1637日目・・・「約翰福音書・ヨハネ福音書」・・・「約=およそ・だいたい・まぁまぁ・about・nearly」で、「短く、縮めたモノ・短縮するコト」だが、熟語は「約束・契約」で、「旧約、新約の聖書」である。「翰=カン・おと・たか・なか・は・ふみ・もと」で、「羽毛でつくった筆」で、熟語は「翰墨」。「書いたもの・文章・手紙」、熟語は「貴翰・書翰・尊翰・来翰」。「学問・学者」で、「翰林」。「太い柱」で、「守りとなるもの」、「藩翰」・・・「翰=はね・ふで・やまどり・ふみ・ガン・カン」・・・では、「聖書・バイブ
「約」=「糸(幺小)」+「勺(勹ヽ)」
「翰」=「十」+「早(日十)」+「∧(ハ)」+「羽」
の分解文字の意味である
「悪事に手を染める、悪事から足を洗う」・・・「裸足で修行に歩いた僧は寺に帰り、泥足を洗うことで俗界の煩悩を洗い清めて仏業に入ったことから、悪い行いをやめる意味で用いられるようになった。 その意味が転じ、現代では悪業・正業に関係なく、職業をやめる意でも使われるようになった。 イエス・キリストは弟子の足を洗い、「互いに足を洗うことで、信頼関係を結びなさい」というメッセージを残したと言われ、これを語源とする説もあるが、意味も異なるため関連性は認められない」・・・関連性はアルのサッ・・・
「足を洗う=悪い仲間から離れる。好ましくない生活をやめる。職業・仕事をやめる場合にも用いる」
「やくざな稼業から足を洗うコト」が出来ない渡世モンは網走番外地の極寒の中・・・「橘真一」・・・
ーーーーー
旧約聖書民数記5章
「苦い水・苦くなり・苦くなる」
「become bitter」
「the bitter water」
「this bitter water」
と訳されている「ミリアム=マリア」
マリア(ミリアム・Mariam)=姦淫を呪うの意味
「ミリアム水」によって呪われた女性の名
↓
マグダラ(マグダレナ)の
マリアに
ナルドの香油で足を洗って貰ったのはキリスト
↓
マリアの名前、アラカルト
イエスの母マリア
サロメ (イエスの弟子のマリア・サロメ)?
・・・ナゼ、「サロメ」なのか?
マグダラのマリア=ベタ二アのマリア?
七つの悪霊をイエスに追い払ってもらった
イエスの足を涙で濡らし、
自らの髪で拭い、
足に接吻して
ナルドの香油を塗った(ルカ7:37-38)
マリア (クロパの妻・聖母マリアの姉妹)
マリア (小ヤコブとヨセの母=マリア・ヤコベ)
マリア (マルタの妹マルタ・ベタニアのマリア)
マルコの母マリア(使徒言行録12章12節)
パウロの友マリア(ローマ信徒への手紙16章6節)
京極マリア(浅井長政の姉
浅井久政の次女)
天文十一年(1542年)頃
小谷城で誕生
〜
元和四年七月一日
(1618年8月20日)
天正元年(1573年)以前に
嫡男の
京極高次は織田信長の人質
天正九年(1581年)
夫・京極高吉と共に
安土城城下で
オルガンティノ神父より洗礼
洗礼名として
ドンナ・マリアを授かり
数日後に京極高吉は死去
天正十五年(1587年)に
バテレン追放令後
豊臣秀吉の側室となった
竜子を除く四人の子に
洗礼を受けさせ
関ヶ原の戦い後に
次男の京極高知が領した
丹後国
泉源寺村(京都府舞鶴市)
に移り、布教活動
長男が領する
若狭の
小浜にも
たびたび足を運ぶ
法名は、
養福院殿法山寿慶大禅定尼
細川マリア(沼田 麝香=ジャコウ)
天文十三年(1544年)
〜
元和四年七月十六日(1618年9月4日)
永禄五年(1562年)頃に
細川藤孝(幽斎)の正室となる
父は
若狭国熊川城主
沼田光兼
永禄六年(1563年)
嫡子
細川忠興を出産
慶長五年(1600年)
息子の
細川忠興の正室、
明智光秀の三女(養女を省けば次女)
細川ガラシャ(明智珠・明智玉)が
西軍の人質となるのを拒み自害
(小笠原少斎に胸を突かせた)
↓
元禄十一年
1698年7月31日
神聖ローマ皇后
エレオノーレ・マグダレーネの
聖名祝日(7月26日)の祝いとして、
ウィーンの
イエズス会教育施設で初演された
戯曲「丹後王国の女王グラツィア」
元禄十一年六月三日(7月10日)
徳川光圀の側近の
佐々宗淳が死去
(1640年・寛永十七年生まれ)
彼は
(水戸黄門の
佐々木助三郎=スケさん)
モデルだった・・・
↓
細川麝香(ジャコウ)は
慶長六年(1601年)に
洗礼、
「細川マリア」と呼ばれた
天正十六年(1588年)に
三女の
多羅=たら
(稲葉一通の室)が生まれた
享年75
戒名は
光寿院殿華岳宗英大禅定尼
マリア・カラス
↓
「姦淫(女性)は石打ちの死刑(ユダヤ戒律)」
↓
「あなたたちの中で
罪を犯したことのない者が、
まず、
この女に石を投げなさい」
とイエスは言った。これを聞いて
誰も女に石を投げず、引き下がった。
また、
イエスも「女の罪」を許した。
↓↑
「罪深い女・姦淫の女・姦通の女・娼婦」が
「贖罪の女」として救われるのは
「聖母←処女マリアの妊娠=姦淫?強姦?」
にされた
「女性」
の他者(同名マリア)への示唆転嫁・・・カモ?
同時に「サメロの罪(ヨハネの首を獲た)」も、
キリストの弟子である
同名の「マリア・サロメ」として
「贖罪の女」として救われた・・・のカモ?
↓
水で足を洗うのは
「ヨハネ(世ハネ・世撥ね→拗者)
モンのグループ=ヨハネの派閥」
である
ギリシャ、ラテン系キリスト教徒
↓
「ヨハネによる福音書」
(Κατά Ιωάννην Ευαγγέλιον
Kata Iōannēn Euangelion
Evangelium Secundum Iohannem)
「第四福音書」
「第一マタイ、第二マルコ、第三ルカ」である
「共観福音書」の
次の四つ目、最後に書かれた
↓
「ヨハネ福音書」
本文が「一章の六行」から始まる
第1章
1:1
初めに言(コトバ)があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
1:2
この言は初めに神と共にあった。
1:3
すべてのものは、これによってできた。
できたもののうち、
一つとしてこれによらないものはなかった。
1:4
この言に命があった。
そしてこの命は人の光であった。
1:5
光はヤミ(闇=門+音)の中に輝いている。
そして、
ヤミはこれに勝たなかった。
↓
1:6
ここに一人の人があって、
神からつかわされていた。
その名を
ヨハネと言った。
1:7
この人はあかしのためにきた。
光についてあかしをし、
彼によって
すべての人が信じるためである。
1:8
彼は光ではなく、
ただ、
光について
証明(あかし)をするためにきたのである。
↓
・・・「物理学」・・・?
・・・「光(景)と影(陰・隠)」・・・「物」が無くちゃァ、「目」が無くちゃァ、「形の認識思考」はハジ(始)マラナイ・・・
ーーーーー
ヨハネ傳
「13章〜21章」
弟子たちに個々人に語った言葉
と
イエスの処刑にいたる経緯
と
イエスの復活の記録
↓
ヨハネ、キリストの弟子、
ゼベダイの子
使徒ヨハネである・・・
使徒ヨハネが最晩年に
エフェソスにおいて
弟子
プロクロスに口述筆記させたモノ・・・
↓
19世紀以来の学術的な見解・・・?
↓
研究の結果、
「使徒ヨハネ」は
「第四福音書」の著者ではない・・・らしい
「無名の者」によって執筆された・・・?
キリストを「非神話化」したモノ・・・?
「奇跡」は無かった・・・?・・・天国も?
・・・奇蹟の記述はアル・・・
「使徒トマス(Thomas the Apostle
生年不詳 - 72年12月21日)」
への批判的な記述あり
「不信のトマス(本名はユダ・Judas)」・・・?
・・・彼はイエスの言葉を理解出来ない
・・・ナゼ、「本名」が「ユダ」なのか?
・・・同名は「イスカリオテのユダ」だが・・・
・・・「同名」のモノが複数あっても不思議じゃないけれど・・・「スパースター」・・・の諸経費管理人・・・あるいは、「マネージャー」・・・これらの源泉徴収はダレから・・・打出の小槌(小鎚)の軌跡・・・
ーーーーー
↓↑
http://matome.naver.jp/odai/2140582733756974101/2140582895957916003
http://matome.naver.jp/odai/2140582733756974101
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/607.html
↓↑
「1981年
ハッカリ県ウルデレ村
トルコ東部に位置し
シリアと国境に近い
この村であるものが発見された」
↓↑
「バルナバの福音書」
では、使徒パウロを「騙された者」と呼び、三位一体を完全否定。さらにイエスは神がアブラハムやモーゼ同様に預言者として遣わした「人の子」であり、磔にされる間際に神が天に引き上げ死なずして天国の住人となり、
替わりに十字に架けられたのは
イスカリオの
ユダであったと書かれている。
(出典 ja.wikipedia.org)
↓↑
「バルナバ文書は
イスラム教によって
オリジナルの福音書とされているが、
キリスト教側では後に
外典として排除していた。
そのため
バルナバ文書は新約聖書正典である
4つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)
には加えられておらず、
一部では中世に作られた
偽書であるとみなされてきた」
ーーーーー
ヨハネ福音書では
↓
イエスは
七度「私である」と自分自身に言及
サタン、悪魔、悪魔、
終わりの時の予言、
山上の説教、
倫理的な訓話
等が無い・・・
13章
「3-16」で
イエスは弟子たちの「足を洗う」記述
「20:1」で
マグダラのマリアは一人でキリストの墓へ向かう
マグダラのマリアは空の墓を二度訪れ
二度目には天使を見ているが、
天使たちはイエスの復活は告げず、
「なぜ泣いているのか」と訊ねるだけ
マリアは近づいてきたイエスを
墓守だと思い込んで触れようとするが
イエスに
「私に触れてはならない」
と言われる
トマスに対しては
イエス自身の脇腹に
刺された(槍の)傷に指を入れさせ
幽霊ではないことを確認させようとした
トマスは実際には
イエスに
触れることはなかったが・・・?触れて
復活を信じた
「トマス(ユダ)」=「イエスの愛しておられた弟子」
の名前は本文中では明らかにされない
↓
イエスの活動期間の記録
他の福音書は
1年弱の期間だが
ヨハネ福音書は
3年弱の期間
↓
ヨハネ福音書
光と闇の「二元論」
↓
「洗礼者ヨハネ」を
光を証する者とするが
ヨハネの逮捕や死の記述が無い
↓
「ヨハネ福音書」の成立
↓↑
ユダヤ戦役後
ファリサイ派は
ヤムニア宗教会議で
旧約正典の範囲を定め、
キリスト者を異端とし
会堂(シナゴーク)から
追放(90〜100年)だされ、
「ヨハネ派キリスト教徒」である
「ユダヤ人キリスト教徒」は
「異邦人キリスト教徒」に合流
「ヨハネの兄弟
大ヤコブ」の記録が無い
故郷ガリラヤでは
イエスは受容れなかったと
するマルコ福音書と違い、
ヨハネ福音書では
イエスは歓迎されたと記録
群集は「オクロス」、
民衆は「ラオス」と区別し
「ルカ」は「ラオス(民衆)を
「キリストを受け入れた民」
とし
「親ファリサイ派」的とし、
イエスの兄弟
「ヤコブを批判」
↓
奇蹟
ガリラヤでは4回
ユダヤで2回
ユダヤでは
ファリサイ派と対立
(石打の刑の危機)
不信仰の地とされた
エルサレム近郊の
ベタニアでの最後の奇跡
死後四日経っていた
「ラザロ=ラザリ=エルアザル」
・・・・ベタニアの
マルタ(マルファ)と
マリアの弟
の
蘇生を記録
↓
最後の晩餐は
共観福音書では
「過越祭の夜」
ヨハネ福音書では
「過越の夜の前夜」・・・?
・・・日にちなのか、時間なのか?
・・・「過越の夜」の起点分岐では時間・・・
↓
イエスの死の理由
ローマ軍から
ユダヤ民族を守るために
犠牲となることを、・・・?・・・ではなく、
(ユダヤ階級社会での自己保身のタメ)
大祭司
カイアファ(カヤパ)の口を通して言わしめる・・・?
(11章49−52)
・・・「カイ-アファ」
「Χ・甲斐・蝦夷・歌意」阿付会(會)
・・・「解---有附蛙(かえる・かわず
亜=あまねし
唖=おし
阿=おもねる
痾=コジレて長引く病」
「カイアファ(カヤパ)=カイアファの子ヨセフ」
・・・本名が「ヨセフ」で、
・・・「カイアファ(カヤパ)」は父の名を継承
ローマ提督
ポントピラトの
イエスに対する裁きは
「アンナス(前ユダヤの大祭司)」に引き渡され、
その後
「カイアファ(カヤパ)=ヨセフ」の庭でなされた
↓
「イエスの愛する弟子」とは
「使徒ヨハネ(マルコ)」か
「ラザロ=ラザリ=エルアザル」か
「他の誰か」なのかは不明
「ディディモ(双子)」の・・・?
「ユダ・ディディモ」
↓
本名「ユダ」の
綽名(あだ名・渾名・仇名)
・・・「出意、泥、出入、day」の「模」
「トマス」は、
「見なければ信じない」と言った
が、彼だけが
「復活したイエス」に「神」と信仰告白
「トマス福音書(ナグ・ハマディ文書)」
では、
「トマス」はイエスの一番弟子・・・?
・・・「トマス」が「双子(ふたご)の兄弟」ならば、片割れはダレなのか?・・・やっぱ、「トマス(?)=ユダ」と、「トマス(?)=ユダ」・・・ダブルとは「影武者」で、「奇術の道具=手段」である・・・復活者はダレなのか?・・・「大堆」と「小堆」は「双子の兄弟」で、弟が「ヤマトたける=倭男具那」だった、が・・・
「日本書紀」では「日本武尊」、
「古事記」では「倭建命」
またの名を
「日本童男」、
「倭男具那命(やまとをぐな)」
↓
「ヨハネ福音書」には
「隣人愛」の記述が無い・・・
↓
処女マリアの妊娠
ローマ兵
「パンテラ」との姦通・・・「スタダ」説もある?
↓
そこで彼らはイエスに言った、
「わたしたちは、
不品行の結果うまれた者ではない。
わたしたちには
一人の父がある。それは神である
(ヨハネ福音書8章41)」
「マリア(女系)の息子、イエス(マルコ6章)」
・・・「ヨセフ(男系)の息子」ではない・・・
「マリアが生んだ私生児」ラビ文献・・・
↓
ヨハネ福音書8章44
↓
「あなたがた(ファリサイ派のユダヤ人)は
自分の父、
すなわち、
悪魔から出てきた者であって・・・」
ーーーーー
・・・「マリア」に栄光アレ・・・