1304日目・・・「マクラのソウシ」の作者は「気紛れ」で、机に向かって筆とカミを手にし、イザ、書き記そうとする時の「気分」に想等な「むら」がある人物らしい・・・「短い文章」と、「長い文章」・・・「短い文章」は後から何かを「書き加え、修正しよう」としていたのではないかな・・・気分的な「ムラ」が激しいのはボクも同類だけれど・・・読み手が清少納言に惹きつけられる魅力は簡潔な「短文」が多いからであろうが・・・突然段落がない「長い文章」が展開されると、「読み手」には・・・ウンザリだろう・・・それを承知なのか、どう

 それでも、根気よく読めば「ワカル」のか?・・・自分自身の「知識の枠内」での「理解と判断」のみである・・・そして「世界の出来事=世界認識」とは個々人の「主観」でしかない・・・ソレを前提に個々人の「コトバの共通認識理解」が要求されるが、結果としての「共通判断」というワケにはいかない・・・ナゼ?
 東京都知事の「ホントウ(選挙資金のタメ)」から、何とか「ウソ(個人的生活借用のタメ)」へと「本質」をウツシた「論理的整合性の釈明」はダレでもがウンザリだろう・・・大阪市長も「事実(慰安婦問題)」を「論理的な理詰め」として展開したが、彼には別な意味でホトンドのヒトビトがウンザリしてしまったのだろう・・・「信念・信条」の軸を動かさなかった「大阪市長」には「論理的整合性」はあるが大枠は同じ穴のムジナである・・・
 理由は簡単で単純である・・・「無担保無利子の5000万円借金」も「売春=稼ぎ→性市場←買春」も「ダレ」でもが「そんなコトは百も承知の上」だからである・・・「そんなコト」とはダレでも転落する落とし穴なのに、自分には出来ない仕業と一応、「倫理、道徳」的に考えているからである。「加暴力=被暴力」も「戦争」もである・・・だが、状況によってはホトンドの人間は「原則」を「自分」には当て嵌めない・・・そして、フキョウ、キキテキ状況の不遇に遭うまで「そんなコト」を許してしまっている「自分の問題」とはしない・・・他人事・・・
 「支配階級の思想」は「生きて辱めを受けても尚(猶)、イキよ」・・・「生きて辱めを受けるなら即(疾)、シね」・・・選択は「自由」だが・・・「あの世」があっても、「生きてアノ世を考えているときがハナである」・・・
 ・・・短文、短歌、短編、短冊、短絡、短命がスキなのは「おくに柄」らしいが、「時間(時艱・事観・字間・次官・治監)」の余裕の問題である・・・ジッとしていては生きていけない環境があったし、イモもアル・・・
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 枕草子
 (二五六段)・・・「二百五十六・弐佰五拾六・貮五六・仁陌伍足陸」段
          2+5+6=13=十三=壱拾参=足参
          2×5×6=60=六十=六拾=陸足

 關白殿(換・巻、曰く、伝)、二月十日(爾解通拾比)のほどに、法興院(方向音)の積善寺(積善字)といふ御堂(音同)にて、一切經供養せさせ給ふ。女院(音名隠)、宮(究)の御前(音真得・音全)もおはしますべければ、二月朔日(ミソカ)のほどに、二條の宮へ入らせ給ふ。夜更けてねぶたくなりにしかば、何事も見入れず。
 翌朝(世句調)、日のうららかにさし出でたる程に起きたれば、いと白う(知ろう・史郎)あたらしうをかしげ(傾げ)に作りたるに、御簾(視素)より始めて、昨日(作比・作句比・差句比・索比)かけたるなめり。御しつらひ、獅子狛犬(史詞発見・猪八兼・死屍高麗意又)など、いつのほどにや入り居けんとぞをかしき。櫻の一丈ばかりにて、いみじう咲きたるやうにて、御階(音階)のもとにあれば、いと疾う咲きたるかな、梅(台湾・徳川光圀=梅里=高譲味道根之命=水戸黄門常陸国水戸藩第二代藩主)こそ只今盛なめれと見ゆるは、作りたるなめり。すべて花のにほひなど、咲きたるに劣らず、いかにうるさかりけん。雨降らば、萎みなんかしと見るぞ口惜しき。小家などいふ物の多かりける所を、今作らせ給へれば、木立(記タチ・紀タチ・胡タチ・虎タチ)などの見所あるは、いまだなし。ただ宮のさまぞ、けぢかくをかしげなる。

 殿(伝)渡らせ給へり。青鈍(あおにび・所為貪)の堅紋(検問・見聞・見分・検分)の御指貫、櫻(作句等)の直衣(直意・捗意)に、紅の御衣三つばかり、唯直衣にかさねてぞ奉りたる。御前より初めて、紅梅(勾配・購買・公売)の濃きうすき織物、堅紋、立紋など、あるかぎり著たれば、唯ひかり滿ちて、唐衣(からごろも・当意・問意・答異)は萌黄、柳、紅梅などもあり。

 御前に居させ給ひて、物など聞えさせ給ふ。御答のあらまほしさを、里人に僅にのぞかせばやと見奉る。女房どもを御覽じ渡して、「宮に何事を思しめすらん。ここらめでたき人々を竝べすゑて御覽ずるこそ、いと羨しけれ。一人わろき人なしや、これ家々の女ぞかし。あはれなり。よくかへりみてこそさぶらはせ給はめ。さてもこの宮の御心をば、いかに知り奉りて集り參り給へるぞ。いかにいやしく物惜しみせさせ給ふ宮とて、われは生れさせ給ひしよりいみじう(意味字得)仕うまつれど、まだおろしの御衣(音意)一つ給はぬぞ。何かしりうごとには聞えん」などの給ふがをかしきに、みな人々笑ひぬ。「まことぞ、をこ(嗚呼)なりとてかく笑ひいまするが恥し」などの給はする程に、内裏(代理・代李・大里・名意理・納意裏)より御使にて、式部丞某まゐれり。

 御文は、大納言殿(伝)取り給ひて、殿に奉らせ給へば、ひき解きて、「いとゆかしき文かな。ゆるされ侍らばあけて見侍らん」との給はすれば怪しうとおぼいためり。「辱くもあり」とて奉らせ給へば、取らせ給ひても、ひろげさせ給ふやうにもあらず、もてなさせ給ふ、御用意などぞありがたき。すみのまより、女房茵さし出でて、三四人(参肆訊・纂史訊)御几帳(音記帳・音基調)のもとに居たり。「あなたにまかりて、禄(録)の事(字)ものし侍らん」とてたたせ給ひぬる後に、御文御覽ず。御返しは紅梅の紙に書かせ給ふが、御衣(音意)のおなじ色(史記・始期・死期・子規・如き・識)ににほひたる、猶斯うしも推し量り參らする人はなくやあらんとぞ口をしき。

 今日は殊更にとて、殿(伝)の御かたより禄(録)は出させ給ふ。女(音名)の裝束(消息・小賊)に、紅梅の細長そへたり。肴(真魚・真名=漢字)などあれば、醉はさまほしけれど、「今日はいみじき事の行幸(行項・行考)に、あが君(訓・記実・紀視)許させ給へ」と大納言殿にも申して立ちぬ。

 君(訓)達などいみじう假粧(化粧・化生)し給ひて、紅梅の御衣も劣らじと著給へるに、三の御前は御匣殿なり。中の姫君(紀訓・記訓・秘め訓)よりも大に見え給ひて、うへなど聞えんにぞよかめる。うへも渡らせ給へり。御几帳(音記帳)ひき寄せて、新しく參りたる人々には見え給はねば、いぶせき(意布施記・異伏記・医臥記)心地す。

 さし集ひて、かの日の裝束、扇などの事をいひ合するもあり。又挑みかはして、「まろは何か、唯あらんにまかせてを」などいひて、「例の君(訓)」など
 にくまる。
    ↓
    にくまる(二句真留・字句マル=麻呂・似跼る・爾絡まる)
    にくまる(爾句真留)
ーー↓
 夜さりまかづる人も多かり。かかる(懸・掛・斯・係・罹)事にまかづれば、え止めさせ給はず。

 うへ日々に渡り、夜もおはします。君達などおはすれば、御前人少なく候はねばいとよし。内裏の御使日々に參る。御前の櫻、色はまさらで、日などにあたりて、萎みわるうなるだにわびしき(話備史記)に、雨の夜降りたる翌朝、
 いみじうむとくなり。
 ↓
 意味字得務解く名理
 ↓
 いと疾く起きて、「泣きて別れん顏に、心おとりこそすれ」といふを聞かせ給ひて、「げに(解爾)雨(編・海人・尼)のけはひしつるぞかし、いかならん」とて驚かせ給ふに、殿の御方より侍の者ども、下種など來て、數多花のもとに唯よりによりて、引き倒し取りて、「密に往きて、まだ暗からんに取れとこそ仰せられつれ、明け過ぎにけり、不便なるわざかな、疾く(解く)疾く(得・読・説・匿・涜)」と倒し取るに、いとをかしくて、いはば(意葉場・云わば・言わば・謂わば・岩場)いはなんと、兼澄(検討・建等・憲等・県等・懸唐・巻当)が事(字)を思ひたるにやとも、よき人ならばいはまほしけれど、
 「かの花盗む人は誰ぞ、あしかめり」
            ↓
            亜史加、(亜)米利(加)
 といへば、笑ひて、いとど逃げて引きもていぬ。なほ殿(伝)の御心(音真・音新・音審・音辛)はをかしうおはすかし。莖どもにぬれまろがれつきて、いかに見るかひなからましと見て入りぬ。

 掃殿(相伝)寮(リョウ→利用・里謡・理容)まゐりて御格子まゐり、主殿の女官御きよめまゐりはてて、起きさせ給へるに、花のなければ、「あなあさまし。かの花はいづちいにける」と仰せらる。
  ↓
 「あかつき盗人ありといふなりつるは、
  なほ
  枝などを少し折る
  にや
  と
  こそ
  聞きつれ
  がし
  つるぞ。
  見つや」
 と仰せらる。
 「さも侍らず。
  いまだ暗くて、
  よくも
  見侍らざりつるを、
  しろみたるものの侍れば、
  花を折るにやと、
  うしろめたさに
  申し侍りつる」
 と申す。
 「さりとも
  かくは
  いかでか取らん。
  殿(伝)の
  隱させ給へるなめり」
 とて笑はせ給へば、
 「いで、
  よも侍らじ。
  春風の爲て侍りなん」
 と啓するを、
 「かくいはんとて
  隱すなりけり。
  ぬすみには
  あらで、
  ふりにこそ
  ふるなりつれ」
 と仰せらるるも、
 珍しき事ならねど、
 いみじうめでたき。

 殿おはしませば、寐くたれの朝顏も、時ならずや御覽ぜんと引き入らる。おはしますままに、
 「かの花うせにけるは、
  いかに
  かくは
  盗ませしぞ、
  いぎた
  なかりける
  女房たち
  かな。
  知らざりけるよ」
 と驚かせ給へば、「されど我よりさきにとこそ思ひて侍るめりつれ」と忍びやかにいふを、いと疾く聞きつけさせ給ひて、「さ思ひつる事ぞ、世に他人いでて見つけじ、宰相とそことの程ならんと推し量りつ」とて、いみじう笑はせ給ふ。「さりげなるものを、少納言は春風におほせける」と宮の御前にうちゑませ給へる、めでたし。
 「虚言をおほせ侍るなり。
  今は
  山田も・・・・・くえびこ・山田の案山子→古事記
  作る
  らん」とうち誦ぜさせ給へるも、いとなまめきをかし。
 「さても
  ねたく・・・・・妬し・嫉妬・音魂→ねたましい
          ねたみの神は「旧約聖書の神」
  見つけられにけるかな。
  さばかり誡めつるものを、
  人の所に、
  かかる
  しれもののあるこそ」
 との給はす。
 「春風はそらにいとをかしうも言ふかな」と誦ぜさせ給ふ。
 「ただことには、うるさく思ひよりて侍りつかし。今朝のさまいかに侍らまし」とて笑はせ給ふを
 小若(ヲわか・コわか・証ジャク→字訳・正雀
 君(訓)
 「されどそれは
  いと疾く・・・・意図、解く
  見て、雨にぬれたりなど、
  おもて
  ぶせ
  なりといひ侍りつ」
 と申し給へば
 いみじう
 ねたからせ
 給ふもをかし。

 さて八日(葉知比・葉値実)九日(句比・句実)の程にまかづるを、「今少し近うなして」など仰せらるれど、出でぬ。いみじう常よりものどかに照りたる晝つかた、
 「花のこころ開けたりや、いかがいふ」
 との給はせたれば、
 「秋はまだしく侍れど、
  よにこの度なんのぼる心地し侍る」
 など聞えさせつ。

 出させ給ひし夜、車(写・者)の次第(時代)もなく、まづまづとのり騒ぐがにくければ、さるべき人三人(纂訊・算仁)と、「猶この車(写)に乘るさまのいとさわがしく、祭のかへさなどのやうに、倒れぬべく惑ふいと見ぐるし。たださはれ、乘る(掛ける・懸ける)べき車(写)なくてえ參らずば、おのづから聞しめしつけて賜はせてん」など笑ひ合ひて立てる前より、押し凝りて、惑ひ乘り果てて出でて、「かうか」といふに、「まだここに」と答ふれば、宮司寄り來て、「誰々(垂・足)かおはする」と問ひ聞きて、
 「いと怪しかりけることかな。今は皆乘り(掛ける・懸ける)ぬらんとこそ思ひつれ。こはなどてかくは後れさせ給へる。今は得選を乘せんとしつるに。めづらかなるや」など驚きて寄せさすれば、
 「さば・・・作葉・差葉・叉場
       鯖・・・・鯖の鞘あて・歌垣(古事記・日本書記)
       佐波・・・佐波遅姫(古事記・日本書記)
  まづその御志(音詞)ありつらん人を乘せ給ひて、次にも」
 といふ聲聞きつけて
 「けしからず
  腹ぎたなく
  おはしけり」などいへば、乘りぬ。その次には、誠にみづしが車(写)にあれば、火(比・加・掛)もいと暗きを、笑ひて、二條の宮に參りつきたり。

 御輿(音ミコシ・見越し)は疾く入らせ給ひて、皆しつらひ居させ給ひけり。
「ここに呼べ」と仰せられければ、左京、小左近などいふ若き人々、參る人ごとに見れど、なかりけり。おるるに隨ひ、四人づつ御前に參り集ひて侍ふに、「いかなるぞ」と仰せられけるも知らず、ある限おりはててぞ、辛うじて見つけられて、「かばかり仰せらるるには、などかくおそく」とて率ゐて參るに、見れば、いつの間に、かうは年ごろの住居のさまに、おはしましつきたるにかとをかし。
「いかなれば、かう何かと尋ぬばかりは見えざりつるぞ」と仰せらるるに、とかくも申さねば、諸共に乘りたる人、「いとわりなし。さいはての車に侍らん人は、いかでか疾くは參り侍らん。これもほとほとえ乘るまじく侍りつるを、みづしがいとほしがりて、ゆづり侍りつるなり。暗う侍りつる事こそ、わびしう侍りつれ」と笑ふ笑ふ啓するに、「行事(行司・行字)するもののいとあやしきなり。又などかは心知らざらん者こそつつまめ、右衞門などはいへかしなど仰せらる。
「されどいかでか走りさきだち侍らん」などいふも、かたへの人、にくしと聞くらんと聞ゆ。「さまあしうて、かく乘りたらんもかしこかるべき事かは。定めたらんさまの、やんごとなからんこそよからめ」とものしげに思し召したり。「おり侍るほどの待遠に、苦しきによりてにや」とぞ申しなほす。

 御經のことに、明日渡らせおはしまさんとて、今宵參りたり。南院の北面にさしのぞきたれば、たかつきどもに火をともして、二人三人四人、さるべきどち、屏風引き隔てつるもあり、几帳中にへだてたるもあり。又さらでも集ひ居て、衣ども閉ぢ重ね、裳の腰さし、假粧ずるさまは、更にもいはず、髮などいふものは、明日より後はありがたげにぞ見ゆる。「寅(虎=天武天皇大海人皇子・吉田松蔭・ナポレオン)の時になん渡らせ給ふべかなる。などか今まで參り給はざりつる。扇(奥儀)もたせて、尋ね聞ゆる人ありつ」など告ぐ。

 「まて、實に寅(虎)の時か」とさうぞき立ちてあるに、明け過ぎ、日もさし出でぬ。西の對の唐廂になん、さし寄せて乘るべきとて、あるかぎり渡殿へ行く程に、まだうひうひしきほどなる今參どもは、いとつつましげなるに、西の對に殿すませ給へば、宮にもそこにおはしまして、まづ女房車に乘せさせ給ふを御覽ずとて、御簾の中に、宮、淑景舎、三四の君、殿のうへ、その御弟三所、立ち竝みておはします。

 車の左右に、大納言、三位中將二所して、簾うちあげ、下簾ひきあげて乘せ給ふ。皆うち群れてだにあらば、隱れ所やあらん。四人づつ書立に隨ひて、それそれと呼び立てて、乘せられ奉り、歩み行く心地、いみじう實にあさましう、顯證なりとも世の常なり。御簾のうちに、そこらの御目どもの中に、宮の御前の見ぐるしと御覽ぜんは、更にわびしき事かぎりなし。身より汗のあゆれば、繕ひ立てたる髮などもあがりやすらんと覺ゆ。辛うじて過ぎたれば、車のもとに、いみじう恥しげに、清げなる御さまどもして、うち笑みて見給ふも現ならず。されど倒れず、そこまでは往き著きぬるこそ、かしこき顏もなきかと覺ゆれど、

 皆乘りはてぬれば、引き出でて、二條の大路に榻立てて、物見車のやうにて立ち竝べたる、いとをかし。人もさ見るらんかしと、心ときめきせらる。四位五位六位など、いみじう多う出で入り、車のもとに來て、つくろひ物いひなどす。

 まづ院の御むかへに、殿を始め奉りて、殿上と地下と皆參りぬ。それ渡らせ給ひて後、宮は出させ給ふべしとあれば、いと心もとなしと思ふほどに、日さしあがりてぞおはします。御車ごめに十五、四つは尼の車、一の御車は唐の車なり。それに續きて尼の車、後口より水精の珠數、薄墨の袈裟衣などいみじくて、簾はあげず。下簾も薄色の裾少し濃き。次にただの女房の十、櫻の唐衣、薄色の裳、紅をおしわたし、かとりの表著ども、いみじうなまめかし。日はいとうららかなれど、空は淺緑に霞み渡るに、女房の裝束の匂ひあひて、いみじき織物のいろいろの唐衣などよりも、なまめかしう、をかしき事限なし。

 關白殿、その御次の殿ばら、おはする限もてかしづき奉らせ給ふ、いみじうめでたし。これら見奉り騒ぐ、この車どもの二十(念)立ち竝べたるも、又をかしと見ゆらんかし。

 いつしか出でさせ給はばなど、待ち聞えさするに、いと久し。いかならんと心もとなく思ふに、辛うじて、采女八人馬に乘せて引き出づめり。青末濃の裳、裙帶、領巾などの風に吹きやられたる、いとをかし。豐前(ブゼン)といふ采女(うぬめ・サイジョ・歳音)は、典藥(典訳・転訳・添約←聖書)頭重正が知る人なり。葡萄(葡萄牙ポルトガル)染の織物の指貫(ゆびぬき・史観・史貫・史漢)を著たれば、いと心ことなり。「重正は色許(史記拠・史記挙)されにけり」と山の井の大納言は笑ひ給ひて、皆乘り(掛・懸)續きて立てるに、今ぞ御輿出でさせ給ふ。めでたしと見え奉りつる御有樣に、これは比ぶべからざりけり。朝日はなばなとさしあがる程に、木(記・紀)の葉のいと花やかに輝きて、御輿の帷子の色艶などさへぞいみじき。御綱はりて出でさせ給ふ。御輿の帷子のうちゆるぎたるほど、實に頭の毛(化)など、人のいふは更に虚言ならず。
 さて後に髮(神・紙・守・上・加味)あしからん人もかこちつべし。あさましう、いつくしう、猶いかでかかる御前に馴れ仕うまつらんと、わが身もかしこうぞ覺ゆる。御輿過ぎさせ給ふほど、車の榻ども、人給にかきおろしたりつる、また牛どもかけて、御輿の後につづきたる心地の、めでたう興あるありさま、いふかたなし。

 おはしましつきたれば、大門のもとに高麗唐土の樂(学)して、獅子狛犬をどり舞ひ、笙の音、鼓の聲に物もおぼえず。
こはいづくの佛の御國などに來にけるにかあらんと、空に響きのぼるやうにおぼゆ。

 内に入りぬれば、いろいろの錦のあげばりに、御簾いと青くてかけ渡し、屏幔など引きたるほど、なべてただにこの世とおぼえず。御棧敷(音叉史記)にさし寄せたれば、又この殿ばら立ち給ひて、「疾く(解・読・得)おりよ」との給ふ。乘りつる所だにありつるを、今少しあかう顯證(謙称・検証・憲章)なるに、大納言殿、いとものものしく清げにて、御下襲のしりいと長く所せげにて、簾うちあげて、「はや」とのたまふ。つくろひそへたる髮も、唐衣の中にてふくだみ、あやしうなりたらん。色の黒さ赤ささへ見わかれぬべき程なるが、いとわびしければ、ふとも得降りず。「まづ後(語)なるこそは」などいふほども、それも同じこころにや、「退かせ給へ、かたじけなし」などいふ。
 「恥ぢ給ふかな」と笑ひて、立ちかへり、辛(加羅・唐・韓・漢)うじ(氏・宇治・蛆・得字)ておりぬれば、寄りおはして、「むねたかなどに見せで、隱しておろせと、宮の仰せらるれば來たるに、思ひぐまなき」とて、引きおろして率て參り給ふ。さ聞えさせ給ひつらんと思ふもかたじけなし。參りたれば、初おりける人どもの、物の見えぬべき端に、八人ばかり出で居にけり。一尺と二尺ばかりの高さの長押のうへにおはします。ここに立ち隱して、「率て參りたり」と申し給へば、「いづら」とて几帳(記帳)のこなたに出でさせ給へり。
 まだ唐の御衣裳(音異称・意匠)奉りながらおはしますぞいみじき。紅の御衣よろしからんや、中に唐綾の柳の御衣、葡萄染の五重の御衣に、赤色の唐の御衣、地摺の唐の羅に、象眼重ねたる御裳など奉りたり。織物(史記摸之)の色、更になべて似るべきやうなし。

 「我をばいかが見る」と仰せらる。「いみじうなん候ひつる」なども、言に出でてはよのつねにのみこそ。「久しうやありつる。それは殿(伝)の大夫の、院(音)の御供(音響)にきて、人に見えぬる、おなじ下襲ながら、宮の御供にあらん、わろしと人思ひなんとて、殊に下襲ぬはせ給ひけるほどに、遲きなりけり。いとすき給へり」などとうち笑はせ給へる、いとあきらかに晴れたる所は、今少しけざやかにめでたう、御額あげさせ給へる釵子に、御分目の御髮の聊よりて、著く見えさせ給ふなどさへぞ、聞えんかたなき。

 三尺(纂訳)の御几帳(記帳)一雙をさしちがへて、こなたの隔にはして、その後(語)には、疊一枚を、長ざまに縁をして、長押の上に敷きて、中納言の君といふは、殿の御伯父の兵衞督忠君と聞えけるが御女、宰相の君とは、富小路左大臣の御孫、それ二人ぞうへに居て見え給ふ。御覽じわたして、「宰相はあなたに居て、うへ人どもの居たる所、往きて見よ」と仰せらるるに、心得て、「ここに三人いとよく見侍りぬべし」と申せば、「さば」とて召し上げさせ給へば、しもに居たる人々、「殿上許さるる内舎人なめりと笑はせんと思へるか」といへば、「うまさへのほどぞ」などいへば、そこに入り居て見るは、いとおもだたし。

 かかる事などをみづからいふは、ふきがたりにもあり、また君の御ためにも輕々しう、かばかりの人をさへ思しけんなど、おのづから物しり、世の中もどきなどする人は、あいなく畏き御事にかかりて、かたじけなけれど、あな辱き事などは、又いかがは。誠に身の程過ぎたる事もありぬべし。

 院の御棧敷、所々の棧敷ども見渡したる、めでたし。殿はまづ院の御棧敷に參り給ひて、暫時ありてここに參り給へり。大納言二所、三位中將は陣近う參りけるままにて、調度を負ひて、いとつきづきしうをかしうておはす。殿上人、四位五位、こちたううち連れて、御供に侍ひ竝み居たり。

 入らせ給ひて見奉らせ給ふに、女房あるかぎり、裳、唐衣、御匣殿まで著給へり。殿のうへは、裳のうへに小袿をぞ著給へる。「繪に書きたるやうなる御さまどもかな。今いらい今日はと申し給ひそ。三四の君の御裳ぬがせ給へ。
この中の主君には、御前こそおはしませ。御棧敷の前に陣をすゑさせ給へるは、おぼろけのことか」とてうち泣かせ給ふ。實にと、見る人も涙ぐましきに、赤色櫻の五重の唐衣を著たるを御覽じて、「法服ひとくだり足らざりつるを、俄にまとひしつるに、これをこそかり申すべかりけれ。さらばもし又、さやうの物を切り調めたるに」との給はするに、又笑ひぬ。大納言殿少し退き居給へるが、聞き給ひて、「清僧都のにやあらん」との給ふ。一言としてをかしからぬ事ぞなきや。

 僧都の君、赤色の羅の御衣、紫の袈裟、いと薄き色の御衣ども、指貫著たまひて、菩薩の御樣にて、女房にまじりありき給ふもいとをかし。「僧綱の中に、威儀具足してもおはしまさで、見ぐるしう女房の中に」など笑ふ。

 父の大納言殿、御前より松君率て奉る。葡萄染の織物の直衣、濃き綾のうちたる、紅梅の織物など著給へり。例の四位五位いと多かり。御棧敷に女房の中に入れ奉る。何事のあやまりにか、泣きののしり給ふさへいとはえばえし。

 事始りて、一切經を、蓮の花のあかきに、一花づつに入れて、僧俗、上達部、殿上人、地下六位、何くれまでもて渡る、いみじうたふとし。大行道導師まゐり、囘向しばし待ちて舞などする、日ぐらし見るに、目もたゆく苦しう。
うちの御使に、五位の藏人まゐりたり。御棧敷の前に胡床立てて居たるなど、實にぞ猶めでたき。

 夜さりつかた、式部丞則理まゐりたり。「やがて夜さり入らせ給ふべし。御供に侍へと、宣旨侍りつ」とて歸りも參らず。宮は「なほ歸りて後に」との給はすれども、また藏人の辨まゐりて、殿にも御消息あれば、唯「仰のまま」とて、入らせ給ひなどす。院の御棧敷より、千賀の鹽竈などのやうの御消息、をかしき物など持て參り通ひたるなどもめでたし。

 事はてて院還らせ給ふ。院司上達部など、このたびはかたへぞ仕う奉り給ひける。

 宮は内裏へ入らせ給ひぬるも知らず、女房の從者どもは、「二條の宮にぞおはしまさん」とて、そこに皆往き居て、待てど待てど見えぬ程に、夜いたう更けぬ。内裏には宿直物持て來らんと待つに、きよく見えず。あざやかなる衣の、身にもつかぬを著て、寒きままに、にくみ腹立てどかひなし。翌朝きたるを、「いかにかく心なきぞ」などいへば、となふる如もさ言はれたり。

 又の日雨降りたるを、殿は「これになん、わが宿世は見え侍りぬる。いかが御覽ずる」と聞えさせ給ふ。御心おちゐ理なり。
ーーーーー
 ・・・・ながい・・・ナガイ・・・