1402日目・・・ノドン・・・「ミシェル!、ミシェル!」・・・ミサイルを玩具にしやがって・・・「missile=英語のミサイル、フランス語のミシール、イタリア語のミシーレ、スペイン語のMisil、デンマーク語のMissil等・・・‎弾道ミサイル - ‎対戦車ミサイル・・・「ミサイル」は、ラテン語で「飛ばす・投げる」の「mittere」から派生した、「飛ばしうるもの・投げられるもの」の形容詞「missile」から・・・「矢・弾丸・石・瓶」・・・「ミッシェル」・・・「禁じられた遊び(Jeux interdi

 「大天使ミカエル」は「ユダヤ・キリスト」、そして「マホメット」の「ミーカーエール天使」である・・・人名にされる各国地方の「マイク・マイクル・マイケル・マイカル・ミカル・ミシェル・ミッシェル・ミカエル・ ミハイル・ミハエル・ミヒャエル・ミーカエール・ミーカエル・ミカエール・ミッカエル・ミッシェール・ミッシャエル・ミッチェル・ミハル・ミヒァエル・ミヒェル・ ミヒャエール・ミヘアル」等はスベテ、この同じ名前からの派生である・・・
「ミシェル・ラヴォーン・ロビンソン・オバマ
  (Michelle LaVaughn Robinson Obama、1964年1月17日)」
 アメリカ合衆国の法律家・イリノイ州シカゴ出身
 第44代アメリカ合衆国大統領
 バラク・オバマの妻
 アメリカ合衆国史上初のアフリカ系アメリカ人のファーストレディ
 癸卯・正官・印綬
 乙丑・印綬・正官
 丙寅・   偏官
 2014年
 甲午・・・・偏印・年破・月害・日三合丙比肩
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 ・・・1940年、フランス・・・5歳の少女「ポレット」、死んだ愛犬の「ジョッグ」、11歳の少年「ミシェル」のモノガタリ・・・禁じられた遊び・・・「ミシェル!、ミシェル!」・・・監督は「ルネ・クレマン、原作は「フランソワ・ボワイエ」だった・・・
 墓つくりの遊びはボクも幼い頃に真似て遊んだけれど・・・「ミシェル!、ミシェル!」と呼んでくれる遊び相手の女の子はいなかった・・・
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 1914年
 干支年甲寅
 大正三年
 第一次世界大戦
 沙羅英幕(サラエボ
 ボスニア・ヘルツェゴビナ
 波斯尼亜・黒塞哥維那、
 波士尼亞赫塞哥維納
 波斯尼亞和�眦塞哥維那
 波�眦波士尼亞赫塞哥維納
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 1814年
 干支年甲戌
 文化十一年
 3月27日
 クリーク戦争(米英戦争)・・・?
 米軍がイギリスの支援する
 クリーク族に勝利・・・
     クリーク「creek」=水路・小川
     灌漑・排水・内陸水運の人工水路
     溝渠(コウキョ)、溝渠網
     開渠、明渠
     日本軍が入った長江下流地域にある
     クリーク状のものを戦後に
     日本、佐賀などで呼ばれるようになった
     ・・・いうコトらしい・・・
     (ヤフーの知恵袋から)
 4月6日
 ルイ18世即位・・・・・瑠為
 5月
 ナポレオン・ボナパルトが・・・
       奈翁・奈破崙・那破倫・那破烈翁
       拿破倫・拿破崙・拿翁
 エルバ島に配流・・・以爾巴島・以爾万島
 「全唐文」完成・・・
      中国唐五代の文章の総集
      千巻、首二巻
      嘉慶帝の奉勅撰
      清朝の1814年(嘉慶十九年)
     「全唐文館」が開設
     「董誥」ら107人が編集に参加 
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 5月30日
 ハイル・バクーニン誕生・・・
     巴枯宁(バクーニン
 9月12日〜15日
 米英戦争
 ボルティモアの戦いで米相勝利
 12月2日
 マルキ・ド・サド死亡
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 1714年
 干支年甲午
 正徳四年
 2月26日(一月十二日)
 「絵島と生島新五郎」の密通事件
 8月1日
 ジョージ1世が即位
 イギリス・ハノーヴァー朝成立
 8月7日
 大北方戦争
 ハンゲ海戦(ガングート海戦)
 ロシア海軍が・・・・・・・露西亜
 スウェーデン海軍に勝利・・瑞典
 ラシュタット条約
 スペイン継承戦争終結・・・西班牙
 5月1日
 アン、グレートブリテン王国女王死亡
 10月5日
 「貝原益軒」死亡、本草学者
 10月18日
 「竹本」義太夫死亡、義太夫節開祖
 11月27日
 ジョヴァンニ・バッティスタ
 シドッティ、イタリア宣教師死亡
   ・・・新井白石が訊問・・・
 12月8日
 柳沢吉保死亡、側用人大老
   犬公方(徳川綱吉
   赤穂浪士吉良に討ち入り
   忠臣蔵四十七士
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 1614年
 干支年甲寅
 慶長十九年
 12月19日(十一月十九日)
 大坂冬の陣
 9月17日(七月十二日)
 「角倉了以」死亡・・・治水土木工事
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 1614年
 支倉常長・・・・?なぜ、ハセクラ
  ↓  長谷倉・・・
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     雄略天皇
     允恭天皇七年十二月
     〜
     雄略天皇二十三年八月七日
     第二十一代天皇
     在位
     安康天皇三年十一月十三日
     〜
     雄略天皇二十三年八月七日)
     大泊瀬幼武尊
    (おおはつせわかたけるのみこと)
     大長谷若建命=大長谷王(古事記
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 1571年〜1622年8月7日
 伊達正宗の家臣
 慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパへ渡航
 幼名は
 與市
 初名は
 六右衛門長経
 洗礼名は
 ドン・フィリッポ・フランシスコ
 元亀二年(1571年)
 山口常成の子として
 羽州
 置賜郡
 長井荘
 立石邑(山形県米沢市立石)で誕生
 伯父
 支倉時正の養子
 伯父時正に実子・久成が生まれたため、
 伊達政宗の主命で
 家禄1200石を二分し、
 600石取
ーー↓
 文禄・慶長の役
 1592年
 (文禄元年
  明国、朝鮮国は
  万暦二十年)
   〜
 1598年
 (慶長三年
  明国、朝鮮国は
  万暦二十六年)
 に鉄砲隊として従軍参加
ーー↓
 慶長十四年(1609年)
 前フィリピン総督
 ドン・ロドリゴ
 ヌエバエスパーニャ副王領
     (メキシコ)・・・墨西哥
 への帰途台風に遭い、
 上総国
 岩和田村(御宿町)の海岸で座礁難破
 地元民に救助され
 徳川家康
 ウィリアム・アダムス=三浦按針
 の建造した
 ガレオン船を・・・ガレオン船=大型快速の帆船
 贈り
 ヌエバエスパーニャ副王領へ送還
 伊達政宗はヨーロッパに
 支倉常長を遣欧使節としてを送ることを決定
 遣欧使節
 エスパーニャ人の
 フランシスコ会宣教師
 ルイス・ソテロ(Luis Sotelo)を副使とし、
 常長は正使となり、
 180人
 エスパーニャを経由でローマへ
 遣欧の目的
 通商交渉
 エスパーニャとの
 軍事同盟も摸索・・・?
 慶長十七年(1612年)
 第一回目の使節として
 サン・セバスチャン号で
 ソテロとともに
 浦賀より出航
 暴風に遭い座礁し遭難
 仙台へ戻り、
 石巻市雄勝町で建造した
 ガレオン船
 サン・ファン・バウティスタ号で
 慶長十八年九月十五日
 (1613年10月28日)
 月ノ浦(石巻市)を出帆
 一行はエスパーニャ(スペイン)の
 ヌエバエスパーニャ副王領
 北アメリカ太平洋岸にある
 アカプルコ(メキシコ・ゲレーロ州)へ向かった
 アカプルコに上陸
 陸路で大西洋岸の
 ベラクルス(メキシコ・ベラクルス州)に移動
 ベラクルスから大西洋を渡り、
 コリア・デル・リオ・・・?コリアでるリオ・・・
 (スペイン・アンダルシア州セビリア県)に上陸
 慶長二十年一月二日(1615年1月30日)
 エスパーニャ国王
 フェリペ3世に謁見
 後、
 イベリア半島から陸路でローマに至り、
 元和元年九月十二日
 (1615年11月3日)
 ローマ教皇
 パウルス5世に謁見
 その後も
 マドリードに・・・
     Madrid・マドリード(馬得里・馬徳里)
 戻って
 フェリペ3世と交渉を継続
 ヨーロッパ滞在後、
 元和六年八月二十四日
 (1620年9月20日)
 帰国
 二年後に死去
 その後の
 支倉家は
 嫡男
 常頼が後を継いだが、
 寛永十七年(1640年)
 家臣がキリシタンであったことから
 処刑され断絶
 寛文八年(1668年)
 常頼の子の
 常信の代にて赦され再興
ーー
 常長自身が記録した訪欧中の日記が
 文化九年(1812年)まで残存
 現在は散逸・・・?
 資料の中に
 「支倉」を
 古典ラテン語表記
 「FAXICVRA」との記録部分があり、
 当時「ハ行」を「唇音で発音」・・・?
 「支倉常長」と称されるが、
 同時代に彼の諱を
 「常長」と記述したモノはない・・・?
 自筆史料の署名も
 「六右衛門」、「六右衛門長経」で
 自身が「常長」を称したことはなかった・・・
 「常長」という諱は
 彼の死後、支倉家が一時断絶した
 再興後に編纂された支倉家の系図
 後世の子孫が、
 先祖がキリシタンであったことを隠すため、
 「長経」の使用を忌避し、
 「常長」と偽って記録した・・・
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 ・・・「隠れ切支丹」だから当然である・・・
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 1514年
 干支年甲戌
 永正十一年
 ・・・・