1636日目・・・外は暗闇で、ミゾレ混じりの雨と雷鳴、強風・・・TV、スゴイね、ッ、「折り紙」の言語化・・・「NHK・ETV・05 スーパープレゼンテーション・進化するorigami・・・折り紙が、今、驚くべき進化を遂げている。世界中に多くのファンを持つ折り紙作家のロバート・ラングが、医療や宇宙開発の分野で応用が進む折り紙技術を紹介する」・・・

 「origami」の前の番組は・・・再放送で以前にも見たけれど・・・「マルハナバチ」・・・スゴイねッ・・・
 「地球ドラマチックNHK・ETV・孤軍奮闘!女王バチの子育て〜密着・マルハナバチの一生〜2/9 (月) 0:20 〜 1:05」・・・
 「たった1匹でネズミから巣を奪い、コロニーを築くマルハナバチの女王。多くの子孫を残し、壮絶な最期を迎える。アルプス・丘陵地帯の四季の草花と女王バチがつむぐ物語。冬を迎える前に死ぬマルハナバチ。唯一、女王バチだけが土の中で冬越しする。雪解けとともに目覚めた女王バチは、たった1匹で巣を探す。土の中にある動物の巣や鳥の巣箱を狙い、時にはネズミと闘うことも。卵を大切に守り、子孫を育て、コロニーを築く。天敵の鳥やクマに襲われたり、農地拡大によって年々花が減ったり…。秋、試練を乗り越えて子孫に命をつないだ女王バチを待つ運命とは…(2013年オーストリア)」・・・だった・・・
 ・・・スゴイねッ、「旧約聖書(エゼキエル)」・・・「彼の預言」は終わったと思っていたけれど・・・どうやら、まだ「プロセス中」・・・人間は「戦争を繰り返す」のだから、「歴史的時間を区切って」も「類似の状況」は当たり前か・・・「神の幻」だったらイイのに・・・事後、後付、結果論の「現実」は現実である・・・「まほろば(真滅場・魔滅葉)」は「真秀」「まぼろし」の警告・・・
 以前、「2013/2/21」でも書き込んだが・・・
 「まほろば」・・・現存古事記原文?(真福寺写本)」では「夜麻登波 久爾能・麻・本・呂・婆」で、「夜(ヤ・よ・埜=木木土→キキド)の的の葉」、「句字に納める、アサ(字・朝)の本の呂(賂)、婆(ナミのオンナ→ザブン、ザブン→座分、座文の天文、夜の星座)」である。類似のコトバは「まぼろし(幻)」だろう。「大法螺の太安万侶」だろう・・・
ーーーーー
  ↓
 エゼキエル書
 第1章
 1:1 第三十年四月五日に、わたしがケバル川のほとりで、捕囚の人々のうちにいた時、天が開けて、神の幻を見た。
 1:2 これはエホヤキン王の捕え移された第五年であって、その月の五日に、
 1:3 主の言葉がケバル川のほとり、カルデヤびとの地でブジの子祭司エゼキエルに臨み、主の手がその所で彼の上にあった。
 1:4 わたしが見ていると、見よ、激しい風と大いなる雲が北から来て、その周囲に輝きがあり、たえず火を吹き出していた。その火の中に青銅のように輝くものがあった。
 1:5 またその中から四つの生きものの形が出てきた。その様子はこうである。彼らは人の姿をもっていた。
 1:6 おのおの四つの顔をもち、またそのおのおのに四つの翼があった。
 1:7 その足はまっすぐで、足のうらは子牛の足のうらのようであり、みがいた青銅のように光っていた。
 1:8 その四方に、そのおのおのの翼の下に人の手があった。この四つの者はみな顔と翼をもち、
 1:9 翼は互に連なり、行く時は回らずに、おのおの顔の向かうところにまっすぐに進んだ。
 1:10 顔の形は、おのおのその前方に人の顔をもっていた。四つの者は右の方に、ししの顔をもち、四つの者は左の方に牛の顔をもち、また四つの者は後ろの方に、わしの顔をもっていた。
 1:11 彼らの顔はこのようであった。その翼は高く伸ばされ、その二つは互に連なり、他の二つをもってからだをおおっていた。
 1:12 彼らはおのおのその顔の向かうところへまっすぐに行き、霊の行くところへ彼らも行き、その行く時は回らない。
 1:13 この生きもののうちには燃える炭の火のようなものがあり、たいまつのように、生きものの中を行き来している。火は輝いて、その火から、いなずまが出ていた。
 1:14 生きものは、いなずまのひらめきのように速く行き来していた。
 1:15 わたしが生きものを見ていると、生きもののかたわら、地の上に輪があった。四つの生きものおのおのに、一つずつの輪である。
 1:16 もろもろの輪の形と作りは、光る貴かんらん石のようである。四つのものは同じ形で、その作りは、あたかも、輪の中に輪があるようである。
 1:17 その行く時、彼らは四方のいずれかに行き、行く時は回らない。
 1:18 四つの輪には輪縁と輻とがあり、その輪縁の周囲は目をもって満たされていた。
 1:19 生きものが行く時には、輪もそのかたわらに行き、生きものが地からあがる時は、輪もあがる。
 1:20 霊の行く所には彼らも行き、輪は彼らに伴ってあがる。生きものの霊が輪の中にあるからである。
 1:21 彼らが行く時は、これらも行き、彼らがとどまる時は、これらもとどまり、彼らが地からあがる時は、輪もまたこれらと共にあがる。生きものの霊が輪の中にあるからである。
 1:22 生きものの頭の上に水晶のように輝く大空の形があって、彼らの頭の上に広がっている。
 1:23 大空の下にはまっすぐに伸ばした翼があり、たがいに相連なり、生きものはおのおの二つの翼をもって、からだをおおっている。
 1:24 その行く時、わたしは大水の声、全能者の声のような翼の声を聞いた。その声の響きは大軍の声のようで、そのとどまる時は翼をたれる。
 1:25 また彼らの頭の上の大空から声があった。彼らが立ちとどまる時は翼をおろした。
 1:26 彼らの頭の上の大空の上に、サファイヤのような位の形があった。またその位の形の上に、人の姿のような形があった。
 1:27 そしてその腰とみえる所の上の方に、火の形のような光る青銅の色のものが、これを囲んでいるのを見た。わたしはその腰とみえる所の下の方に、火のようなものを見た。そして彼のまわりに輝きがあった。
 1:28 そのまわりにある輝きのさまは、雨の日に雲に起るにじのようであった。主の栄光の形のさまは、このようであった。わたしはこれを見て、わたしの顔をふせたとき、語る者の声を聞いた。
 ↓
 「またその中には四つの生き物の姿があった。その有様はこうであった。彼らは人間のようなものであった。それぞれが4つの顔を持ち、4つの翼を持つていた。脚はまっすぐで、脚の裏は子牛の脚の裏に似ており、磨いた青銅が輝くように光を放っていた。また翼の下には4つの方向に人間の手があった。4つとも、それぞれの顔と翼を持っていた」・・・「翼を持つ4つの生き物は人間(女性?)、ライオン、雄牛、ワシなどの顔をあらわす。戦車には人間が乗っている」
 四つの生き物
 新約聖書の書記たちを象徴
 「鷲・人間(女性)・牛・獅子の姿」+「両翼+手には聖書」・・・
 5) その火の中に
   4個の生物にてなる
   1個の形が見え、
   人間の形のようであった。
 6) おのおの四つの顔あり。
   おのおの四つの翼あり。
 7) その足は直なる足。
   その足の裏はまるみを帯びて、
   みがかれたる銅のごとくに光れり。
 8) その生物の四方に
   翼の下に人の手あり。
   この4つのもの、みな顔と翼あり。
 9) その翼は、互いに相連なり、
   行く時に回転しないで、
   おのおのその顔の向かう方向に行く。
 10) その顔の形は
人の顔のごとし。
    右には獅子の顔、
    左には牛の顔、
    鷲の顔あり。
 11) その顔と
その翼は上に伸ばされ、
翼二枚は、
相連なり、
二枚その身をおおう。
↓↑
 ・・・コレって、「UFO=未確認物体=空飛ぶ円盤」・・・?・・・「未承認・未商人・未証人・未昇任・未上人・未聖人・未小人」の「物体」だろう・・・
 「マルコ」のシンボルは
 「獅子(ライオン)」だったけれど・・・
 「牛(うし=丑・主)」のシンボルは
 「ルカ」とされる・・・
 「鷲(わし=酉・禽)」のシンボルは「ローマ」・・・
 「人間の姿」に両翼ならば大天使の「ミカエル・マイケル」・・・
ーーーーー
 ルカ
 (Λουκᾶς・Lukas・路加)傳
  ↓ 
 ギリシア語発音は
 「ルカス」
 「ルカによる福音書
 「使徒行伝」の著者
 カトリック教会の記念日は
 10月18日
 正教会の記憶日は
 4月22日(5月3日)
 日本語表記は
 「路加」・・・路を加える・・・
        新道路の延長
        地理書・輿(地図)
        「全ての道はローマに通じる」
        羅(馬)加(化・科・禍)
        瑠可・瑠香
        留華(支那
        露花→梅雨花・・・露西亜の花
        ロカ=濾過・芦花
           蘆花(徳富蘆花)?
  ↓
 「ルカによる福音書使徒行伝」
 「ルカ文書」
 「新約聖書」に
 「ルカ」という名前が
 「パウロの書簡」の協力者とし記録
 「コロサイ書」には
 「愛する医者ルカ」
 福音記者ルカの職業
 「医者」
 ルカは
 パウロの最初の
 マケドニア宣教
 マケドニアからエルサレム
 エルサレムから
 ローマへの護送に付き添っていた
 ルカおよびルカ福音書
 「牛(うし=丑・主)」のシンボルとされる
 「エゼキエル書(1-10)」に登場する
 四つの生き物
 (天使・鷲=鷹・獅子=ライオン・牛)の
 「牛」に由来
  ↓
 「ルカはシリアの
  アンティオキアの出身で、
  シリア人、
  職業は医者」
 「ルカは
  独身で、
  八十四歳
  でなくなった」
 「ボイオティアの
  テーバイ
  で84歳で死亡
 聖母マリアの絵を描いた
  ↓
 ヨーロッパ中世の
 画家・薬剤師のギルドは
 「ルカ」→シンボル「牛」→牛頭大王→祇園祭
 を守護聖人としている
 「ルカ文書の筆者」は不明・・・
ーーーーー
  ↓↑
 エドワード・ジェンナー
 (Edward Jenner)
 1749年5月17日〜1823年1月26日
 イギリスの医学者
 種痘法を開発した
 近代免疫学の父
  ↓
 ・・・「ジェンナー」は「牛痘の種痘」・・・「イギリスでは天然痘はしばしば流行していた。これに対する予防法としては18世紀初頭に、天然痘患者の膿疱から抽出した液を健康な人間に接種するという
 人痘法が
 アラブ世界からもたらされたが、この予防法では接種を受けた者の2パーセントは重症化して死亡するなど、危険を伴うものであった」、
 「1798年、これを発表し、その後、
  種痘法はヨーロッパ中にひろまり
  1802年
  イギリス議会より賞金が贈られたが
  医学界はこの名誉をなかなか
  認めなかった。
  また一部の町村では、
  牛痘を接種すると
  牛になると言われて苦労したが、
  接種を
 「神の乗った牛の聖なる液」
  と説明したと言われる。
  しかしその後の
  天然痘の大流行を機に
  ジェンナーの
  種痘法は急速に普及し、
 彼は
 「近代免疫学の父」と呼ばれるようになった。
 その後天然痘ワクチンは改良されて世界で使われ、
 1980年には天然痘の根絶宣言・・・?
  ↓
 「鳥の習性にも造詣が深く、
  カッコウ(郭公)→「郭務悰」→書く夢想
  の
  托卵や
  鳥の
  渡りを研究した」・・・
 「日本書紀」の原点は
 「郭公」鳥の「托卵」、「渡り鳥の習性」が鍵(キイ)だろう・・・「同音異字漢字、同義異字、異義同音のコトバ」・・・同義医事の・・・天国なのか地獄なのか、幕末、明治の廓(くるわ・郭・クルワ)の遊女と遊び人(遊男)の事情、情事・・・「茶柱の悲喜劇」・・・
  ↓↑
 「郭務悰」は
 「日本書紀天智天皇・二十六巻」に
 登場する正体不明な人物・・・
 白村江の戦い
 663年
  〜
 666年
  ↓↑
 「郭務悰」来朝
 664年と665年
  ↓↑
 天智天皇七年
 668年
 正月三日
 「日本」の国号の初見
  ↓↑
 「郭務悰」
 来朝の
 重複記事
 669年
 と
 671年11月
  ↓↑
 「唐国の使人
  郭務悰
  等六百人、
  送使
  沙宅
  孫登
  等千四百人、
  総合べて二千人が
  船
  四十七隻に乗りて
  倶に比知嶋に泊り・・・」
  ↓↑
 664年
 5月17日
 天智三年
  ↓↑
 百済鎮将の
 劉仁願が、
 朝散大夫
 郭務悰
 等を遣わし、
 表函と献物を送り届けた
 10月1日
 郭務悰
 を送り出す勅
 藤原(中臣→中富・中登美)鎌足
 は
 沙門智祥を遣わし、品物を
 郭務悰に贈
 10月4日
 郭務悰
 等を饗応
 12月12日
 郭務悰
 等が帰途
  ↓
 665年
 9月23日
 朝散大夫
 沂州
 司馬
 上柱国
 劉徳高
 等(254人)
 右戎衛郎将
 上柱国
 百済祢軍
 朝散大夫
 柱国
 郭務悰
 を派遣
 7月28日
 対馬
 9月20日
 筑紫に到着
 9月23日
 表函を奉る
 10月23日
 菟道で閲兵
 11月13日
 劉徳高
 等を饗応
 12月14日
 劉徳高
 等に物を賜
 12月
 劉徳高
 等は帰途
  ↓
 667年
 11月9日
 天智六年
  ↓
 百済鎮将
 劉仁願が、
 熊津都督府
 熊山県令
 上柱国
 司馬
 法聰
 等を遣し、
 大山下
 境部連
 石積
 等を
 筑紫都督府に送ってきた
 11月13日
 司馬
 法聰
 等が帰国
 小山下
 伊吉連
 博徳
 と、
 大乙下笠
 諸石
 をもって、使者を見送る
  ↓
 668年
 1月3日
 天智七年
 天智天皇即位
  ↓
 669年
 10月16日
 天智八年
 藤原内大臣鎌足薨去
 第5次
 遣唐使
 小錦
 河内直鯨
 等を派遣
  ↓
 671年
 1月2日
 大友皇子
 太政大臣
 1月13日
 百済鎮将
 劉仁願が、
 李守真
 等を遣わして、上表
 7月11日
 唐人
 李守真
 等と
 百済の使人等帰途
 11月2日
 沙門の道久
 筑紫君の薩野馬
 韓嶋の勝娑婆
 布師首の磐
 等四人が唐から帰国
 「唐国の使人
  郭務悰等600人、
  送使
  沙宅
  孫登等1400人、
  総計2000人、
  船47隻で
  比知島に停泊」
  相談し
  11月10日
  「・・・そこで
   道久
   等を遣して、
   前もって来朝の意を伝えたし」
 と、
 対馬国司が使いを
 太宰府に派遣報告
 12月3日
 天智天皇
 近江宮で崩御
  ↓
 672年
 3月18日
 内小七位
 阿曇連
 稲敷を筑紫に派遣し、
 天皇崩御
 郭務悰
 等に報告
 郭務悰
 等は、喪服を着て、
 三度哀の礼を奉じ、
 東に向って首を垂れた
 郭務悰
 等は再拝し、
 書函と品物を献上
 5月12日
 甲冑弓矢を
 郭務悰
 等に賜る
 郭務悰等への賜物は、全部で
 「あしぎぬ」1673匹、
 「布」2852端
 「綿」666斤
 6月30日
 郭務悰
 等、帰途
ーー↓↑ーー
 重複記事
ーー↓↑ーー
 664年
 5月17日
 百済の鎭将
 劉仁願、
 朝散大夫
 郭務悰等を遣して、
 表函と獻物とを進る
 10月1日
 郭務悰
 等を發(た)て遣す勅を宣たまふ
 是の日に、
 中臣内臣、
 沙門
 智祥を遣して、物を
 郭務悰
 に賜ふ
 10月4日
 郭務悰
 等に饗賜ふ
 12月12日
 郭務悰
 等罷り帰り・・・
ーーーーー
  ↓
 ジョン・ハンター
 ・・・「ジョン」の頭蓋骨と脳ミソを「ハンター」する・・・
  ↓
 (John Hunter)
 1728年2月13日〜1793年10月16日
 イギリスの解剖学者、外科医
 「実験医学の父」「近代外科学の開祖」
 「安易に手術を行うことに慎重であり、
  症例によっては
  自然治癒に任せた。
  教師としては、
  観察し、比較し、推論
  することを学生に要求」・・・
  論文は
 『ヒト歯の博物学
  および
  歯疾患の報告』・・・
 「エドワード・ジェンナー」
 とは
 師弟関係
 狭心症で死亡
 解剖教室のための死体調達で
 レスター・スクウェアの家は
 「ジキル博士とハイド氏」のモデル・・・になった・・・