1325日目・・・「餃子」の「王将」の社長が拳銃で撃たれて殺された・・・九州でも漁業組合長が拳銃で撃たれて殺された・・・遵法(順法)の「善人」であっても、アウトロウーの「悪人」であっても殺される・・・この世の中・・・「ドクター?」は「カネ」で「ネズミ」のヤマイも助けようとする・・・「ねずみ」は「鼠」で「子」、その移動は「移鼠=イエス」であった・・・「地名」の「・・・字(あざ)」は「宀+了+一」であった・・・

 「宀部(うかんむり・ベンブ)」
  康熙字典214部首・四十番目
  三画の十一番目
  屋根をかたどり、家屋を意味・・・「字(あざ・ジ)」は「宀+了+一」の文字結合だとすると「屋根裏に隠れていた」のは「アンネ・フランク」であった・・・1929年6月12日〜1945年三月・・・ドイツ ベルゲン・ベルゼン強制収容所で「チブス(窒扶斯)・typhoid fever(bacillus)」に罹患して死亡・・・15歳・・・サルモネラの一種であるチフス菌 (Salmonella enterica var enterica serovar Typhi)・・・チフス菌には、「サルモネラ菌の一種であるチフス菌、パラチフス菌、発疹チフスリケッチア (Rickettsia prowazekii) の発疹チフス」がある・・・「サルもねら」・・・「チブス(窒扶斯)」・・・発症時、高熱と昏睡状態・・・ヒポクラテスが「ぼんやりした、煙がかかった」を意味するギリシア語「typhus」と記録したことに由来・・・「typhoid fever・タイホイド フィヴァー(typhoid bacillus・バチルウス)」・・・明治三十年に制定された「伝染病予防法」で指定・・・「bacillus(バチルス)」は羅典語で「杖=つえ・さお=竿・棹→桿」・・・
 窒・扶・斯
 「窒=チツ・ふさがる・つまる・窒息・窒素の略」
 「扶=フ・たすける・すけ・たもつ・広がる
      脇(腋・わき)から支えて助ける
      世話をする」
      扶育・扶助・扶持・扶養・扶翼
      扶桑は「扶桑日記」・地名
      人物は
      源 扶(みなもと の たすく)
      「将門記」の
      前常陸大掾
      源護の長男
      承平五年(935年)二月
      源「扶」は弟の「隆」や「繁」とともに、
      野本で平将門待ち伏せたが、
      討ち死・・・「承平天慶の乱」の発端
  「扶桑」は「扶桑日記」・日本国の異名・地名
  「扶桑(ふそう)」
   日本海軍の戦艦・超弩級戦艦
   同名の艦としては二代目
   初代「扶桑」は1879年竣工の装甲フリゲート
  「第三号戦艦」は1912年(明治四十四年)
   呉海軍工廠で建造が開始
   起工 1912年3月11日
   進水 1914年3月28日
   就役 1915年11月8日
   撃沈 1944年10月25日
      レイテ沖
      スリガオ海峡夜戦
   シブヤン海海戦
   スリガオ海峡海戦
   エンガノ岬沖海戦
   サマール沖海戦
   4つの海戦からなる
   捷一号作戦
   日本海軍の艦隊戦力はこの海戦での敗北で壊滅し、
   この海戦ではじめて
   神風特別攻撃隊による攻撃を行った
ーー↓窒・扶・斯
 「斯=シ・つな・のり・これ・この・ここ
     比・ここに・すなわち・かく・かように・このように
     斯かる=かかる・こんな
     斯く=かく・このように・このとおりに・こう」
    「斯くなる上は」
    「斯様(かよう)・斯界・斯学・斯道・瓦斯(ガス)」
    「螽斯(きりぎりす)」
    「斯波(しば)」氏・・・織田氏の主
    「波斯(ペルシア)」
ーー↓ 
 英語の
 「アルファベット」の「26音」の
 六番目は「F・f(エフ)」
 七番目は「G・g(ジィ)」だが・・・
 「あいうえお」の「50音」の
 六番目は「か・カ」
 七番目は「き・キ」だが・・・
 「伊呂波」の
 六番目は「へ」
 七番目は「と・ト」だが・・・
 「あめつちの歌」
    ↓
 「あめ(天)つち(地)
  ↓↓    ↓↓
  ほし(星)そら(空)
  ↓↓    ↓↓
  やま(山)かは(川)
  ↓↓    ↓↓
  みね(峰)たに(谷)
  ↓↓    ↓↓
  くも(雲)きり(霧)
  ↓↓    ↓↓
  むろ(室)こけ(苔)
  ↓↓    ↓↓
  ひと(人)いぬ(犬)
  ↓↓    ↓↓
  うへ(上)すゑ(末)
  ↓↓    ↓↓
  ゆわ(硫黄)さる(猿)
  ↓↓     ↓↓
  おふ(生ふ)せよ(せよ)
  ↓↓     ↓↓
  えの(榎の)えを(枝を)
  ↓↓     ↓↓
  なれ(慣れ)ゐて(居て)」の
 六番目は「し・シ」
 七番目は「そ・ソ」だが・・・
 「ギリシャ(希臘)文字」
 「ΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩ
  αβγδεζηθικλμνξοπρστυφχψω」の
 六番目は「Z・ζ(ヅゼータ・ゼータ・ジタ・ズィタ)」
 七番目の「H・η」だが、
 英語の
 七番目の「G・g」が、
 ギリシャ文字
 三番目が「G=Γ・γ(ガンマ)」・・・?
 ↓
 いくらなんでも、ミエミエではないか・・・「アメ、ツチのウタ」・・・
 最古の出自、出典が「みなもと」の「したがおう」である、とは・・・
ーー↓
  源    順・・・・・(911年〜983年)の
 (みなもと したがおう)・九百壱拾壱〜九百八拾参
  ↓              九百十一 〜九百八十三
  ↓    順=川+頁  玖飛躍足壱〜句秘訳捌足纂
 私家集   順の類字は「須」=彡+頁
 「順集」であるらしい・・
 「あめつち」の詞の
 仮名を始めと終りに置いて詠んだ・・・
 八首、合わせて四十八首が収められている・・・
 ↓
あらさじと・うちかへすらし・をやまだの・なはしろみづに・ぬれてつくるあ
↓  ・・・末尾の「あ」とは「畔(あぜ)」で、「あぜ」の古語
めもはるに・ゆきまもあをく・なりにけり・いまこそのべに・わかなつみてめ
↓  ・・・今こそ述べ爾、和仮名積み出目
つくばやま・さけるさくらの・にほひをぞ・いりてをらねど・よそながらみつ
↓  ・・・
ちぐさにも・ほころぶはなの・しげきかな・いづらあをやぎ・ぬひしいとすぢ
 ↓↑
あめ つち ほし そら やま かは みね たに くも きり むろ こけ ひと いぬ うへ すゑ ゆわ さる おふせよ えのえを なれゐて
 ・・・冒頭から「さる」までは、二音一文字漢字
 「天・地・星・空
  山・川・峰・谷
  雲・霧・室・苔
  人・犬・上・末
  硫黄(ユワウ)・猿(さる)」
 という言葉を並べたモノ・・・
 「おふせよ・えのえを・なれゐて」は意味不明で?・・・「形式的にも破綻」している?・・・その理由については不明・・・であるらしい・・・?
 「天地(あめつち)」と訓じるなら「地」は「土(つち・ド)=十+一」の文字である・・・ココでの漢字、「上・末(下・終・了・端)」は「物」ではない。「うえ=植え・飢え・餓え」、「すえ=据え・陶・吸え」かも・・・ならば、次の「硫黄(ゆおう)・猿(さる)」は「物」ではなく、「結おう・言(ゆ・云・謂)おう・申(去る・然る)=もうす」だろう・・・「硫黄(ゆおう・イオウ・リュウオウ」の発音の説明が「ユワ=硫黄」・・・「日本語」には本来、「語頭にラ行の音」を持つ言葉が存在せず、「古代日本」において漢語(文字)「硫黄」が入ってきたとき、リウ、ワウと発音することができずに変化したもので、現在でもこの語を「いおう」と読むのはその名残で、「源順」が編纂した『和名類聚抄』には「硫黄」の項目にその注として、「硫黄」を俗に「ユワウ」と呼ぶと記されている、とあったが・・・?・・・であるな。
 硫黄(イオウ・sulfur・sulphur=サルファ・ラテン=羅典語もsulphur)は原子番号16の元素・元素記号は「S」・酸素族元素の一つ・多くの同素体や結晶多形が存在し、融点、密度はそれぞれ異なる・沸点444.674°C・硫黄の英名sulphurは、ラテン語で「燃える石」・・・「硫黄島」は太平洋戦争の日米の激戦地だった・・・
 ↓
 硫黄島
 1543年
 ベルナルド・デ・ラ・トーレ (Bernardo de la Torre) 船長のスペイン船サン・ファン・デ・レトラン (San Juan de Letran) が発見
 1779年
 ジェームズ・クック率いるレゾリューションおよびディスカヴァリーにより、「サルファーアイランド」と命名
 1887年
 東京府による探査
 1889年6月
 父島の住民
 田中栄次郎が、
 帆船、南洋丸にて十余名とともに、
 鮫漁と
 硫黄採取を目的として入植
 1891年9月9日
 勅令により日本領土に編入
 島名を「硫黄島」とし、
 東京府
 小笠原島庁所属とした
 1892年
 本格的に硫黄採掘事業開始
 1923年
 島嶼町村制が施行
 東京府
 小笠原支庁
 硫黄島村となった
ーー↓
 ダイタイカラして「源順」なる人物が「?」である・・・「臈闌ける=ラフたける」は「洗練された美しさ・気品・年功を積む・経験を重ねる・洗練される・上品である」という意味・・・「ラリルレロ」の語頭のコトバが無かったとし、「ゆおう・さる」がモノなら「湯・油」の「覆うサル」かも・・・そして、
  おふせよ→御布施よ→「於伏せ・措臥せ・置附せ」よ
  オブせよ
  えのえを→柄の絵を→「得の画・重の枝・会(魁)の回」を
  エのエを
  なれゐて→生れ意て→「鳴れ・為れ・成れ・慣れ
  ナレヰて       熟れ・狎れ・名零(例)」
             亥(ゐ・ヰ・入)て
             イの同音異字漢字のスベテ
 である・・・四文字を並べて一文字を縦にヨメば、どうなるか・・・
 
 あめ つち
 ほし そら
 やま かは
 みね たに
 くも きり
 むろ こけ
 ひと いぬ
 うへ すゑ
 ゆわ さる
 おふ せよ
 えの えを
 なれ ゐて
 ↓
 アホやみくむひうゆおえな
 めしまねもろとへわふのれ
 つそかたきこいすさせえゐ
 ちらはにりけぬゑるよをて

 ・・・ニホンゴ一音に対する同音異字漢字は多数あり、仮名一文字に漢字を選択するには意味が通らねば、句、文章とはならないが、ボク的にはホトンドが意味の通るモノとなってしまう・・・やってみる・・・「百人一首」も同じようなパズルらしいから・・・
 ↓ 
 源 順(みなもと の したごう)
 延喜十一年(911年)
  〜
 永観元年(983年)
 嵯峨源氏の一族
 大納言
 源定の孫
 左馬允
 源挙(みなもと の こぞる)の
 次男
 子に貞
 下総権守・和泉守等を歴任
 極官は従五位上能登
    ↓従語彙、咽喉守る
 ・・・源(みなもと)を挙(あげる)、
    源(みなもと)に順(したごう)・・・
 ・・「延す期」の壱拾壱から
   「永く観る」の贋を撚(よ)る・・・
ーーーーー
 枕草子
 (三二一段)・・・「三百二十一・参佰弐拾壱・参弐壱・参陌仁足壱」段
          3+2+1=6=六=陸→V?→F(エフ)
          3×2×1=6=六=陸→V?→F(エフ)
 もの
 くらう
 なりて、
 文字も
 かかれず
 なりたり。
 筆も
 使ひ
 はてて、
 これを
 書き
 はて
 ばや。
 この
 草紙は、
 目に見え、
 心に思ふ事を、
 人やは
 見んずると
 思ひて、
 徒然なる
 里居の
 ほどに、
 書き
 集め
 たるを、
 あいなく、
 人の
 ため
 便なき
 いひ
 過し
 など
 しつべき
 所々も
 あれば、
 きよう
 かくし
 たりと
 思ふを、
 涙
 せき
 あへず
 こそ
 なり
 に
 けれ。

 宮の
 御前に、
 内大臣
 奉り
 給へり
 けるを、
 「これに
  何を
  書かまし
  うへの
  御前には、
  史記
  いふ・・・といふ
  文を
  書かせ
  給へる」
 など
 の給は
 せしを、
 「枕に
  こそ
  はし
  侍ら
  め」
 と
 申し
 しかば、
 「さば
  得よ」
 とて
 賜
 はせ
 たり
 しを、
 あやしきを、
 こよや
 何やと、
 つき
 せず
 おほかる・・・オホかる・オオかる
 紙の・・・・・カミの
 數を、・・・・シキを・シクを
 書き
 つく
 さんと
 せし
 に、
 いと
 物
 おぼえぬ
 こと
 ぞ
 おほ
 かる
 や。
 大かた
 これは
 世の中に
 をかしき
 事を、
 人の
 めでたし
 など
 思ふ
 べき事、
 なほ
 選り
 出でて、
 歌など
 をも、
 木、
 草、
 鳥、
 蟲
 をも
 いひ
 出した
 らば
 こそ、
 思ふ
 ほど
 よりは
 わろし、
 心・・・・・ココロ
 見え
 なり
 とも
 そしられめ。・・・謗られめ・誹られめ
          ソシラレ目
 ただ
 心
 ひとつに、
 おのづから
 思ふことを、
 たはぶれに・・・・戯れに
          タハブレに
 書き
 つけ
 たれば、
 物に
 立ち
 まじり、
 人
 なみなみなるべき・・・ナミナミナルベキ
            な
             みな
               みな
                 る
                  べき
 耳を
 も
 聞く
 べき
 もの
 かはと
 思ひしに、
 はづか
 しき
 なども、
 見る
 人は
 の給ふ
 なれば、
 いと・・・・・意図
 あやしく・・・アヤシク
 ぞ
 あるや。
 實に
 それも
 ことわり、・・・理屈
 人の
 憎む
 をも
 よし
 といひ、
 譽むる
 をも
 あし
 とい
 ふは、
 心の
 程
 こそ
 おし
 はからるれ。
 ただ
 人に
 見え
 けん
 ぞ
 ねた・・・・ネタ
 き・・・・・キ
 や。・・・・也
ーーーーー
 人の憎むをも、よし、とい、ひ、譽むるをも、あし、とい、ふ、は・・・心の程こそ、おしはからるれ・・・