1439日目・・・「Crom−well」を「ボク的な日本語」で分析して考えるとどうなるのか?・・・「well」はイイとしてもだが・・・それでも「うぇる」である・・・「植える・餓える・飢える・上流(瑠・琉・婁・屡)・得重留」・・・とにかく、出版社の「写植」などとは今やどうなってイルんだか、漢字も霞んで、コピー・・・キイボードを打ち込んで記録するよりも「下敷き」は「ウイッキペデア」や「他のブログ字典」、時には「他人のブログ記事」からが手っ取り速いので・・・ボクの「ブログ日記の下敷きの文字」はスベカラク「コペ

ーー↓
 well
 満足に,よく,申し分なく
 上手に,うまく.
 十分に,よく.
 親しく,親密に.
 適切に,ふさわしく,都合よく.
 裕福に,安楽に.
 好意をもって,親切に
 善意で,手厚く.
 快く,上機嫌で
 落ち着いて.
 健康で,丈夫で
 よいこと
 幸福.
 驚き・疑いなど
 まあ,おや,おやっ!, えっ!, さて.
 安心・あきらめ・譲歩など
 やれやれ,まあいいや; なるほど.
 話をまた続けたり,用件を切り出す時に用いて
 さて,ところで; あのう,ちょっと.
 ↓
 井戸=油井(ユセイ)などの井
 well
 sink [bore] a well 井戸を掘る.
 感情・知識などの源,源泉
 well of
 a well of information 知識の泉.
 井戸のような穴
 階段の吹き抜け
 stairwell.
 エレベーターの縦穴.
 法廷の弁護士席.

 液体が…からわき出る,噴出する
 from,out of
 わき出る,こみ上げてくる.
 Tears welled up in her eyes.
 彼女の目に涙がこみ上げてきた.
 well over
液体があふれる.

 井戸, 鉱泉, 泉
 用例
  dig / sink a well
 印欧語根
 wel
回ること、転がることをあらわす
派生して、曲線、取り囲む形をしたものに関係
 well

 (副詞)
 上手に, うまく, よく, 親密に, はっきりと,
 健康な,
 たぶん, やれやれ,
 よろしい, 満足に, 落ち着いて
 wel- 望むこと、願うことを表す
 well
 保護管,ウェル,ウェル(ウェル甲板船),
 ため,さく井,井筒,ウエル(井戸,たまり)
 well
 井筒・揚水井・ウェル・井戸
 採油井・井・坑井・タメ・ウェル・井戸
 ウェル, 穴, 井戸,
 (副詞)
 よく, 順調に
 well
 液体のように、上がってくる
 come up, as of a liquid
 良い
 適等な
 満足のできる方法で
 高い基準へ
 高い確率を示すさま
 徹底的に、または完全に
 好意的に
 適当であるか、適当な範囲
 程度に
 利益または便利を図る方法で
 かなりの範囲または程度まで
 技術のある、または好ましい
 完全にまたは十分に
 建物の階を突き抜けた
 開いたシャフト(階段に関しては)
 液体を入れるために使われる
 くぼみ、容器
 豊富な情報源
 well
 訳語
 とりあえず
 まぁ
 なるほど
 えっと
 さて
 というか
 あ、そうそう
 well
 健康・息災・所・処
 首尾好く・快い・好調
 善い・好い・良い・宜い
 さあ・宜。健在・いやはや
 旨く・上手・何うも
 達者・優に
 堀井戸
 さ・まあまあ・碌に
 海・井戸・大丈夫
 宜しい・無事
 Well
 宜しく・まあ・そうさ・先ず
 調子好く・どれ・扨・な
 やれやれ・まあまあ・いやはや
 旨く・善く・好く・能く・快く・克く・よく
 well
 ええと
 恙無い・恙ない
 「恙」は「憂」→「羊の心」が「憂い」とは?
 羊→未・・・羊心=未心
 「未艶」とは
 「景教(唐時代のキリスト教)の聖母マリア
 の漢字訳である(神直道氏著作の『景教入門』)
 宿曜教の「室宿」の「室女」は「聖母マリア」である
 暇で興味があるならボクの「小説」へ
 ↓↑
http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/hime27.htm
 渡来(トライ)してみる・・・
 恙無(つつがない)ならネッ・・・
 ↓
 病気などの災難・わずらい・やまい
 つつがない
  ↓
 「歳亦た恙無きや、
  民亦た恙無きや、
  王亦た恙無きや、と」
  斉王、北方の趙の国にいる
  威太后の消息を
  使者を訪問させた時に
  威太后が訊ねたコトバに使者が
  訊ねる順序が無礼であると
  威太后は使者にたしなめて言った
 「穀物の収穫(歳)あっての民、
  民あっての王。
  本を差し置いて、
  末を問うことこそ
  間違った質問だろう」と
  本末転倒・・・と、云うことだ
  ↓
 「恙は人を嚼(か)む虫なり。
  善く人の心を嚼み、
  人、毎(つね)に之に患苦す」
  という「風俗通義」に由来
  ↓
 「事に触れて、我が身に恙無ある心地するも
  〈源氏物語・匂宮〉」
 「恙虫(つつがむし)」の略
  ↓
 well
 むむ・否・碌に・陸に
 吹き抜け・吹抜け
 はあ・さあ
 確り・聢り・旨く・巧く・上手く
 健在・では・ヨロピク・じゃあ・いで
 宜しく・良く・善く・能く・好く・克く
 井
 あのね・先ず・何れ・達者・優に
 いざ
 良う・善う・能う
 井泉
 さあて・あのう
 偖・扨・扠
 さてさて・うーん
 関西弁の「あんじょう」
 well
 掘り井戸・掘井戸
 well
 元気に・変わりなく・無病の・元気な
 好都合に・まめな・故障なく
 上手に・巧みに
 達者に・達者な・十分に・程よく
 well (out)
 わき出す・噴出する
 well ...
 はて, ふん
 well...
 まあ
ーー
 Well (Chinese constellation)
 井宿(セイシュク・ちちりぼし)
 二十八宿の一
 南方朱雀七宿の第1宿
ーー↓ーー
 で、「Crom−well」の「うえる」の「クロム・くろむ→句賂務→黒む・玄む」である・・・
  ↓ 
 cromes
 語源
 ゲルマン語→クルムの フック、曲がったモノ
 名詞
 クローム(複数形 cromes)
  ↓
 英国用法、
 イーストアングリア
  ↓
 庭作業や農業などに使用する
 歯が曲げられたフォーク状の道具
 土を掘り、かき集め、
 動詞
 クローム(cromes、croming、cromed)
 アナグラム
 「食べる」意味
ーー↓
 オリバー・クロムウェル
 (Oliver Cromwell)
 1599年4月25日
  〜
 1658年9月3日
 T.クロムウェルの末裔(トマスの妹の孫)
  ↓↑
 初世エセックス
 トマス・クロムウェル
 (Thomas Cromwell, 1st Earl of Essex)
 1485年
  〜
 1540年7月28日
 イングランド王国テューダー朝の政治家
 ヘンリー8世の側近
 イングランド宗教改革や「行政革命」を主導
 1485年ロンドン郊外の
 パトニーで、
 ウォルター・クロムウェル
 (1463年〜1510年)の子として誕生
 父親の「ウォルター」は
 鍛冶屋・醸造家・旅館業などの職業を転々
  ↓
 「トマス・クロムウエル」は若くして
 故郷を離れ、大陸へ渡航
 フランス王国軍の兵士となり、
 イタリア戦争に従事
 後、
 1512年まで
 フィレンツェの富豪、銀行家の
 フレスコバルディ家に雇われ、
 ネーデルラント(オランダ)の
 ミデルブルフ織物市場で商事に従事
 「T・クロムウェル」は
 ラテン語・イタリア語・フランス語に堪能で
 ローマ教皇庁
 枢機卿レジナルド・ベインブリッジの
 代理人となり、
 イングランドに関わる
 教皇庁
 控訴院の案件に従事・・・
 末路は王の寵愛を失い、
 宮廷で姪を通じて権力を得た
 ノーフォーク公などの政敵に囲まれ、
 1540年
 クロムウェルは反逆罪で逮捕され処刑
  ↓
 以下、ウイッキペデアから
 当時ヘンリー8世は王妃であるキャサリン・オブ・アラゴンとの離婚問題を協議させるため、後に宗教改革会議と呼ばれることになる議会を招集。
 王はキャサリンの侍女であった
 アン・ブーリンとの結婚を望んでいたため、キャサリンとの婚姻の無効化を望んでいた。
 (カトリック教会では離婚を認めていないため、それまでの結婚そのものを無効とするよう教皇クレメンス7世へ認可を要請した)
 王の離婚の意思を支持して王の信頼を得ていったクロムウェルは、やがて宮廷内に入って王の腹心となり、
 1532年に
 公的な手続きを経ずして閣僚(王室財宝部長官)
 1533年に
 大蔵大臣
 1534年に
 国王秘書、控訴院判事
 1535年に
 総監督代理
 ↓
 王の信頼を得たクロムウェルは、
 イングランド宗教改革において重要な役割を果たす。
 クロムウェルの閣僚就任以前の議会では、
 ローマ教皇庁の意向も受け、
 王の結婚無効化が認められることはなかった。
 1532年
 クロムウェルは主導権を握り、
 教皇庁の収入の源泉であった修道院の財産を遮断
 聖職者に対する立法権イングランド王に移行させた
 1533年に
 イングランド宗教改革の土台となる
 「上告禁止法」
 (Statute in Restraint of Appeals)
 を起草し、議会を通過させる。
 本来この法は
 王の婚姻問題のために制定されたものであるが、
 クロムウェルによる同法の序文には、
 イングランドは「帝国」である
 イングランド教皇庁の管轄に属さないこと
 (国王の婚姻の有効問題も教皇庁の認可を必要無し)
 などが宣言
 イングランドの君主が「皇帝」(Emperor)を名乗ることはあったが、これは単に複数の国々を支配する君主という意味である。
 クロムウェルがここで用いた「帝国」は、
 イングランド
 イングランド以外の君主に支配されることはない
 という宣言であり、
 教皇庁から独立した
 国民国家(nation-state)となった
 教皇庁からの独立に伴い、
 クロムウェルは国王に、
 イングランド教会の頂点に立つことを進言
 1534年
 首長令(国王至上法)
 イングランド国教会
 ローマ・カトリック教会から離脱し、
 国王ヘンリー8世は「信仰の擁護者」
 として国教会の長となった
 国王の傀儡となった
 カンタベリー大司教
 トマス・クランマーも
 王の婚姻無効を認めた。
 一辺境支部イングランド教会が、
 教皇庁から独立した組織
 「イングランド国教会」となった
 ヘンリー8世に媚びる
 クロムウェルとは対称的に、
 カトリックとしての立場から
 国王に批判的であった
 前大法官の
 トマス・モアは、失脚
 ロンドン塔に投獄され、
 1535年7月6日に処刑
ーー↓
 修道院の解体
 ヘンリー8世クロムウェル宗教改革
 修道院イングランド国内にあるにもかかわらず、
 国外にある教皇庁支配下にあり、
 経済的にもイングランドの富を集中保有
 クロムウェル
 修道院の資産を王室へ移管することで、
 王権を強化することを進言
 1535年
 宗教上の
 国王代理(Vicegerent in Spirituals)に
 指名されたクロムウェルは、
 宗教裁判の管轄権を有し、
 カンタベリーとヨークの教会管区を統合
 総監督代理(Vicar-general)となった後、
 1536年
 小修道院の解散法を議会で通過させ
 1539年
 大修道院の解散法を成立させた。
 1540年3月23日
 ウォルサム修道院の解散
 修道院は軒並み姿を消し
 その過酷さに、修道士たちは
 クロムウェル
 「修道士の鉄槌」(malleus monachorum)と呼んだ
 解散させられた修道院は400以上
 それらが所有していた財産は王室経済を潤したが、
 ヘンリー8世によって起こされた
 フランスやスコットランドとの
 戦争の戦費決済に費やされた
 クロムウェル主導の下、
 ウェールズの統合法が議会を通過
 1536年
 ウェールズイングランドが統合
 1536年7月9日
 クロムウェル
 オーカム男爵として貴族に列せられ、
 1539年
 侍従長
 1540年4月18日
 エセックス伯爵
ーー↓↑ーー 
 ヘンリー8世
 キャサリンとの婚姻の無効化後、
 アン・ブーリンと再婚
 第2王女エリザベスを儲けた後、
 侍女の
 ジェーン・シーモアに心移り
 アン王妃はやがて反逆罪を着せられ、
 ロンドン塔で処刑
 ヘンリー8世は
 ジェーンと3度目の結婚に臨んだ
 ヘンリー8世に忠実な
 クロムウェルは、
 王によるアンの処刑
 および
 ジェーンとの婚姻を全面的に支持
ーー↓
 失脚
 1537年
 ジェーン王妃の産褥死の後、
 王の4度目の再婚相手として
 アン・オブ・クレーヴズを推した
 隣国との関係悪化を牽制するため、
 同盟国を欲したクロムウェルは、
 大陸各国の宮廷から新たな王妃の候補を探索
 クロムウェルは、
 宮廷画家ハンス・ホルバインを
 欧州大陸の各国宮廷に派遣し、
 妃候補の肖像画を描かせ
 クロムウェル
 1539年
 ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公
 ヨハン3世の娘
 アンナ(アン)を王に推挙
 実際にイングランドへやってきた
 アンに謁見した王は、
 ホルバインによる
 アンの肖像画と実物とのあまりの違いに激怒
 1540年1月6日
 結婚したが半年しか持たなかった
 クロムウェルに抑えられていた
 政敵たち
 ノーフォーク公・・・・・NO Fork ?→Crom
 トマス・ハワードなどが
 クロムウェル失脚に動く
 1540年6月10日
 ノーフォーク公が叛逆罪でクロムウェルを告発
 逮捕されてロンドン塔に収監
 人権喪失法により私権を剥奪され
 7月9日
 王と
 アン・オブ・クレーヴズは離婚
 (婚姻無効化が議会で承認)
 7月28日
 5番目の妻
 キャサリン・ハワード
 (妃アン・ブーリンの従妹、
  ノーフォーク公の姪)
 と結婚
 同日、クロムウェルは処刑
 処刑後、
 クロムウェルの首は
 ロンドン橋に架けられた
 国王と結婚した
 キャサリン
 1年半後に処刑
 ヘンリー8世は
 6人目の妻
 キャサリン・パーと結婚
ーー↓ーー
 クロムウェル
 王の寵愛で専制的な政治を行ったが、
 人文主義者たちの良きパトロンでもあった
 イングランドにおける
 宗教改革を宣伝するため
 印刷物という手段を用い
 印刷業者を保護
 クロムウェル
 自ら出資してイタリアの
 神学者
 マルシリウスの著書
 「平和の擁護者」を翻訳・出版
 エラスムス(トマス・モアと親友)
 にクロムウェル
 エンゼル金貨20枚、彼を支持する言葉を贈った
 クロムウェルの息子、
 グレゴリー・クロムウェルの妻は、
 ヘンリー8世の
 3番目の王妃である
 ジェーン・シーモアの妹の
 エリザベス・シーモアであった
  ↓↑
 17世紀のピューリタン革命後、
 共和制に移行した英国で
 護国卿として権力を握った
 「オリバー・クロムウェル
  (1599年〜1658年)」は、
 トマスの姉
 キャサリンクロムウェル
 玄孫・・・
ーー↓↑ーーー
 それにしても・・・「ヘンリー8世」である・・・
  ↓
 ヘンリー8世(Henry VIII)
 1491年6月28日
  〜
 1547年1月28日)
 テューダー朝
 第二代の
 イングランド
 在位
 1509年4月22日・戴冠6月24日
  〜
 1547年1月28日)
 アイルランド卿・アイルランド
 在位
 1541年〜1547年
 イングランド
 ヘンリー7世の次男
 フランス王位への要求も継続
 1513年
 神聖ローマ皇帝
 マクシミリアン1世と連合
 4544年
 神聖ローマ皇帝
 カール5世と連合
 フランスを攻撃するが、
 膨大な戦費に堪えられず失敗・・・
  ↓↑
 権力をふるいながら、文筆家および作曲家としても活動
 「薔薇戦争」の後の危うい平和のもとで
 女性君主にテューダー朝をまとめることは無理とし、
 男子の世継ぎを渇望
 6度結婚し、次第に肥満して健康を害し、
 1547年死亡
 後継者は息子の
 エドワード6世であった・・・
ーー↓↑ーー
 問題にしたかったのは「Crom−well」の「Crom」だったのだが・・・如何せん・・・トンダ・・・「黒目が良い」・・・
ーー↓↑ーー
 「Crom(クロム)」はスペル、それ自体としては英語には無いようだ・・・あるのは「chrome
  ↓
 chrome
 クロム合金
 クロムめっきのもの(製品・仕上げなど)
 Crom Cruach
 クロウ・クルワッハクロウ・クルワッハ
 (Crom Cruach)は
 ケルト神話に登場する神
  ↓
 CROM=capacitive read-only memoryの略
     容量読取り専用メモリ
 CROM=control read-only memoryの略
     制御読取り専用メモリ
  ↓
 中国・西安市より東へ35キロメートル
 驪山(リザン)の北に秦始皇帝陵
 この陵墓より更に東へ1.5キロメートルの所で
 1974年
 集団農場の井戸掘削りで発見された
 兵馬俑(ヘイバヨウ)
 発掘数は八千数百体・・・
 その
 秦始皇帝の兵馬傭坑から出土した剣
 青銅製の長剣にクロムメッキ
 同時に出土した矛、戟、刀や弩、矢じりにも
 クロムメッキ処理
 秦でクロムメッキの製造技術記録は無し
 西洋で電解法によるクロムメッキは
 1937年のドイツ・・・
  ↓
 クロムの化合物の色
 塩化クロム(II)=青緑
 塩化クロム(III)=赤紫
 酸化クロム(III)=淡緑
 酸化クロム(VI)=暗赤
 クロム(VI)酸カリウム=赤
 クロム酸鉛(VI)=黄色
 二クロム(VI)酸カリウム=黄橙
  ↓
 chromosome=「染色体」
 chromatography=分析手法
  (クロマトグラフィー)
  ↓
 クロム
 ギリシャ語の「色」を示す言葉「クロマ」が語源
 この元素は酸化状態によりさまざまな色を示す
 発見は1797年
 ボークレン
 命名
 フールクロアとアユイ
ーーーー
 ・・・