1597日目・・・日本の「つつがない」発展を求めていくとき・・・
「・・・先の戦争では300万を超す多くの人が亡くなりました。その人々の死を無にすることがないよう、常によりよい日本をつくる努力を続けることが、残された私どもに課された義務であり、のちに来る時代への責任であると思います。そして、これからの日本のつつがない発展を求めていくときに、日本が世界の中で安定した平和で健全な国として、近隣諸国はもとより、できるだけ多くの世界の国々と共に支え合って歩んでいけるよう、せつに願っています・・・」
81歳のお誕生日、おめでとうございます・・・これからも「つつがない」ご健康をお祈りいたします・・・
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「隋書俀国傳(二十四史の一つで第13番目・中国史の中、隋代を扱った歴史書=本紀5巻、十志30巻、列伝50巻で、十志の部分だけ通史)」・・・「調所和国傳」・・・?
「唐の
魏徴と
長孫無忌
らが唐の太宗の勅を奉じて勅撰。
編纂には
顔師古や
孔穎達らが参加
636年(貞観十年)には
魏徴によって
本紀5巻、列伝50巻が完成
第三代の
高宗に代替わりした後の
656年(顕慶元年)に、
長孫無忌によって
十志30巻が完成後、
編入
・・・「通史」・・・「十志」だけを独立して「五代史志」と呼び習わしていた・・・「断代史であって通史でもあるという正史が成立」・・・?
「通史」=「歴史記述法の一様式
ある特定の時代・地域・分野に限定せず、
全時代・全地域・全分野
を通して記述された総合的な歴史
「倭人の出自」=「太伯之後(晋書・梁書)」=中国の歴史記録=「呉の祖太伯の子孫」・・・
「論衡」
↓
「周時
天下太平
倭人來
獻
鬯草(異虚篇第一八)」
「成王時
越裳
獻
雉
倭人
貢
鬯(恢国篇第五八)」
・・・鬯=暢草・・・
「周時
天下太平
越裳
獻
白雉
倭人
貢
鬯草
食
白雉
服
鬯草
不能除凶(儒増篇第二六)」
・・・「白雉を食し
鬯草を服用するも、
凶を除くあたわず」・・・効き目が無かった・・・
「獻」と「貢」の違いはナニ?・・・
「貢献」=貢ぎ物を奉ること・また,その貢ぎ物
「献(獻)」=「南(十冂辛)+犬」
「南(ナ冂辛)+犬」
「鬳+犬」
ケン(漢) コン(呉)
訓読=たてまつる ・ささげる
上位者や神仏に物をさしあげる
献金・献血・献上・献呈
献本
・・・「文献」・・・「文=亠乂」+「献=南犬」
「献」=ナ+冂+辛+一+人+ゝ」
ナ(十・な)or(一ノ←ハジメの)
冂(まき・キョウ・ケイ」
部首は「けいがまえ・まきがまえ」
「同(々)」として
「ドウがまえ」とも
立
十
一
人
ゝ=ポチ・てん・灯火
一の字点(いちのじてん)
重ね字(かさねじ)
送り字(おくりじ)
揺すり字(ゆすりじ)
重字(じゅうじ)
重点(じゅうてん)
畳字(じょうじ)
踊り字、躍り字(おどりじ)
「約物」記号の一
「ゝ」=おなじ
=〃 仝 ゞ ゝ ヾ ヽ 々
「犬に付けられる名前。
明治期に来日した
フランス(仏蘭西・仏)語圏の
宣教師が、自分の犬を
petit(プチ=小さい・かわいい)
と呼んだのを、
日本人が犬の名前と誤って解釈
した、という説が広まった・・・
日本語の
「これっぽっち・ぽっちり」
など小さなモノの意に由来・・・
他には英語の
spotty(スポッティ=斑=マダラの犬)
チェコ語の
Pojd'(ポチュ=来い)などの説・・・
明治時代から広まった名称で
1901年(明治三十四年)に出版された
「幼年唱歌 初編 下巻」に収録された
童謡
「花咲爺」で犬の名前をポチとしている
権力者に対して
従順な者や
媚びへつらう者に対し、
「・・・幕府の犬めッ!」などと
同義の蔑称として使われる・・・
・・・「ポチ」は「プチブルジャージ(フランス語のプチブルジョア・Petite bourgeoisieの略」、「階級存在にかかわりなくブルジョワジー(Bourgeoisie)階級意識をもつ人)」の意識としての「小ブル」の「プチ」だろう・・・
↓↑
奉献
客に酒をすすめる
献酬・献杯
物知り。賢人。
「文献」
一献(コン)
杯のやりとりの度数
「献」
最も貴重な
「青銅鍋」で
「香肉」を煮ることで
祖先の神霊に奉献すること
拡張されて
「献花、献礼、献旗、貢献」などの
「進献」の意味になった
引き伸ばされて、他人に見させる表現
「献技、献丑(つたない芸を
お目にかけるという謙遜した意)」
「献殷勤(手厚く、
丁寧にさせていただくという意味)」
神に祈りをささげ、祈願する時
お供えとして
「犬(香肉=香辛料をまぶした肉?)」
を
「燔祭」として神前に捧げた
「犬」は神聖な動物であった・・・
「貢」=「工+目+八」
コウ(漢) ク(呉)
訓読=みつぐ
政府に物を献じる
みつぎもの
朝貢・入貢・来貢
力をささげる
貢献
人材を推薦する
貢挙
みつぎもの
年貢(ねんぐ)
先秦時代には地方の権力者が
中央の王=天子へ献上するものは
人と物を問わず
「貢」と称した
周辺国が貢物を捧げることを
進貢(しんこう)、
皇帝がその貢物を受け入れることを
入貢(にゅうこう)という
朝貢それ自体には
政治的な臣属という意味はなく、
その点で
「冊封」とは区別される・・・
・・・本の一冊を封じる・・・?
「封」=フウ(呉) ホウ(漢)
=「圭(土土)」+「寸」
出入り口をふさぐ
閉じ合わせる
封緘・封鎖・封入
完封・厳封・密封
閉じ合わせた箇所
封をしたもの
封書・封筒
開封・同封
減封(げんぽう)
金一封
素封家(そほうか)は
金はあるが地位がない・・・
封建時代の「商人(あきんど)」
ブル(bourgeoisie)だろう
・・・「貢(工+目+八)」の類字の
「頁(一+ノ+目+八)=ヨウ→葉)」は
「本のページ(page)」の意・・・
「工」は「たくみ(巧)」である。
「頁」の上の部分の「一+ノ」は連結した字で
「丁(ひのと・チョウ)or丅(カ)→T(ティ)」かも・・・
「丅(カ)」=「下」の原字、稀・訓読=した・しも・呉音=ゲ・漢音=カ」・・・
「くぎ(釘)の源字
壯年の男子
男子年二十を
成丁と爲す、
納稅兵役の義務ある者
書籍の表裏二ページ分の紙葉。また、折り丁の一折分
距離の単位」・・・豆腐一丁・・・
・・・「貢」は「目の巧な人・視力の良い人」、「貝(宝器、銭)の工(たくみ)なモノ」だろう・・・「巫女・占師・芸能・医者・大工」などの専門技術者は「匠(たくみ)」と訓読する・・・
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「経籍志」
第32巻−志27から第35巻−志30にあたる
中国の正史に付されたものとしては、
『漢書』「芸文志」に次ぐものであった
↓
「律暦志」には、
宋斉代の
祖沖之(429年〜500年)が、
円周率を
「3.1415927の位」まで計算していたことを記録
ヨーロッパでは初めてこの桁数まで計算できたのは、
16世紀のこと
↓
隋書・東夷伝
第81巻列伝46
俀國(倭国 ヤマト政権)
と、
その王、
「多利思北孤」
「大業三年 其王
多利思北孤遣使朝貢
使者曰 聞
海西菩薩天子
重興
佛法
故
遣朝拜
兼
沙門
數十人
來
學佛法」
「菩薩天子」=「開皇十一年(591年)
菩薩戒により
総持菩薩となった
煬帝」
や、
「男女多黥臂點面文身 没水捕魚」
朝鮮半島にあった
高句麗、新羅、百済、琉求について記述
「新羅 百濟皆以俀爲大國 多珎物 並敬仰之 恒通使往來」
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「日出処天子 至書日没処天子
無恙」
(日出処の天子、書を没する処の天子に致す。
つつがなきや)
「帝覧之不悦(隋書俀国傳)」・・・俀=倭?
↓
つつがなきや
つつがなく
「病気になる」
「差し障りがある」
「恙む(つつむ)」
「恙み(つつみ)」
「つつみなし」
「恙む」=障害にあう意味
「慎む」「障む」「包む」
↓
「恙」=「憂」
「恙無し」
古代中国の「戦国の七雄」の一の
斉の国王が北方の
趙の国に人質にとられている
威太后が無事かどうかの安否を使者に確かめさせた時、
威太后も斉の国のことを心配し、
使者に尋ねた
「歳亦た恙無きや、
民亦た恙無きや、
王亦た恙無きや」
・・・「恙」=「羊(ひつじ・ヨウ)」+「心」・・・類字は「羔」=「羊+灬(燃・もやす)」で、「羊+X」→「姜美養羞羨羑着譱」、「義=羊+我」である・・・
「迷える羊の子」・・・新約聖書「マタイによる福音書18章・ルカによる福音書17章」・・・「Lost Sheep・Stray Sheep」・・・「ラテン語で財貨を意味するpecuniaという語は羊群pecusという語から派生」・・・
・・・「義=羊+我」は「羊を管理する我」なのか?、あるいは「我は管理される羊」なのか?・・・
「羊毛」・・・羅紗・・・羅紗緬・・・めんよう(綿羊=緬羊)・・・
「幕府の奥詰医師であった
本草学者の
渋江長伯
幕府医師
江戸郊外の幕府の
薬草園であった
巣鴨薬園の総督を兼ねていた
文化十四年(1817年)
薬園内で綿羊を飼育し、
羊毛から
羅紗織の試作を行った。
巣鴨薬園は当時
綿羊屋敷と呼ばれていた」・・・
「らしゃめんは=羅紗綿(緬)」・・・西洋人の「めかけ(妾)」になった日本女性の蔑称。「洋妾」とも・・・
「キリスト教ネストリア派=景教」では
「未艶(艶・艷)」とは
「聖母マリア」であった・・・
「イエス・クリスト」とは
「移鼠(イエス)迷師訶(メシア)」であった・・・
↓↑
子(鼠)→害→未(羊)←合→午(馬)→害←丑(牛)
子(鼠)→・・・・・・→合←・・・・・・・丑(牛)
↑
「メリーさんの羊=Mary Had a Little Lamb
(アメリカ童謡)」
↓↑
http://www.geocities.jp/lune_monogatari/mary.html
↓↑
メリーさんは子羊を飼っていました
その毛は白くて、雪のよう
メリーが行くところにはどこにでも
必ず羊はついていきました
ある日
羊はメリーの通う学校へついていきました
でもそれは校則違反でした
子供たちは笑い はやしたてました
学校にやってきた羊を見て
すぐに先生に追い出されましたが
それでも子羊 そばでうろうろ
しんぼうづよく待っていました
メリーが姿をみせるのを
どうして羊さんは
そんなにメリーのことが好きなの?
興奮した子供たちは叫びました
それはメリーが羊さんを大好きだからよ
と 先生は答えました
↓↑
作者はボストンで子どもの本の編集をしていた、
セイラー・J・ヘイル夫人。
1830年に自分の編集する雑誌
『児童文学』 にイニシャル入りで発表しました。
誰もが知っているからという理由で、
発明王
トーマス・A・エジソンが
蓄音機にはじめて吹き込み、
世界で
一番最初に録音されたのは、
エジソン自身が歌った
メリーさんの羊です。
アメリカの人々に広く知られ、
愛唱歌となったこの歌は、
次のような実話をもとに作られました。
↓
1806年、ニューイングランドのマサチューセッツ州にある小さな町、スターリングの農家で女の子が生まれました。
女の子の名はメアリー・ソーヤ。
メアリーが少女のころ、彼女の家で子羊が2匹生まれましたが、母羊は1匹の面倒しかみようとしません。
そこでもう1匹の世話はメアリーがすることになりました。
ごはんを食べさせ、毛をとかし、ときにかわいらしい赤いリボンをつけてあげるメアリーを母親のように思った子羊は、
いつも彼女のあとをついて歩くようになりました。
メアリーの行くところへはどこへでもトコトコ。
ある日、弟と一緒に学校へ向かっていたメアリーが気配を感じ振り向くと、そこには小屋から抜け出した子羊が立っていました。
結局、学校までついてきてしまった子羊をメアリーは机の下に押しこんで隠しました。
やがて授業が始まり、先生にみんなの前で朗読を命じられたメアリーが黒板に歩いていくと、そのあとを子羊が・・・。
教室は大爆笑。授業の邪魔になるということで外に追い出された子羊ですが、校庭で辛抱強くメアリーを待っています。
その様子を見た生徒たちが先生に質問しました。
「どうしてあんなに子羊はメアリーのことが好きなの?」
「それはね」
先生は答えました。
「メアリーが子羊をかわいがっているから。
メアリーが羊さんを大好きだから
羊さんもメアリーのことが大好きなのよ」
その後、
子羊は牛小屋に入って、
牛の角に突かれて死んでしまい、
悲しむメアリーを慰めるために、
母親は
死んだ子羊の羊毛で
ストッキングを編んであげたそうです
↓
「羊」=ひつじ=「未=日辻」・・・「辻」=「十字形に交わる所・人が往来する道筋・街頭」・・・
「辻」=「辶」+「十」は国字・・・