1521日目・・・偏西風の変化の要因は火山の噴火灰・・・今現在TV番組で「巨大災害・地球温暖化・激化する災害・異常気象の時代」・・・人間にとっては「異常」カモだが地球にとっては「通常」だろう・・・「自然の変化」は「人間の考え・意識」、「思想」として変化させたが「現実の階級社会」を変えようとはしなかった・・・

ーーーーー
 以下、ブログ記事、「又一気(ウイッキ)ペデア」などより・・・
  ↓
 インドネシア,北スマトラに位置するシナブン火山は,2010 年8 月,9 月に有史以来初めての水蒸気爆発を起した。
 その後,2013 年9 月に入って再びマグマ水蒸気爆発が開始し,同年11 月にかけて,噴煙高度が5kmに達する激しい噴火活動続けた。
 11月中旬からは火山灰中にマグマ物質の混入が認められ,11 月23 日のブルカノ式噴火では北東部に軽石が放出された。また,この噴火では噴煙が崩壊して小規模な火砕流が発生した。その後,噴火活動は見かけ上は停滞したものの,山頂部の膨張・崩壊が続き,12 月下旬から山頂火口に溶岩が出現し始めた。
ーーーーー
  ↓
 エイヤフィヤトラヨークトル
 2010年の噴火では、アイスランドエイヤフィヤトラヨークトルでの一連の主要な火山活動に関わる事象
 この噴火は、火山噴火としては比較的小規模であったが、
 2010年4月の6日間を最初の期間とし、以後、
 西ヨーロッパと北ヨーロッパの全域で航空運行に重大な混乱を引き起こした。その後、一局に集中された混乱が
 2010年5月まで継続した。
 噴火は2010年10月に終わったと公式に宣言された。
 そのとき氷河の雪は溶けなかった。
 まず2009年の年末に地震活動が始まり、2010年3月20日までに徐々に強さが増加した。始まった小さな噴火の火山爆発指数(VEI)の値は1と評価された。
 2010年4月14日に始まった活動から噴火は第2段階に入り、
 2010年4月15日から20日にかけて
 ヨーロッパのIFR空域の大部分を閉鎖に至らしめた
 灰雲(en)を生じさせた。
 その結果、
 ヨーロッパの地域内での航空便だけでなく、地域外からヨーロッパへの、またはヨーロッパから地域外への、多くの航空便がたいへんな規模でキャンセルされ、
 第二次世界大戦以後の航空運行の混乱としては最もひどい状況を引き起こした。
 噴火の第2段階は2010年4月14日に始まり、放出された
 テフラの量は
 2億5千万立方メートル(3億3千万立方ヤード)(¼ km3)となった。
 噴煙柱はおよそ
 9キロメートル (30,000 ft)の高さに至り、VEIは4と評価された。
 2010年5月21日までには、噴火の第2段階は、新たな溶岩または灰が発生されない程度に収まった。
 2010年5月24日の朝までには、ソゥルオゥルフスフェットル(Þórólfsfell)の上に設置されたウェブカメラがとらえた映像は、硫黄を含むガスの排出によって生じた青っぽい靄に取り巻かれた水蒸気の柱だけを示した。
 地表に広がる大量の乾いた火山灰を地表風がしばしば舞い上げることで、「灰霧」が起きて可視性が悪くなり、火山のウェブカメラによる観測を不可能にした。
 2010年6月6日の夕方までには、小さな新しい噴火口が、少量の灰の放出を伴う爆発的活動が観測された主要な噴火口の西部に開放された。地震計のデータは、地震動の頻度と強さがまだ噴火前に観測されたレベルを上回っていることを示した。これを受けて、アイスランド気象庁(IMO)とアイスランド大学地球科学研究所(Institute of Earth Sciences, University of Iceland 。IES)の科学者達は火山の観測を継続した。
 2010年10月、アイスランド大学地球科学研究所の科学者、Ármann Höskuldssonは、地域がまだ地熱によって活動的で、再び噴火するかも知れないが、噴火が表向きは終わっていると述べた。
 噴火の背景
 詳細は「エイヤフィヤトラヨークトル」を参照
 エイヤフィヤトラヨークトルアイスランド語: Eyjafjallajokull。発音: [ˈɛɪjaˌfjatlaˌjœkʏtl̥]、Eyjafjallajökull-glacier.ogg listen[ヘルプ/ファイル])は、アイスランドにある比較的小さな氷河の1つである。氷河はスコゥガル村の北、そしてより大きな氷河ミルダルスヨークトルの西にある。
 氷河の氷冠は、高さ1,666メートル(5,466フィート)の火山を覆っている。その火山は、最後の氷河期以来、比較的頻繁に噴火している。
 ごく最近に起こった大規模な噴火は、
 920年、
 1612年(3日間続いたと考えられている)、そして
 1821年から1823年(断続的に1年以上の間)にかけて起きていた。
 なおエイヤフィヤトラヨークトルの噴火の後には、
 隣にあるより大きな
 カトラ火山で噴火が続いて起こっている
ーー↓
 920年
 干支:庚辰
日本 延喜20年
皇紀1580年
中国 五代 後梁:貞明6年
十国 呉:武義2年
呉越:貞明6年(後梁元号を使用)
閩:貞明6年(後梁元号を使用)
南漢:乾亨4年
前蜀:乾徳2年
その他 遼:神冊5年
于闐:同慶9年
朝鮮 高麗:天授11年
後百済:正開21年
 ↓
 921年
 干支:辛巳
日本 延喜21年
皇紀1581年
中国 五代 後梁:貞明7年、龍徳元年
十国 呉:武義3年、順義元年
呉越:貞明7年、龍徳元年(後梁元号を使用)
閩:貞明7年、龍徳元年(後梁元号を使用)
南漢:乾亨5年
前蜀:乾徳3年
その他 遼:神冊6年
于闐:同慶10年
朝鮮 高麗:天授12年
後百済:正開22年
誕生
2月21日 (延喜21年1月11日)
安倍晴明平安時代陰陽師 (+ 1005年)
英子内親王平安時代の皇族 (+ 946年)
エドマンド1世、イングランド王 (+ 946年)
大中臣能宣、公家、祭主、歌人三十六歌仙の一人 (+ 991年)
柴栄、五代後周の第2代皇帝 (+ 959年)
徐鍇、五代十国時代の学者 (+ 975年)
斉子内親王平安時代の皇族 (+ 936年)
 ↓↑ 
 空海(くうかい、
 宝亀5年(774年)〜承和2年3月21日 (旧暦)
    (835年4月22日))は、
 平安時代初期の僧
 弘法大師(こうぼうだいし)の
 諡号
 (921年、醍醐天皇による)で知られる
 真言宗の開祖
 俗名(幼名)は
 佐伯 眞魚(さえき の まお)
 日本天台宗の開祖
  ↓
 「921大地震
 台湾時間の
 1999年
 「9月21日」1時47分18秒
 (日本時間2時47分18秒、協定世界時20日17時47分18秒)に、
 台湾中部の南投県集集鎮付近を震源として発生
 モーメントマグニチュード(Mw)7.6
 ↓
 922年
 干支:壬午
日本 延喜22年
皇紀1582年
中国 五代 後梁:龍徳2年
十国 呉:順義2年
呉越:龍徳2年(後梁元号を使用)
閩:龍徳2年(後梁元号を使用)
南漢:乾亨6年
前蜀:乾徳4年
その他 遼:神冊7年、天賛元年
于闐:同慶11年
朝鮮 高麗:天授13年
後百済:正開23年
 ↓
誕生
趙普、北宋の政治家、宰相 (+ 992年)
藤原安親、平安時代の公卿 (+ 996年)
死去
12月13日 (延喜22年11月22日)
是忠親王平安時代の皇族 (857年〜)
 ↓
 923年
 干支:癸未
日本 延喜23年、延長元年
皇紀1583年
中国 五代 後梁:龍徳3年
後唐:同光元年
十国 呉:順義3年
呉越:龍徳3年(後梁元号を使用)
閩:龍徳3年、同光元年(後梁後唐元号を使用)
南漢:乾亨7年
前蜀:乾徳5年
その他 遼:天賛2年
于闐:同慶12年
朝鮮 高麗:天授14年
後百済:正開24年
 ↓
誕生
9月7日(延長元年7月24日) - 朱雀天皇、第61代天皇(+ 952年)
高階成忠平安時代の公卿(+ 998年)
定宗、第3代高麗王(+ 949年)
藤原仲文平安時代歌人三十六歌仙の一人(+ 992年)
死去
4月14日(延喜23年3月21日) - 保明親王平安時代の皇族(903年〜)
6月15日 - ロベール1世、西フランク王国の国王(866年〜)
11月13日(延長元年9月27日)
平貞文平安時代歌人中古三十六歌仙の一人(872年〜)
朱友徽、後梁の皇族、初代皇帝の朱全忠の第七子(生年未詳〜)
朱友貞、五代十国時代後梁の第3代皇帝(888年〜)
朱友雍、後梁の皇族、初代皇帝の朱全忠の第六子(生年未詳〜)
タバリー、アッバース朝時代のウラマー(838年〜)
 ↓
 1612年
 干支 : 壬子
日本 慶長17年
皇紀2272年
中国 明 : 万暦40年
朝鮮 李氏朝鮮 : 光海君4年
 ↓
5月13日(慶長17年4月13日)
宮本武蔵佐々木小次郎が巌流島で決闘(『二天記』による)
9月24日
ロシア・ポーランド戦争のさなか、
 ミーニンとポジャールスキーらがポーランド占領下のモスクワを解放
 ロシア映画『1612』はこれを題材
誕生
6月23日
ユーストゥス・ゲオルク・ショッテル、文法学者(1676年〜)
死去
5月24日
初代ソールズベリー伯爵
ロバート・セシル、イングランドの政治家(1563年〜)
5月19日(慶長17年4月19日)
佐竹義重常陸戦国大名(1547年〜)
6月5日(慶長17年5月6日)
有馬晴信
肥前日野江藩初代藩主(1567年〜)
8月12日
ジョヴァンニ・ガブリエーリ、作曲家・オルガニスト(1557年?〜)
10月7日
ジョヴァンニ・バッティスタ・グァリーニ
詩人・劇作家・外交官(1538年〜)
 ↓
 1613年
 ↓
2月21日(ユリウス暦2月11日)
ミハイル・ロマノフがツァーリに即位
ロシア帝国ロマノフ朝が創始
クラウディオ・モンテヴェルディ
ヴェネツィアサン・マルコ寺院の楽長になる
誕生
8月7日(慶長18年6月21日)
尊清女王、江戸時代の皇族(1669年〜)
 ↓
 1614年
8月23日 - フローニンゲン大学が創立。
10月11日 - オランダ、ニューネーデルラント植民地建設。
12月19日(慶長19年11月19日)- 大坂冬の陣勃発。
ブロワの三部会召集(以後1789年まで閉会)。
誕生
八橋検校、音楽家・検校(+ 1685年)
死去
2月26日(慶長19年1月18日)〜
最上義光、武将・大名、出羽山形藩初代藩主(1546年〜) 
6月13日(慶長19年5月6日)
仙石秀久、武将・大名。信濃小諸藩の初代藩主(1552年〜)
8月11日
ラヴィニア・フォンターナ、画家(1525年〜)
8月17日(慶長19年7月12日)
角倉了以、豪商(1554年〜)
11月6日(慶長19年10月5日)
教如浄土真宗の僧侶、
東本願寺第十二世法主(1558年〜)
12月25日(慶長19年11月25日)
近衛信尹、公卿(1565年〜)
 ↓
 1615年
 干支 : 乙卯
日本 慶長20年、元和元年7月13日
皇紀2275年
中国 明 : 万暦43年
朝鮮 李氏朝鮮 : 光海君7年
 ↓
大坂夏の陣
8月7日(慶長20年閏6月13日)
江戸幕府一国一城令を発令。
9月5日(慶長20年7月13日)
日本、改元して
元和元年
武家諸法度
禁中並公家諸法度制定
誕生
3月13日
インノケンティウス12世、ローマ教皇(+ 1700年)
 ↓
1821年〜1823年
  ↓
 1821年
3月25日 - ギリシャオスマン帝国から独立を宣言(ギリシャ独立戦争開始)
7月10日 - 米国がスペイン領フロリダを獲得(アダムズ=オニス条約発効)
7月28日 - ペルーがスペインから独立
8月7日(文政4年7月10日)
伊能忠敬らによる『大日本沿海輿地全図』が完成
8月10日 - 米国でミズーリが24番目に州となる
8月19日 - 英国でジョージ4世戴冠式
8月21日 - 南太平洋でジャーヴィス島が発見さる
9月15日 - グアテマラエルサルバドルホンジュラスコスタリカがスペインから独立
9月18日 - 米アマースト大学創立
9月27日 - メキシコがスペインから独立(メキシコ独立革命参照)
11月28日 - パナマがスペインから独立(パナマの歴史参照)
12月30日(文政4年12月7日)
陸奥国梁川藩松前章広、
蝦夷松前藩に転封
日付不詳
ポルトガル宮廷ブラジルよりリスボンに帰還
トーマス・ゼーベックがゼーベック効果を発見
誕生
10月16日 - フランツ・ドップラー、作曲家(+ 1883年)
11月11日(ロシア暦10月30日)
フョードル・ドストエフスキー、小説家(+ 1881年
11月24日 - ヘンリー・バックル、歴史学者(+ 1862年
12月12日
ギュスターヴ・フローベール、フランスの小説家(+ 1880年
死去
3月31日(文政4年2月28日) - 山片蟠桃、商人・学者(1748年〜)
5月5日
ナポレオン・ボナパルト
軍人・政治家・皇帝(1769年〜)
10月7日(文政4年9月12日)
塙保己一国学者(1746年〜)
  ↓
 1822年
 干支 : 壬午
日本(寛政暦) 文政5年
皇紀2482年
中国 清 : 道光2年 
朝鮮 李氏朝鮮 : 純祖22年
誕生
10月26日(文政5年9月12日) - 島義勇、元開拓使主席判官・秋田県令(+ 1874年)
11月10日 - ウィリアム・ヘンリー・トレスコット、政治家(+ 1898年)
11月26日 - リリー・マーティン・スペンサー、画家(+ 1902年)
12月10日 - セザール・フランク、作曲家(+ 1890年)
12月24日 - マシュー・アーノルド、詩人(+ 1888年
12月24日 - シャルル・エルミート、数学者(+ 1901年)
12月27日 - ルイ・パスツール、生化学者・細菌学者(+ 1895年)
月日不詳 - 雲龍久吉、大相撲第10代横綱(+ 1890年)
月日不詳 - 橋本勘五郎、熊本藩の石工(+ 1897年)
死亡
4月2日(文政5年3月11日)
上杉鷹山
米沢藩藩主(1751年〜)
  ↓
 1823年
 干支 : 癸未
日本(寛政暦) 文政6年
皇紀2483年
中国 清 : 道光3年 
朝鮮 李氏朝鮮 : 純祖23年
誕生
3月12日(文政6年1月30日)
勝海舟江戸幕府海軍奉行(+ 1899年)
5月16日 - ハイマン・シュタインタール
言語学者(+ 1899年)
死亡
1月26日
エドワード・ジェンナー、
医学者(1749年〜)
ーー↓ーー
 クリミア戦争(クリミアせんそう、英: Crimean War、仏: Guerre de Crimée、露: Крымская война、土:Kırım Savaşı)
 1853年〜1856年
 クリミア半島での戦争
 フランス
 オスマン帝国
 イギリス
 同盟軍及びサルデーニャ
 VS
 ロシア
 戦闘地域は
 ドナウ川周辺、
 クリミア半島
 カムチャツカ半島・・・
ーー↓↑ーー
ーー↓↑ーー
 インドネシアスマトラ島北部に位置する
 シナブン山が、
 2014年2月2月1日の午前に噴火
 1883年の
 5月10日、微々たる揺れ
 5月15日、振動は前回よりも強く長く続き、広範囲で感じられた
 5月20日、ラカタ島で水蒸気爆発を伴う噴火が始まり、同時に発生した地震は数年にわたって観測された
 8月11日、同島の3つの火山が噴火
 8月26日日曜日の午後1時6分に地震の雷鳴
 8月27日月曜日バタヴィア時間午前10時02分(現地時間9時58分)
 大噴火
 噴火で発生した火砕流海上40kmを越え、
 スマトラ島ランプン湾東部の Ketimbang(インドネシア語)で
 人間を殺傷(The Burning Ashes of Ketimbang)
 噴火により津波
 死者は36,417人
 2004年に
 スマトラ島沖地震が起こるまでは
 インド洋最大の津波災害
 地質学史上、
 第5番目の爆発規模
 噴煙の高さは38,000m(48,800m説有り)
 爆発音は4,776km先(インド洋のロドリゲス島)まで届く
 衝撃波は15日かけて地球を7周
 5,863km離れた東京で1.45hPaの気圧上昇が記録
 津波は、
 日本では鹿児島市の甲突川にも押し寄せ、
 17,000km離れた
 フランスのビスケー湾の検潮儀にも記録
 成層圏にまで達した噴煙の影響で、
 北半球全体の平均気温が0.5〜0.8℃降下し、
 その後数年にわたって異様な色の夕焼けが観測
 日本では
 1884年の歴史的な大凶作
  ↓
 噴火後のクラカタウ
 当日16時に1,850km西南西にあるインド洋上ココス諸島で降灰を記録。
 火山灰の降下域は70万平方キロ
 噴出量は25立方キロ、火山爆発指数は6.5
 記録が残っている噴火では歴史上5位にあたる
 1位は1815年のタンボラ山で、150立方km
 地質学的には
 スマトラのトバ、
 九州の姶良(あいら)、
 阿蘇(あそ)、
 阿多(あた)、
 加久藤(かくとう)カルデラなどの方が
 はるかに多量
 噴火後、三島のうち
 ラカタ島は最南端のラカタ山を残して北側の大半が吹き飛び、
 ポーリッシュ・ハットも消滅
 セルトゥン島、ラング島は噴出物により面積が拡大
 北東側の海にも噴出物が堆積して
 二つの新しい島
 スティヤーズ島と
 カーマイヤー島)ができた
 まもなく侵食されて浅瀬になった
 1927年1月26日
 ラカタ島北部(旧ダナン付近)の海中で噴火
 火山島アナク・クラカタウ(インドネシア語でクラカタウの息子)誕生
 一週間後には波が浸食し、2月半ばには島は見えなくなってしまっていたが、煙や蒸気、灰が立ち上り、上空にもうもうと広がっていた。時折、高温の溶岩がキザギザした粒となって海中から飛び出していた。
 二か月ほどして二か所から爆発が起こり20メートルほどの円錐形一対できあがり、新しい島が現れた。しかしこの島も波の浸食であっけなく1928年5月には海中に没した。
 爆発回数は桁外れで
 1928年2月3日正午から24時間で11,791回を数えた
 現在も噴火活動を続けており、
 21世紀初頭には海抜400m以上になっている
ーーーーー
 戦争・人災←自然災害←自然変化
  ↓
 ・・・アメリカが無人機を地球の裏側から「ボタン操作」しながら「アフガンのゲリラ」を攻撃・・・
 相変わらずの「通常兵器」を使用しながら殺し合いをしている「ウクライナ」や「シリア・イラク」や「シナイ半島」のニュースをみながら高校生時代だったか、「ボタン戦争」と言うフランス映画を観たのを思い出したのでブログ記事の頭出しを調べてみた・・・「わんぱく戦争(1963年3月13日公開)」と言の邦題タイトルの映画だった・・・
ーーーーー
 以下は「Movie Walker」さんの記事から抜粋添付
  ↓
 ルイ・ペルゴーの小説「ボタン戦争」を「勝負師」のフランソワ・ボワイエと舞台俳優のイブ・ロベールが脚色し、ロベールが監督した児童映画。撮影は「雪は汚れていた」のアンドレ・バック、音楽はジョセ・ベルグマン。出演者はアンドレ・トレトン、ジャン・リシャール、ミシェル・イセラなどすべてずぶの素人である。製作はイヴ・ロベールとダニエル・ドロルム。
 南フランスの田舎。美しい自然の中で、今日も人々は平和な営みを続けている。が、子供たちの世界は別だった。彼らは自分たちの秩序をつくり、その中であり余る生命力をぶっつけ合うのだ。となり合った二つの村、ロンジュヴェルヌとヴェルランの子供たちは、いつも睨み合っていた。ロンジュヴェルヌの大将は体の大きいルブラック。片やヴェルランの首領はアズテック。戦場は村の境界にある砂地の原っぱだ。ある日、敵中に単身とび込んだルブラックは、おとし穴に落ち込んで捕虜になってしまった。報復は厳しかった。ボタン、ズボンのつりひもから靴ひもまで切られてしまったのだ。そして家へ帰ると父親に殴られたうえ、寄宿学校へ入れるぞと言われた。ルブラックは震え上ってしまった。何故なら、寄宿舎の生活はルブラックにとって監獄を意味していたからだ。そこで彼の考案したのは、全員すっぱだかで戦うことだった。そうすれば、たとえつかまっても取られる物が何もないから安心だ。この戦術はロンジュヴェルヌに大勝利をもたらしたが、イバラで体を傷つけたり、風邪をひいたりであまり芳しくなかった。ルブラックはまたまた考え込んだ。ボタンやひもを買って貯蔵しておく所を作ろう、と。そのためみんなでアルバイトをしてお金をためた。そしてやっと秘密の小屋を作った。が、何度目かの戦いの時、敵将アズテックの運転するトラクターにつぶされてしまった。数日たち、子供たちはそれぞれ家に監禁された。ルブラックは憤然と町の寄宿学校へ入れられて行った。が、彼の隣りのベッドの新入りは、なんと敵将アズテックたった。「なんだお前もか!」彼とアズテックとは、初めて抱き合った。こ躍りしたルブラックは叫んだ。「大人になればどうせ馬鹿になるのさ!」
ーー↓↑ーー
 以下、頭出しの「検索記事」を添付・・・
https://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&aq=&oq=%e3%83%9c%e3%82%bf%e3%83%b3%e6%88%a6%e4%ba%89&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4VRHB_jaJP602JP602&q=%e3%83%9c%e3%82%bf%e3%83%b3%e6%88%a6%e4%ba%89+%e6%98%a0%e7%94%bb&gs_l=hp..0.0.0.0.0.15255...........0.AJ1tEPe_Fso
  ↓
ーーーーー
 ・・・
 フランス革命(仏: Révolution française, 英: French Revolution)
 18世紀にフランスで起きた市民革命
 1787年に王権に対する貴族の反抗に始まった擾乱は、
 1789年から全社会層を巻き込む本格的な革命となり、絶対王政が倒れた
 1789年に始まるフランスの市民革命
 絶対制末期の失政に抗議する
 ブルジョアや一部貴族に一般民衆が加わって起こされた
 バスチーユ牢獄襲撃に始まり、
 封建的特権の廃棄、
 人権宣言へと発展・・・
 1789〜99年にフランスで
 ブルボン王朝の圧制下にあった市民が
 啓蒙思想の影響
 アメリカ合衆国の独立に刺激されて起こした
 ブルジョア革命・・・
  ↓
 1787年
 干支 : 丁未
日本 天明7年
皇紀2447年
中国 清 : 乾隆52年 林爽文* : 順天元
朝鮮 李氏朝鮮 : 正祖11年
1月11日
ウィリアム・ハーシェル
天王星の衛星チタニアとオベロンを発見
8月
露土戦争勃発。(〜1792年)
9月17日
フィラデルフィア憲法制定会議が
アメリカ合衆国憲法(案)を採択し、閉会
10月11日(天明7年9月1日)
井伊直幸大老を辞任
10月27日
『ザ・フェデラリスト』の第一篇が
ニューヨークの新聞(インデペンデント・ジャーナル)に初掲載
『ザ・フェデラリスト』(英: The Federalist Papers)
アメリカ合衆国憲法の批准を推進するために書かれた85編の連作論文である。これら論文のうち77編は、1787年10月から1788年8月まで「ザ・インデペンデント・ジャーナル」と「ザ・ニューヨーク・パケット」に連続して掲載された。これに他の8編を加えて編集したものが、
『ザ・フェデラリスト:すなわち新憲法
と題されて1788年に2巻本でJ. & A. マクリーンによって刊行された
12月7日
米国でデラウェアが1番目の州となる
12月12日
米国でペンシルベニアが2番目の州となる
12月18日
米国でニュージャージーが3番目の州となる
日付不詳
徳川家斉江戸幕府11代将軍となる
松平定信寛政の改革に着手
ーーーーー
 ・・・