1568日目・・・字覶意也(じらいや・ジライイ也)・・・字を覶(楽しげに見る)意なり・・・「自来也→児雷也→爾来也→而来也」への変身・・・カエル・・・まさかの「地雷也」・・・

 クメールのアンコールワット、「シハヌーク」、「クメール・ルージュ」の「カンボジア(カンプチャ・柬埔寨・柬蒲塞・高棉)」の思想改造の名の下で虐殺、数100万人。「アウンサンスーチー」女史の「ミャンマービルマ・緬甸・旧首都はヤンゴン)」などのジャングル、国境地帯には「地雷」蔓延・・・
 ウイッキペデアで調べたら・・・
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 「自来也
 「感和亭鬼武」による読本
 「自来也説話(文化三年・1806年刊)
 義賊
 正体は
 三好家の浪士
 尾形周馬
 「蝦蟇」の妖術使い
  ↓
 感和亭 鬼武(かんわてい おにたけ)
 宝暦十年(1760年)
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 文化十五年二月二十一21日(1818年3月27日)
 戯作者
 1806年刊の
 「自来也説話」で知られる
 本名は
 前野曼七(まえのまんしち)
 前野曼助とする説もあり
 剣術
 「神道無念流」の使い手
 元々
 一橋家の
 勘定方幕臣
 武士をやめ隠居
 飯田町に住んだのち
 浅草へ転居、
 画を
 谷文晁に、
 戯作を
 山東京伝に弟子入りして学んだ
 交流のあった文人
 十返舎一九らが挙げられ・・・
 北宋の説話集
 「諧史」に登場する盗賊の物語を翻案し、
 1806年に
 「報仇奇談自来也説話
 (かたきうち
  きだん
  じらいや
  ものがたり)」を刊行
 葛飾北斎によって
 描かれた挿絵もあいまって評判となり、
 1807年に物語を基にした
 歌舞伎舞台が大阪で上演し
 鬼武は一躍著名な戯作家となる
 「近世物之本江戸作者部類」
 (滝沢解作)によれば、
 鬼武は
 梅毒に冒されて死亡したとされる・・・
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 「文字」は・・・乞食(こつじき)、コジキの重なり・・・です・・・?