1361日目・・・「うラ・うリ・うル・うレ・うロ」・・・どうして「うりこヒメ」なんだか・・・「ウリ(瓜・売・卯里・有理・烏里)」、「子(ね・こ・す・シ)」・「ヒメ(姫・媛・比売・秘)」・・・どうして、「ウリ」の発音に注意し、その同音漢字に注視しないんだか、「うりこヒメ」、「ウリ二つ」と言うコトバもある・・・「日本の昔話」・・・「鶴の恩返し」は、ナゼ、「ツルのオンがえし」なんだか・・・

 「漢・(あや・くに・から・おとこ)」=「氵+廿+中+夫」
  漢=「氵+廿+中+夫」、「氵+廾(艸)+口+夫(二人)」
    カン・タン
 「好漢・悪漢」で、「痴漢・暴漢・凶漢・兇漢・俗漢・無頼漢・・・」は主体が漢王朝周辺からの熟語だろう・・・
 「劉・(ころす・らう・つらねる・みずき・しま・リュウ・ル)」
  劉=「卬+金+リ(刀)」
 「卬(あおぐ・ゴウ・ギョウ)+金+リ(刀)」
    仰ぐ・迎える・・・類字は「爪・瓜」    
 「説文解字・巻十四」には、「劉」の字が無く異字として「鐂」が記録されている。意味は「殺すなり」である。
 理由は前漢の始祖の「劉邦」の姓であったから避けた
 「劉」の漢字の意味には「日本人」にとってはイイ意味ばかりではない・・・中国系の渡来人は漢王室の子孫を称し、「東漢氏」と「西漢氏・・・「東漢氏」の子孫に「坂上田村麻呂」・・・?
 興味あるのは602年〜658年の唐の
 「劉仁軌」・・・字は正則・楽城文献公。汴州尉氏出身
         右相兼検校太子左中護・楽城県男
         総章元年(668年)
         熊津道安撫大使兼浿江道総管
         李勣(李世勣)に従って高句麗平定
         金紫光禄大夫
         太子左庶子同中書門下三品
         咸亨五年(674年・上元元年)
         鶏林道大総管
         新羅の文武王を討って
         翌年には左僕射、朝政に参画
         嗣聖二年一月二十二日(685年3月2日)
         文昌左相同固閣鸞台三品
         享年84
         死後、乾陵に陪葬
         開府-儀同-三司-并州大都督
 「劉仁願」・・・645年高句麗・朝鮮遠征に従軍
         660年百済・朝鮮を平定
         663年白村江口で
         百済残党の支援に出兵した倭国軍と
         「白村江の戦い」で勝利
         664年(麟徳一年)
         667年(乾封二)百済占領軍司令官
         668年(総章一年)高句麗征討に際し
         軍を逗留させた罪で
         姚州に流刑
         字(あざな)は士元
 「劉高徳」・・・朝散大夫-沂州司馬上柱国-劉高徳
         天皇四年(665)
         入唐僧の定恵(藤原鎌足の子)ら
         254人をともない
         唐将軍劉仁願の国使として来日
         
 ・・・そして、
 「郭務悰」の「名前」である・・・
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 漢人(カンジン)
 漢民族
 金朝支配下漢民族集団の分類の一種
 旧北宋占領地域の住民を南人と称し
 燕雲十六州出身者など
 遼の遺民を漢人・北人と称した
 元朝支配下の人間集団の分類の一種
 蒙古人、色目人漢人、南人に分けられ、
 金の遺民を指した
 漢民族の他、女真族契丹族も含まれた

 漢人(あやひと)
 日本における帰化系氏族
 遣隋使の
 高向漢人玄理(たかむこのあやひとくろまろ)
 仁徳天皇の時代に日本に帰化した漢人
 王仁博士
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 瓜(うり・カ・クヮ)
 植物の名のウリの総称
 「瓜田・甜瓜(てんか)」
 「瓜」の文字分解から「女の十六歳」、
 「男の六十四歳」の「破瓜」
 「烏瓜(からすうり)・白瓜・苦瓜・真桑瓜(まくわ
 江戸時代には
 「越瓜」や「菜瓜」などの異名で
 「越瓜」とは「越の国」からきたという由来
 「はやとうり」は
 大正時代にアメリカから鹿児島県に導入され、
 「隼人瓜」

 ウリ(瓜)
 メロン(Cucumis melo L.) の東方に伝わった品種
 ウリ科の果菜類の総称
 メロン
 西アジアから北アフリカにかけてが原産地
 日本列島にも貝塚から種子が発掘
 瀬戸内海の島嶼などに人里近くで
 苦味の強い小さな果実の
 「雑草メロン」が生育
 縄文時代に伝わり、栽培されていた
 日本では古来名は
 「ウリ(フリ)」
 日本では、C. meloの西洋栽培品種はメロン
 東アジア、あるいは中国西域品種群をウリ
 日本では
 マクワウリ
 キュウリ
 シロウリ
 未熟果実が、漬物用とされた
 青瓜・新うりのことを、
 カリモリと呼ぶ
 日本以外のウリ
 中国の西域、東アジア、
 中央アジア新疆ウイグル自治区オアシス地帯の
 ハミウ
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 瓜子姫(カシヒメ)と天邪鬼(テンジャクキ)
 瓜から生まれた瓜子姫の日本民話
 話の展開が地方によって異なる
 瓜子姫
 瓜姫(うりひめ)
 瓜姫子(うりひめこ)
 瓜子織姫(うりこおりひめ)
 瓜娘(うりむすめ)
 など
 話は地方によって様々
 東日本では姫が死んでしまうという結末
 柿の木に上らされ墜落死するという筋
 剥いだ生皮を天邪鬼がかぶり、
 着物を着て姫に成りすまし
 老夫婦に姫の肉を料理して食わせる
 など
 西日本では
 木から吊るされ、降りられなくなって
 助けられるという話
 天邪鬼も、いたずらから、
 姫に成り代わり輿入れを図るなど
 姫に成りすました天邪鬼が輿入れしようとするのを、
 木に吊るされた姫(殺された姫の骨から化生した小鳥)が
 告発するという内容になっている
 天邪鬼は物語の最後で殺され、ソバ畑や粟畑を馬で引き回され、その死体を捨てた所の植物の茎が天邪鬼の血で赤く染まった
 昔話の瓜子姫
 天邪鬼という鬼が瓜子姫をだまして食ってしまい、
 その皮をかぶって姫になりすますが、
 最後には正体を見破られる
 柳田国男が紹介している出雲の話は
 瓜子姫は殺されずに裏庭の
 柿の木に裸で吊るされ、
 鬼に食われてしまう
 聴耳草紙
 或る時、お爺さんとお婆さんが出かけて留守の間に、瓜子姫はいつもどおりに機を織っていたところ、天邪鬼が現れ、瓜子姫をだまして家の中に入ってきた。そして包丁と俎板を持ってこさせると、瓜子姫の皮をはいで、肉を切り刻んで食ってしまった。
痕には指と血だけを残し、自分は皮をかぶって瓜子姫になりすまし、お爺さんたちが帰ってくると、
 指は芋、
 血は酒だと偽って食わせる
 そのうち瓜子姫を嫁にしたいという長者が現れ、
 瓜子姫に化けた天邪鬼が馬に乗ってゆくと、
 烏が「瓜子姫の乗り物に天邪鬼が乗った」と鳴く。
 長者の家に着いた
 天邪鬼が顔を洗うと
 化けの皮がはがれ、もとの天邪鬼になり
 山の中に逃げていく
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 朝日日本歴史人物事典
 瓜から生まれた女の子。
 「瓜姫」「瓜子織姫」「瓜姫御寮」などとも呼ばれ
 美しく成長した瓜子姫が
 機織りの途中で
 アマノジャクにだまされ殺されそうになるが
 最後には殿様の嫁となって幸福に暮らす
 話と
 無惨に殺されてしまう話の二種類ある
 前者は九州など西南日本
 後者は東北、北陸地方
 姫をだますのは、
 アマノジャクのほか
 山姥や
 鬼婆
 猿などがあり、最後には退治される
 退治されたアマノジャクあるいは殺された瓜子姫の血で
 ソバやキビの茎や根が赤くなったという説明を伴うことが多い
 「天人女房(羽衣説話)」との関連がある
 最古の文献
 近世初期のものとされる
 御伽草子絵巻『瓜子姫物語』
 (小松和彦
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 世界大百科事典 第2版の解説.
 うりこひめ【瓜子姫】
 ウリから生まれた女の子を主人公とする昔話で
 (瓜姫〉〈瓜子織姫〉〈瓜姫子〉〈瓜姫御寮〉など
 機織を好む美しい姫に成長した瓜子姫が
 山からやってきたアマノジャクに
 だまされて殺されそうになるが
 間一髪のところで救われ、殿様の嫁になって幸福に暮らす話と
 無惨に殺されてしまう話とがある
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 デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説.
 瓜子姫 うりこひめ
 昔話の主人公
 瓜から生まれ、機織(はたお)りが上手な美しい姫に成長
 養い親の爺さんと婆さんの留守に
 天邪鬼(あまのじゃく)におそわれ、
 その後の展開は
 すくわれて無事に嫁入りする西日本型と
 天邪鬼に殺される東北・北陸地方型がある
 瓜姫・瓜子織姫・瓜姫御寮ともよばれる
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 デジタル大辞泉の解説.
 うりこひめ 【瓜子姫】
 昔話の一
 老婆が川で拾った瓜から生まれた瓜子姫は、美しく成長する。
 姫は殿様への嫁入り支度として毎日機(はた)を織るが、
 天邪鬼(あまのじゃく)が現れて妨害する。
 姫は雀(すずめ)などの助けを得て天邪鬼を退治し、
 無事嫁入りをする
 瓜子織姫・瓜子姫子
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 百科事典マイペディアの解説.
 瓜子姫 【うりこひめ】
 川上から流れてきたウリの中から生まれた娘。
 子のない老夫婦に美しく育てられる。
 夫婦の留守に
 天邪鬼(あまのじゃく)がきて姫を
 木に縛りつけ、
 姫に化けて機(はた)を織っているが
 鳥の知らせで露顕し、姫はめでたく嫁入りする。
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 大辞林 第三版の解説
 うりこひめ【瓜子姫】
 昔話の一
 異常誕生譚
 川を流れてきた瓜の中から生まれた瓜子姫を主人公とする話
 姫が美しく成長して機を織っているところに
 天邪鬼(あまのじやく)が来るが、
 結局は姫を育てた老夫婦に退治されてしまう
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 ・・・「ウリ」とは韓国語で「我々・ワレワレ・われわれ」と言う意味らしい・・・「瓜子姫」・・・拉致されてきた「ヒメ」の末路は「幸福」だったのか、「不幸」だったのか・・・