1550日目・・・「はかばかしい」・「こうよう」・「だ」・「な」・「え」・「ぞ」・「ち」・「は」・・・庭に設置した「水道管」を取り外した・・・今年の収穫は胡瓜七本、西瓜一個、男爵芋十数個、南瓜零、ミニ赤茄子(苫ト)数十個・・・ピンクの薔薇の花は初夏〜晩秋の今現在まで十数輪も個々に散っては、個々に咲き続けて来ている・・・

ーーーーー
 以下、例のごとく原文はウイッキペデア・・・
  ↓
 薔薇の名前(ばらのなまえ)
 イタリア語原題:Il Nome della Rosa)は、
 ウンベルト・エーコが1980年に発表した小説。
 1327年、
 教皇ヨハネス二十二世時代の
 北伊太利亜
 カトリック修道院を舞台に起きる怪事件の謎を
 フランシスコ会修道士
 バスカヴィルのウィリアムと
 ベネディクト会の見習修道士
 メルクのアドソが解き明かしていく物語・・・
  ↓
 物語は、もともとラテン語で書かれ、フランス語に訳されたメルクのアドソの手記を「私」が手にし、その真偽を疑いながらも内容を明らかにし、イタリア語で出版したという形式をとっている。
  ↓
 本書はキリスト教の歴史と笑いの関係について問題提起した書でもあり、この本を受けてキリスト教と笑いに関する多くの書籍が出版された。
  ↓
 ・・・、「薔薇の名前」とは、メルクのアドソの初恋の相手で、生涯の唯一の恋人となった、この小説の主要登場人物中でただ一人、名前が明記されていない農民の少女の名前のことだと解釈されている。しかし、最後の一行の詩句が、非常に多義的な意味を持つことから、様々な解釈が行われている。
 ラテン語の詩句は、
 stat rosa pristina nomine,
 nomina nuda tenemus
 形式的に直訳すると、
 「以前の
  薔薇は
  名に留まり、
  私たちは
  裸の名を
  手にする」
 というような意味であるが、
 ベルナール自身の詩のなかで象徴的な意味を持っており、さらに小説のなかでも、
 多義的象徴的意味を持っている・・・
  ↓
 ・・・エーコの小説の「枠」を外した事実上の「始まり」の部分は、
 「初めに(原初に)、
  言葉があった( In principio erat verbum.)」
  (『ヨハネ福音書』1章1節)
 であり、「最後」は、筆写室に手稿を残してアドソが部屋を後にするという説明であり、そして、最後の最後に、上のラテン語の詩句が置かれている。
 「原初の薔薇(rosa pristina)」とは何で、
 「裸の名前(nomina nuda)」とは何か、
 作品は、
 言葉と実在の関係をめぐり、
 記号と世界の秩序の関係をめぐり、
 壮大な「薔薇の名前」の物語を築いている。
ーーーーー
 ・・・ボクの研究(?)は「キクの名前」であり、「サクラの名前」であり、「アシの名前」であり、「モミジの名前」等々・・・である・・・
 植物の「花(ハナ)の名前」でもあるが、「現存・古事記」の「同音異字漢字」の「?」である。もう少しハバを広げれば「同音(カタカナ)類似の異言語のスペル(単語)」である・・・「鳥獣の名前」も、「地名・国名・人名・数名・本名」等々の「名前も」・・・
 コンピュータ検索での各種「字典」の「振り仮名」が「平仮名」になっているのはドウシテナノカ?・・・すべて「にほんご」として理解せよ、と云う事なのか・・・
 以下は、ボクの「家頁」のアドレス・・・興味があれば、どうぞ・・・ご渡来ください・・・
   ↓
http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/fanin/pura2/kojiki39.htm
   ↓
 序(ついで)にお暇なら
 「プラトン(伯拉多)、現存・古事記をカタル」
 の目次でも眺めて欠伸でもしてください・・・
   ↓
http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/index-3.html
 兎に角、「ワラってバカリ」はイラレナイ・・・寒い「冬将軍」や、冷たい「氷の女王」が天空で構えている・・・ひゃッこい「雪の女王」か・・・