1286日目・・・島倉千代子さん、残念です・・・あのコロコロとコロガルような声は「彼女の独自な音楽」・・・日本民謡やカンツォーネのように徐々に昂揚する踏ん張りも、気張りもなく、メロディーに「山場」もない。だが、無くなった伯母はTVの前で歌というより島倉千代子の瞳から何時涙がこぼれるのかをジィ〜ッと観て、「出ッ!」と、一声・・・感情を絞り出す様な古賀メロディーとも、小鳥の囀りのようなシャンソンとも異なる・・・ボクはTV画面で彼女の「歌まね」をするヒトを見たことが無いが・・・コロコロの声は難しいのかも・・・

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 枕草子
 (一九一段)・・・百九十一段・壱佰九拾壱段・壱九壱段・陌玖足壱段
          1+9+1=11=十一=壱拾壱=壱足壱
          1×9×1=9=九=玖

 寺は・・・・てら
       ジの同音異字のスベテ・・・
 壺坂。・・・つぼさか・・・つぼ=経穴・経絡
       ↓      さか=逆・叉加・査禍
       壺坂寺・・・・コハンジ→故判字
       ↓
       南法華寺・・・南方、何報、 仮事
              難邦、法化  掛事
              納鴇、名務報 佳字
       奈良県・・・・名等懸
       高市郡
       高取町にある
       真言宗系の
       単立寺院・・・譚理通字音
       山号は壺阪山
       壺阪寺(つぼさかでら)は通称
       703年
       (大宝三年)創建
       1497年
       (明応六年)に
       三重塔が建立
       西国
       三十三所
       第六番札所
       本尊
       十一面観音は
       眼病に霊験がある
       お里・沢市の夫婦の
       人形浄瑠璃
      「壺坂霊験記」の舞台
       ↓
       眼の経絡は
       魚腰
       四白
       人差し指と、中指の根元から
       第二関節までの腹
ーー↓
 笠置。・・・かさぎ・・・化詐欺
       リュウチ・・留置・劉知・龍地
       ↓   リュゥマチ(Rheumatism)
       ↓   関節・骨・筋肉の
       ↓   痛みや強張(こわば)りを来す
       ↓   疾病の総称
       ↓
       笠置寺京都府相楽郡
       1331年
       後醍醐天皇
       三種の神器を保持し
       笠置山で篭城
       元弘の乱の発端
 法輪。・・・ホウリン・・・のりわ
       釈迦が説いた四諦・八正道の別称
       教義(法輪)を
       他人に伝えること(転)を
       転法輪
       ↓
       法輪寺
       奈良県生駒郡斑鳩町
       三井寺とも呼ばれ、
      「法林寺・法琳寺」とも
       本尊は
       薬師如来坐像・・・薬師・本草師・医者
       ↓        訳詞・訳語田=オサだ
       法隆寺東院の北方に位置
       ↓
       虚空蔵法輪寺
       ↓  京都西山・嵐山の中腹
       ↓  セイザン・ランザン
       ↓    生残・蘭纂
       徳島法輪寺
      「白蛇山法林寺」
       天正十年(1582)
       長宗我部元親による兵火で焼失
       再建は
       正保年間(1644〜48)
       安政六年(1859)に再度罹災
       村人が
       浄瑠璃芝居の稽古をしていた際に、
       堂内から出火し鐘楼堂だけを残して全焼
       寺宝に「弘法大師御おころも衣」
       恒例にちなんで、
       明治十五年(1882)
       明治天皇法輪寺に下賜
ーー↓
 高野は、・・・・・孝謙、称徳女帝→高野長英
 弘法大師の・・・・空海
 御住處なるが・・・音拾書
 あはれ・・?・・・亜葉例・「泡・沫」霊→溺死海
          粟黎
          阿波例→アワ苓(リ・リョウ・みみなぐさ)
          安房・安和・亜話・蛙倭
          亜+(ハレ・晴・腫・張・貼・脹)
 なる・・・・・・・名留
 なり。・・・・・・名理
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    ・・・母方の伯父は北海道の西芦別から東京の豊島区、巣鴨へと家族と共に移転し、その後なくなったが、法事がある度に集まった親戚一同が「巣鴨商店街」に繰り出し、「とげぬき地蔵尊」を訪れるのが慣例だった・・・正式には曹洞宗「萬頂山・高岩寺」・・・慶長元年(1596年)に江戸湯島に開かれ、約六十年後に「下谷・屏風坂」に移り、巣鴨には明治二十四年(1891年)に移転・・・住所は「東京都・豊島区・巣鴨3丁目35−2」である・・・「10・21」・・・下宿から逃げ出し・・・伯父の家に逃げ込み、隠してもらった・・・
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%88%A6%E4%BA%89
http://www.youtube.com/watch?v=JcYRS9a7mpc
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 ・・・「アルバイトをテンテンとして日常の市民社会」にコッソリ身を潜めていたが・・・十二月十日、ノコノコと学校に出て行って、十一日、喧嘩で腰に大石をぶつけられ気絶・・・ぶっ倒れた後・・・命を護ってくれたのは「オフクロ」と「親戚」・・・そして「友人」・・・後は放浪と彷徨・・・それでも「平穏」にダレかを裏切り、ダレかに迷惑をかけつつ「エゴ」に徹して生きてきた・・・世界中で無残に殺されていった人々、殺されていくヒトビト・・・そして殺しつづけていくヒトビト・・・「うらみ・つらみ・悔しみ・後悔」、だれしも、いずれは「宇宙塵」なのに・・・ヴェトナム、現地の状況を新聞を読んで、写真を見て、ニュースを聴いて、あまりにも「人間」としてヤルコトが惨い・・・友人、仲間と・・・「反戦」?・・・デモで殴られても、蹴られても、緑色のペンキを放射されても、催涙弾を撃たれても死ぬほどのイタミではないし、涙がでてもタオルで眼を拭えるし、ポケットのレモンを取り出して口に頬張れる余裕はある。捕まっても殺されるワケでもない・・・現実の「戦場現場」ではない・・・日本の市民社会の出来事・・・ヴェトナム、情報は惨いが、未だ肉体的なイタミを直に感じない他人事・・・現実的に個人的な肉体のダメージと、連続的な身の痛さが迫れば自分を護ることで精いっぱい・・・他人を護る、援けるなんっての精神的、肉体的な「余裕」が吹っ飛んでしまう・・・情けなくも自分自身が援けてもらって逃げる状況・・・すべからく、「人間」として生きているアイダの問題だが、昨日でも明日でもなく、生きているイマ現在、イマの場所、が問題だ・・・鼠を捕獲してきても獲物を喰わないモモとブブに食い物やらなくちゃぁ・・・
ーー↓
 石山。・・・・・・本願寺(字・事・時)
          本に願う字
          本能寺・・・本能事・・・?
 粉川。・・・・・・粉河町(こかわちょう)
          和歌山県にあった町
          粉河寺(こかわでら)
          和歌山県
          紀の川市粉河にある天台系寺院
          西国三十三所第三番札所
          山号
          風猛山
         (ふうもうざん、かざらぎさん)
          ↓  何で「かざらぎ」なんだか?
          本尊は、
          千手・・・「千手」も「千眼」も
          千眼  不用だろう、ならば
          ↓   先手、洗手、洗顔、洗眼、
          ↓   洗願・・・先願の主義だろう
          観音菩薩・・・音を観れ、簿冊の
          創建は
          宝亀元年(770年)
          大伴孔子
         (おおとものくじこ)?
          ↓  大版の句似字拠
          ↓
          天正十三年(1585年)
          豊臣秀吉
          紀州に攻め入り、
          国人、鉄砲隊の
          根来寺雑賀衆が抵抗したが
          全山焼失
          粉河
          縁起絵巻も焼損
          正徳三年(1713年)
          火災
          伽藍はこの火災以降の再建
          本尊の
          千手観音像は
          絶対の
          秘仏・・・ナゼ・・・?
          ↓
          2005年11月7日
          打田町・那賀町・桃山町・貴志川町と合併、
         「紀の川」市となり消滅
         「粉河(こかわ)」という地名
          米を研いだときに流れ出た
         「白い研ぎ汁」が目安となって、
         「粉」の「川=河」から
         「粉河」・・・となった・・・?
          粉河
          粉河にある、・・・粉=米+分
          ↓        河=氵+丁+口
          西日本旅客鉄道JR西日本
          和歌山線の駅
          明治三十三年八月二十四日
          紀和鉄道が船戸駅から延伸した際の
          暫定的な終着として、
          本駅の・・・翻訳、之
          前身たる・・前審、樽=木+尊
          粉河・・・フンカ・フンガ・ブンカ
          仮停・・・・・・・仮綴・掛帝
          車場が設置・・・・写場(葉)
娑婆=赦場・・・・捨場(舎人)
          ↓        赦馬(司馬遷
          世界四苦八苦の自由のない世界
          刑務所、兵舎から解放されている
          自由な外の世界
          江戸時代
          娑婆は現世地獄
          遊廓は現世極楽
          畳の上では死ねない輩
          流刑地の外
          タコ部屋の外
          網走・蝦夷地・八丈島沖ノ島
          ・・・修羅場・・・衆等場
             しらば・ひらば
          なんで修羅場が
          阿修羅と帝釈天の争いの場なのか?
          アシュラ・テイシャクテン
          亜取 等・綴 借  典  
ーー↓
 志賀。・・・志賀島(しかのしま)
       福岡県福岡市東区の島
       博多湾の北部に位置し、
       海の中道と陸続きである
       砂州により本土と
       陸続きになった
       陸繋島
       半島への海上交易の出発点
       島内の志賀海神社
       綿津見三神を祀り、
       全国の綿津見神社の総本宮
       四月と十一月の例祭において
      「君が代」の神楽が奉納される神社
       ↓
       1784年(天明四年)
       甚兵衛という志賀島の農民が
       金印(漢委奴国王印)を発見
       ↓
       1889年(明治二十二年)
       町村制施行で
       糟屋郡
       志賀村が発足
       ↓
       志賀町(しかまち)
       石川県
       羽咋郡にある町
       本州の日本海側にある
       能登半島の中央に位置
       天和三年(1683年)
       初代
       村上伝兵衛が
       能登国
       羽咋郡
       安部屋村
      (石川県羽咋郡志加浦村安部屋
       志賀町安部屋)で誕生
       蝦夷地に渡って
       北前船廻船問屋
      「阿部屋張江家」の使用人から独立して
       村山家の基礎を築く
       ?・・・「張江家」・・・尾張、江戸・・・?
       ↓
      「アベちゃん」は
      「ブルジョア民主主義の敵」、
      「張江家」は「貼り絵(重)也(意重)」、
      「ムラヤマ」は
      「日本国憲法下の民主主義の裏切り者」
      「ドイ」はパチンコ三昧のオンナ賭博師
       目指す「プチブル国家主義者」の
      「ジュンちゃん」は
       ミエッパリ→三重ッ貼り
       で、アワてモノ・・・
      「イシバ」は「立憲国家主義者」・・・ 
       現今、陛下は「民主主義」のオカザリだが
       ダレよりも「民主主義者」・・・
ーーーーー
 枕草子
 (一九二段)・・・百九十二段・壱佰九拾弐段・壱九弐段・陌玖足仁段
          1+9+2=12=十二=壱拾弐=足仁
          1×9×2=18=十八=壱拾八=足捌

 經は・・・
 法華經は・・・
 さらなり。・・・
 千手經。・・・
 普賢十願。・・・
 隨求經。・・・
 尊勝陀羅尼。・・・
 阿彌陀の・・・
 大呪。・・・
 千手陀羅尼。・・・
ーーーーー
 枕草子
 (一九三段)・・・百九十三段・壱佰九拾参段・壱九参・陌玖参段
          1+9+3=13=十三=壱拾参=足参
          1×9×3=21=二十一=弐拾壱=念壱

 文は・・・・あやは・もんは・ふみは・ブンは
 文集。・・・ブンシュウ・・・分集・分拾
       もんじゅ
       聞拾・問集・門衆
       文殊得・・・文殊菩薩
 文選・・・もんぜん・ブンセン
      ↓
      中国南北朝時代
      南朝、梁の
      武帝の長子、
      昭明太子
      蕭統によって
      編纂された詩文集
      全三十巻
      春秋戦国時代から梁までの
      文学者131名による
      賦・詩・文章800余りの作品
      37に分類収録
      隋唐以前を代表する文学作品を網羅
      ↓
      ‎文選(ぶんせん)
      活版の工程の一つ
      原稿に従って活字棚から活字を順に拾い、
      文選箱に納めること。採字とも
      ↓
      文選読(もんぜんよみ)
      漢文訓読における読み方の一
      同一の漢字・漢語を先に音読し、
      さらに重ねて訓読する
     「細細腰支」を
     「サイサイと、ほそやかなる、ヨウシの、こし」
     「文選」を読むのに多用された
ーー↓      
 博士の
 申文(もうしぶみ)。・・・猿分→猿女君・猿田彦
ーーーーー
 枕草子
 (一九四段)・・・百九十四段・壱百九拾四段・壱九四段・陌玖足四段
          1+9+4=14=十四=壱拾四=足肆
          1×9×4=36=三十六=参拾六=参足陸

 佛は・・・
 如意輪は、・・・にょいりんは
         女 意淋 葉
         女 異臨 者
         女 鮪憐 頗
         爾与意隣 者
 人の心を・・・
 おぼし・・・
 わづらひて、・・・
 頬杖を・・・
 突きて・・・
 おはする、・・・
 世に・・・・・・代爾・・・代数
         与→壱与・壱與
         夜→佐久夜比売
         余→磐余
         序→序文
         予→伊予
 知らず・・・
 あはれに・・・
 はづかし。・・・
 千手、・・・・・せんて・先手
         センシュ・選種・撰集・撰修
              千秋・泉州
         千周・・・千葉周作
             (北辰一刀流・妙音)
 すべて・・・
 六觀音。・・・
 不動尊。・・・
 藥師佛。・・・
 釋迦。・・・
 彌勒。・・・
 普賢。・・・
 地藏。・・・
 文珠。・・・
ーーーーー
 枕草子
 (一九五段)・・・百九十五段・壱佰九拾五段・壱九五段・陌玖足伍段
          1+9+5=15=十五=壱拾五=足伍
          1×9×5=45=四十五=四拾五=肆足伍

 物語は・・・
 すみよし、・・・
 うつぼの・・・・
 類は、・・・
 殿うつり。・・・
 月まつ女。・・・
 交野の少將。・・・
 梅壺の少將。・・・
 人め。・・・
 國ゆづり。・・・
 むもれ木。・・・
 道心・・・
 すすむる・・・
 松が枝。・・・
 こまのの・・・
 物語は、・・・
 ふるき・・・
 かはぼり・・・
 さし・・・
 出でても・・・
 いにしが・・・意似史臥、
 をかしき・・・
 なり。・・・
ーーーーー
 枕草子
 (一九六段)・・・百九十六段・壱佰九拾六段・壱九六段・陌玖足陸段
          1+9+6=16=十六=壱拾六=足陸
          1×9×6=54=五十四=五拾四=伍足肆

 野は・・・
 嵯峨野・・・
 さらなり。・・・
 印南野。・・・
 交野。・・・
 こま野。・・・
 粟津野。・・・
 飛火野。・・・
 しめぢ野。・・・
 そうけ野・・・
 こそ・・・
 すずろに・・・
 をかしけれ。・・・
 など・・・
 さ・・・
 つけたる・・・
 にか・・・
 あらん。・・・
 安倍野。・・・
 宮城野。・・・
 春日野。・・・
 紫野。・・・・むらさきの・シヤ・シの
        京都市北区紫野
        船岡山大徳寺を中心とする地域
        平安京北郊で宮廷の遊猟地
        賀茂斎王の御所紫野斎院があった
        しめの・・・?
        紫禁城
        しめのと
       「標(しめ)」をした所
        皇室や貴人の所有地で、
        一般人は立ち入りを禁止した野
        禁野
        額田王大海人皇子
       「あかねさす紫野行きしめのと行き
         野守は見ずや君が袖振る・万葉 二十」
        ↓
        注連縄(しめなわ)
        神道における神祭具で、
        糸の字の象形を成す
        紙垂(しで)をつけた縄
        古神道においては、
        神域はすなわち常世(とこよ)であり、
        俗世は現世(うつしよ)であり、
        注連縄はこの
        二つの世界の端境や結界
        注連縄(しめなわ)
       「注連(チュウレン)」 は、
        中国では死霊が入り込まないよう、
        水を注いで清め連ね張った縄を意味し、
        一定の間隔で
        藁を三・五・七本と垂らす
       「七五三縄」とも表記
ーーーーー
 枕草子
 (一九七段)・・・百九十七段・壱佰九拾七段・壱九七段・陌玖足漆段
          1+9+7=17=十七=壱足漆
          1×9×7=63=六十三=六拾参=陸足参

 陀羅尼は・・・
 あかつき。・・・
 讀經は・・・
 ゆふぐれ。・・・
ーーーーー
 枕草子
 (一九八段)・・・百九十八段・壱佰九拾八段・壱九八段・陌玖足捌段
          1+9+8=18=十八=壱拾八=足捌
          1×9×8=72=七十二=七拾弐=漆足仁

 あそびは・・・
 夜人の・・・
 顏・・・
 見えぬ・・・
 ほど。・・・
ーーーーー
 枕草子
 (一九九段)・・・百九十九段・壱佰九拾九段・壱九九段・陌玖足玖段
          1+9+9=19=十九=壱拾九=足玖
          1×9×9=81=八十一=八拾壱=捌足壱

 あそび・・・
 わざは・・・
 さま・・・
 あし・・・
 けれども、・・・
 鞠も・・・・・まり・キク・ギク
        ↓
        中国の蹴鞠(シュウキク)
        軍事訓練用
        漢代には12人のチームが鞠を争奪し
       「球門」に入れた数を競う遊戯
        唐代には球門は両チームの間の
        網の上に設けられたり
        競技場の真ん中に一個設けられたりした
        鞠は羽根を詰めたものから
        動物の膀胱に空気を入れたものへと変わった
        宋代にはチーム対抗の競技としての
        側面が薄れ、
        一人または集団で地面に落とさないように
        ボールを蹴る技を披露する遊びとなった
        水滸伝
       「高俅」は蹴鞠の才によって出世
        モンゴル帝国の遠征で東欧や東南アジアにも
        伝播
       「セパタクロー(蹴る鞠という意味)」
        明初期には貴族や官僚が蹴鞠に熱中
        娼妓が男たちの好きな蹴鞠をおぼえて
        客たちを店に誘った
        蹴鞠の禁止令で蹴鞠は女性の遊戯となった
        清における禁止令で中国から姿を消した
        ↓
        大化の改新の56年後
        文武天皇
        大宝元年五月五日(701年6月15日)
        日本で最初の蹴鞠の会
        が開かれたとの記録
ーー↓
 をかし。・・・
 小弓。・・・
 掩韻。・・・エンイン・オウイン
 碁。・・・
ーーーーー
 枕草子
 (二〇〇段)・・・二百段・弐佰段・二零零段・貳陌段
          2+0+0=2=弐=貳=仁
          2×0×0=0=零

 舞は・・・
 駿河舞。・・・
 求子。・・・
 太平樂は・・・
 さま・・・
 あしけれど・・・、
 いと・・・
 をかし。・・・
 太刀など・・・
 うたてく・・・
 あれど、・・・
 いと・・・
 おもしろし。・・・
 漢土に・・・
 敵に・・・
 具して・・・
 遊びけん・・・
 など・・・
 聞くに。・・・

 鳥の舞。・・・
 拔頭は、・・・
 頭の・・・
 髮・・・
 ふりかけ・・・
 たる・・・
 まみ・・・
 などは・・・
 おそろし・・・
 けれど、・・・
 樂も・・・
 いと・・・
 おも・・・
 しろし。・・・
 落蹲は、・・・
 二人して・・・
 膝ふみて・・・
 舞ひたる。・・・
 こまがた。・・・
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 枕草子
 (二〇一段)・・・二百一段・二佰壱段・弐百壱段・貳陌壱段
          2+0+1=3=三=参
          2×0×1=0=零

 ひき・・・
 ものは・・・
 琵琶。・・・
 筝の
 こと。・・・
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 ・・・?・・・ひきものは→索引(インデックス・Index)のある書籍は字典、辞書・・・コンピュータ・プログラムの「頭だし記号」・・・