1401日目・・・「倭人の条」で「倭人の人」だが、「韓の条」で「韓の人」ではない・・・なるほど、「倭人」は「国」ではなく「倭の人種のコト」で、「韓」は「国家領域のコト」・・・?・・・「竹島」は唐の時代にはドコにあったんだか・・・

ーーーーー
 三国志・卷三十・東夷伝・「倭人」条
 ↓
 倭人
 在
 帶方
 東南
 大海之中
 依
 山島
 爲
 國邑。
 舊
 百餘國
 漢時
 有
 朝見者
 今
 使譯
 所通
 三十國。
 從郡
 至倭
 循・・・・・循環
       同じ過程を繰り返したり、
       同じ経路を繰り返し通ったりする様
       ジュン(呉音)
       したがう・決まったルールにしたがう
       循守・循吏・因循
       あちこちとめぐる・よる
       歩き回る・踏襲・従う
       順序に従う
       みつ・ゆき・よし
       循守
       遵守と同じ・・・遵法
 海岸
 水行
 曆・・・・・暦法
ー↓     ↓
       時間の流れを年・月・週・日
       といった単位に当てはめて
       数えるように体系付けたもの
       「日を数える」を意味
       暦=厂(がけ・カン・ガン)
         +
         林(木木)
         +
         日
         厂=がんだれ・・・「巌・岩尾・いわお」
           崖の岩が張り出してその下に
           人が居住可能な空間がある様子
           象形=厂部は
              「崖・垳・掛・がけ」
               垳=いけ・いげ
                 垳=土(十一)+行
                 国字
                 埼玉県八潮市の大字の地名
                 類字
                   坿=土(十一)+付
                    (フ・ブ・ます・がけ・つける)
                   福島県福島市
                   太平寺
                   坿屋敷(がけやしき)
                   大森 坿(がけ)
                   東京都足立区 垳川(がけがわ)
ー↓       
 韓國
 ↓
 乍南
  ↓→乍東
    ↓ 
    到
 其北岸
 狗邪韓國
 七千餘里。
 始度一海
 千餘里
 至
 對馬國。
ーーーーー
 三国志・卷三十・東夷伝・「韓」条
 ↓
 韓
 在
 帶方之南
 東西以
 海爲限
 南與
 倭接
 方可四千里。
 有三種
 一曰馬韓・・・午(南)
 二曰辰韓・・・龍(東南)
 三曰弁韓。・・弁(韓を弁別)
        韓=十+早(日十)
          +
          韋(なめしがわ・そむく・イ)
          韋駄天=足の速い神
          バラモン教の神
          シバ神、またはアグニ神の子
          Skandaの音写・・・サカンダ
          塞建陀・建陀の「建」を「韋」に誤った?
          緯(緯度=横線・経度=縦線)
          葦(あし・イ)=屮(艸)+韋
                 韋=(五−一)+口+ヰ
                  =(|+ユ)+口+ヰ
            衛=衞=彳+「五+口+帀」+亍
                彳=テキ・ゆっくりと少しずつ歩く
                  ぎょうにんべん
                亍=チョク・たたずむ
           「彳亍(テキチョク)」は、よちよち歩き
          ↓↑
          幹(カン・みき)
          乾(ケン・カン・かわく
            いぬい=戌亥=犬猪・北西)
        弁(弁捌・わきまえる)=ム+廾
       「弁」の旧字「辨」・「瓣」・「辯」
        弁=「辯(言)・辨(刀)・瓣(瓜)」
            辛言辛・ 辛刀辛・ 辛瓜辛
        弁=バルブの「開閉栓」
       「弁」は、「覍(ヘン)=小+見」の異体字
        類字は「覓(エキ・ベキ・ミャク・もとめる)」 
           「覔(エキ・ベキ・ミャク・もとめる)」
 辰韓
 古之
 辰國也。
 馬韓
 在西。
ーーーーー
 三国志・卷三十・東夷伝・「韓」条
 ↓
 狗邪国
 弁辰
 亦・・・・・亦(また・エキ・ッヤク)
 十二國
 又・・・・・又(また・コウ・ウ)
 有
 諸小
 別邑
 各有
 渠帥
 大者名
 臣智
 其
 次有險側
 次有樊濊
 次有殺奚
 次有邑借。
 有
 已柢國、・・・己の柢の国
        已(イ・すでに・のみ)
        己(コ・キ・おのれ・よこしま=ム=私)
        巳(シ・ジ・み・へび)
        巳=南南東の柢(底)の国?
        柢=底
        柢=木+氐
            氐=氏+一
        柢(テイ・タイ・ね)=根柢=根底
        柢=蔕(へた)
         =臍(セイ・ザイ・ほぞ・へそ)
          臍=肉+亠+刀+Y+氏+冄(冉)
            斎(ものいみ・いつく・サイ・セ)
            斎=文+)+示+亅
              文=亠+乂
            斉(ひとしい・ひとしく・セイ・ザイ)
            斉=文+)+二+亅
              文=亠+乂
            済(すます・ザイ・サイ)=氵+斉
            氏=「氏−一」→(斤=キン・コン・おの)
         =萼(がく)
          臍=へそ=毘(ビ)
 不斯國、・・・斯の国では不(しない・でない・ず)
        斯(シ)=これ・この・ここ・ここに・すなわち
          かく・かように・このように
          斯かる(かかる)・斯く(かく)・斯様(かよう)
          斯界・斯学・斯道
          螽斯(きりぎりす)・窒扶斯(チフス)
          波斯(ペルシア)
          斯波(シバ)・・・織田信長の主家筋          
 弁辰
 彌・・・・ビ・ミ・いよいよ・ますます・や
 ↓    彌=弓+爾    
 ↓    いよいよ・わたる・ひさしい
      あまねし・すべて・とおい・つくろう
      どこまでも・端からはしまで
      わたる=端まで届く意から転じて、
      A点からB点までの時間や距離の経過
      あまねし=広く端まで行きわたっている
      すみずみまで行きわたっている
      とおい・ひさしい
 ↓    彌=歴史民俗用語
        「い」は接頭語
        「や」は物事のたくさん重なる意
        事柄や状態が
        だんだん、はなはだしくなるさま
        いよいよ・ますます
 ↓      あとからあとから次々に
        ミヅハノメ
      弥(彌)都波能売神
       (みづはのめのかみ)・古事記
        罔象女神・・・・・・?
       (ボウショウジョシン)
        罔(あみ・しいる・モウ・ボウ)
       (みつはのめのかみ)・日本書記
        神社の祭神
        水波能売命
        淤加美神
        水の神
        罔象女神
       (みつはのめのかみ)
        弥都波能売神
        水波之女命
       (みずはのめのみこと)
        闇御津羽神
       (くらみつはのかみ)
        水速女命
       (みずはやのめのみこと)
        弥都波は、水早、水走の意味?
        耕地の灌漑の用水の意味・・?
        伊邪那美命
        火の神迦具土命を生まれたとき、
        陰所を焼き苦しみ給うた折に
        尿より化生した神
       「みずは」とは「走り水」の意で、
        耕地の灌漑に使う引き水の表現・・・
        走水=ハシリミズ=馳水
        走水神社=日本武尊
             弟橘媛命を祭神する神社
        日本武尊は、海上で暴風雨に遭い、
        弟橘媛が海へ身を投じて暴風雨を鎮め
        海岸に弟橘媛
        櫛が流れつき、村人が
        旗山崎(御所ヶ崎)に社を建てて
        櫛を納めた
        弟橘媛を祀る橘神社であったが、
        明治十八年(1885年)に
        旗山崎が軍用地になり
        走水神社境内へ移され、
        後、
        明治四十二年(1909年)
        走水神社(横須賀)に
        弟橘媛が合祀された
        沖縄南城市
        新原の農道の東北東、道端に
       「受水走水」
       「受水走水」は稲作発祥伝説の地
        東御廻りの巡拝地の一
       「琉球国由来記」には
       「浜川ウケミゾハリミズ
       (神名=ホリスマスミカキ君ガ御水御イベ)」
       と記されている・・・らしい
       「地走り」→地走りとは白土三平
           「忍者武芸帳」に描写された
            鼠(ネズミ)の大量発生と、その災害
            類似は
            蝗(イナゴ)の大群と、その災害
            軍隊蟻(アリ)の大群と災害
       北海道では雪の平原を
       突風が雪煙を立てて走る様子も
       「地ばしり(?)」と・・・
       砂漠では「砂嵐・砂塵」・・・
       「地走り」が「地震の前兆」の小動物の状態ならば
       「水走り」は「魚(鯡・鰊・鱒・鮭)の大群」が
       押し寄せてきたときの海面の現象だろう・・・
        だが、
       「水走り」は「津波」をも意味するのではないか・・・
「波が海上を走る」のは暴風によるモノだけではない
       満潮の時に河川の面を波が走る現象がある
       海嘯(カイショウ)は河口に入る潮波が
       垂直壁となって河を逆流する現象
       潮津波(しおつなみ)=地震による津波も海嘯
       河口が広い三角江で発生
       ブラジルのアマゾン川ポロロッカ
       アマゾン川が逆流する潮津波現象
       中国の銭塘江
       「銭塘江潮=钱塘江大潮」
       毎年8月19日、旧暦十五夜に発生する
       杭州では月餅を食べながら見物
       イギリスのセヴァーン川の「ボア」
       フランスのガロンヌ川の「潮津波
       「嘯」=ショウ(セウ)・うそぶく・とぼける
           嘯風・吟嘯・長嘯
           ほえる・うなる
           「海嘯」・「虎嘯(コショウ)」
           「竜吟虎嘯」=以心伝心、相、呼応する
       「大津波」は・・・大抵は「海底地震・海底火山」
                地理地震も海底の異変だったろう・・・
        チリ大地震
        1575年12月16日14時30分
        1737年
        1837年津波が日本まで襲来
        1960年5月22日15時11分
        日本を含めた環太平洋全域に津波が襲来
        本震
        38時間後に噴火
        コルドン・カウジェ山
        1年以内の火山が噴火
        2日後コルドン・カウジェ山
        49日後ペテロア山
        54日後トゥプンガティト山
        7ヶ月後カルゴフ山 (VEI : 3)
        2010年2月27日
        日本を含めた環太平洋全域に津波が襲来
        コルドン・カウジェ山噴火
       「走水」は砂漠や夏の道路の蜃気楼
    ・・・2013年11月20日
       小笠原諸島西之島の南南東500メートルで噴火
       12月26日、西之島と一体化・・・
ーーーーーーーー↓
 彌・・・・「ビ・ミ・いよいよ・ますます・や」が、又もや跳んだ・・・
 ↓     「彌」=「弓+爾」の類字は
 ↓     「禰(ね・ネ・ナイ・デイ)=祢=示+爾」
        ↓   
       多禰ヶ島=種子島禰宜=神主
        ↓
       「袮(ネ・チ)=衣+爾」
       「袮」=ネ(衣・ころもへん)+「尓」・・・国字
       むろ・ふさいだ穴
       すまい・うち・家の戸数・刀剣の鞘(さや)
       二十八宿の一・ペガスス座の一星
       はつい=室宿の和名→室=袮・・・???
 ↓    「宿禰」の「禰」・・・「武(竹)内宿禰
 ↓     「爾」→爾来也=自来也児雷也(じらいや)
 ↓             自=みずから→水加羅・水カラ
 ↓               瑞 加羅      
 ↓      なんじ
        近くにいる相手を指す第二人称
        「爾・汝」=しかり・しかる・それ・その
        近くにある事物や前に述べた
        事物、事柄を示す言葉
        それ・そのような
        然=しかり・そうだと肯定する言葉
        そのような・・・「徒爾」
       「卒爾」=にわかなこと・だしぬけ・突然
            軽率なこと・かるはずみ
       「爾」=おれ=「儞(イ爾)
           汝(なんじ)
           然(しか)
 ↓     「邇」→邇々芸命    
 離
  彌凍國、・・・「彌」、「凍=氷(冫)+東」、國
 弁・・・・・・弁えた(弁別した)
 辰・・・・・・辰=東南・・・弁えた(弁別した)東南
 接
  塗國、・・・・塗る国
  勤耆國、・・・勤める老人(耆=おいる・キ・ギ)の国
 難彌・・・・・・難しい「彌」
 離・・・・・・・離れる
  彌凍國、・・・益々凍る国
 弁
 辰
 古
 資・・・・・・・もと・たち・たすける・すけ・シ
         もとで・資本・資質・資源
  彌凍國、
 弁
 辰
 古
  淳是國、・・・淳(人情に厚い・素直)の是の国
         淳風・淳朴
         あき・あつ・あつし・きよ・きよし
         すな・すなお・ただし・とし
         ぬ・まこと・よし
         「淳」の類似は
          ↓
         「渟(ぬま・とどまる・テイ・ジョウ」
         天渟中原瀛真人=天武天皇大海人皇子
          浄御原天皇
         「停」・・・停泊・停車・停電・バス停
               停止・停滞
         「亭主」・・あるじ・主人
  冉奚國、・・・冉冉=ゆっくり進むさま
   ↓        柔らかく垂れるさま
   ↓     毛の垂れるさま・柔らかな・弱い
   尾長鶏←←←↑↓
         〔説文解字
         本字は「冄・(説文・巻九)」
         「毛の冄冄たるなり」
         〔玉篇〕
         「冉(あやうい・ゼン・ネン)」を本字
          字形は「何かが垂れる様子」・・・髯
         「奚=なんぞ・なに・なぜ・どこ・ケイ」
          奚=鮮卑の一族
         「鶏林」=「新羅
          ↓
         「隋書・俀国伝」
          ↑
         「雞彌」=「雞=奚+隹」+「彌」
          開皇二十年、
          倭王
          姓
         「阿毎」、
          字多利思比孤、
          號
          阿輩「雞彌」、
          遣使詣闕。
          上令所司
          訪其
          風俗。
          使者言
          倭王
          以天為兄、
          以日為弟、
          天未明時出聽政、跏趺坐、
          日出便停理務、云委我弟。
          高祖曰
         「此太無義理。」
          於是訓令改之。
          王妻
          號
         「雞彌」、
          後宮有女六七百人。
          名太子
          為
          利歌彌多弗利。
          無城郭。内官有十二等
          一曰
          大�噐、次小�噐、
          次大仁、次小仁、
          次大義、次小義、
          次大禮、次小禮、
          次大智、次小智、
          次大信、次小信、
          員無定數。
          有
          軍尼
          一百二十人、
          猶中國牧宰。
          八十戸置
          一伊
          尼翼、
          如
          今里長也。
          十伊
          尼翼
          屬
          一軍
          尼。
          ↓
          明年、上遣文林郎裴清使於倭國。
          度百濟、
          行至
         「竹島」、・・・???
          南望○羅國、
          經都
          斯麻國、迥在大海中。
          又東至一支國、
          又至
         「竹斯」國、又東至秦王國。
          其人同於華夏、以為夷洲、疑不能明也。
          又經
          十餘國、達於海岸。
          自
         「竹斯」國以東、
          皆
          附庸
          於
          倭。
          倭王
          遣
          小�噐
         「阿輩臺」、從數百人、設儀仗、
          鳴鼓角來迎。
          後十日、
          又遣
          大禮
         「哥多毗」、從二百餘騎郊勞。
          既至彼都、其王與清相見、大�噪、
          曰
         「我聞海西有大隋、禮義之國、故遣朝貢
          我夷人、僻在海隅、不聞禮義、
          是以稽留境内、不即相見。
          今故清道飾館、以待大使、
          冀聞大國惟新之化。」
         「清」答曰
         「皇帝�噐並二儀、澤流四海、以王慕化、
          故遣行人來此宣諭。」
          既而引
         「清」就館。
          其後
         「清」遣人謂其王曰
         「朝命既達、請即戒塗。」
          於是
          設
          宴
         「享」以遣
         「清」、復令
          使者
          隨
         「清」來貢方物。此後遂絶。
          ↓↑ 
          奚・鶏・雞
         ・・・鶏声=鶏声暁を告げる=鶏鳴
            雄鶏(オンドリ、雄のニワトリ)
            の鳴き声・朝一番の鶏の鳴き声
            徳島の地鶏「阿波尾鶏」・・・?       
 ↓       「渓谷」=山にはさまれた谷川・谷間
 弁
 辰
  半路國、・・・半(なかば)の路の国
 弁
  樂奴國、
  軍彌國
 弁
  軍彌國、
 弁
 辰
  彌烏邪馬國、・・・いよいよカラスの邪魔な国
 如
 湛國、・・・湛える国→たたえる・讃える・称える
       たたえる・タン・チン
       たたえる・水が満ちている
       ふかい・しずむ
       湛える(たたえる)
       液体をあふれるほど満杯にする
       満たす(充たす)・みたす
 弁
 辰
  甘路國、・・あまじの国
        カンロ=甘露・寒露の国
 戶路國、・・・・戸(と・コ・グ)路(みち・ロ)の国
 州鮮國(馬延國)、・・・州は鮮(あざやか・セン)の国
             鮮=魚+羊・・・ナゼ、あざやか?
             馬を延ばした国
 弁
 辰
  狗邪國、・・・・狗(犬)のヨコシマな国
 弁
 辰
  走漕馬國、・・走り漕ぐ馬の国
 ↓       漕走船とは櫓で漕ぐ舟(船)
 ↓       馬の馬力を利用して漕ぐ船?
 ↓       ↓
 ↓       金陵郡(金泉郡)
 ↓       三韓時代
 ↓       甘文国(甘湖国
 ↓→→→→→→ 走漕馬国は
 ↓      (口伝=禦侮国、文武国、盃山国)
 ↓       三国時代
         新羅が甘文国(甘湖国)を征伐
         甘文郡を設置、甘文州に昇格
         統一新羅時代
         甘文州を甘文郡に、
         甘文郡を開寧郡に改称
         金山縣、知礼縣、禦侮縣を
         開寧郡に改編
         高麗時代
         開寧郡を開寧県に変更
         金山、知礼県を京山府に、
         禦侮県を尚州牧に直属
         朝鮮時代
         金山、禦侮縣を統合
         金山郡
         知礼県を
         知礼郡
         開寧県を
         開寧郡に昇格
         1914年4月1日
         ↓ 大正三年・干支=甲寅
         ↓ 1月12日桜島大噴火
         ↓ 7月23日サラエヴォ事件
         ↓ 7月28日第一次世界大戦
         郡面併合
         金山郡・知礼郡・開寧郡
         星州郡新谷面が合併
         金泉郡が発足
         金泉郡に二十の「面」が成立
         「面」とは「村落・群落」地域
 ↓
 弁
 辰
  安邪國・・・・安らぐ、ヨコシマの国
  馬延國、
 弁
 辰
  瀆盧國、・・・トロの国
  斯盧國、・・・シロの国
  優由國。・・・ユウユの国
 弁、
 辰
 韓合
 二十四國
 大國
 四五千家
 小國
 六七百家
 總
 四五萬戶。
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 ・・・竹島・・・???・・・