1384日目・・・「1381日目の更新」って?「隠元」の箇所だが、「引見・隠見・隠顕・陰険」・・・「藤豆(肉刺)=ふじまめ・トウトウ」は「隠元豆(肉刺)=かくすまめ・インゲントウ」・・・「トウ」のスベテを「問う・読・当・等」・・・「フジ(不二・不治・不時・富士・冨士)の皆本(源・水面と・皆元)」は駿河・静岡・・・駿府・・・

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 隠元隆蒅(インゲン リュキ)
 万暦二十年
 文禄元年
 十一月
 四日
 (1592年12月7日)
   〜
 寛文十三年
 四月三日
 (1673年5月19日)
 福清県
 万安郷
 霊得里
 東林の生まれ
 俗名は
 林曽炳
 諡は
 大光普照国師
 仏慈広鑑国師
 径山首出国師
 覚性円明国師
 勅賜
 真空大師
 華光大師
 中国の
 明国の末、
 清国の初の禅宗

 念仏禅を特徴とする
 明朝禅を日本に伝え、
 道者
 超元と共に当時の禅宗界に影響を与え、
 臨済・曹洞二宗の復興運動にも影響を与えた
 日本における
 煎茶道の開祖・・・?・・・千利休(センのリキュ)

 十歳で仏教に発心する(十六歳という説もある)
 二十一歳の時に
 消息不明の父を
 浙江に捜すが果たせなかった
 二十三歳
 普陀山浙江省)の
 潮音洞主のもとに参じ、
 在俗信者として
 一年ほど
 茶頭として奉仕
 二十九歳
 生地、
 福清の古刹で、
 黄檗希運も住した
 黄檗
 萬福寺
 鑑源興寿の下で得度
 三十三歳
 金粟山
 広慧寺で
 密雲円悟に参禅し、
 密雲が
 萬福寺に晋山するに際して、これに随行
 三十五歳
 大悟した
 三十九歳
 密雲は弟子の
 費隠通容に
 萬福寺を継席して退山
 隠元はそのまま
 萬福寺に残り、
 四十五歳で
 費隠に嗣法
 後、
 萬福寺を出て
 獅子巌で修行
 費隠が退席した後の
 黄檗山の住持に招請
 明崇禎十年(1637年)に晋山
 退席し、
 明末清初の動乱が
 福建省にも及び、
 順治三年(1646年)に再度晋山
ーー
 江戸時代初期、
 長崎の唐人寺であった
 崇福寺の住持に空席が生じ、
 先に渡日していた
 興福寺住持の
 逸然性融が、
 隠元を日本に招請
 隠元は弟子の
 也嬾性圭を派遣
 途中船が座礁して客死
 自ら
 良静・良徤・独痴・大眉・独言
 良演・惟一・無上・南源・独吼
 ら二十人ほどの弟子を率いて、
 鄭成功が仕立てた船にり、
 承応三年(1654年)
 七月五日夜に長崎へ来港
 月洲筆
 「普照国師来朝之図」にその模様が残されている
 隠元随行した弟子のうち、
 良静ら
 十弟子は翌年に帰国
 十弟子が日本に留まり
 大眉・南源・独吼は日本に帰化
 中国は明末清初の騒乱期

 明暦元年(1655年)
 妙心寺
 元住持の
 龍渓性潜の懇請により、
 摂津嶋上(大阪府高槻市)の
 普門寺に晋山
 隠元の影響力を恐れた
 幕府によって、
 寺外に出る事を禁じられ、
 寺内の会衆も
 200人以内に制限

 隠元の渡日は、当初三年間の約束
 帰国を決意するが、
 龍渓らが引き止め工作に奔走
 万治元年(1658年)
 江戸幕府四代将軍
 徳川家綱との会見
 万治三年(1660年)
 山城国
 宇治郡
 大和田に
 寺地を賜り、
 翌年、
 新寺を開創
 故郷の中国福清と
 同名の
 黄檗
 山萬福寺と名付けた

 寛文三年(1663年)
 法堂で祝国開堂
 民衆に対しては、
 日本で初めての
 授戒
 「黄檗三壇戒会」を厳修
 以後、
 中国福清の
 黄檗萬福寺
 「古黄檗」と呼ばれる

 黄檗宗開教
 隠元は日本禅界の一派の開祖となったが、
 当初から黄檗宗と名乗っていたわけではない。
 本人は歴とした
 臨済宗を嗣法
 臨済正宗を名乗っている
 宗風や叢林としての
 規矩清規は
 当時の中国・明時代の
 臨済禅に倣っていたことから、
 既に日本に根付いていた
 臨済宗とは
 趣を異にし、その違いにより、
 自ずから一派を形成。
 隠元
 「黄檗清規」は、
 乱れを生じていた当時の
 禅宗各派の宗統・規矩の更正に大きな影響を与え、
 特に
 卍山道白らによる
 曹洞宗の宗門改革では重要な手本とされた

 隠元には、
 後水尾法皇を始めとする
 皇族、幕府要人、大名、多くの商人たちが競って帰依
 寛文四年(1664年)九月
 萬福寺
 後席は弟子の
 木庵性瑫に移譲し、
 松隠堂に退いた。
 退隠後、
 寛文十三年(1673年)正月
 四月二日
 後水尾法皇から
 「大光普照国師」号が特諡
 翌三日に遺偈を認めて示寂
 世寿八十二歳
ーー
 1917年
 (大正六年)
 大正天皇から
 大師号を追贈・・・・?ナゼ、1917年、大正六年
 真空大師
 能書家としても知られ、
 木庵性瑫、
 即非如一
 とともに
 黄檗の三筆と称される
ーー
 語録・著作
 「隠元禅師語録・十六巻」
 『普照国師広録』30巻
 『黄檗隠元禅師雲涛集』1巻
 『弘戒法儀』1巻
 『黄檗山寺志』1巻
 『黄檗清規』
ーー
 弟子
 嗣法者は
 二十三名・・・?
 内、
 三人が日本人である・・・?・・・20名は中国人?

 木庵性瑫
 即非如一
 慧林性機
 龍渓性潜
 独湛性瑩
 大眉性善
 独照性円
 独本性源
 独立性易
ーー
 隠元
 「インゲンマメ
 中南米原産のマメ科の作物
 ヨーロッパに伝わった後、
 ユーラシア大陸を横断して
 中国から日本に伝来
 但し、
 隠元が持ち込んだのは、
 現在の
 「フジマメ(藤豆)」だという説・・・
 関西では
 「フジマメ」のことを
 「インゲンマメ」と呼ぶ・・・
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 ・・・陰険で隠顕を引見して隠見してみる・・・