1275日目・・・台風、地震・・・それでも「原発」・・・「自国民」を空洞化させてきたモノは「モウケ」の追求・・・「飛べ、フェニックス」ってアメリカ映画があったけれど・・・羽根が無くても跳べるもの・・・高飛び、幅跳び、三段跳び・・・the hop, step, and jump・・・triple jump(トリプル ジャンプ)・・・

 とべッ!!・・・ふェにッくす・・・
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http://www.youtube.com/watch?v=IACjOvyx5hs

http://www.youtube.com/watch?v=gD2D83XNLHY
全編
 ↓
http://www.youtube.com/watch?v=pxaDOazi730
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 枕草子
 (一六九段)・・・・・百六十九段・壱佰六拾九段・壱六九段・陌陸足玖段
            1+6+9=16=十六=壱拾六=足陸
            1×6×9=54=五十四=五拾四=伍足肆
 經は・・・・キョウは
 不斷經。・・・・フダンキョウ

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 (一七〇段)・・・・・百七十段・壱佰七拾段・壱七拾段・陌漆足段
            1+7+0=8=八=捌
            1×7×0=0=零
 近くて・・・・・・・「知覚・地殻・地角・地核・遅書く」て
            キンク出→禁句出
 とほきもの・・・・・「徒歩記・杜甫記・十補記=足補記」もの
 宮の・・・・・・・・「ミヤ・視埜・観夜・巳也」之
            キュウ之→「旧・球・級・灸・九=玖」埜
            埜=「木+木+十+一」→記紀拾(重・足)位置
 ほとりの祭。・・・・「補録理之歳」
 思はぬ兄弟、・・・・「おもはぬ鏡台」→「大・今・水・増」鑑
            主 葉ヌ教代→狂代→「代数の年歳」
                   狂第→「第数の年歳」
            面 頗又姉妹(しまい=終い)
              頗=「皮+頁」=よこしま=邪
 親族の中。・・・・・新属の名化
 鞍馬の・・・・・・・句等真之
 九折・・・・・・・・ここのおり・個々の下り
           玖=王+久→「王宮・王及・応急」於留
           キュウセツ・クセツ
           旧説    苦節・句説・九説・厩説
 といふ・・・・・・・問い譜
 道。・・・・・・・・みち(未知・充)・ドウ(如何・銅→和銅
 十二月の晦日、・・・しわす  之みそか
           師走   乃ミソ化・・・みそ=禁止
           壱拾弐解通の三十日
           晦日みそか
              こっそり振る舞っている・ひそかだ
              ↓
           然るにまたこれを「みそか」ともいふ。
           例えば大和物語に
          「夜みそかに出でて、猿「ひそか」(密)といふ語あり。
          「ひそかごと」(名詞)、
          「ひそかに」(副詞)などと用ひらる。
          「 ひそか」「みそか」の項に
          「多治見真人池守」なる名見えたり。
            ↓
           即ち「ひ」「み」通転に基づく
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       「猿(ひそか=密)」とはネッ?
       「猿女君・猿田毘古」がナゾを解き明かしてくれる「カギ」である。
        エンジョクン・エンデンビコ
        援助  訓
        獲 叙 勲
        塩 徐 君   
       ・・・旧暦の「晦日の月(新月)」と「一日の月(新月)」の
          月(衛星・御月さま)の形態を観察してれば理解出来るであろう
          月の光が無く、闇(やみ)で、光っているのは星なのだ。
          曇りの日、雨の日、雨天は星の輝きも見えないのである・・・
          「星」とは「命」の代名詞で比喩である
          「参拾壱巻」は「日本書記」だが
          「壱巻(一巻)」は行方不明とされている
          「天皇家」の「家系図」である・・・
          「系図」は視てはならないのである・・・
          「一巻の終わり」とはスベテが「オジャン」である・・・
          「秘密・隠蔽」したいのは、イマもムカシも同じ・・・
          今現在の「アベとイシバ」で
          同類のヤカラである・・・
          
          季札(キサツ・リサツ・生没年不詳)
          ↓
          季札挂剣・「史記
          季札は
          呉王寿夢(じゅほう)の末子
          ↓
          李札心知之
          ↓
          李札之初使、北過徐。徐君好李札剣。
          口弗敢言。李札心知之。為使上国、未献。
          遷至徐。徐君已死。
          於是、乃解其宝剣、繋之徐君冢樹而去。
          従者曰、不然。
          始吾心已許之。
          豈以死倍吾心哉。
          ↓
          徐君は李札の剣を好む。
          口には敢て言はず。
          李札は心で之を知る。
          未だ徐君に献ぜず。
          遷(かへ)りに徐に至る。
          徐君は已(すで)に死せり。
          乃ち其の剣を解き
          之を徐君の冢樹(ちょうじゅ)に
          繋(か)けて去る。
          従者に曰く,
          不然なり。
          始めより吾が心は已に許せり。
          豈に死を以て吾が心に倍(そむ)けんや。
          ↓
          徐君とは?・・・「叙勲」で、「女君」
          ↓       「叙訓」、「助訓」
          ↓       「除訓」・「序訓」
          ↓     加減乗除・・・「除目」=除書
          ↓             耳目  任官式
          前1046年
          周の武王が
          殷の帝辛(紂王)を滅ぼす・・・音の綴真を滅する
          肅慎が・・・・・・・肅慎之國在白民北(山海経)?
          ↓              白民の北?→白人の北
          ↓              みしはせ・あしはせ
          石砮(セキド)と・・・・・・・施木戸・石弓・岩究
          楛矢(コシ)を献上・・・・・・楛という木でできた矢
          ↓       楛(ニンジンボク)=雒常(ラクジョウ)
          ↓    楛=牝荊(ヒンケイ)に似た赤い落葉潅木
          ↓      メスのトゲ(棘・鞭=むち)
          ↓                楛=木+苦=雄常の木
          ↓  コシ=輿・越・腰・古志・古史・故紙・虎視
          ↓
          武王の死後、
          管叔鮮と
          蔡叔度が周に背き、
          夷狄を加担させて叛乱するが
          周公旦によって征伐、東夷は平定
          周の康王(在位・前1078年〜前1052年)
          肅慎がふたたび至る。
          徐夷(じょい)が王位を僭称
          九夷を率いて宗主国である周を撃つべく、
          西の河(黄河)にまで迫った。
          穆王(在位・1001年〜前946年)
          東方の諸侯を分割し、
          徐の偃王(えんおう)に与えた
          偃王は潢池の東におり、
          仁義による政治をおこなった
          その国への朝貢者は36国
          穆王は楚に命じて徐国を討伐させた
          偃王は慈悲深く、道理にはずれたことをせず、
          徐の国民を戦闘に駆り立てることもせず
          そのため楚に敗れ、
          北の
          彭城武原県(江蘇省邳付近)の東山の麓へ逃れた
          徐の国民数万人も偃王に随ってこの地に住み着き
          その山は徐山と呼ばれた
          ↓
         「褒章」と云うコトだが「徐王」への「契約報酬」ではない・・・
          本人にとっては、呉れるか、呉れないかはワカラナイのが
         「文化勲章」と云う物だ・・・
         「文化勲章令(昭和十二年二月十一日勅令第九号)」制定
          ・・・自分自身の内面の「信義・信条・義理」である・・・
          だが「心情・真情」ってコトバもある・・・
          ダレの「文化」なんだか、クレルひと、モラウひと・・・
ーー↓           
 正月一日のほど。・・・ついたち・・・終絶ち・対建ち・追建(立・経)ち
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 (一七一段)・・・・・百七十一段・壱佰七拾壱段・壱七壱段・陌漆足壱段
            1+7+1=9=九=玖
            1×7×1=7=七=漆
 遠くて・・・・・・十句出(で・て)・闘苦で・等句で
               (て・氐・弖)
            出(で)=山+山→病が重なる・散々・纂竄
            弟(で)=八+弔(弓|)+ノ=乙=L
                   弓+|+ノ   Z
 ちかきもの・・・・知化記モノ
 極樂。・・・・・・語句等句・局等苦・曲樂・旭絡
 船の道。・・・・・附音の同(如何・みち=未知・満・路・途)
          航路は蝦夷地か、海路(カイロ)は世界か
             渡島   エジプト(埃及)カイロ
                (Cairo・改羅・開羅・該禄)
 男女の中。・・・・「おとこ(音拠)」と「おんな(音名)」の「名化」
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 (一七二段)・・・・・百七十二段・壱佰七拾弐段・壱七弐段・陌漆足仁段
            1+7+2=10=十=壱拾=足
            1×7×2=14=十四=壱拾四=足肆
 井は・・・・・・・異葉・・・イの同音異字のスベテ
 堀兼の井。・・・・ほりがねのゐ(い)・クツケン之意・履兼の意
          保理を兼、之、意
          堀=十+一+尸+出
 走井は・・・・・・はしりいは・ソウイは=「相違・相異・創痍・装威」葉
          葉史理意葉
 逢阪・・・・・・・おうさか・あうさか・ホウハン
 なるが・・・・・・名留賀(臥)
 をかしき。・・・・可笑しき・尾化誌記
          冒し記・丘如き・岡敷・於掛史記
          於カジキ(梶木・舵木・旗魚)
          於化時期・於化敷き
          措化(佳)字記・・・持統女帝(女皇)
 山の井、・・・・・サンのイ・やま之い
 さしも・・・・・・さし(差指)摸・・・物差・物指←測定器
          差詞摸・査史母(簿)
          挿し艾(御灸)・・・燃える恋
          射し艾葉=もぐさ・させもぐさ
 あさき・・・・・・朝紀・・・古事記・日本書記・六国史
 ためしに・・・・・他召し爾・多目詞爾
         「矯詞・溜史・為志」爾0
          試し似・例し爾
 なり・・・・・・・名理
 はじめけん。・・・葉字目兼
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 (一七三段)・・・・・百七十三段・壱佰七拾参段・壱七参段・陌漆足参段
            1+7+3=11=十一=壱拾壱=足壱
            1×7×3=21=二十一=弐拾壱=仁足壱
 受領は・・・・・・ず(づ)りょうは
         「図領・頭領・事漁」葉(頗)
 紀伊守。・・・・ナゼ、「キイ之守」なのかは、以下・・・
         和銅六年(713年)
         雅字(佳字)二文字で国名をとの勅令が出され
         紀伊国と表記
         斉明天皇の658年(斉明四年)
         紀温湯(牟呂温湯)行幸の記録
         十一月に有馬皇子事件
         ↓
        「ルイス・フロイス」の報告
        「紀州の地には四つ五つの共和国的な存在」
         雑賀衆の国人衆や寺社勢力が支配
         1585年(天正十三年)
         羽柴秀吉紀州征伐で終焉
         秀吉方は三月二十日に出兵
         和泉の諸城を落とし紀州に攻め入り、
         二十三日に根来寺を焼き討ち
         残党は太田城で抵抗したが、
         秀吉は水攻めで約一ヶ月後に降伏させた
         平定後は刀狩りを命じ、
         後、秀長に任せ、和歌山城を築造
         関ヶ原の戦いの後
         浅野幸長が入封した(紀州藩
         1619年
         浅野氏が
         安芸広島へ転封
         後、
         徳川家康
         十男
         徳川頼宣が和歌山に入封
         幕末まで紀州徳川家が統治
         明治維新期の廃藩置県
         高野山領と田辺藩新宮藩
         除く地域(紀州藩領)が
         和歌山県となり、
         高野山領が五條県
         田辺藩領が田辺県、
         新宮藩領が新宮県となった
         後、府県再編により
         紀伊国のうち
         熊野川(北山川)以西が和歌山県
         以東が
         度会県に編入
         後、度会県は
         三重県と合併
         ↓
         武家官位としての紀伊
         浅野幸長=浅野宗家初代当主・紀伊和歌山藩初代藩主
         浅野光晟=浅野宗家三代当主・安芸広島藩第二代藩主
         浅野長勲=浅野宗家十三代当主・広島藩第十二代藩主
         ↓
         越後村上藩内藤家
         ↓
         本多家
         本多正納=本多正重系本多家九代
              田中藩第七代藩主
              安房長尾藩初代藩主
         ↓
         丹波亀山藩形原松平家
         松平家信=亀山藩形原松平家初代
              形原松平家第六代当主
              三河形原藩主、摂津高槻藩主、
              下総佐倉藩初代藩主
         松平信豪=亀山藩形原松平家十一代
              亀山藩第六代藩主
              井伊直弼の舅
         ↓
         大岡忠宜=三河西大平藩第二代藩主
              大岡忠相の次男
         大岡忠愛=西大平藩第六代藩主
         ↓
         相良頼之=肥後人吉藩第十三代藩主
         ↓
         伊達宗贇=伊予宇和島藩第三代藩主
ーー↓
 和泉。・・・・圧せば命のイズミワク・・・蘭学者・・・
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 (一七四段)・・・・・百七十四段・壱佰七拾四段・壱七四段・陌漆足肆段
            1+7+4=12=十二=壱拾弐=足仁
            1×7×4=28=二十八=弐拾八=念捌
 やどりの・・・・
 つかさの・・・・
 權の・・・・カイの
       会(会津)・蝦夷
       カイの同音異字のスベテ
 守は・・・・モリは・喪理・摸里
 下野。・・・しもつけ・栃木県
 甲斐。・・・かい・山梨県
 越後。・・・えちご・新潟県
 筑後。・・・ちくご・福岡県
       福岡県の南部地域
       久留米市大牟田市柳川市
       久留米市が最大の都市
 阿波。・・・あわ・徳島県・・・
       蛙話
       安房・安和・泡・沫・粟
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 (一七五段)・・・・・百七十五段・壱佰七拾五段・壱七五段・陌漆足伍段
            1+7+5=13=十三=壱拾参=足参
            1×7×5=35=三十五=参拾五=参足伍
 大夫は・・・・
 式部大夫。・・・・
 左衛門大夫。・・・・
 史大夫。・・・・

ーーーーー
 (一七六段)・・・・・百七十六段・壱佰七拾六段・壱七六段・陌漆足陸段
            1+7+6=14=十四=壱拾四=足肆
            1×7×6=42=四十二=四拾弐=肆足仁
 六位藏人、・・・・「ろくい・録句意」蔵比賭
 おもひ・・・・
 かくべき事・・・・
 にも・・・・
 あらず・・・・
 かうぶりえて、・・「項(交・考・口・庚・甲・公)振り得て」
 何の大夫、・・・・たゆう・たいふ
          神主・禰宜(ねぎ)などの神職の称
          御師(おし)の称
          芸能をもって神事に奉仕する者の称号
          猿楽座の座長
          江戸時代以降は、
          観世・金春・宝生・金剛の四座の家元
          律令制
          中宮職(しき)・大膳(だいぜん)職
          左右京職
          修理(しゆり)職
          東宮坊(とうぐうぼう)の長官
         「大輔(たいふ)」と区別するために濁って読む
          ↓
          太夫(たゆう)
          遊女・芸妓の位階の最高位
          遊女、芸妓における太夫
          称号は江戸時代初期に誕生
          女歌舞伎の芸達者の役者が「太夫」と呼ばれた
          遊廓で遊女の階級性が確立
          美貌と教養を兼ね備え
          最高位の遊女に与えられた
          京の嶋原、江戸の吉原、大坂の新町に配置
          上流階級を相手にし、
          吉野太夫夕霧太夫高尾太夫
          寛永三名妓が輩出
          宝暦年間に吉原で太夫が消滅し
          代わって
         「散茶(さんちゃ)」と呼ばれる遊女が
         「花魁(おいらん)」と呼ばれた
          京・大坂では「太夫」の名は残り、
         「こったい」と呼ばれた
ーー↓          
 權の守など・・・・
 いふ人の、・・・・
 板屋・・・・
 せばき・・・・
 家・・・・
 もたりて、・・・・
 また・・・・
 小桧垣・・・・
 など・・・・
 新しくし、・・・・
 車・・・・
 やどりに・・・・
 車ひきたて、・・・・
 前ちかく・・・・
 木・・・・・・・記・紀
 おほくして、・・
 牛・・・・・・・うし・ぬし
 つながせて、・・
 草など・・・・
 かはする・・・・
 こそ・・・・
 いと・・・・
 にくけれ。・・・
 庭・・・・
 いと・・・・
 清げにて、・・・・
 紫革して、・・・・
 伊豫簾・・・・イヨのス
 かけ・・・・・
 わたして、・・・・
 布障子・・・・
 はりて・・・・
 住居たる。・・・・
 夜は・・・・
 「門強くさせ」・・・
 など・・・・・・・・
 事行ひたる、・・・「字行・次行・地形・事業」比たる
           ひたる=浸る
 いみじう・・・・・・意味字得
 おひさきなく・・・・老い先無く
           於意前無く
 こころづき・・・・・心付け・記憶・気配り・注意
 なし。・・・・・・・無し
 親の家、・・・・
 舅はさらなり、・・・・
 伯父兄などの・・・・
 住まぬ家、・・・・
 その・・・・
 さるべき人の・・・・
 なからんは、・・・・
 おのづから・・・・
 むつましう、・・・・睦ましう・陸奥真衆(間州)
 うち知りたる・・・・
 受領、・・・・
 又・・・・
 國へ行きて・・・・
 いたづらなる、・・・・
 さらずば・・・・
 女院、・・・・
 宮腹などの・・・・
 屋・・・・
 あ・・・・
 また・・・
 あるに、・・・・
 官まち・・・・
 出でて後、・・・・
 いつしかと・・・・
 よき所・・・・
 尋ね出でて・・・・
 住み・・・・
 たる・・・・
 こそ・・・・
 よけれ。・・・・
ーーーーー
 (一七七段)・・・・・百七十七段・壱佰七拾七段・壱七七段・陌漆足漆段
            1+7+7=15=十五=壱拾五=足伍
            1×7×7=49=四十九=四拾九=肆足玖
 女のひとり住む家などは、
 (音名・・・)
 唯いたう荒れて、
 (只・徒・他拿・多打・多蛇)
 築土なども
 (筑紫十一等摸)
 またからず、
 (又からず→あしからず)
 池などのある所は、
 (意懸)
 水草ゐ、
 (「水葬・吹奏・水槽」ゐ)
 庭なども、
 (「似話・爾和」等摸)
 いと蓬茂りなどこそせねども、
 (意図・・・)
 所々砂の中より青き草見え、
 (トコロドコロ・処々・諸書・・・すな→差・・・)
 淋しげなるこそあはれなれ。
 (寂しいげ・)
 物かしこげに、
 (モノ)
 なだらかに修理して、
 (名拿等化似・・・)
 門
 (モン→「文・問・紋・聞・悶」・かど→過度・鹿渡
 いとう
 (意問う・意当・意等・・・・)
 かため、
 (加太目・片目)
 きは
 (記葉)
 ぎは
 (紀葉)
 しきは、
 (史記葉)
 いと
 (意図)
 うたて
 (得他出・歌手)
 こそ
 (コソ)
 覺ゆれ。
 (おぼゆれ)
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