルサレム教会と
 初期のユダヤ
 キリスト教コミュニティー
 コルネリウスの洗礼をへて
 異邦人(非ユダヤ人)へと広がっていた記録
 ルカによって書かれたもの
 「テオフィロ(神を愛する者)」
 に献呈
 エルサレム
 原始キリスト教会の地中海を
 反時計回りに主にパウロによって広げられる過程を描いている
 ローマ帝国全土に展開する様子
 パウロ以前にローマに教会が誕生
 パウロはローマに居住するローマ人に
 キリストの「軌跡=生涯の履歴」を伝えること・・・
  ↓
 「ルカ福音書
 ローマ帝国
 人口調査の記述から始まる・・・
 エルサレムからの活動が始まり、
 ユダヤから
 サマリア
 アジア地方
 ローマへと波及
 「使徒言行録(13章22節)」
 ペトロと
 パウロ
 の使徒の布教が中心
 2世紀初頭すでに存在・・・
 96年にはローマで、
 115年までには
 アンティオキア
 と
 スミルナ
 で読まれていたことは確実・・・
   ↓
 キリスト教宣教の準備(1:1-2:13)
   ↓
 イエスの昇天とマティアの選出(1章)
 聖霊降臨(2:1-2:13)
 エルサレムにおける宣教(2:14-8:3)
 ペトロの説教(2:14-2:47)
 ペトロとヨハネの活躍(3章-4章)
 アナニアとサフィラ(5:1-11)
 使徒たちの活動と迫害(5:12-5:42)
 ステファノら七人の選出(6:1-7)
 ステファノの殉教(6:8-8:3)
 ユダヤサマリアにおける宣教(8:4-9:43)
 サマリア宣教(8:4-8:25)
 フィリポとエチオピアの宦官(8:26-8:40)
 サウロの改心(9:1-9:31)
 ペトロの宣教(9:32-9:43)
   ↓
 異邦人宣教の開始(10:1-15:35)
   ↓
 異邦人への宣教(10:1-11:18)
 アンティオキアの教会(11:19-11:27)
 ヤコブの殉教とペトロの投獄(12:1-12:19)
 ヘロデ・アンティパス1世の死(12:20-12:24)
 パウロの第一回宣教旅行(13:1-14:21)
 エルサレム使徒会議(15:1-35)
   ↓
 パウロの世界宣教(15:36-28:31)
   ↓
 パウロの第二回宣教旅行(15:36-18:23)
 パウロの第三回宣教旅行(18:24-21:14)
 パウロの逮捕とローマへの連行(21:15-28:11)
 ローマでのパウロ(28:12-28:31)
  ↓
 使徒パウロの手紙(含む疑似パウロ書簡)
  ↓
 ローマの信徒への手紙
 (ローマ人への手紙、ローマ書) パウロ
 コリントの信徒への手紙一
 (コリント人への手紙一、コリント前書) パウロ
 コリントの信徒への手紙二
 (コリント人への手紙二、コリント後書) パウロ
 ガラテヤの信徒への手紙
 (ガラテヤ人への手紙、ガラテヤ書) パウロ
 エフェソの信徒への手紙
 (エフェソ(エペソ)人への手紙、
  エフェソ(エペソ)書) パウロ
 フィリピの信徒への手紙
 (フィリピ(ピリピ)人への手紙、
  フィリピ(ピリピ)書) パウロ
 コロサイの信徒への手紙
 (コロサイ人への手紙、コロサイ書) パウロ
 テサロニケの信徒への手紙一
 (テサロニケ人への手紙一、
  テサロニケ前書) パウロ
 テサロニケの信徒への手紙二
 (テサロニケ人への手紙二、
  テサロニケ後書) パウロ
 テモテへの手紙一
 (テモテ前書、一テモテ) パウロ(牧会書簡)
 テモテへの手紙二
 (テモテ後書、二テモテ) パウロ(牧会書簡)
 テトスへの手紙
 (テトス書) パウロ(牧会書簡)
 フィレモンへの手紙
 (ピレモンへの手紙、
  フィレモン(ピレモン)書) パウロ
 ヘブライ人への手紙
 (ヘブル人への手紙、
  ヘブライ(ヘブル)書) パウロか?
  ↓
 公同書簡
  ↓
 特定の
 共同体や個人にあてられたものではなく、
 より広い対象に
 書かれた書簡という意味・・・?・・・広報誌
  ↓
 ヤコブの手紙 (ヤコブ書) 主の兄弟ヤコブか?
 ペトロの手紙一 (一ペトロ) ペトロ
 ペトロの手紙二 (二ペトロ) ペトロ
 ヨハネの手紙一 (一ヨハネ使徒ヨハネ
 ヨハネの手紙二 (二ヨハネ使徒ヨハネ
 ヨハネの手紙三 (三ヨハネ使徒ヨハネ
 ユダの手紙 (ユダ書)
 使徒ユダ (タダイ)と主の兄弟ユダの二説・・・
  ↓
 ヨハネの黙示録 使徒ヨハネ
  ↓
 外典
 上記の27書以外にも
 「新約聖書」には含まれない文書
  ↓
 イエス・キリストと弟子たちの言語
 アラム語であった(ヘブライ語?と説も)
 「新約聖書
 のほとんどの書は
 「コイネー」と呼ばれる
 1世紀のローマ帝国内で広く用いられた
 口語的なギリシア語で書かれている
 「アチケー(アッティカ擬古文体)」
 と呼ばれた「古典ギリシア語」は用いられていない・・・
 「マタイ福音書」のオリジナルは「アラム語」・・・
  ↓
 「共観福音書
  ↓
 「マタイ福音書・マルコ福音書・ルカ福音書
 「ヨハネ福音書」は内容が異なる
  ↓ 
 「パウロの七つの書簡」
 「パウロの手紙」
  ↓
 正典の確定
 シノペ
 の
 マルキオン
 の選択作業
 「旧約聖書」を排除し、
 「ルカ福音書
 「パウロ書簡(牧会書簡3通を除く)のみを「正典」とした
 後
 彼自身も異端として排除された・・・
 200年頃
 「ムラトリ断片」ととして正典リストが作成
 367年
 アレクサンドリア
 の
 アタナシオスの書簡である
 (アタナシオスの第39復活祭書簡)
 397年
 第3回カルタゴ教会会議で確定
 「ヤコブの手紙・ヨハネの黙示録
 の扱いは決着しなかった
  ↓
 ギリシア語テキストは多くの
 写字生によって書き写され、後世に伝わった
 写本は古代では巻物(スクロール)の形
  ↓
 ネストリウス派キリスト教景教
 中国の唐代に漢訳聖書が日本にも伝わった・・・空海真言密教
  ↓
 1549年
 フランシスコ・ザビエル
 周防の大名
 大内氏に対して携えた聖書と注釈書を示した・・・
 1613年
 日本語に訳された聖書が京都で出版
 その聖書は残っていない・・・新井白石は見たかも・・・
 幕末、明治初期 
 プロテスタントの宣教師たちが
 中国で漢訳聖書を参照しながら日本語訳を開始
 (ヘボンによる1872年の新約聖書翻訳)
 1880年新約聖書
 1887年には旧約聖書を完成
 1917年には新約聖書は改訳
 日本社会ではその後、日本聖書協会が設立
 第2次世界大戦後に
 1954年
 新約聖書が口語訳聖書改定
 1955年
 旧新約聖書の口語訳改定
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