1416日目・・・「小保ちゃん」、「クロッカス」?・・・この町の小さな区の「回り番こ」の「区長」になってしまった。「役柄の業務内容」が解からず、「税金納め」を兼ねて町役場に自転車で行ってきた。居住地区の居住者の「転入、転出者の連絡通知を役場から連絡され、その把握する役目」と居住地区の人々に「役場から送付された回覧板を班長さんに渡すコト」であるらしい・・・「区長さん」、ジジィが「エライ出世」かと思ったが・・・今日もガンガンのお天気で、みるみる間に雪が溶け出している・・・川のオトも雪どけの「音」と云った感じ
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クロッカス・・・?句賂通掛素・・・
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「クロッカスには色とりどりの花があるが、その中でも黄色のものが一番早い。早春の黄色い花は、赤・ピンク・紫色の花たちが咲き誇る“春爛漫”の序曲である」と記されてあった。
「クロッカス」・・・花言葉は「信頼・青春の喜び(黄)」、「私を信じて・切望(紫)」、「愛したことを後悔する」・・・
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「雄しべの先が糸のように見えることから、croke(糸)=ギリシャ語」から・・・
ギリシャ神話では「美青年クロッカス(Crocus)は、羊飼いの娘スミラックス(Smilax)と恋仲だったが、神々の反対にあい、悲嘆のあげく自殺してしまい、花の神フローラが、彼の亡骸をクロッカスの花にした」とあった・・・ Smilax(スミラックス)は、ギリシャ語の「刺(とげ)で這い上がる」という意味?・・・「棘(とげ)で這いノボル」のは「蔦(つた)」や「蔓(かづら)=葛」・・・「ハツユキカズラ(初雪葛)」・・・死んだのは「男性(クロッカス)」である・・・
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葛城皇子(生没年不詳)
欽明天皇の皇子
母は蘇我稲目の娘の
小姉君
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天智天皇(中大兄皇子)の
諱(実名)は
葛城(かづらき・かつらぎ)皇子
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葛野王(かどののおおきみ)は弘文天皇(大友皇子)の第一皇子で、「十市皇女は母。天智天皇の孫。「淡海三船」は葛野王の孫
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「葛王=加豆良王」は「三嶋王の王女」・・・なぜ、「三嶋」?
「三嶋王」は「淳仁天皇の弟」
天平宝字八年(764)
淳仁天皇廃位に連座して皇籍をうばわれ
伊豆に流刑
宝亀二年皇籍を回復・・・
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葛文王(かつぶんおう)
↓ カルムンワン→「軽・珂瑠」文王?
↓ 木梨軽皇子
軽大娘皇女=衣通姫(そとおりひめ)
父は允恭天皇
母は皇后の
忍坂大中津比売命
同母弟に
穴穂皇子(安康天皇)
大泊瀬稚武(雄略天皇)
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軽皇子 ・珂瑠皇子
孝徳天皇・文武天皇
軽=キン・ケイ・キョウ(キャウ)
軽=車+圣(コツ・又十一)
輕=車+巠(一巛十一)
一頭立て二輪戦車
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我が物と思えば軽し笠の雪
笠(リュウ・かさ)
雪(セツ・ゆき・そそぐ)
そそぐ=注ぐ・濯ぐ・灌ぐ・潅ぐ
雪は白
ゆき・行き・逝き・湯木・由紀
宝井其角の句・・・宝(財)意の規格(企画)の俳の句
「我が雪と思へば軽し笠の上」・・・?
「笠・鬼」は斉明天皇の条
宿曜経(二十八宿)の「鬼」宿
「新笠」は桓武天皇の母
The bird feels not its wings heavy
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宝井其角
寛文元年七月十七日(1661年8月11日)
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宝永四年二月三十日(1707年4月2日)
一説には二月二十九日(4月1日)
俳諧師
本名
竹下侃憲(たけした ただのり)
元の姓は
榎下
別号は螺舎(らしゃ)・狂雷堂(きょうらいどう)
晋子(しんし)・宝晋斎・渉川
十五歳ごろ
松尾芭蕉(藤堂家家臣)に俳諧を師事
俳号
榎本其角、後に宝井其角
近江堅田の農家の出身
江戸へ出、医をもって
膳所藩
本多家(膳所藩主か)に仕えた
元の姓は
榎下=えのもと→榎本→木夏本→帰化本
朴市 秦 造 田来津
(えちはたのみやつこ たくつ)
依知秦公(えちはたのきみ)
?〜天智二年(663年)八月
白村江の海戦で戦死
「天を仰いで誓い、
切歯して怒りて数十人を殺し、
ここにおいて戦死する」
原文
朴市田來津、仰天而誓・切齒而嗔、
殺數十人、於焉戰死。
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近江国
愛智郡出身・・・?
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廬原(いおはら、いほはら)国造の配下?
廬原国(静岡県中部、廬原郡)
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類字
盧(つぼ・くろい・ロ・ル)
廬(いおり・リョ・ロ)
蘆(あし・ロ・ル)
櫨(はぜ・ロ・ル)
瀘(くろみず=黒水・ロ・ル)
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新羅の王族の称号
王位につけなかった
王の父や
王の舅などの
尊称・・・位の高下は不明
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「三国史記・巻四十・職官志下」
「其官銜見於雑伝記。
而
未詳其設官之始及位之高下者。
書之於後。
葛文王、検校、尚書、左僕射、上柱国
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「新羅本紀・分注」
十五年(148年)
第七代
逸聖尼師今
「新羅の王の
追封はすべて
葛文王と称される」
と分注にも記録
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「三国史記・巻一・新羅本紀・逸聖尼師今紀
十五年。
封
朴阿道
為
葛文王。
(新羅追封王。皆称葛文王。其義未詳。)
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「三国史記」の
葛文王
日知葛文王
第三代
儒理尼師今の王妃の父・葛文王
ー
許婁葛文王
第五代
婆娑尼師今の王妃(金氏史省夫人)の父
ー
骨正葛文王
第十一代
助賁尼師今の父
第九代
伐休尼師今の太子
伐休尼師今よりも先に死亡
助賁尼師今の同母弟の
第十二代
沾解尼師今の即位後に
世神葛文王と追号
ー
仇道葛文王
第十三代
味鄒尼師今の父
第十一代
助賁尼師今の外祖父
仇道が葛文王に封ぜられたのは、
子の
味鄒尼師今の即位後の二年(262年)二月
ー
第二十二代
智証麻立干(智証王・在位は500年〜514年)
王号を「麻立干」から「王」に定めた
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1989年に発見された
迎日冷水碑文
智証王が503年9月時点では
王ではなく
葛文王と称されていた
1988年に発見された
蔚珍鳳坪碑文
第二十三代
法興王(在位は514年〜540年)
524年の時点で
寐錦王の名
同時に
葛文王の名もある・・・
6世紀の新羅
寐錦王と
葛文王が並存し、
葛文王が寐錦王を補佐・・・?
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↓
「クロッカス(Crocus)、雪山の中で、橇(ソリ)=「木+毛+毛+毛」すべりをしていたヘルメスと婚約者のクロッカスが谷底に落ちて、彼女が死亡。ヘルメスは雪解けの早春にその場所に咲いている花をを見つけクロッカス(Crocus)」とした・・・死亡したのは「女性(クロッカス)」である・・・
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ゼウスとその妻ヘラが野で寝そべっているとき、そのぬくもりで花が芽吹き、花を咲かせた・・・それで「クロッカス(Crocus)」と名づけた・・・?・・・野原に「毛皮の敷きモノ・毛布」を敷いていたのかな・・・「クロッカス」とは「縮れ毛・巻き毛」・・・
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アルプス山麓に、年とった「狼(オオカミ)」が、猟師ライネルの1人息子「クローカス」を誘拐し、自分の娘と結婚させた。ライネルは、悲嘆にくれ、彼の流した涙が雪の上に落ち、そこから、赤、黄、紫の花が咲き出した。村人は、この花を「ライネルの涙」と呼び、後に、「クロッカス(Crocus)」と呼ぶようになった・・・
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「ライネル・デ・グラーフ
(Reinier de Graaf=(Regnier de Graaf)
ラテン語表記=Reijnerus de Graeff、名はReynierとも表記
1641年7月30日〜1637年8月17日)
オランダの医師、解剖学者
生殖器の解剖学の権威
「シーボルト先生」の「大先生」であろう・・・蘭学医にとっては「大々々先生」の「大神(オオカミ)」様である・・・
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クロッカス
黒粕(糟)
酒粕の黒変現象で,麹のチロシナーゼにより
メラニン色素が生成するために起こる・・・
黒滓・・・おり(滓・澱)
液体の底に沈んだカス・おどみ
カスのように積もりたまるモノ
鉄滓=タタラ(蹈鞴・踏鞴)で
砂鉄と木炭を炉にいれて燃焼し、
砂鉄を還元して鉄を製造する際、
砂鉄中に含まれる不純物は高温で熔融し、
スラッグ(slag・鉱滓・ノロ)
として排出されるクズ
スラッグを鉄滓(テッサイ・てつくず)
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別名
春咲きクロッカス(Crocus)
ハナサフラン(花泊夫蘭)
ハルサフラン(春泊夫蘭)
コモンクロッカス(Common Crocus)
などと呼ばれている
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スペイン料理でのパエリアの「サフラン(Saffron)」は、「秋咲きクロッカス(Crocus)」と呼ばれている・・・
花言葉は「じれったい」、「悪口を言うな」、「青春の歓喜」、「あなたを待っています」、「私を信じて下さい」、「あなたを信じながらも心配です」、「信頼、裏切らないで」・・・
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・・・クロッカスか、スミラックスか・・・クロッカス(花)を取り巻く残雪の表面は黒く汚い斑点状には見える・・・
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