1257日目・・・点滴の針が腕に通らず足の血管から・・・かっては「注射の名人の看護婦」だったオフクロだけれど・・・目を開けてくれない・・・意識はどかで彷徨っているらしい・・・外は天気晴朗なれど、カゼ冷たし・・・

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 2013年10月4日18時金曜日
 2013年 干支30 癸巳(戊・庚・丙)年
 10  月 干支58 辛酉(庚・ ・辛)月
  4   日 干支40 癸卯(甲・ ・乙)日
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 ・・・点滴の医療処置の間、病室から出て病院の三階の食堂で待機・・・そこは三方面、ガラス張の大窓から山や町が一望できる展望台にもなっていた・・・オフクロの隣のベットの「おばァさん」も見舞いに来ているらしい「ご主人」に車椅子に押されて一緒に入ってきた・・・耳に入ってくるお二人の「会話」がボクには噛み合っていないように聴こえるけれど、双方が「納得している」らしい・・・暫らくすると「ご主人」が自宅や息子、親戚などの「電話番号や住所」の「確認」を次々と「奥さん」に問い質し、「言って見ろ」と命令口調・・・「奥さん」はミゴトに澱(淀)みなく長い電話番号と、住所を答えていた・・・リハビリなのだろう・・・その後の「会話」はボクの聴覚には「?」だったが・・・「老夫婦」・・・微笑ましい・・・
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 枕草子
 (一五一段)・・・百五十一段・壱佰五拾壱段・壱五壱段・陌伍足壱段
          1+5+1=7=七=漆
          1×5×1=5=五=伍

 きよ・・・・・・寄与・紀代・紀余(系図一巻)・記予(序)
 しと・・・・・・使途・使徒・詞賭・史渡
 見ゆる・・・・・視諭留
 もの・・・・・・模埜
 土器。・・・・・土記→風土記・怒気・土岐・時・退き
         土器→十一(壱拾壱)の討つ話
            十一(足一・重一)→十市(姫)
 新しき鋺・・・・新しき湾(新磯城の湾)
         新式の腕=アームストロング(Armstrong)砲
              強腕・豪腕
         アームストロング(Neil Alden Armstrong)
         アメリカ合衆国の海軍飛行士
         ジェミニ11号のバックアップ・クルー船長
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  新・・・・・・・あらた・あたらしい・シン
          辛+八+斤・シン・あらた・あたらしい
          立+十+八+斤(おの・キン・コン)

  しき・・・・・・識・始期・四季・死期・史記・子規
  鋺。・・・・・・かなまり・エン・オン
               ヲン・ヱン
               ワン
          金+宛→「金・欽・金武・筋・禁・禽
               琴・巾・芹・謹・菌・今・錦」
               を宛てる
               金武湾
               沖縄本島中央部東岸
               勝連半島平安座島、宮城島、
               伊計島、金武岬に囲まれた湾
               ↓
               金角湾(Golden Horn
               トルコ(土耳古)の
               イスタンブルにある湾
               トルコ語は(ハリチュ・ハリチ)
              「入り江」の意
               ↓
‎               金角湾
               ロシア・ウラジオストクにある湾
               ロシア語は
               ブーフタ・ザラトーイ・ローク
               ウラジオストクにある入り江
               ムラヴィヨフ=アムールスキー半島の
          ↓    先端に角状に細長く切れ込む
          仮名真理
          掛訛り
          化鉛←ウラン
ーー↓
 疊・・・・・・・たたみ・ジョウ・・・田+冖+且→宜
         多々視 上・帖・條・定・常・場
         他々観 貞・聶・娘・靜・丈・茸
             譲=高野長英=悦三郎・瑞皐
 に・・・・・・・似・荷・丹・邇・爾・弐・児・尼
 さす・・・・・・挿す・射す・指す・注す・刺す・差す
         点す・鎖す・砂州・砂洲
 薦。・・・・・・こも・すすめる・むしろ・セン
         薦  進 める 寧   撰 
         菰  薦 める 筵   選
         胡模 勧 める 蓆   宣
         虎模 奨 める 莚   潜
 水を・・・・・・瑞緒「見ず・実事・未図・巳頭」於
 物に・・・・・「仏・佛・打・勿」に
 入るる・・・・・意縷々・伊縷々・異瑠留
 透影。・・・・・すきかげ・トウエイ
         投影・灯影・冬営・東栄・透英
         当英
         透=すく・すかす・トウ→唐・問・答
         透=秀+辶
         影=景+彡
 新しき・・・・・
 細櫃。・・・・・ほそびつ
         サイギ      サイキ
         猜疑・再議・祭儀 再起・再帰・才気
                  祭器・斎木・佐伯
                     斎記・催奇
         細長い小形の唐櫃(からびつ・トウギ)
               米櫃(こめびつ・マイギ)
                箱(はこ・ショウ・ソウ)
         ・・・・・・「箱館」をナゼ、
               「函館」にしたんだろう?
                ↓
           古名はアイヌ語
          「ウスケシ」・・・湾の端
          「宇須岸」
          「臼岸」
          「ウショロケシ」・湾の端
          「ウショムケモシリ」=海潮を受ける飛島
           室町時代
           享徳三年(1454年)
           津軽の豪族
           河野政通が
           宇須岸(ウスケシ)と呼ばれていた
           漁村に館を築き、この館が箱に
           似ているところから
          「箱館」と呼ばれた
           南部氏との戦いに破れた
           津軽の豪族
           安東政季を擁し、
           武田信広らと共に蝦夷地に渡った
           河野政通が、
           函館山の麓(弥生町付近)に築いた館
           ↓
           明治二年(1869年)
           蝦夷地を「北海道」と改めたおり
          「函館」と
           記録されるようになった
           らしいが・・・
           地名記録の変更説明が無い?
           安政六年(1859年)
           日米通商友好条約で
           横浜・長崎と共に
           日本で最初の対外国貿易港
           ↓
           箱(はこ・ショウ・ソウ)
           ↓
           函=凾(はこ・カン・ゴン)
           函=豕(いのこ・ぶた・シ)+凵
           凾=了(おわる・リョウ)→ア?
             +
             口(くち・く・コウ)
             + or 国=國=六合
             又(また・ユウ・ウ)→右手・ヌ=ぬ
             + 股・足・脚・肢
             凵(カン・コン)
             ↓
             国(囗)の主(又)の
             終(了)わりの
             観構え(凵)
             陥落
             ↑      ↑
           凵部(かんぶ)→幹部・奸部・患部・感部
           ↓
           康熙字典
           214部首では
           十七番目に置かれる
          (二画の十一番目)
          「説文解字」では
          「口をおおきく開いた様子に象る」
          「坎」の本字で
          「陥没した地面に象る」とも・・・
           くぼむ・欠ける・コン・ケン·カン
          「かんにょう→換如・漢女→寛恕
           かんがまえ→奸釜(鎌)間得(真重)
                 (釜次郎)=榎本武揚
                 (中臣鎌子)=藤原鎌足
                   臣=とみ・見張る
                     登美=富
                     登美能那賀須泥毘古
                     富→富士
                  巻が前(古事記・序文)
                  艦が前・艦構え
                  漢河(銀河・金河・天河)間江
                  ミルキーウエィ(Milky Way
           うけばこ→誓場拠・受箱・請箱・筌箱
                有卦葉故」
           上が空いた字形
           凵→凹(くぼみ・へこみ・オウ・ヨウ)
               くぼみ→久保視→大久保利通
               へこみ→兵児看(帯)→西郷隆盛
          「説文解字・巻二」では「口を張るなり」
           口を開けた様子の象形
           凵(カン)と函・坎・臽などが
           音・義が通じることから、
           たて穴や箱の象形とする説がある・・・
           カン(漢音)、訓読みは、
          「はこ・つちあな」は訓読み
          「穴や箱などを表す(説文解字)」
          「漢字部首(康煕字典)」では
          「かんにょう・うけばこ」とヨム・・・
         ↓           
         細=糸(幺小)+田(囗十)
           ほそい・サイ
         櫃=木(十八)+匚+貴(中一目ハ)
           ひつ・ギ(グヰ)・キ(クヰ)
           筆    愚意   句意
           比津 着・比津 岐
           日 嗣(ひつぎ→棺・柩)
           比通義・秘通義・弼義
                   ↓
                  輔弼
          「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」
           (明治憲法・第55条第1項)
                井伊直弼彦根藩主・大老
                桜田門外の変
        −−↓
        函館湾は「魚の尾鰭
                  尻尾の形V or ∧
               or Y(y)字形の逆字λ・人」
        函立(函館・五稜郭
        ↓
        函数=関数・function(機能・働き・作用)
           二つの変数x、yがあって、
           xの値が決まると、
           それに対応してyの値が一つ決まるとき、
           yはxの函数であるという
           y=f(x)
             fの函の中xの数値次第でyが決まる
           xを独立変数といい、
           二つ以上のこともある
           ↓
          「y(維新・戊辰戦争)」は
          「f(函・箱館)」の中の
          「x(幕府残党・奥羽諸藩・六合→陸奥合)」の
           数(和)の値(あたい)次第で決まる
          「Y(ワイ)」は
           漢字の「Y(ア・ふたまた・揚巻)」
               ↓
           二股口の戦い
           土方歳三の指揮下、衝鋒隊・伝習隊の
           300名が
           四月十日に
           台場山に到着
           二日がかりで
           十六箇所に胸壁を構築
           十三日正午過ぎ、
           700名の新政府軍が攻撃を開始
           十四日早朝
           新政府軍は稲倉石まで撤退
           二十二日
           新政府軍の再度攻撃を、土方軍は撃退
           二十三日午後
           新政府軍は急峻な山をよじ登り、
           側面攻撃
           二十四日未明
           瀧川充太郎率いる伝習士官隊が
           抜刀突進、新政府軍は敗走
           二十五日未明
           新政府軍は撤退
           新政府軍は二股口を
           迂回する道を山中に切り開く
           四月二十九日
           土方軍は五稜郭へ撤退
           ↓
      箱館湾戦争
      明治二年四月九日(1869年5月20日)
      明治政府軍の蝦夷上陸から
      6月20日(旧暦五月十一日)まで
      箱館戦争の間に箱館湾で行われた海戦
ーーーーーー↓↑
      慶応四年(1868年)
      四月    慶応四年一月一日を
      ↓     明治元年とすると定め
      榎本は新政府への軍艦の引渡しに応じず、
      艦隊を館山沖へ移動
      勝海舟の説得で、
      富士山丸など数隻を引渡すが、
      奥羽越列藩同盟から支援要請で
      八月二十日
      開陽丸を旗艦として8隻からなる
      開陽・蟠竜・回天・千代田形の軍艦四隻
      咸臨丸・長鯨丸・神速丸・美賀保丸の運送船四隻
      で品川沖を脱出、仙台を目指した。
      榎本艦隊には、
      若年寄・永井尚志、
      陸軍奉行並・松平太郎
      などの重役の他、
      大塚霍之丞や
      丸毛利恒など
      彰義隊の生き残り
      人見勝太郎や
      伊庭八郎などの遊撃隊、
      旧幕府軍事顧問団の一員だった
      ジュール・ブリュネと
      アンドレ・カズヌーヴらフランス軍人など、
      総勢2,000余名
      咸臨丸・美賀保丸の2隻を失う
      九月中頃
      仙台東名浜沖に集結
      奥羽越列藩同盟は崩壊
      米沢藩仙台藩会津藩庄内藩が降伏
      ↓
      軍艦・富士山
      1864年に幕府が南北戦争中の
      アメリカに二十七万一千ドル
      (内、回航費用は三万一千ドル)で発注
      ニューヨークで建造
      1865年に完成した最新鋭大型艦
      原名「エド(江戸)」号
      将軍の座乗艦
      慶応二(1866)年の第二次長州征伐に参加
      六月七日には大島郡の占領に従事
      備砲のパーロット砲が破裂
      高杉晋作
      オテントサマ号に夜襲を受けた
      七月三十日には小倉口にも出陣し、
      小倉城から逃走する幕府軍司令官
      小笠原長行が乗船
      戊辰戦争
      大坂で新選組近藤勇
      負傷兵を収容して江戸に退却
      新選組隊士
      山崎烝が戦傷死し水葬
      明治維新
      慶応四(1868)年
      六月には
      平潟砲撃に参加
      磐城平藩軍事方
      山田省吾がただ一人沿岸の
      四斤山砲で反撃
      砲弾により
      富士山は機関部を損傷
      九月二日に
      駿河国清水港に
      逃げ込んだ
      咸臨丸を捕獲する為に派遣
      東京湾の警護で活躍
ーーーーー
 ・・・幕末明治の国内海戦・・・マクラのソウシ・・・