1247日目・・・チョコレート、「花梨等」、「駄菓子」、甘い物は何でも大好きだけれど・・・人生、そんなにアマイモノではない・・・喰えるうちが人生である・・・時たま硬い花梨等を買って、口にして歯応え、噛み砕きに「シマッた」と・・・「銅鑼(ドラ)焼き」とか、「今川焼き」は軟らかく美味しいけれど、咽喉に詰まる・・・「花梨等」はナゼか「糖」ではなく、「等」である・・・「花(はな)の梨(なし)」が「等しい」とは?・・・

ーー↓ウィキペディア
 「カリン(榠樝=メイサ(meisa)・学名はChaenomeles sinensis)」は
 バラ科の落葉高木で、果実はカリン酒などの原料
 マメ科の「カリン(花梨)」とは全くの別種・・・?
 「榠」=「呉音→ミョウ(ミャゥ)・漢音→メイ(メィ)」
 「樝」=「こぼけ・サ・シャ」=木+虍+且
 の漢字使用には
 「山樝子」=さんざし=「山査子」と言う「健胃・整腸」の薬草名がある
 「呆け・惚け・暈け」で、ボケ・・・
 「ボケ属」としての表記が多いが、
 「C. K. Schneider」 は「カリン属として一属一種」説を発表している。
 「マルメロ属」の果実も
 「かりん」と称されることがあるが、
 正しくは「マルメロ」である(ウィキペディアの説明)・・・
 ・・・「ボケ」に効くのか、利かないのか・・・ボケを装って、聴衆、観衆、観客をマルメろ・・・なんだか・・・
 「カリン(榠樝)」の
 別名は
 「安蘭樹(アンランジュ)」
  中国では
 「木瓜(モッカ)」と書く・・・きうり、胡瓜、窮理、究理だろう・・・
  ボケ属の学名は
  ギリシャ語の
 「chaino(カイノ・開ける)」+「melon(リンゴ)」が語源
 「裂けたリンゴ(林檎)」の意味・・・?・・・「梨(pear・a pear tree)」じゃぁないんだ・・・漢語の「梨子(ライシ)」の転じたもの・・・楊貴妃の食べた「ライチ=レイシ(荔枝・茘枝・Litchi chinensis)」は「梨子」とはチガウヨナッ・・・「ナシ」は「忌み言葉」であるらしいが泥棒よけに鬼門の方角に植えて「鬼門無し」と、したとか・・・
 ・・・「カイノ=開ける」と「裂ける」は異なるコトバだと思うが・・・「甲斐、之」、「割ける・避ける」・・・で、「甲斐=武田家臣団、之、サケル」・・・?
 漢字の見た目が似ているけれど
 「梨(利+木)」→「裂(列+衣)」・・・?
 共通文字は「り」だけ・・・
  ↓
 「生薬名」を
 「和木瓜(わもっか)」
 (和木瓜を「ボケ」や「クサボケ」、あるいは
  カリンを「木瓜(もっか)」とする人もいる)
  日本薬局方外生薬規格に於いては
 「カリンの果実」を「木瓜」と規定
  日本の市場で「木瓜」として
  流通している実は
 「カリン(榠樝)」である・・・らしい・・・
 古くから民間療法で
 咽喉の炎症を抑える、咳止め、利尿に利用
 種子に含まれる
 アミグダリンの
 加水分解した成分
 ベンズアルデヒドが、咳止効果
 (ただし、アミグダリンは加水分解
  猛毒の
  シアン化水素も発生)・・・
 ・・・能登(能都)の
 ・・・延焼(煙硝・焔硝・艶笑)
 ・・・編み愚拿臨(アミグダリン)、
    仮推(加水・化垂・可推)した
    成文が(成分・正文・聖文・精分)
    弁ず、有る出、比度(ベンズアルデヒド)・・・?
    籍賭目考課(咳止効果・堰留高架)
 ・・・思案・試案・私案(シアン化水素)・・・?
  ↓
 「マルメロ属」の果実も「かりん」・・・
  マルメロの名前は、
  ポルトガル語の「Marmelo」 を
  英語読みしたもの
 「マーマレード」の語源は、
 「マルメロ」らしい・・・
 長野県の
 諏訪地方の・・・諏訪タイヘン
 特産品で、
 ここでは
 「マルメロ」のことを
 カリンと呼ぶ・・・
 出雲から逃げてきた大国主の子供の
 「諏訪地方」ですか・・・
 ↓
 薔薇(ばら)科
 学名
 Chaenomeles sinensis(中国の)
 Chaenomeles(ボケ属)
  Chaenomeles
 (カエノメレス)は、・・・?
  変、之、目、例、諏・・・?
 ギリシャ語の
 「chaino(開ける)」+「melon(リンゴ)」が
 語源で、
 「裂けたリンゴ」の意味・・・?
 ・・・「melon」は「甜瓜(メロン・檸檬)で、
 檸檬(レモン)・・・
ーー↓
 チョコレートは明治・・・だろう・・・
 ↓
 知古辣、知古辣他、貯古齢糖、貯古令糖、貯古冷糖、
 猪口齢糖、猪口令糖、猪口冷糖、千代古齢糖、血汚齢糖
 「貯古齢糖(チョコレート)」
 東京・両国
 若松町にあった
 米津風月堂(東京風月堂)店主
 米津松造氏が
 明治十一年(1878年)
 十二月二十四日の・・・・実記印刷記録示・・・
 「かなよみ新聞」に・・・仮名読新聞・・・
 チョコレート(猪口令糖)の
 広告(コマーシャル)で
 「当て字」にしたモノらしい・・・
 別のブログ記事には
 日本でチョコレートが、
 初めて販売されたのは
 明治十年(1877年)頃
         ・・・コロはアバウト(推理・推測)・・・
 ・・・駄菓子で、「拿可視」であろうか・・・
 ・・・「今川焼き」は咽喉に詰まって噎(む)せるが
 「手習い、手本の原点」である・・・「今川」はコンセンである・・・
 ↓
 今川義元(氏元)
 ↓
 永正十六年(1519年)
 今川氏親
 五男として生まれる
 母は
 寿桂尼
 (中御門宣胤の娘)・・・宣胤(センイン)
 四歳で仏門
 臨済宗駿河富士郡瀬古の
 善徳寺に預けられ
 栴岳承芳(せんがくしょうほう)
 梅岳承芳(ばいがくしょうほう)
 と称し、
 教育係の
 臨済
 太原雪斎と共に京都に上り、
 五山に学ぶ
 駿河に戻り
 天文五年(1536年)に
 今川氏輝が急死後に
 還俗し
 征夷大将軍
 足利義晴より偏偉を賜り、
 義元と名乗って家督を継ぎ
 駿河国及び遠江国守護大名
 今川氏
 第十一代当主となった。
 武田信玄
 北条氏康とは義兄弟にあたる
 弘治元年(1555年)
 第二次
 川中島の戦い
 武田晴信長尾景虎との
 両者を仲介し和睦を成立させた
 天文二十二年(1553年)
 二月には
 大永六年(1526年)四月に
 今川氏親が定めた家訓
 三十三条からなる
 「仮名目録」を
 分国法として
 「仮名目録追加二十一条」を制定補訂
 寄子の扶養に関する保護規定など
 社会保障制度に類似のものも記載・・・?
 ↓
 家訓(カクン)
 子孫の戒めとして家の当主が書き残して与えた
 手本は中国の
 「顔氏家訓」などで、家族の道徳を述べたものが、
 日本に移植されたもの
 天文二十三年(1554年)
 甲相駿(コウソウスン)三国同盟
 甲斐・相模・駿河
 武田信玄北条氏康今川義元
 三者の合意の和平同盟
 善徳寺の会盟とも呼ばれている
ーーーーー↓
 足利学校
 遺蹟図書館
 蔵書約三万二千冊
 古書約一万七千冊
 郷土資料約四千冊
 日本史関係等参考図書約一万冊
 古書は、宋版(南宋時代の刊本)や
 室町時代の写本を多く含み、
 足利文庫、足利学校
 足利市の歴史に関する資料がある
 宋刊本文選(金沢文庫本)二十一冊
 南宋刊本(金沢文庫に蔵されていたもの)を
 1560年(永禄三年)に
 後北条氏足利学校に寄進
 宋版礼記正義三十五冊
 宋版尚書正義八冊
 五経正義の南宋刊本
 上杉憲実が足利学校の公用に寄進した旨の墨書
 宋版周易註疏十三冊
 南宋刊本・・・上杉憲実の子、上杉憲忠の寄進
 足利学校旧鈔本四種十九冊
 「周易」五冊
 「周易伝」三冊
 「古文孝経」一冊
 「論語義疏」十冊
 室町時代中に足利学校
 教科書として使用するため
 刊本から書写した写本
 宋刊本附釈音毛詩註疏三十冊
 「毛詩正義」の南宋刊本(上杉憲実寄進)
 宋刊本周礼二冊
 南宋刊本(1449年に足利学校に寄付の墨書)
 宋刊本附釈音春秋左伝註疏二十五冊
 「春秋正義」の南宋刊本(上杉憲実寄進)
 宋版唐書列伝残巻二十二冊
 上杉憲実が足利学校に寄進した
 「新唐書」の南宋刊本残巻は
 長澤規矩也によって足利学校に戻された
ーー↓
 「今川状」・・・いまがわ状
  コンセンジョウ・・・
  キンセンジョウ・・・
 今川了俊が弟の仲秋に与えた家訓
 二十三か条の道徳訓
 江戸時代に子供の
 手習い本、
 修身書とされた
  ↓
 女今川寳種
 女今川系の女性向け教訓書の典型例の一
 体裁は、本文と頭書との二段組を取っている
 本文は、
 「女今川」
 「四行×六字」の漢字仮名混じり文
 手習いの手本用として用いられたもの・・・
ーー↓
 ?・・・大塩平八郎←徳川←吉良←今川←足利←源氏(源字)・・・
 ・・・徳川家臣団には←旧武田家家臣団が臣従した
 ・・・そして、「会津」で・・・「合図」で「合通」である・・・ 
ーーーーー
 枕草子
 (一四一段)・・・百四十一段・壱佰四拾壱段・壱四壱段・陌肆足壱段
          1+4+1=6=六=陸
          1×4×1=4=四=肆

 圓融院の御はての年、
 (塩結う音の音葉出之賭詞)
 皆人御服ぬぎなどして、
 (解字務、音、伏、抜き→貫き、等詞出)
 (怪人→甲斐人→海神→灰塵)
 あはれなる事を、
 おほやけより始めて、
 院の人も、
 花の衣になどいひけん
 世の御事など思ひ出づるに、
 雨いたう降る日、
 藤三位の局に、
 (ふじさんみ、之、つぼね、爾)
 (附字纂視、詞、通補音、字)
 (問う、纂句等意、廼、虚句、似)
 蓑蟲のやうなる童の、
 (視、之、務詞、埜、用名留、話等部之)
 (美濃、武士→無死→務史、
         之、家有拿留、
              話等辺埜)
 大なる木の
 (代拿留紀埜)
 しろきに
 (史賂紀爾)
 たて文をつけて、
 (他出史於通化氐→弖→出)
 「これ奉らん」
 (古例、多磨→多摩→球磨、覧→乱)
 といひければ、
 「いづこよりぞ、
  今日明日
  御物忌なれば、
  (音、摸の意味、拿例場)
  御蔀もまゐらぬぞ」
  (音部摸、真意等奴措→曾→蘇)
  (蔀=しとみ・おおい・ブ・ホウ)
     詞渡視・多 意・分・法
 とて、
 しもは
 (史摸葉)
 立てたる
 蔀のかみより取り入れて、
 (蔀=しとみ・ブ・ホウ)=艸+部
ーー↓
 暦法
 一年365日4分の1(1/4)
 19年を・・・・壱拾九念・・・
 「章」とし、
 七閏月を置き・・・閏月は二重の月
 四章を・・・・・・
 「蔀(ブ・ホウ・しとみ・被い板)」とし、
          大分(おおいた)
 二十蔀を・・・・・弐拾蔀(艸+部)
          似拾  草 部
 「紀」、・・・・・日本書紀→紀年体
 「三紀」を・・・・纂記
 「元」とした・・・「元」→本
 (後漢書・律歴志下)
ーーーー↓
 旧約聖書
 レビ記・第19章(CHAPTER 19)
 レビは
 ヤコブの三男の名前
 ヤコブの12部族の祖
 レビの子孫がレビ族
 レビ族の「アロンとその子ら」が、
 イスラエルの祭司職になった
 掟・律法・法令・憲法
 守るべき生活規範(規矩)条文
  ↓
 ヘブライ語は「ワイクラー」・・・歪句等蛙
 から始まり
 「神は呼ばれた」の意味
 旧約聖書
 第三巻に収録
 書名はなく、
 「主が、モーセを呼び寄せ仰せられた」
 で、始まる
  ↓
 第19章(CHAPTER 19)
 1.ヱホバ、またモーセに告て言(いひ)たまはく
 2.汝(なんぢ)イスラエルの子孫(ひとびと)の
  全會衆(ぜんくわいしう)に告(つげ)てこれに言へ
  汝等(なんぢら)宜(よろし)く
  聖(きよく)あるべし
  其(そ)は我ヱホバ汝らの神(かみ)
  聖(きよく)あればなり
 3.汝等、各々(おのおの)その母とその父を畏(おそ)れ
  また吾(わ)が安息日(あんそくにち)を守るべし
  我は汝らの神ヱホバなり
 4.汝等、虚(むなし)き物を恃(たの)むなかれ
  また汝らのために神々を鋳(い)造(つく)ることなかれ
  我は汝らの神ヱホバなり
 5.汝等、酬恩祭(しうおんさい)の犠牲(いけにへ)を
  ヱホバに献(さゝ)ぐる時はその受納(うけいれ)らるゝやうに
  献(さゝ)ぐべし
 6.之(これ)を食(くら)ふことは、之を献ぐる日と
  その翌日に於(おい)てすべし若(もし)殘りて
  三日にいたらばこれを火に燒(やく)べし
 7.もし第三日(みつかめ)に少(すこし)にても
  之(これ)を食ふことあらば是(これ)は
  憎(にく)むべき物となりて受納(うけいれ)られざるべし
 8.之を食ふ者はヱホバの聖物(きよきもの)を
  汚(けが)すによりてその罰(ばつ)を
  蒙(かう)むるべし即(すなは)ちその人は
  民の中(うち)より絶(たち)さられん
 9.汝その地の穀物を穫(かる)ときには
  汝等その田野(たはた)の隅々(すみずみ)までを
  盡(ことごと)く穫(かる)可(べか)らず
  亦(また)汝の穀物の遺穂(おちぼ)を拾(ひろ)ふべからず
 10.また汝の菓樹園(くだものばたけ)の菓(くだもの)を
  取(とり)つくすべからずまた汝の
  菓樹園に落(おち)たる菓(くだもの)を斂(あつ)むべからず
  貧者(まづしきもの)と旅客(たびゞと)のために
  これを遺(のこ)しおくべし
  我は汝らの神ヱホバなり
 11.汝等、竊(ぬす)むべからず偽(いつはる)べからず
  互(たがひ)に欺(あざむ)くべからず
 12.汝等、わが名を指(さし)て
  偽(いつは)り誓(ちか)ふべからず
  また汝の神の名を汚(けが)すべからず我はヱホバなり
 13.汝の鄰人(となりびと)を虐(しへた)ぐべからず
  またその物を奪(うば)ふべからず
  傭人(やとひゞと)の値(あたひ)を明朝(あくるあさ)まで
  汝の許(もと)に留(とゞ)めおくべからず
 14.汝、聾者(みゝしひ)を詛(のろ)ふべからず
  また瞽者(めしひ)の前に礙物(つまづくもの)を
  おくべからず汝の神を畏(おそ)るべし
  我はヱホバなり
 15.汝、審判(さばき)をなすに方(あた)りて
  不義(ふぎ)を行(おこ)なふべからず
  貧窮者(まづしきもの)を偏(かたよ)り護(まもる)べからず
  權(ちから)ある者を曲(まげ)て庇(たす)くべからず
  但(たゞ)、公義(たゞしき)をもて
  汝の鄰(となり)を審判(さばく)べし
 16.汝の民の間(うち)に往(ゆき)めぐりて
  人を謗(そし)るべからず
  汝の鄰人(となりびと)の血をながすべからず
  我はヱホバなり
 17.汝、心に汝の兄弟を惡(にく)むべからず
  必ず汝の鄰人を勸戒(いまし)むべし
  彼の故(ゆゑ)によりて
  罪を身にうくる勿(なか)れ
 18.汝、仇(あた)をかへすべからず
  汝の民の子孫(ひとびと)に對(むか)ひて
  怨(うらみ)を懐(いだ)くべからず
  己(おのれ)のごとく汝の鄰(となり)を愛すべし
  我はヱホバなり
 19.汝ら、わが條例(のり)を守るべし
  汝の家畜(かちく)をして異類(いるゐ)と
  交(まじは)らしむべからず
  異類(いるゐ)の種(たね)をまぜて
  汝の田野(はたけ)に播(まく)べからず
  麻(あさ)と毛をまじへたる
  衣服(ころも)を身につくべからず
 20.凡(およ)そ、
  未(いま)だ贖(あがな)ひ出(いだ)されず
  未(いま)だ解放(はなた)れざる奴隸(どれい)の
  女にして夫(をつと)に
  適(ゆ)く
  約束をなせし者あらんに人
  もしこれと交合(かうがふ)しなば
  その二人を鑓責(いまし)むべし
  然(され)ど之(これ)を殺すに及ばず
  是(これ)、
  その婦(をんな)
  いまだ解放(はなた)れざるが故(ゆゑ)なり
 21.その男は愆祭(けんさい)を
  ヱホバに携(たづさ)へきたるべし
  即(すなは)ち愆祭の牡羊(をひつじ)を
  集會の幕屋の門(かど)に牽(ひき)きたるべきなり
 22.而(しか)して、祭司(さいし)
  その人の犯(をか)せる罪のために
  その愆祭の牡羊をもて
  ヱホバの前に
  これがために贖罪(あがなひ)をなすべし
  斯(かく)せば、
  その人の犯(をか)せし罪(つみ)赦(ゆる)されん
 23.汝等、かの地にいたりて
  諸(もろもろ)の果實(くだもの)の
  樹を植(うゑ)ん時は
  その果實をもて
  未(いま)だ割禮(かつれい)を
  受(うけ)ざる者と見做(みなす)べし
  即(すなは)ち
  三年の間、
  汝等これをもて
  割禮(かつれい)を受(うけ)ざる者となすべし
  是(これ)は食(くら)はれざるなり
 24.第四年には
  汝らそのもろもろの果實を聖物(きよきもの)となし
  これをもてヱホバに感謝の祭を爲(なす)べし
 25.第五年に汝等、
  その果實を食ふべし
  然(しか)せば汝らのために多く實(み)を結ばん
  我は汝らの神ヱホバなり
 26.汝等、何をも血のまゝに食ふべからず
  また魔術を行ふべからず
  卜筮(うらなひ)をなすべからず
 27.汝等、頭(かしら)の鬢(びん)を
  圓(まる)く剪(きる)べからず
  汝、鬚(ひげ)の兩方を損(そん)ずべからず
 28.汝等、死(しぬ)る人のために
  己(おの)が身に傷(きずつ)くべからず
  また、その身に刺文(ほりもの)をなすべからず
  我はヱホバなり
 29.汝の女子(むすめ)を汚(けが)して
  娼妓(あそびめ)の業(わざ)をなさしむべからず
  恐(おそら)くは
  淫事(いんじ)、國(くに)におこなはれ
  罪惡(ざいあく)、國(くに)に滿(みち)ん
 30.汝等、わが安息日(あんそくにち)を守り
  わが聖所(きよきところ)を敬(うやま)ふべし
  我はヱホバなり
 31.汝等、憑鬼者(くちよせ)を恃(たの)むなかれ
  卜筮師(うらなひし)に問(とふ)ことを爲(なし)て
  之(これ)に身を汚(けが)さるゝなかれ
  我は汝らの神ヱホバなり
 32.白髮の人の前には起(たち)あがるべし
  また老人(としより)の身を敬(うやま)ひ
  汝の神を畏(おそ)るべし
  我はヱホバなり
 33.他國(よそぐに)の人、汝らの國に寄留(やどり)て
  汝とともに在(あら)ば、これを虐(しへた)ぐるなかれ
 34.汝等とともに居(を)る他國の人をば
  汝らの中間(うち)に生れたる者のごとくし
  己(おのれ)のごとくに之(これ)を愛すべし
  汝等もエジブトの國に
  客たりし事あり
  我は汝らの神ヱホバなり
 35.汝等、
  審判(さばき)に於ても
  尺度(ものさし)に於ても
  秤子(はかり)に於ても
  升斗(ます)に於ても
  不義(ふぎ)を爲(なす)べからず
 36.汝等、
  公平(たゞし)き秤(はかり)
  公平(たゞし)き錘(おもり)
  公平(たゞし)きエパ
  公平(たゞし)きヒンを
  もちふべし
  我は汝らの神ヱホバ
  汝らをエジブトの國より導き出(いだ)せし者なり
 37.汝等、
  わが一切(すべて)の
  條例(のり)と
  わが一切(すべて)の
  律法(おきて)を守りて
  これを行(おこな)ふべし
  我はヱホバなり
ーーー↓
 ヨベルの年(25章)
 第七月の新年祭
 その十日に大贖罪日の祭り
 七年目ごとに土地を安息させるサイクル
 49年目の安息年の翌年、
 第50年目の大贖罪日
 この年が「ヨベルの年」
 (ヨベルとは「雄羊の角」の意味)
 7年×7回=49年目(安息が完成する年)
 土地の休耕
 ヤハウェ
 「わたしは
  六年目にあなたたちのために祝福を与え、
  その年に
 三年分の収穫を与える」
  果樹の剪定なども禁止
 売却や担保となっていた土地が元の持ち主に戻る
 土地を買い戻す権利
 ヨベルの年は奴隷の解放
ーー↓枕草子
 さなんとはきかせ奉らず、
 「物忌なればえ見ず」
 とて、
 上についさして置きたるを、
 つとめて手洗ひて、
 「その卷數」
 と
 こひて、
 伏し
 拜みて
 あけたれば、
 胡桃色といふ
 (句留視、意賂、問、譜)
 色紙の厚肥えたるを、
 あやしと見てあけもてゆけば、
 老法師の
 いみじげなるが手にて、

   これを
   だに
かたみと
思ふに
都には
   葉
   が
   へ
   や
   し
   つる
   しひ
   しばの袖

 とかきたり。
 あさましく
 ねた
 かり
 ける
 わざ
 かな。
 誰がしたるにかあらん。
 仁和寺の僧正のにやと思へど、
 よもかかる事のたまはじ。
 なほ誰ならん。
 藤大納言ぞ
 かの院の別當におはせしかば、
 そのし給へる事なめり。
 これをうへの御前、
 宮などに、
 疾う
 きこしめさせばやと思ふに、
 いと心もとなけれど、
 なほ恐しう言ひたる
 物忌をしはてんと
 念じくらして、
 まだつとめて、
 藤大納言の御許に、
 この御返しをして
 さしおかせたれば、
 すなはち
 又
 返事しておかせ給へりけり。

 それを二つながら取りて、
 急ぎ參りて、
 「かかる事なん侍りし」と、
 うへもおはします御前にて語り申し給ふを、
 宮はいとつれなく御覽じて、
 「藤大納言の
  手のさまにはあらで、
  法師にこそあめれ」
 との給はすれば、
 「さはこは誰がしわざにか。
  すきずきしき上達部、
  僧綱などは誰かはある。
  それ
  にや
  かれ
  にや」
 など、
 おぼめきゆかしがり給ふに、
 うへ
 「このわたりに見えしにこそは、
  いとよく似ためれ」
 と打ちほほゑませ給ひて、
 今一すぢ
 御厨子
 もとなりけるを、
 取り出でさせ給へれば、
 「いであな心う、
  これおぼされよ、
  あな頭いたや、
  いかで聞き侍らん」
 と、
 ただせめに責め申して、
 恨み聞えて笑ひ給ふに、
 やうやう仰せられ出でて、
 「御使にいきたりける
  鬼童は、
 (鬼道、頗)
  臺盤所の・・・台盤所(ダイバンジョ)
         台盤を置く所
         清涼殿の一室で女房の詰め所
         食物を調理する台所
         大臣・大将など貴人の妻の称
         奥方
         御台所(みだいどころ)。
        (臺=うてな・タイ・ダイ)
        (臺→台=お膳台)
ーー↓
  刀自と
  いふものの供なりけるを、
  小兵衞が語ひ出したる
  にや
  ありけん」
 など仰せらるれば、
 宮も笑はせ給ふを、
 引きゆるがし奉りて、
 「など
  かく
  謀らせ
  おはします。
  なほ
  うたがひもなく
  手を打ち
  洗ひて
  伏し
  拜み
  侍り
  し
  ことよ」
 と笑ひねたがり居給へるさまも、
 いとほこりかに愛敬づきてをかし。
 さてうへの
 臺盤所にも
 笑ひののしりて、
 局におりて、
 この童尋ね出でて、
 文取り入れし
 人に見すれば、
 「それにこそ侍るめれ」
 といふ。
 「誰が文を、
  誰がとらせしぞ」
 とい
 へば、
 しれじれと
 うち笑みて、
 ともかくも
 いはで走りにけり。
 藤大納言
 後に聞きて、
 笑ひ
 興じ
 給ひ
 けり。
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