1615日目・・・大正七年・・・1918年(戊午年)・・・オフクロが生まれる三年前・・・第一次世界大戦・・・「3月3日」・・・

 翌年の大正八年・・・1919年2月6日・・・「ヴァイマル憲法」制定・・・これって、「共同幻想」・・・
ーーーーー
 1918年
  ↓
 干支暦 - 戊午年
 日本(月日は一致)
 大正七年
 皇紀2578年
 中国(月日は一致)
 中華民国七年
 朝鮮(月日は一致)
 檀紀4251年
 主体七年
 主体暦は、
 朝鮮民主主義人民共和国
 1997年に制定された・・・
ーーーーー
  ↓
 1月
 1月1日 - 英政府が珍田駐英大使にウラジオストク共同出兵を提案
 1月8日 - 第一次世界大戦: ウィルソン米大統領が十四か条の平和原則を連邦議会で発表
 1月27日 - フィンランド内戦勃発(〜5月15日)
     並木製作所(後のパイロットコーポレーション)設立
 1月30日 - 豊田紡織(現:トヨタ紡織)設立
  ↓
 2月
 2月6日 - イギリスで選挙法改正(30歳以上の女性に参政権
 2月16日 - リトアニアロシア帝国からの独立を宣言
 2月24日 - エストニアロシア帝国からの独立を宣言
  ↓
 3月
 3月3日 - 第一次大戦
      ソビエト政権とドイツとの間で
      ブレスト・リトフスク条約が締結される
      中央同盟国
     (ドイツ帝国オーストリア=ハンガリー帝国
      オスマン帝国ブルガリア王国)と
      ロシア共和国
      および
      ウクライナ人民共和国
      ボリシェヴィキ政府(ソ連の前身)とが
      講和を結んだ。
      この条約により、
      ロシアが第一次世界大戦から離脱
 3月5日 - イギリス・フランスなどが対ソ干渉戦争を開始
ソビエトペトログラードからモスクワに移動
 3月7日 - 松下電器産業(当時の社名松下電気器具製作所)設立
 3月12日 - ソビエトがモスクワを首都とする
 3月19日 - 米国議会が標準時・夏時間の導入を決定
 3月21日 - 第一次大戦: ドイツ軍がパリ砲で砲撃を開始
 3月25日 - ベラルーシが独立を宣言
  ↓
 4月
 4月1日 - 英国空軍創設(陸軍航空隊と海軍航空隊を再編)
     丹那トンネル起工
 4月5日 - 日英両軍が居留民保護を理由としてウラジオストクに上陸
 4月29日 - ウクライナでヘーチマンの政変起こる
      ヘーチマンはウクライナ国家の元首の称号
      軍最高司令官の称号「ヘトマン」のウクライナ語名
      ウクライナキエフで発生した右派による政変
      
 4月30日 - 東京女子大学創立
  ↓
 5月
 5月2日 - ゼネラルモーターズがシボレーを買収
 5月10日 - 象印マホービン創業
 5月15日 - 米国郵政省(後の米国郵便公社)が世界初のエアメールを開始
 5月28日 - アルメニアアゼルバイジャンが独立を宣言
  ↓
 6月
 6月10日 - 稲畑産業設立。
      1890年、京都府派遣留学生として
      フランスのリヨンで染色技術を学んだ
      稲畑勝太郎が帰国後、
      京都に稲畑染料店を開業したのが
      稲畑産業の起源である。
      その後、1893年に社名を稲畑商店と改名
      稲畑産業ロゴマークは「IK」
 6月12日 - ロシアはウクライナに対し休戦協定
      
 6月21日 - 英政府が珍田駐英大使にシベリア出兵を要請
      ソビエト政権が戦時共産主義を採用
      イマヌエル・カント実践理性批判」邦訳
  ↓
 7月
 7月1日 - 児童雑誌「赤い鳥」創刊(鈴木三重吉
 7月8日 - アメリカがシベリアへの日米共同出兵を日本政府に提案
 7月12日 - 日本海軍の戦艦『河内』が徳山湾で爆発事故により沈没
 7月15日 - 第一次世界大戦: 第二次マルヌ会戦はじまる。
 7月17日 - ロシア・エカテリンブルクのイパチェフ館に監禁されていた元ロシア皇帝ニコライ2世とその家族5人、従者4人が銃殺された。
     日本政府が日米共同出兵同意をアメリカに回答
 7月22日 - 富山県米騒動がおこる。
 7月31日 - 米価が大暴騰し、米市場が大混乱
  ↓
 8月
 8月2日 - 日本がシベリア出兵を宣言
      アメリカがシベリアに出兵する。
  ↓
 9月
 9月21日 - 寺内内閣総辞職
      西園寺公望に組閣命令(辞退)
 9月29日 - 原内閣成立(日本最初の本格的な政党内閣)
  ↓
 10月
 10月1日 - 森永ミルクチョコレート発売
 10月23日 - 第一次世界大戦
       ヴィットリオ・ヴェネトの戦い(〜11月3日)
 10月28日 - チェコスロバキアオーストリア=ハンガリー帝国からの独立を宣言
       エジプトで民族主義者サアド・ザグルールによってワフド党が組織される。
 1918年10月29日 - ヴィルヘルムスハーフェン港にいたドイツ大洋艦隊の水兵達約1000人が、イギリス海軍への攻撃のための出撃命令を拒絶し、サボタージュを行った。海軍司令部は作戦中止をもたらしたサボタージュの兵士たちを逮捕し、キール軍港に送った。
 11月
 11月1日 - キールに駐屯していた水兵たちが仲間の釈放を求めたが、司令部は拒絶した。
 11月3日 - 水兵・兵士、さらに労働者によるデモが行われた。これを鎮圧しようと官憲が発砲したことで一挙に蜂起へと拡大
 11月4日 - 労働者・兵士レーテ(評議会、ソビエトとも訳される)が結成され、4万人の水兵・兵士・労働者が市と港湾を制圧した(キールの反乱)。
      レーテは政府が派遣した社会民主党員グスタフ・ノスケを総督として認め、反乱は一応鎮静化した。しかしこの後キールから出た水兵や労働者によって事件はたちまち広まり、
 5日にはリューベックブルンスビュッテルコーク、
 6日にはハンブルクブレーメン、ヴィルヘルムスハーフェン、
 7日にはハノーファー、オルデンブルク、ケルン、
 8日には西部ドイツすべての都市がその地に蜂起したレーテの支配下となった。
 11月7日 - バイエルン革命(ミュンヘン革命)ではバイエルン王ルートヴィヒ3世が退位し、君主制廃止の先例となった。
      大衆的蜂起と労兵レーテの結成は、11月8日までにドイツ北部へ、11月10日までにはほとんどすべての主要都市に波及      レーテ運動
      ボリシェビキのような
      前衛党派が
      指導したわけではなく、
      多くの労兵レーテの実権は
      社会民主党が掌握
  ↓
 11月3日 - 第一次大戦
      オーストリアが休戦協定に調印(ヴィラ・ジュスティ休戦協定)
     ドイツ革命
     ドイツのキール軍港で水兵が反乱を起こす。
     ドイツ革命が始まる。
     ポーランドソビエト連邦から独立を宣言
 11月9日 - ドイツ革命
      首都ベルリンの街区は、
      平和と自由とパンを求める
      労働者・市民のデモ      
      ドイツが共和国を宣言
 11月10日 -ドイツ革命・11月革命
      社会民主党
      独立社会民主党(USPD)、
      民主党からなる
      仮政府「人民委員評議会」が樹立
      一方、
      ベルリンの「労兵レーテ」は
      人民委員評議会を承認したものの、
      独立社会民主党の左派である
      革命的オプロイテが半数を占める
      大ベルリン労兵レーテ執行評議会を選出し、
      ドイツにおける最高権力と宣言し、
      二重権力状態が生まれた
      ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世がオランダに亡命
 11月11日 - 第一次大戦
      ドイツが休戦協定に調印し、第一次大戦終結
      カール1世 (オーストリア皇帝)が国事不関与を声明
 11月12日 - オーストリアが共和制に移行
 11月14日 - チェコスロバキアが正式に独立
 11月16日 - ハンガリーが独立宣言・共和制に移行(ハンガリー第一共和国
  ↓
 12月
 12月1日 - セルビアクロアチアスロベニア王国(後のユーゴスラビア王国)成立
     デンマークを宗主とする属国としてアイスランドが独立
 12月6日 - 大学令公布
 12月16日 -ドイツ全国労兵レーテ大会で、
      多数派を占める社会民主党員の賛成により
      国民議会の召集とそのための選挙の実施
 12月25日 - 第41議会召集
 12月23日 - ベルリン王宮を占拠していた
       人民海兵団を武装解除しようと
       エーベルト派遣の部隊と戦闘
       これに抗議して
       独立社会民主党は政府から離脱
       (人民海兵団事件)
 12月30日 - ローザ・ルクセンブルク
       スパルタクス団を中心に
       ドイツ共産党(KPD)が結成
  ↓
 日付不詳
 スペインかぜが大流行
 アメリカ海軍海兵隊航空団が公式に認められる
 シュペングラー『西洋の没落』
 魯迅狂人日記
 ロシア語正書法改革
  ↓
 1919年1月9日
 ノスケの指示によって、旧軍兵士によって編成された
 フライコール(ドイツ義勇軍)がベルリンに到着
 スパルタクス団などの革命派と激しい戦闘を展開
 1月15日までには革命派は鎮圧
 革命の象徴的指導者であった
 カール・リープクネヒト
 ローザ・ルクセンブルクが殺害
 フライコール(義勇軍)により鎮圧
 国防軍も動員され数ヶ月のうちにほとんど鎮圧
 1月19日、ドイツ国民議会選挙が実施され、
 社会民主党が第一党を獲得
 2月6日、ヴァイマルの地で国民議会が召集
 国家の政体を議会制民主主義共和国とする
 「ワイマール共和国」の誕生
 大統領にエーベルト
 首相にシャイデマン
 が選出
 社会民主党民主党・中央党からなる
 「ワイマール連合」政府が成立
 民主的な憲法
 「ヴァイマル憲法」が制定・・・
ーーーーー
 「足かけ
  5年にわたった戦争で
  900万人以上の兵士が戦死」
 ・・・そして、「ヴァイマル憲法」・・・
 ・・・「ヴァイマル憲法」は「幻想」に終わった・・・
 ・・・「日本国憲法」は・・・「幻想」か「妄想」か・・・
 「甲の午」の年は2月節分まで・・・「乙の未」の年はソレから・・・
 以上も、以下も参照、参考の原文は「ウイッキぺデア」・・・
  ↓
ーーーーー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E3%81%AE%E7%8A%A0%E7%89%B2%E8%80%85
  ↓
 第二次世界大戦
 被害者数の総計は
 5000万〜8000万人、
 8500万人とする統計もある・・・
 それでも、
 当時の世界の人口の
 2.5%余り・・・
 これらには飢饉や病気の被害者数も含まれる
 ↓
 民間人の被害者数
 3800万〜5500万
 飢饉病気によるものは
 1300万〜2000万)
 軍人の被害者数
 2200万〜2500万
 捕虜としての死者数も含む
  ↓
 軍人の犠牲者数には
 戦闘での死者数、行方不明、事故、病気、捕虜
 としての死者数も含まれる
 民間人の犠牲者数には
 戦略爆撃、大量虐殺、戦争犯罪
 ソ連強制移住なども含まれる
 気候だけでなく
 戦争を原因とする飢饉の被害者数は
 400万〜1200万とされるが、
 中国、インドネシア
 1943年のベンガル大飢饉、
 1945年のベトナム大飢饉、
 フィリピンにおける飢饉被害も含まれる・・・
ーーーーー
 「個々人」の「死」は総計として「統計学の数字」として記録される・・・「統計学は、経験的に得られたバラツキのあるデータから、応用数学の手法を用いて数値上の性質や規則性あるいは不規則性を見いだす。統計的手法は、実験計画、データの要約や解釈を行う上での根拠を提供する学問であり、幅広い分野で応用されている」・・・
 「死者の数」から、ナニを学びたいのカネ・・・明日の命・・・
ーーーーー
  ↓
 「英語で統計または統計学
   statistics と言うが、
  語源はラテン語
  「状態」を意味する
   statisticum であり、
  この言葉がイタリア語で
  「国家」を意味・・・・・?
  するようになり、
  国家の人力、財力等といった
  国勢データを
  比較検討する
  学問を意味するようになった。
  現在では、
  医学(疫学、EBM)、薬学、経済学、
  社会学、心理学、言語学など、
  自然科学・社会科学・人文科学の
  実証分析を伴う分野について、
  必須の学問となっている。
  また、
  統計学
  哲学の一分科の・・・?哲学は「if・カモ」だから
  である
  科学哲学においても
  重要なひとつの
  トピックス(topics)・・・・・?話題ってコト?
  になっている」
   ↓
  トピックス(topics)
  東京証券取引所第1部上場の
  全銘柄を対象とした
  株価指数
  増資による株数増加を調整した
  全銘柄の
  時価総額(株価×発行済株式数)を、
  基準時である
  1968年1月4日の
  時価総額
 (当初数値は8兆6020億5695万1154円)
  を100としてと比較して
  指数化したもの・・・
  1秒ごとに、算出・公表している
  株価指数である
   ↓
  東証1部上場の
  全銘柄の
  時価総額の合計を
  全銘柄で割って出した数字
   ↓
 ・・・「結果の数字」で、明日の「損得を予測する」・・・
 ・・・「計算結果」は推測、推定、推理、類推の「仮定、可能性の数字」、あるいは「誤差の幅の予測数字」で、予測は「仮数」で「確定数」ではない・・・
 「ウィリアム・ゴセット、続いてロナルド・フィッシャーが
  農学の
  実験計画法研究をきっかけとして
  数々の
  統計学的仮説検定法
  を編み出し、
  記述統計学からの時代に移る。
  ここでは
  母集団から抽出された標本を基に、
  確率論を利用して
  逆に
  母集団を・・・・・?「母集団」のナニを?
  推定するという
  考え方がとられる」
 ・・「推計の学」だからね・・・「確率論」は「確定論」ではない「率・割合」だから・・・
   ↓
 「統計の世界には
  Garbage in,
  garbage out
  という格言がある。これは、
 「ゴミのようなデータを使っていくら解析しても出てくる結果はゴミばかりだ」
 という意味・・・らしい・・・タシカにねッ・・・
 ・・・「実証分析」して、どうするつもりナンだか・・・「リスク分担」・・・「損得バランス」・・・
 「エンゲル係数(エルンスト・エンゲル)」も「統計学」・・・この割合は理解できる・・・物価が上がっても「喰わなくちゃァ〜」・・・コレも喰っちゃった「結果論」の「数字」だけれど・・・
 「客観確率」・・・・・・・?
  を前提に置く統計学に対し
 「主観確率」・・・・・・・?
  を中心に据えた
 「ベイズ統計学」が1950年代に提唱された。
 『ベイジアン
 「母集団の前提を必要とせず
  不完全情報環境下での
  計算や原因の確率を語るなど、
  およそ在来統計学とは正反対」
 「主観確率」には、
 新たに取得した情報によって
 「確率を更新する機能」が内包され、
 「統計学」では世界的に「ベイズ統計学」が主流となり、
 「先端的応用分野」ではもっぱら
 「ベイズ統計学」が駆使されている・・・
 ・・・「計量経済学、統計物理学、バイオテクノロジー、疫学、機械学習データマイニング、制御理論、インターネットなど、あらゆる分野でベイズ統計学実学として活用」
 「スパムメールフィルタ」や
 「日本語入力の予測変換」などに応用も数多い。
 「20世紀末には
  マルコフ連鎖モンテカルロ法など
  理論面で様々な革新的考案もなされ、
  旧来の統計学では
  不可能であったような
  各分野で多くの
  応用がなされるようになっている」
 ・・・「日本語入力の予測変換」・・・「誤差の僅少確率」で「予測選択」をする、と言うコトか?・・・「認識」は常に「主観的」な「選択」だと思うが・・・
 「いずれも計算環境の進歩と不可分である」
 ・・・らしい・・・???・・・