1318日目・・・雪です・・・今日は午前中にオフクロの入院している病院へ・・・三笠から「従姉」も来てくれた・・・東京の「従妹」もオフクロのためにと色々と美味しいモノを送ってくれたのに・・・残念・・・せっかく口からモノが食べれるようになった矢先て喜んでいたのに・・・気管支を詰まらせしまい、また点滴・・・お医者さんと看護婦さん、それに患者さんケァの人達にも感謝・・・吹雪の中を通院し、挨拶してくれる患者さんにも感謝・・・

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 枕草子
 (三〇三段)・・・「三百三・参佰参・参零参・参陌参」段
          3+0+3=6=六=陸
          3×0×3=0=零

 夏・・・・・なつ・名通・納津
       ゲ・解・外・下・毛・気
 うすもの、・薄物→ハクブツ・博物・履物
       失すもの
 片つ方の・・カタつホウの
       形 通法 之
       加太通報 之
       過多津法 之
 ゆだけ・・・ユダケ=裄丈・ゆきたけ
       着物の裄(ゆき)の長さ
       着物の背縫いから
       袖口(そでぐち)までの長さ
       ゆんだけ=弓丈
       ユダケ・諭拿懸
 著・・・・・き・・・記・紀
       チョ・著(作)
 たる
 人
 こそ
 にくけれど、
 數多・・・・かずた・スウタ
 かさね・・・襲・重・加佐音
       掛差音
 著・・・・・著作・著書
 たれば、・・多例葉
 ひかれて・・ヒカレテ
       干枯れて
       皮涸れて
      「牽・引・曳・惹」かれて
 著・・・・・著作・著書
 にくし。・・ニクし・「憎・悪・難」詞
 綿など・・「わた・メン」など
 厚きは、
 胸なども・「むね・キョウ」などモ
 きれて、
 いと・・・・意図
 見ぐるし。
 まぜて
 著るべき
 物には
 あらず。
 なほ
 昔より、
 さまよく・・「佐間・座間・様」ヨク
 著・・・・・・著作
 たる
 こそ
 よけれ。
 左右の
 ゆだけ・・・「諭・喩・愉・癒」だけ
 なるは
 よし。
 それも
 なほ
 女房の・・・「にょうぼう・ジョボウ」之
       「オンナフサ・オンナへや」之
 裝束・・・・・装い束ねる
        小賊・消息
        章塞・衝足
 にては、
 所
 せかンめり。・・施巻目理
        「急かん・堰かん・咳かん」目理
 男の・・・・音呼之
 數多・・・・カズおほく
 かさぬるも、
 片つかた・・過多通加太
 重くぞ
 あらんかし・・阿蘭可視
        亜覧掛詞
        蛙覧化視
 清らなる
 裝束の、
 織物、・・・・下りモノ・織田信長
 うすもの・・・ウスもの・失すモノ
        薄 物
        有珠・宇州・宇受・渦
        臼・碓←小碓命→倭建
        ↓    倭男具那
        臼杵・薄木・宇宿
        猿蟹(サルカニ)合戦
           沿海・遠海・延会
        沿海海戦
        1895(明治28)
        威海衛占領・清の北洋艦隊降伏。 
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 など、
 今は
 皆
 さこそ
 あン
 めれ。
 今樣に
 又
 さまよき
 人の
 著
 給はん、
 いと
 便
 なきもの
 ぞ
 かし。
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 (三〇四段)・・・「三百四・参佰四・参零四・参陌肆」段
         3+0+4=7=七=漆
         3×0×4=0=零

 かたち
 よき
 公達の、
 彈正にて
 おはする、
 いと
 見ぐるし。
 宮の・・・究之
 中・・・・ナカ
 將・・・・将に・・・せん
 などの・・名努(堵=かき・ト・ツ)之
 口惜し・・くちおし
      コウセキ
      口跡・航跡・功績・光跡
      後席・洪積・鉱石
      クセキ
      九籍・句関・苦咳
 かり
 し
 かな。
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 (三〇五段)・・・「三百五・参佰五・参零五・参陌伍」段
          3+0+5=8=八=捌
          3×0×5=0=零

 やまひは
 胸。
 物怪
 (もののけ)。
 脚氣
 (あしのけ)。・・・脚気(かっけ・beriberi=ベリベリ)
           ビタミン欠乏症の一
           ビタミンB1チアミン)の
           欠乏によって
           心不全と末梢神経障害をきたす疾患
           心不全によって
           下肢のむくみが、
           神経障害によって下肢のしびれが起きる
           心臓機能の低下
           不全衝心(しょうしん)を併発したときは、
           脚気衝心と呼ばれる
           脚気予防
           ビタミンB1の摂取
           玄米、豚肉、うなぎ、枝豆などに含有
           ビタミンB1の吸収を高める
           アリシンは
           玉ねぎ(玉葱)・・多磨禰宜
                     根木・子義
                     根紀・禰偽
                     音技・音疑
           にら(韮)・・・・・仁等・似羅
                     爾等・邇等
           にんにく(大蒜・葫)・任似句
                      壬申・人臣
                      人身・人心
 他のビタミンB1欠乏症による疾患
 ウェルニッケ脳症
 高ピルビン酸血症
 ヴァイタミン・・・「売他民・売多視務」B=ビィ
    ↓
 平安時代
 天皇や貴族など上層階級を中心に脚気が発生
 江戸時代
 武士と町人にも脚気が流行
 江戸では、
 元禄年間に一般の武士にも脚気が発生
 文化・文政に町人にも脚気が流行
 「脚気=江戸患い」とよばれた
 脚気は夏に発生しやすく客に麦飯をふるまうこともあった・・・
 明治期
 1870年(明治三年)とその翌年から脚気が流行
 ↓
 脚気撲滅の功労者
 高木兼寛(たかき かねひろ・ケンカン)
 ↓
 高木神=高御産巣日神(たかみむすびのかみ)古事記
     高皇産霊尊(たかみむすびのかみ)日本書記
     葦原中津国平定・天孫降臨の際に
    「高木神」という記録は
    「現存・古事記」のみで
    「日本書紀」にはその名の記録が無い
 ↓
 嘉永二年九月十五日
 (1849年10月30日)
  〜
 大正九年
 (1920年4月13日)
 日本の海軍軍人、最終階級は海軍軍医総監(軍医中将相当)
 医学博士・男爵・東京慈恵会医科大学の創設者
 脚気の撲滅に尽力し、「ビタミンの父」とも・・・
 ↓
 都市衛生において
 「貧民散布論」を提唱
 「下等貧民ノ市内ニ、
  住居ニ堪ヘサルモノハ、
  皆去リテ
  田舎ニ赴クベシナリ」
 東京から貧民を追放しようという「非人道的」なもの・・・?
  陸軍軍医
  森林太郎森鴎外
 「人道的立場」から反対した
 が、都市衛生に対して具体的対案は無かった・・・
 ↓
 「ビンボウ人はムギを食え」って当然な「常識」であるかな・・・脚気の健康にはヨカッた・・・
 池田勇人
 1950年3月1日
 第三次
 吉田内閣で大蔵大臣・通商産業大臣
 「中小企業の一部倒産もやむを得ない」と発言
 第三次吉田第一次改造内閣で大蔵大臣
 12月7日
 「貧乏人は麦を食え」と発言した新聞記事に書かれる
 事実は
 参議院予算委員会での社会党の木村禧八郎の質問に答え
 「所得に応じて、
  所得の少い人は麦を多く食う、
  所得の多い人は米を食うというような、
  経済の原則に副つたほうへ持つて行きたい」
 の発言を新聞が改竄報道
 1952年11月27日
 第四次吉田内閣にて通商産業大臣経済審議庁長官として
 日本社会党
 加藤勘十の「中小企業発言」の確認に対し
 「経済原則に違反して、不法投機した人間が倒産してもやむを得ない」
 発言したため、翌日に不信任案が提出・可決され辞任
  ↓
 1960年日米安保協定
 岸信介退陣後
 1960年7月14日に自由民主党総裁
 自民党第4代総裁
 「所得倍増」
 11月20日の第29回総選挙で勝利
 12月8日、第二次池田内閣を発足させる
 「所得倍増構想」を実行に移し、
 12月27日に「所得倍増計画」の閣議決定
 ・・・60年はアンポンタン、70年もアンポンタンのお祭りだった・・・
 今現在は、サッカー、オリンピック、野球でのアンポンタン・・・
 確かに「ダレかの所得は倍増」した・・・「池田勇人」は「プチブル国家内民主主義」だった・・・?・・・ローンを組んでヒトもイエもクルマも中古でカエル・・・命の部分もカエル・・・カネがアレば・・・ムギもコメも、ヤサイも今や高級品・・・百円でカエルもの・・・

ーー↓
 唯
 そこはか
 と
 なく
 物食はぬ。
 十八九
 ばかりの
 人の、
 髮
 いと
 麗しくて、
 たけばかり
 すそ
 ふさ
 やか
 なるが、
 いと
 よく
 肥えて、
 いみじう
 色しろう、
 顏
 あい
 ぎやう
 づき、
 よしと
 見ゆるが、
 齒を
 いみじく
 病み
 まどひて、
 額髮も
 しとどに
 泣き
 ぬらし、
 髮の
 亂れ
 かかるも
 知らず、
 面
 赤くて
 抑へ
 居たる
 こそ
 をかしけれ。

 八月
 ばかり、
 白き
 單衣、
 なよらか
 なる
 袴
 よき
 ほどにて、
 紫苑の
 衣の、
 いと
 あざや
 かな
 るを
 引きかけて、
 胸
 いみじう
 病めば、
 友だちの
 女房
 たちなど、
 かはる
 がはる
 來つつ、
 「いといと
  ほしき
  わざかな、
  例も
  かくや
  惱み給ふ」
 など、
 事
 なしびに
 問ふ
 人もあり。
 心
 かけたる
 人は、
 誠に
 いみじと
 思ひ
 歎き、
 人
 知れぬ
 中などは、
 まして
 人目
 思ひて、
 寄るにも
 近くも
 え
 寄ら
 ず、
 思ひ
 歎き
 たる
 こそ
 をかしけれ。
 いと
 麗しく・・・ウルワしく
 長き
 髮を
 引き
 ゆひて、
 物
 つくとて
 起き
 あがりたる
 氣色も、
 いと
 心苦しく
 らう
 たげ
 なり。

 うへにも
 聞し召して、
 御讀經の
 僧の
 聲よき
 給はせたれば、
 訪人どもも
 あまた
 見來て、
 經聞き
 などするも
 かくれなきに、
 目を
 くばりつつ
 讀み
 居たるこそ、
 罪や
 得らんと
 おぼゆれ。
ーーーーー
 ・・・ツミや、エらんと、おぼゆれ・・・