1348日目・・・「品」・・・「口が三つ重なった文字」・・・「差別用語」ではなく、「歴史用語」としての「口+口+口(くち)=口唇口蓋裂・兎唇=宇佐神宮・和気清麻呂(汚麻呂)」で、猫科、それに類する動物の「兎・猫・獅子・虎」の唇か、「囗+囗+囗=三国史=三國史=(光)圀=六合」で、「三+口」とは「品」=「ヒン・ホン」、「ビン・ピン・ポン・ポン」は音読みである。そして武家階級社会での御政道下の「三猿→纂申」の「みない・きかない・いわない」である・・・三日月、月の神は「ウサギ」であり、ゼウスと「レートーの娘」

 以下はスベテ、ウイッキペデアを含むブログ記事より参考、参照抜粋したモノで、少々改作したモノ・・・
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 N段に積み重ねたときの口の数Qは、バベジの計算
 「Q=N(N+1) /2」
 ・・・ピラミッドが210段なら、その立方体の全個数は
 「N(N+1)(2N+1)/6≦210」・・・

      1囗
     22囗囗
    333囗囗囗
   4444囗囗囗囗
  55555囗囗囗囗囗
  ↓   ↓    ↓
 NNNNNNN・・・・N個
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 「品」=「しな・かず・かつ・ただ・のり・ひで」は訓読み・・・「倫」も「しな」と訓読みし、音読みは「リン」で、「おさむ・つぐ・つね・とし・とも・のり・ひと・ひとし・みち・もと」と訓読みするらしい・・・「科(カ)」=「しな」も、「支那(中国地域)」=「シナ」も「しな」である・・・「しな」を調べれば・・・
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姿=音読=シ
  訓読=しな・がた・かた・たか
差=音読=サ
  訓読=しな・さす・さし・すけ
枝=音読=シ
  訓読=しな・え・えだ・き・しげ
標=音読=ヒョウ
  訓読=しな・しるし・しるべ・しめ
     えだ・かた・こずえ・すえ・たか・ひで
科=音読=カ
  訓読=しな・とが
程=音読=テイ
  訓読=しな・ほど・たけ・のり・みな
等=音読=トウ
  訓読=しな・ひとしい・など・ら
     たか・とし・とも・ひとし
級=音読=キュウ
  訓読=しな
色=音読=ショク・シキ
  訓読=しな・いろ・くさ・しこ
階=音読=カイ
  訓読=さな・きざはし・とも・はし・より
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 ・・・「しな・シナ」・・・これらの漢字訓読みの語原は「支那(しな・シナ)」からの「伝来モノ」に関係、属するモノだからであろう・・・すなわち、「しな」の「訓読の音」は「抽象化」されたニホン語の「一般名詞」である・・・もちろん、「漢字文字」そのものは、その意味に於いて分類された「個別」で「特殊性」を意味している・・・
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 品(しな)
 人が使用したり消費する対象
 もの・品物
 品(ヒン・ホン)
 人としての資質・品格
 ‎品�噐・‎品位・‎品行・‎品物九品
 九品(くほん)
 物質や人の性質を3×3で分類したもの
 三三品(さんさんぼん)
 上品・下品(じょうひん・げひん)の語源
 九品 浄土(9の等級に分けられた浄土)
 九品蓮台(同様の蓮台)
 九品官人法(きゅうひんかんじんほう)
 中国魏晋南北朝時代に行われた官吏登用法
 三国時代の魏の
 文帝の
 二百二十年に始められ、
 隋の文帝の
 五百三十八年に廃止
 代わって科挙が採用された
 骨董品(こっとうひん)・・・董=ただす・トウ・ツウ
 希少価値のある古美術や古道具のこと
 フランス語でアンティーク(Antique)
 語源はラテン語アンティクウス(Antiquus、古い)
 古いだけで実際の役には立たない時代遅れのもの
   董=ただす・おさめる・なおす
     トウ・ツウ
     見張る・監督、管理する
     「威をもってこれを董す」
    「董狐の筆(トウコのフデ)
     権勢を恐れず、ありのままに歴史に書き記すこと」
     春秋時代、晋の歴史官
     董狐(トウコ)が、
     趙穿(チョウセン)が主君の
     霊公を殺したのに、
     とり締まるはずの
     趙盾(チョウトン)が何もしなかったので、
     趙盾に罪があるとして、
     趙盾が殺したと歴史書に書いたことから・・・?
     董=「サ(艸)+重」で
       「袋の中の物を叩いて整えること」とブログ字典
        にあり、
       「重」=「東+土」で
       「東」は「袋」の象形と説明があったが・・・?
       「土」は「おもり」でヨイとして、
       「東」が袋とは思えない・・・
       「東」は「春・春の草木・春季」であり、
       「旭日(朝日・朝陽)が昇る方角」である。
        すなわち、
       「東」は「木(十+八)+日」で、
        一日の始りの方角と時刻である
       「重」の部首分解は「千+申+土」か
       「挿す(攩)」の右の字に「二」である
        類字の
       「攩(扌+黨・挡=扌+当)」は
       「阻む・さえぎる・覆う
        挡路・道をふさぐ・挡阳光
        日射しをさえぎる
        覆い・カバー・囲い・挡子・ブラインド」
        攩
       「懂(トウ)」は
       「道理など物事の本質や全体像がわかる・
        物事の程度を詳細に理解する、悟るである」
        類字は「燻る・薫」で「燻製・薫製」である
       「薫陶」は徳の力で人を感化し、教育すること
       「薫らす」は煙を緩やかに立ちのぼらせる
            「くゆらせる」である。
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 品
 ヒンが「漢音(カンオン)」で
 ホンが「呉音(ゴオン)」である・・・「御本」・・・
 「呉音(ゴオン)」の「ご」の音は「御」の漢字であるが
 なんでも、かんでも
 「御恩・御苦労・御武運・御不精」で、
 「御米・御飯・御魚・御野菜・御林檎・御菓子」、
 「御前・御手前・御点前」の
 「御(ゴ・お)」である。
 接頭語の「おん(御)」の音変化で、中世以降の成立
 名詞に付く
 尊敬の意を表す
 相手または第三者に属するものに付いて、
 その所属、所有者を敬う場合と、
 敬うべき人に対する自己の物や行為に付ける
 「御(ゴ)」
 「御前(ごぜん)」の略か?
 貴婦人に付ける敬称
 格助詞「の」を介して、呼び名に付ける
 「御達(ごたち)」の形で
 婦人や上級の女房の敬称
 「御(み)」
 主として和語の名詞に付いて、
 神仏・天皇・ 貴人など、尊敬すべき人に属するものを示し、
 尊敬の意を添える
 「御子・御心・御手」
 「御(み)」は「美・深」とも書く
 「御(お)」
 接頭語名詞の上に付いて、尊敬の意を表す
 「お前(まへ)」
 中古には、「お前(まへ)・お座(まし)・お許(もと)
 お物(もの)」などの限られた語に付いた
 中世以降は用言にも付くようになった
 「供御(クギョ)」
 「ぐご」とも
 天皇の飲食物、時には、上皇・皇后・皇子の飲食物をいう語
 武家時代には将軍の飲食物をもいった
 飯(めし)をいう女房詞
 「出御」
 天皇・皇后、また、将軍などを敬って、その外出、
 また、目下の者の前に出ることをいう語。おでまし
 「御御御付け(おみおつけ)」
 おみおつけの「おつけ」は、動詞「付ける」の
 連用形「つけ」を名詞化したものに、
 接頭語の「御」をつけた語で、
 本膳の飯に並べてつける
 汁といった意味の女房詞
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 品
 しな
 品質・品種・品目・遺品・佳品・金品・景品・作品
 出品・小品・商品・食品・新品・製品・絶品・珍品
 廃品・備品
 贓品(ゾウヒン)
 犯罪など不正な手段で手に入れた品物
 stolen goods=盗品
 欠品(ケッピン)
 客の注文した品がその場にないこと
 品物がその店になく注文に応じられないこと
 品切れ
 人品
 人としての品格
 身なり・顔だち・態度などの人のありさ
 「人品骨柄(こつがら)卑しからぬ紳士」
 消耗品
 コピー用紙、文具類、 封筒や便せん、洗剤、潤滑油など
 1回限りで使い切ったり使うにつれ量が減るようなもの
 品
 形があり、見たり触ったりできる物体
 人間が使うための物体
 a thing
 品物の性質、状態
 quality・品質
 品柄(しながら)
 品定め
 物の優劣や品質について論じ、批評し判定すること
 estimation
 品物
 an article・商品・goods・a shortage of goods
 品薄
 a shortage of stock
 品書き
 目録・a catalogue・a catalog
 献立表・a menu
 the number of articles
 items of merchandise
 品評・品定
 品詞(ひんし)
 parts of speech
 品種(ひんしゅ)
 生物の種以下の生物集団の単位
 品鶴線(ひんかくせん)
 品川駅と鶴見駅を結ぶ、東海道本線の支線の通称
 品切重版未定(しなぎれじゅうはんみてい)
 出版元や取次店に在庫がなく、
 出版元による重版の予定もない、ほぼ絶版のモノ
 品行方正
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 ・・・「生産品」と「商品」は異なる概念だが・・・書籍を何時から「本(ホン)」と呼ぶようになったのか?・・・
 日本語の「ほん」
 「本物・本家本元」などの「本」
 「写し」に対する
 「原著作物、原稿本」が「ほん」のもともとの意味
 「写し」の末尾には
 「...とぞホンに(以上のように元の書物にありました)」
 というような一行が付け加えられた
 「ほん」ということばには
 「原典」→「写本」→「書物一般」
 という意味の拡大がおこった
 元来、「本」という漢字は、「物事の基本にあたる」という意味から転じて書物を指すようになった。古くは文(ふみ)、別に書籍、典籍、図書などの語もある。
 英語の「book」・・・「ブック」とは「新旧聖書」である
 ドイツ語の「buch」は
 古代ゲルマン民族
 ブナ(山毛欅・橅・椈・桕
    学名はFagus crenata Blume)の木を指す言葉
   ・・・「ぶな=橅・椈」は近世の国字である・・・
 フランス語の「livre」
 スペイン語の「libro」
 はもともとラテン語
 木の内皮(liber)という言葉
 古代インカ帝国の「キープ(結縄)」
 インディアンが使用した
 彩色した貝や棒の刻み目や組合せ
 古代中国の
 「亀甲文字・獣骨文字・金石文字」
 インドなどの木の葉に記した文字
 メソポタミアの粘土上に記した文字
 「楔形文字
 (くさびがたもじ・セッケイもじ・キッケイもじ)」
 文明化した世界各地で様々な
 「書写材料」が試みられた。
 これらのうち、もっとも多くの民族が手軽に利用した、
 木の皮をはぎ、そこに書き写す行為が
 「本(ホン)」の祖形になったと考えられる。
 「本」の誕生
 羊皮紙を使用し、
 現在の本の概念となったものを
 最初に完成させ、伝えたのは、
 6世紀初めに
 ベネディクトゥスがイタリアに設けた
 修道院の修道士たち
 25cm×45cmの
 「羊皮紙」を半分に折り、
 「鵞ペン」で各種インクを用いて聖句を写した。
 羊皮紙4枚ごとに咽に皮ひもを通し、
 それらを重ねて1冊にすると
 紐で山になった
 背ぐるみに皮を被せて表紙とした。
 またその表面から小口をかけて金具を打ったり、
 表紙に宝石を嵌めたりして装幀の美を競った。
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 紙本の登場
 羊皮紙よりも軽くて扱いやすい紙の発明は本の歴史にとって画期的であったが、実際に西洋で紙が羊皮紙に替わるようになるのは印刷術の発明以降であり、東西での紙の使用は十世紀以上の開きがある。
 15世紀半ばにドイツの
 ヨハネス・グーテンベルクが金属による可動性の活字を使い、
 ブドウ絞り機を利用した印刷機を操作して印刷術を興した
 1455年以降グーテンベルクによって印刷された
 「グーテンベルク聖書」などによって
 印刷術は全欧州に広がり飛躍的な発展を遂げた。
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 和書の歴史
 日本で作られた本
 日本にいつ紙が入り、
 製紙術が伝えられたのか定かではない。
 「日本書紀」には、
 610年に
 「曇徴」が来朝し、絵具・紙・墨を巧みに作ったと記されている。おそらくは日本における
 「碾磑(みずうす)」の創製者であるとは書かれているものの
 絵具・紙墨については言及がない。したがって、彼が来朝する以前には製紙術は伝わっていただろうと考えられる。
 現在残っている最古の本は
 7世紀初めの
 聖徳太子の自筆といわれる
 法華義疏であるとされている。
 また、奈良時代の本の遺品は数千点にのぼり、1000年以上昔の紙の本がこれほど多数残されているのは世界に例が無い。
 また、日本では製紙法の改良により、
 楮(こうぞ・チョ)、
 三椏(みつまた・サンア)などで
 すいた優れた紙の本が生まれている
 ・・・「三椏紙(みつまたがみ)」とは、
 三椏を原料とする紙
 慶長三年(1598年)に
 徳川家康から
 伊豆国
 修善寺村の
 紙漉工に和紙原料として
 三椏を伐採することを認めたとする文書が存在する
 ・・・らしい
 印刷術に関しては、
 8世紀に現存するものでは世界最古の印刷物である
 百万塔陀羅尼が発行されたが、
 平安時代には経文や文学作品を上質の和紙の上に美しい筆遣いで
 書き写す手法がとられ、
 印刷に関しては長く後を絶つようになる。
 平安時代末から鎌倉時代には
 中国の影響で
 木版印刷が広く行われるようになり、主に仏教関連の書籍が寺院から刊行された。
 また
 慶長年間には勅命により
 日本最初の
 木製活字本が現れ、
 「古文考経」
 「日本書紀神代巻」などのいわゆる慶長勅版本が刊行された。
 1590年には
 アレッサンドロ・ヴァリニャーノによって
 グーテンベルク活版印刷術がもたらされ、
 キリシタン版数種が誕生したが、
 キリスト教禁止などの影響により技術が途絶えた。
 また
 活字という
 印刷形態自体が当時の書物には馴染まなかったようで徐々に廃れた。
 現在の日本の活字印刷の基礎を築いたのは
 本木昌造で、
 幕末の
 1852年に
 鉛活字を用いて
 「蘭和通弁」を刷り、
 明治になって今日の
 号数活字の制定など活字印刷の緒をつけた・・・
ーーー
 で、言いたいことは
 応神天皇
 (仲哀天皇九年十二月十四日〜応神天皇四十一年二月十五日)
 第十五代天皇
 (在位は応神天皇元年一月一日〜同四十一年二月十五日)
 諱は
 誉田別尊(ほむたわけのみこと)
 大鞆和気命(おおともわけのみこと)
 誉田天皇(ほむたのすめらみこと・ほんだのすめらみこと)
 胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)
 とも称される。
 「日本書紀」は、
 「譽田天皇(ほむたのすめらみこと)」
 の
 「ホンダ」であり、
ーー
 「垂仁天皇
 活目入彦五十狭茅尊
 (いくめいりびこいさちのみこと)
 活目尊等と称
 「古事記」は
 「伊久米伊理毘古伊佐知命
 (いくめいりびこいさちのみこと)
 「常陸国風土記
 「伊久米天皇
 「令集解・所引の古記」に
 「生目天皇
 「上宮記逸文」に
 「伊久牟尼利比古(いくむにりひこ)大王」
 と
 「狭穂媛(日本書記)」
 「沙本毘売命
  佐波遅比売命(古事記)」
 の
 ムスコ(息子)
 「誉津別命(ほむつわけのみこと)」
 「日本書紀」では
 「誉津別命
 「古事記
 「本牟都和気命
  本牟智和気命」
 「本牟智和気御子」
 「尾張国風土記逸文」に
 「品津別皇子」・・・の「ほん=本・品・誉」である・・・「誉田別尊(ほむたわけのみこと)」とは「本拿捌の視異」・・・「古事記」も「日本書記」も幕末、明治の改竄の産物・・・だろう・・・