1322日目・・・好き好き・・・食べず嫌い・・・食えるものなら喰ってみな・・・アジとニオイは一体・・・のモノ・・・だが、例外もアル・・・無臭、無味・・・それに動物のアジもニオイも種々様々・・・犬は特に嗅覚が鋭い。クンクン・・・モモもブブも聴覚は鋭いのだが・・・カリガリ・・・カリガリ・・・独裁権力者は・・・臭いにも音にも・・・

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 枕草子
 (三一七段)・・・「三百十七・参百壱拾七・参壱七・参百足漆」段
          3+1+7=11=十一=壱拾壱=足壱
          3×1×7=21=二十一=弐拾壱=仁足壱=念壱
 好き・・・・・スキ・すき
        鍬・鋤・鉏(金+且)・犂
        隙
        空き・透き・漉き
        梳き・剥き・酸き
        抄き・素記
        須木
       「鉏=金+且」友=大倭日子鋤友
        ↓      =第四代威徳天皇
        大日本彦耜友尊
        都は軽(かる)の曲峡(まがりおの)宮
        吉備臣たちの祖
        子供は
        観松彦香殖稲尊
       (みまつひこかえしねのみこと・孝昭天皇
        武石彦奇友背命=多芸志比古命(古事記
       (たけしひこくしともせのみこと)
ーー↓ーーーーー↑ 
 好き・・・・・スキ・ずき・づき
        数奇・数寄・空き
        素義
        素疑・諏義
        須戯
        好太王=広開土王
        高句麗
        第十九代王
        姓は
        高
        諱は
        談徳
        正式な諡は
       「國
        岡上
        廣開土境
        平安
        好太王
ーー↓
 しくて・・・・シクて(氐・弖)
        シク出(デ・デイ・禰
        ↓   弟→乙=L→音)
        ↓   L=エル
        敷く
        若く
        如く
        布く
        詞句・詩句・史句・四句
        四区・市区・志久
        四苦・死苦
 獨住・・・・・ドクジュウ・・・独逸に居住?
        ↓    留学生 or 独逸人?
        ↓        シーボルト
        読(讀)拾・徳重→置維波斯徳利
        努句拾得
 (ひとりずみ)・・・比取り図見
           日取り済み
 する人の、
 夜は・・・・・・・・ヨは
 いづらに・・・・・・イヅラに
              尼・丹・邇
           伊豆羅
           出(雲)羅
           イズラに
           何 らに
           何時等仁
           意事等爾
           意図羅似
           異面仁邇
 あり・・・・・在・有
        亜理
        蛙里
        阿裏
 つらん、・・・通蘭・都乱
 曉に・・・・・アカツキ
 歸りて、・・・カエりて
 やがて
 起き・・・・・オキ
 たる、・・・・他留
 まだ・・・・・真拿
 ねぶた・・・・音分多・子豚・音蓋
 げ・・・・・・解・外・下・毛・気
 なる
 氣色・・・・・紀史記・記職
 なれど、・・「納例・那例・名令」努
 硯・・・・・すずり・ケン・ゲン
 とり
 寄せ、
 墨・・・・・すみ・ボク
 こま・・・・高麗・狛・駒・小間
       独楽
 やかに
 押し
 磨りて、・・スりて
       みがく・とぐ・マ・バ       
 事・・・・・こと・ず・ジ
 なし
 び・・・・・ビ
       毘・備・尾
       比・日・火・微・薇
       彌
 に
 任せて
 などは
 あらず、・・アラズ
       非ず・有らず・在らず
       新図・蛙等事
 心・・・・・こころ・シン
 とどめて
 書く。
 ま・・・・・マ
 ひろげ・・・ヒロゲ
 姿・・・・・すがた・シ
 をかしう
 見ゆ。
 白き・・・・シロき
 衣・・・・・ころも・イ
 どもの
 うへに、
 山吹紅・・・やまぶきくれない
       サンスイコウ
       纂推敲・纂推考・纂遂行
 など
 をぞ
 著たる。・・キたる・ギたる
 白き・・・・シロき・ハクき
       イワクき
 單衣の・・・ひとえ之・タンイ之
 いたく・・・イタク
 萎み・・・・しぼみ・なえる・しぼむ・しおれる
       イ=ヰ
       萎縮・萎靡(いび)・陰萎
       なやす=萎す
       しぼむ・縮む
       萎萎する
       乾からびる・干からびる
       涸びる・乾涸びる
       しなびてちぢむ
       器官・組織の大きさが減少すること
       萎靡(イビ)=活気がなくなって衰える
ーー↓
 たるを、・・タルを
 うち・・・・ウチ
       得知
 まもり・・・マモリ
       真モリ
        森・杜・守・洩り・漏り・盛り
        森鴎外→皇室図書館長→漏洩・・・?
 つつ・・・・ツツ
 書き・・・・カき
 立てて、・・タてて
 前なる・・・ゼンなる
 人にも・・・ジンにも・ニンにも・ヒトにも
 取らせず、
 わざと・・・わざと=態と
       わざ(業)+格助詞「と」
       意識して・意図的に
       殊更に・故意に
       恣意的に
       別格に
       本格的に
    わざ・・・ワザ→技・伎
         話座・環座・和挫
    と・・・・ト→賭
         図・渡・徒・都・途・戸
ーー↓
 たち・・・タチの同音異字漢字のスベテ
 て、・・・氐・弖・出・弟(おと)
 小・・・・ちいさい・こ・を・ショウ
 舎人・・・とねり
      シャジン
      写人
      寫訊(仁・壬・神・陣)
      写し訊(尋問)ねる
       ↓
      1709年(宝永六年)
      新井白石→西洋事情←シドッチ(イタリア人)
         「西洋紀聞」に「支那」の記録
          正徳五年(1715年)年頃
          非発刊本
          写本によって
          文化四年(1807年)年以降に
          蘭学者、知識人に読まれたらしい・・・
         「采覧異言」
          ↓
http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/fanin/pura2/kojiki53.htm
      シドッチを茗荷谷切支丹屋敷で訊問
      ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ
      (Giovanni Battista Sidotti)
      寛文八年
     (1668年)
       〜
      正徳四年十月二十一日
     (1714年11月27日)
      ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ
      序 判  爾・葉通綴 諏多・史度通綴
      ↓シローテ(Sidotti)→史郎出(弖・氐)
      ↓牢番の「お春・長吉」共に殉死(獄死)
   古事記序文・・・
        ↓
      「混同秘策(こんどうひさく)」
       or
      「宇内混同秘策(うだいこんどうひさく)」は
        ↓
       佐藤信淵
       1823年(文政六年)に著作
       日本国内の統治論
       世界征服論を展開
       混同大論・巻一・巻二
       泉原法略説から構成
    ・・・1888年(明治二十一年)
       明治政府の官吏
       織田完之によって出版・・・・?
       それ以前にも転写されていた
       大久保利通明治維新の際、
       江戸を東京に定める建言をしたのは
       本著から・・・
       戦時中の
       超国家主義者が好んで読んだ・・・?
       信淵はモリソン号事件に接し
       アヘン戦争の実情を聞き、
      「存華挫狄論」では
      「日清同盟論」を唱える・・・
ーー↓
 童の・・・わらべ之・ドウの
      話等部之・「同・如何」之
      倭羅辺之    
 つきづき・ツキヅキ
      通紀・通記
      都記・津記
      月々
      づき
      突き(附・就・点・尽)ヅキ
 しきを、
 身近く・・ミジカく・シンキンく
 呼び
 寄せて、
 うち
 ささめきて、・・・ササメキ
          作差女記出
          囁めきて
          笹めきて
          篠めきて
 往ぬる
 後も・・・・・・・ゴも
 久しく・・・・・・ヒサしく
 詠めて、・・・・・ヨめて・ウタめて
          エイめて
 經の・・・・・・「へ・キョウ・ケイ」之
 さるべき・・・・サルべき
 所々など、・・・トコロドコロなど
         ショショなど
         諸書・処暑・諸処・諸所
 忍び・・・・・・シノび・ニンび
 やかに
 口
 ず
 さびに
 爲
 居たり。
 奧の
 かたに、
 御・・・・・オン・み
 手水、・・・チョウズ・てみず
 粥など・・・カユなど・ヒサグなど
       粥=イク・シュク
 して
 そそのかせば、・・・ソソノカせば
           唆せば
 歩み・・・・・アユみ
 入りて、・・・イりて
 文・・・・・・ふみ・あや・ブン
 机に・・・・・「つくえ・キ」爾
 押し・・・・・オし・御シ・推し・捺し
        聾唖・忍・圧し
 かかりて・・・カカリて
        懸かりて
        カカルの同音異字のスベテ
 文を
 ぞ
 見る。
 おもしろ
 かり
 ける
 所々は、
 うち
 誦じ・・・・となえる・よむ・ショウ・ズ
 たるも
 いと
 をかし。

 手洗ひて、・・・テアラひて・タアラひて
         シュセン
 直衣・・・・・・のうし・ただのい・なおし
         チョクイ
         直意・捗意・勅意
     「直衣(のうし)」
      平安時代
      天皇、皇太子、親王、および公家の平常服
      外見上は衣冠とほとんど同じ
     「直(ただ)の衣」とも
      ↓ 
      色目・紋様も自由
      成人前の若年者は
     「童直衣(わらわのうし)」を着用
     「袍(ほう)」の一種
      ↓
     「縫腋袍(ほうえきのほう)」である
      位階によって色が決められた
      位袍ではないため
     「雑袍(ざつぽう)」とも
      ↓ 
     「なおし=直衣=のうし」は
      二十才代前の
      若年公卿の
      冬着姿
      ↓
     「袍(ほう)」は
      白地浮線綾文
     (しろじふせんりょうもん)
      また
      臥蝶(ふせちょう)で
     「衵(あこめ・ジツ・ニチ)=袙」を
        ↓↑
      肌着と表着の間に「相籠めて」着る
      中古の男子の中着
      束帯のときは
      下襲(したがさね)と
      単(ひとえ)との間に、
      衣冠・直衣(のうし)のときには
      袍(ほう)・直衣と単との間に着用
      打衣(うちぎぬ)とも
      女子の中着
      表着(うわぎ)と単との間に着用
         ↓
   ・・・であるらしいが
   「日・白」が異字であり、音読みの音も
   「衵(ジツ・ニチ)」、「袙(ハク・バク)」
   である・・・?・・・「衵=あこめ=袙」・・・
      ↓↑ 
      袙(あこめ・ハク・バク)を
      出衣とした
      ↓
     「指貫」は
      紫色
      鳥襷
     (とりだすき)文で
      冠(かんむり)の
      直衣でなく、
      通常の
      烏帽子(えぼし)の
      直衣姿      
ーー↓
 ばかり
 うち著て、
 禄を・・・・・・ふちを
         ロクを・録を
 ぞ
 そらに
 讀む。
 實に
 いと
 たふとき・・・・タフトキ
         とうとき
         問うトキ
 程に、
 近き
 所
 なるべし、
 ありつる
 使
 うち
 けしき
 ばめば、
 ふと
 讀み
 さして、
 返事に
 心
 入るる
 こそ
 いと
 ほし
 けれ。
ーーーーー
 (三一八段)・・・「三百十八・参百壱拾八・参壱八・参百足捌」段
         3+1+8=12=十二=壱拾弐=足仁
         3×1×8=24=二十四=弐拾四=仁足四

 清げ
 なる
 わかき・・・和歌記
 人の、・・・比賭之
 直衣も・・・チョクイも
       値与句意模
 袍も・・・・ワタイレも・「ホウ・ボウ」も
 狩衣も、・・かりごろも・「シュウイ・かりイ」も
 いと・・・・意図
 よくて、
 きぬ
 がちに、
 袖口・・・・・シュウコウ・ジュコウ
 (そでぐち)
 あつく
 見え
 たるが、
 馬に・・・・・・(司)馬(遷)に
 乘りて
 往くままに、
 供なる
 をのこ、・・・ヲノコ
        を=於・嗚
          緒・尾・汚・牡
        の・之・埜・廼・乃・野・能
        コ・・・・
        小野子・・・小野妹子小野小町
 たて
 文を、
 目を
 そら
 にて
 取り
 たる
 こそ
 をかし
 けれ。
ーーーーー
 「直衣」・・・なおし・のうし・ただのい・・・直意ならば「漢字(真名仮名)」の意味そのモノの「ジキイ・チョクイ」だろう・・・