1344日目・・・「ママの事件簿」・・・「信じる」と言う事・・・三月十一日の東北大震災、大津波・・・ボクはママと一緒の空間で住むことを決心した・・・ママが特別老人ホームに入院してから2011年4月に初めてボクが面会に訪問した時、ママの地元でボクが安い土地付き家屋をインターネットで見つけ、購入するコトをママは「コトバ」で了解してくれたし、そして六月に帰ってくることを伝えたことにもハッキリとコトバで理解し、頷いてくれた。そして、ママの好きな短歌や随筆の創作を訊ねた時に「もう、書くことには興味がない」との返事

 とにかく、ベットから独りでは車椅子には乗れない、モチロン、歩くことは不可能。トイレは他人の手。左手は麻痺。でも、食事の時間、車椅子に載せられた後、右手でホームの廊下の両脇に設置されている手すりを掴んでナース・ステーションの手前まで自分の力で行くのだった。そして、自分自身の右手で食事をするのだった。其の時のママはボクが自分の息子であることをしっかりと理解していた。
 六月、ママが特別老人ホームで看護士さん、ヘルパーさんに車椅子にベットから乗せられる時も、「痛い痛い、バカ野郎」と罵るのだった・・・婦長さんが来ても「バカ野郎」である・・・ボクは「申し訳アリマセン」と・・・そして、「周りのヒトをミンナ敵にまわしてどうするの」のコトバだった・・・
 その後・・・検診の看護士さんにも、衣服を取り替えてくれるヘルパーさんにも「息子さん来てくれてよかったね」には、「バカ野郎」、ボクを指差して「この方はダレ?」には、「知らない」だった・・・そして、ボクのコトバには反応と言うよりは無視するが如くまったくコトバを返さなくなったのだった・・・お気に入りの若いヘルパーさんには愛想もよく機嫌が良く、「バカ野郎」のコトバはないらしかった・・・三笠の従姉が面会に来た時は一緒に歌も歌うらしいし、お祈りのコトバも唱えるらしい・・・ボクに対しては半ばボケを装っているのかな・・・とも、思っていたのだが・・・
 ・・・ボクは毎日、プリンとケーキ類、ゼリーに固められたパイン、マンゴ、ミカンなどをコンビニで買い、そして病室のママの口元へスプーンで運び、少量を食べてもらうのを日課としていたのだが、ある日から、「もう、いらない、食べない、イラナイ」と言って拒否されのだった。そしてボクの手をかなりの力でツネリ、頭を叩くのだった・・・そして、「バカ野郎」だった・・・その後、気落ちしたボクはトボトボとボロ屋敷に帰って「モモちゃん、ブブ君、ママに嫌われてしまった。どうしょう」とニャンコの母子に訊ねていた・・・ママには気に食わない、何かがあるのだろうな・・・
 信心深いカトリック信者であったママの「バカ野郎」のコトバには驚きではあったが・・・其の時のママは半ば「ボケ」を装っての「仕業」かな、とも思ったが・・・数日後には、また、持参したモノは食べてくれるようになった・・・看護婦さんの「このヒト、ダレ?」には、「ムスコ」と答えるようになったが、黙々と食べてはくれるけれど、相変わらずボクのコトバには無視・・・
 ママが1997年(平成九年四月十日)に脳梗塞で倒れ、退院後、同年六月四日に脊柱管狭窄症(腰部脊柱管狭窄症)で10時間の手術、そして同年九月十八日に退院・・・2007年(平成十九年)まで自宅からの通院生活・・・その同年の八月二十日の朝に自宅で倒れているところを発見され、隣の市立病院に緊急入院し、その後、地元の町立病院に九月十一日に入院・・・2008年(平成二十年四月十日)から特別老人ホームにお世話になっていたのだが・・・
 「ママの事件」は「2007年(平成十九年)八月二十日以前の数週間前の出来ごと」だった・・・ベットと布団の間に2つの封筒に別個に入れて置いておいたお金が盗まれたとボクに電話があったのだ・・・一つの封筒に2万、もう一つの封筒に3万・・・盗まれたのは3万の封筒・・・足腰の不自由なママだが、其の状況を事細かに説明してくれた・・・カトリック信者だったママはすぐさま神父さんに電話し、相談。神父さんは警察に届けなさいとのアドバイス・・・ママは葛藤していた・・・警察沙汰にはしたくなかったのだ・・・ママは盗んだヒトがダレかは「確信」していたがママ自身の目撃が無い、証人もいない。後からその事態に気がついたのだ・・・ボクはママのコトバを信じていたのだが・・・
 だが、ママの勘違い、誤解かも、タトエ盗まれたとしても、あげた事にすれば・・・挙句の果ては「ボケ」と言われ、噂をされたらしい・・・
 「汝の敵(ライバル?)を愛せよ」だが、さすが「汝の盗人を愛せよ」とは無理であるカモ・・・だが、その人を許していたハズだが、許せないことは別にあった・・・
 ・・・また、また「バカ野郎」であった・・・ヘルパーさんに・・・ボクはママの言葉に対して彼女に申し訳ありませんと謝罪したが、「気にしないで。何時ものコトだから。おかぁさん、元気な証拠だし」と・・・そして、帰り間際に彼女に廊下で「おかぁさん、ナニかトラウマになっているのではないかしから。ナニかココロあたりはないですか?」と・・・「トラウマ」が・・・「バカ野郎」・・・彼女の母親も老齢で、時たま乱暴なコトバを吐くらしく、その原因は「トラウマ」らしいとのコト・・・
 お通夜も午前3時頃・・・東京から飛んできたT(従妹)ちゃんと話し込んで、ママの「バカ野郎」のハナシに及んだ・・・従妹はママの兄の子供の三姉妹の末っ子で、数年前に働きながらも一人で面倒を看ていた母親を亡くしていた・・・従妹にも同じようにあの一件でママから電話があった、とのこと・・・そして、ママのハナシを根掘り葉掘り訊いて見事な推理と判断でママの正当性を説明し、励まし、「おばチャンを絶対に信じているから」と・・・その後も従妹は「ママの確信」を信じて何度もママに電話をして励ましていた、と・・・ママがお金を二つの封筒に分けてベットと布団の間に置いていた。分けていた理由は以前から財布の中身のお札がちょくちょく少なくなっていたり、テーブルに置いていたハズのお金が何処か別な所に置いたのか、自分の物忘れかとも思ってのコトで、お札は別にし、更に二つに分けていたのだ・・・それはボクもママからは聞いていたのだが・・・「自分の確信」を確かめたかったママのトリックだった・・・
 ママからボクの所に電話があって「・・・一番、T子(従妹)が可愛い・・・」とのコトだったが、その「理由」がナンなのかは言わなかったし、ボクも訊かなかった・・・
 ママが許せなかったのは「盗人」ではなく、ママのコトバを「信じてくれないヒトビト」であり、タトエ、信じていても「曖昧」にコトを終わらせようとしたヒトビトだったのだ・・・
 ・・・信頼を得るには長い時間がかかる・・・だが、一言で、相手の信頼を失い、裏切り者になってしまう・・・ママは、「ボケ」でも、「トラウマ」なんかでもなかったのだ・・・ボケを装っていた・・・
 「許せないヒト」は「カミのコトバのモト」で許せないのである。
 ・・・汝、盗むなかれ。汝、嘘をつくなかれ。汝、殺めるなかれ・・・もちろん、「人の子の創ったコトバのモト」でも・・・