1307日目・・・壱拾弐解通・・・仁比・・・月曜日・・・目出度し・サンタ(セィント)・アベ・まりあ・・・アヤグ(沖縄・宮古方言で詩歌)・・・「みやこ=ミヤク」とは、「人(自分自身)の住んでいる所(地域・集落)」の意味らしい・・・「麻姑山」、「婆羅公(ブラコウ)」の「姑」や「婆」の漢字は「老いた女王」・・・「イタコ」は、東北地方の「口寄せ(死者の霊を自身に憑依させ、そのコトバを語る)の巫女」、沖縄の奄美群島では「ユタ」という「巫女」である・・・
「イタコ」は、「イチコ(市子)」の訛らしいが、ボク的には「壱與(壱与)」である・・・そして、オクトーバー(Octo-ber・ラテン語でOcto+bris)・オクトパス(octo-puses・ギリシャ語でoktō(8)+pous(pus=足)・「ber=to carry」は「運ぶ・持つ」の意味。では「b-er」は「Bをする・bになる」だろう。では「B・b」とはナニか?・・・アルファベットの「第二番目の文字」である・・・「A・a」の「次の文字」で「A・a」と「C・c」の間の「文字」である・・・発音は
拉・独・蘭・越・印尼=ベー
仏・西=ベ
伊=ビ
英=ビー
エス=ボー
で、日本語なら「バ・ビ・ブ・ベ・ボ」の「漢字類」で、ホトンドが「女」を意味する。「D・d・Δ・δ」も女性の象徴と考えられているが、字形の「B・b・Β・β」も女性の象徴だろう。漢字なら「阝」である・・・「ber」が「b」なら「bring=運ぶ・持つ」の意味で、「bher- 運ぶこと、実行すること、または、子供を産むことを表す印欧語根。語幹fer(offer, transferなど)の由来として、運ぶこと。他の重要な派生語は、bear, birth, peripheralなど」との説明がブログ辞典にあった。
では「b-ring」の「ring」は「輪・環・円形状のモノ・車座・木の年輪」・・・「不当で非合法な利益を得るための)徒党・一味」である・・・「a ring of spies=a spy ring=スパイ組織」・・・そして「a shot ring out somewhere=銃声が響いた」・・・「音」・・・
「ベーリング海峡=Bering Strait」の「Bering」とは発見したデンマーク系ロシア人「ヴィトゥス・ベーリング」の名を付けたモノで「Be+ring」である。1725年アジア大陸とアメリカ大陸の間の海峡の有無の確認を目的とする第一次カムチャツカ探検(1725〜17930)の隊長。更に1733年第二次カムチャツカ探検隊の隊長・・・
「ドイツ細菌学者=ベーリング・Emil von Behring・1854〜1917)」とは「血清療法の創始者」で「R.コッホ」の助手となって細菌学の研究し「北里柴三郎」とともに「ラット(鼠)」を用いて「ジフテリア(馬脾風・實布垤里亞・実布的利亜・実扶的里亜)・鼻孔・咽喉・気管支・肺の呼吸器系統の感染病・血清は馬の抗体から造る)」と「破傷風抗毒素血清」の単離、同定に成功。1901年ノーベル医学・生理学賞を授与・・・
「Be-ring」は「Be(存在・ある・アレ)」と「ring(環・輪・円形・指輪・腕輪=釧・くしろ)」である・・・「釧」は「飾りとして手首や臂(ひじ)にはめた輪・石・貝・金属などで作る」。訓は「釧(セン)」は「たまき・ひじまき・ひじたま」とも・・・「アレ=阿礼」・・・?・・・「旧約・創世記」・・・「コトバ、先にアリき(旧約・創世記・11章)」・・・「輪(ワ)」は「話・倭・和・羽」・・・
「古事記(安康天皇・?〜三年八月九日)・穴穂天皇・穴穂皇子(あなほのみこ)」では「坂本臣」が「草香幡梭皇女(橘姫皇女・幡梭皇女、波多毘能若郎女・長日比売命・若日下部王(古事記)」の婚約ヒキデモノ「釧→(根臣、卽盜取其禮物之玉縵・押木珠縵(おしきのたまかつら)」を盗んで自分の妻に与えた・・・安康天皇元年、「坂本臣の祖・根使主」の讒言を信じて(?)、「大草香皇子(仁徳天皇の皇子)=大日下王」を誅殺し、翌年にその妃であった中蒂姫(大草香皇子の妻・長田大娘皇女)を皇后に立てた。
安康天皇は三年八月九日、中蒂姫(なかしひめのひめみこ)=長田大娘皇女の連れ子「七歳の眉輪王(まよわのおおきみ)=目弱王」により暗殺・・・
「眉輪王=目弱王」は「坂合の黒彦皇子=黒日子王」と共に「円大臣(つぶらのおおおみ)=都夫良意富美」のところへ逃げ込むが「雄略天皇」に殺される・・・
雄略十四年(470年)夏四月甲午朔に「呉人→呉(広島の地名)」供宴の主宰に「坂本の祖、根使臣」が選ばれ「かぶっていた玉?(押木珠縵=金の冠?→挿し木の珠鬘→縵面(なめ)は銭の裏の、文字が無い滑らかな面→縵面形(なめがた)は銭を投げて、その裏表によって物事を占うこと。 また、裏か表かを言い当てる賭博」or「填めていた玉輪(腕輪=釧)?」が「大草香皇子」のモノと発覚、誅殺。子の小根使臣も殺された・・・「事平之後、小根使主、小根使主、根使主子也。夜臥謂人曰、天皇城不堅。我父城堅。天皇傳聞是語、使人見根使主宅。實如其言。故收殺之。根使主之後爲坂本臣、自是始焉。(日本書記)」・・・?
「おしき」→「捺し木・推し記、推し紀」・・・「木版・木の活字・活版」・・・「縵(かづら・ゆるやか・連れ弾き・無地の絹・マン・メン・バン)・蔓性植物の総称」・・・「連れ比企(牽・索)」なら「推古天皇」、「椎の木=栗に似た樫・ブナ科クリ亜科シイ属の樹木の総称・団栗の木」、「さしき=挿し木とは、植物体から茎や根のそなわっていない一部分を取り、不定根や不定芽を発生させる栄養繁殖技術で、茎挿し。葉挿し、根挿しなどを含む。英語ではCuttingという」・・・北海道「釧路」は「坂本竜馬」の家族の末路の地だろう・・・
「B」・・・
「本(ブック=book=旧約、新約聖書=バイブル=the Bible )」なら「部・分」、勿論、「A・a・Α・α」は「アダム」で「男」である。「B・β」は「ェバ・ィヴァ」・・・「A」と「B」を観て「C(シィ・スィ)」は思惟、恣意、示威であり、垂、推、水、粋、酸、出、そして「D(ディ)・δ」は「出」に重なり、「F(エフ)」は記録、絵附=会符、「G(ジィ)」は「字・事・時・地・児」である・・・「H・h(エイッチ)」は「重一致」・・・「H」の次が「Ι・i」・・・アイ・・・ジェ・ケィ・エル・エム・ネヌ・オゥ・ピィ・キュウ・アール・エス・ティ・ユウ・ヴィ・ダブリュ・エックス・ワィ・ゼット・・・
では沖縄の「ユタ」は・・・「喩詫」か「委妥・愈汰(侘・詫)」・・・それとも「湯妥・湯女・猶汰」・・・「Utah」はアメリカ合衆国の州である。「Utah=Jutta=女性名」であるならば「Jud」は「男性名」・・・「Judaea=猶太」・・・
「清明(セイメイ)」は旧暦の節季で、沖縄では「墓参りの期間」・・・地理的気候としては「夏(なつ・ゲ・カ)」だろう・・・「安陪(安倍)清明」・・・姓名・声名・声明は危険である・・・「イシバのブログ」の「本質」・・・
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枕草子
(二七一段)・・・「二百七十一・弐佰七拾壱・弐七壱・仁陌漆足壱」段
2+7+1=10=十=壱拾=足
2×7×1=14=十四=壱拾四=足肆
成信の中將は、入道兵部卿の宮の御子にて、
かたち
いとをかしげに、
心ばへも
いとをかしう
おはす。
伊豫守兼輔がむすめの忘られて、伊豫へ親のくだりしほど、いかに哀なりけんとこそ覺えしか。あかつきに往くとて、今宵おはしまして、有明の月に歸り給ひけん直衣すがたなどこそ。
そのかみ常に居て、ものがたりし、人のうへなど、わろきは「わろし」などの給ひしに。
物忌など
くすしう・・・・・・薬施う・奇しう
するものの、
名を姓にて
持たる人のあるが、
ことびとの・・・・・異人の
子になりて、
平などいへど、・・・江藤新平
平胤雄
(たいら の たねお)
唯
もとの姓を、
若きひとびと
言種にて笑ふ。
ありさまも
異なることなし。
兵部とて、をかしき方などもかたきが、さすがに人などにさしまじり心などのあるは、御前わたりに「見苦し」など仰せらるれど、腹ぎたなく知り告ぐる人もなし。
一條の院つくられたる一間のところには、つらき人をば更に寄せず。東の御門につと向ひて、をかしき小廂に、式部のおもと諸共に、夜も晝もあれば、うへも常に物御覽じに出でさせ給ふ。
「今宵は皆内に寐ん」とて南の廂に二人臥しぬる後に、いみじう叩く人のあるに、「うるさし」などいひ合せて、寐たるやうにてあれば、猶いみじうかしかましう呼ぶを、「あれおこせ、虚寐(そらね)ならん」と仰せられければ、この兵部來て起せど、寐たるさまなれば、「更に起き給はざりけり」といひに往きたるが、やがて居つきて物いふなり。
しばしかとおもふに、夜いたう更けぬ。權中將にこそあなれ。「こは何事をかうはいふ」とてただ密に笑ふも、いかでか知らん。あかつきまでいひ明して歸りぬ。「この君いとゆゆしかりけり。更におはせんに物いはじ。何事をさは言ひあかすぞ」など笑ふに、遣戸をあけて女は入りぬ。
翌朝例の廂に物いふを聞けば、「雨のいみじう降る日きたる人なん、いとあはれなる。日ごろおぼつかなうつらき事ありとも、さて濡れて來らば、憂き事も皆忘れぬべし」とはなどていふにかあらんを。昨夜も昨日の夜も、それがあなたの夜も、すべてこのごろは、うちしきり見ゆる人の、今宵もいみじからん雨にさはらで來らんは、一夜も隔てじと思ふなめりと、あはれなるべし。さて日ごろも見えず、おぼつかなくて過さん人の、かかる折にしも來んをば、更にまた志あるにはえせじとこそ思へ。
人の心々なればにやあらん、
物見しり、
思ひ知りたる
女の、
心ありと見ゆるなど
をば
かたらひて、
數多いく所もあり、
もとよりのよすがなどもあれば、繁うしもえ來ぬを、
猶
さる
いみじ
かりし
折に來りし事など、
人にも語りつがせ、
身をほめられんと思ふ人の
しわざにや。
それも
無下に志なからんには、
何しにかは、
さも
作事しても見えんとも思はん。
されど雨の降る時は、唯むつかしう、
今朝まで
はればれしかりつる
空とも覺えず
にくくて、
いみじき廊のめでたき所ともおぼえず。
まして
いと
さらぬ家などは、
疾く降り止みねかしとこそ覺ゆれ。
月のあかきに來らん人はしも、
十日
二十日
一月、もしは一年にても、まして
七八年
になりても、思ひ出でたらんは、いみじうをかしと覺えて、
え
逢ふまじう
わりなきところ、
人目
つつむべきやう
ありとも、
かならず立ちながらも、
もの
いひて返し、
又
とまるべからんをば
留めなど
しつ
べし。
月のあかき見るばかり、遠く物思ひやられ、過ぎにし事、憂かりしも、嬉しかりしも、をかしと覺えしも、只今のやうに覺ゆる折やはある。
こまのの物語は、
何ばかりをかしき事もなく、詞もふるめき、見物多からねど、月に昔を思ひ出でて、
むしばみたる
蝙蝠とり出でて、
もと見し
駒に
といひて立てる、
いとあはれなり。
雨は心もとなきものと思ひしみたればにや、片時降るもいとにくくぞある。やんごとなき事、おもしろかるべき事、尊くめでたかるべき事も、
雨だに降ればいふかひなく口惜しきに、
何かその濡れて
かこちたらんが
めでたからん。
實に
交野少將
もどき
たる
落窪少將などはをかし。
それも昨夜一昨日の夜も、ありしかばこそをかしけれ。
足洗ひたるぞ、にくくきたなかりけん。
さらでは何か、風などの吹く、荒荒しき夜きたるは、たのもしくをかしうもありなん。
雪こそ
いと
めでたけれ。
忘れめやなどひとりごちて、忍びたることは更なり。いとさあらぬ所も、直衣などは更にもいはず、狩衣、袍、藏人の青色などの、いとひややかに濡れたらんは、いみじうをかしかるべし。
緑衫なりとも、
雪にだに
濡れなば
にくかるまじ。昔の藏人は、夜など人の許などに、ただ青色を著て、雨にぬれても、しぼりなどしけるとか。
今は晝だに著ざめり。ただ緑衫をのみこそ、うちかづきためれ。衞府などの著たるは、ましていとをかしかりしものを、かく聞きて、雨にありかぬ人やはあらんずらん。
月のいとあかき夜、
紅の紙の
いみじう
赤きに、
唯
「あらず」
とも書きたるを、
廂に・・・・・・・ひさし(庇・廂)
建物の窓・出入り口
縁側などの上部に張り出す
片流れの小屋根
軒(のき)
帽子の額の上に突き出た部分
つば(鍔)
「庇髪(ひさしがみ)」の略
建物の外壁から差し出した、
日光・雨などを防ぐための
小さな片流れの屋根
寝殿造りなどで、
母屋(もや)の外側に
付加された細長い
下屋(げや)部分。
その外に簀(す)の子縁を設ける
広縁
ーー↓
さし入れたるを、
月にあてて・・・・解通爾当てて
見しこそ
をかし・・・・・・冒し・犯し・侵し・御菓子
かり
しか。
雨・・・・・・・・あめ・あま
降らん
折は・・・・・・・「おり・セツ」葉
さはありなんや。
ーーーーー
・・・「国家枠民主主義」、オカシ、カリ、シカ・・・海士、振らん・・・編め、腐乱おりは、差は有り難や・・・