1225日目・・・雨が降ったり止んだり、日が射したり・・・ジャガイモ十ヶ、キュウリ三本、トマト二ヶ・・・芙蓉の花が五、薔薇四・・・「シルビア」だと思っていたのはどうやら「むくげ(槿・尨毛・無垢花)」?・・・去年も花図鑑で調べたハズだけれど・・・スグ忘れる・・・「悪(アク)」=「亜(あまねし・ア)+心(こころ・シン)」がナゼ「わるい・にくい」んだか・・・「亜父(アフ・アホ)」に訊いてみたい・・・ブログのTV番組表をみたら以前見た「アンダー・サスピション・UNDER SUSPICION」を再放送したらしい・
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枕草子
(一一九段)・・・百十九段・壱佰壱拾九段・壱壱九段・佰足玖段
1+1+9=11=十一=壱拾壱=足壱
1×1×9=9=九=玖
繪に・・・・・・・「え・重・獲・得」似
絵=糸+会
繪=糸+會(あう・エ・カイ)
↓類字
曾(かって・ひい・ソウ・ゾ)
曾=曽
曹(ソウ・ゾウ)・遭(あう・ソウ)
曹操・遭遇→曹禺(萬家宝・劇作家)
樊噲(ハンカイ)
范増(ハンゾウ)→鴻門の会
(亜父・アフ・アホ)
かきて・・・・・・・掛記出・書き手・化記出・下記出
おとる・・・・・・・音留
もの・・・・・・・・物(牛になる勿れ
鶏口となるも牛後となる勿れ)
経口となるも偽諭語となる勿れ
蛍光となるも戯遊誤となる勿れ
傾向となるも義愉互となる勿れ
うしになるなかれ
有視爾名留納化例
ーーーーーーーーーーーー↓牛=(ノ−)+(十)→丑(チュウ)
易経六十四卦
其牛掣。其人天且(鼻+リ)。无初有終。
よのひかるるをみる
そのうしひかれ
そのひとかみ(きられ)・・・・?
かつ
はなきらる
はじめなくおわりあり
↓
車が引き戻され、
牛も引き止められて進めず
髪を(切られ)、・・・・?
鼻を切られるような
憂き目に遭う
火沢目癸
其牛掣。其人天且劓。无初有終。
↓
六三
輿の曳かるるを見る。
其の牛、掣(とどめ)られ・・・掣=制+手
其の人、天(かみき)られ・・・天がカミ切られ?
「切られ」はここに記されていない
その人、天(上)に(昇り)
その人、上位にあり
であろうが・・・「髪」ではない
且
且=かつ・しばらく・とりあえず・くわえて
劓(鼻リ=はなきらる)。
「劓=鼻切」の切が「且」で
一文字の
「天」に「切」が
懸かって接続しているとは
無理である・・・
「天=カミをキラレ」は
拡大解釈である・・・
初め无くして終り有り。・・・・結果、よし
↓
見輿曳、・・・輿は「地図」でもある
其牛掣、
其人天
且
「鼻+刀」
無初有終
↓
輿=牛車
曳=ひく
見輿曳
睽(目+癸)=そむく・逆らう
掣=ひきとめる・違う方向に行く
ーーーーーーーー↓睽=目+癸
目が意符
癸が音符
癸(キ)は乖(キ・カイ)の借音
目を乖ける(そむける)
転じて
乖離する・異なる・違(たがう)・・・?
乖(キ)であったとしても「癸」の漢字は
癸(ミズのト)→水が撥(は)ねるで
目の水が撥(は・揆)ねるで、
なみだ(泪・涙・涕)が
目からハジケ出る様であろう
癸の字は「揆(はかる)」、「月経」の意味も・・・?
「揆度(キド・きたく)」
推測する・推し量る・推理・推測
「揆度优劣=優劣を推測する
揆度时势=時勢を推し量る」
「揆」=やり方・方法・はかる・はかりごと
「揆度(きたく)」=やり方
「一揆」=「揆(き)を一 (いつ)にする」
(「孟子・離婁下」)
「説文解字」の説明
「冬時は水土平かにして、揆度すべきなり。
水の四方より流れて地中に入るの形に象る。
癸は壬を承く、人足に象る」
ミズノトはミズノエを継承し、人足にカタチどる
↓
水の途(都・河川)は
雨水(天雨)から継続、継承し、
(字形)は川渡しの「人足=人の足」とする
天竜川の由来
古くは
「麁玉川・広瀬川」、その後、
「天の中川・天竜川」と呼ぶようになった・・・
「三方ヶ原の戦い」の前哨戦
武田信玄、天竜川渡河阻止のため、
家康が3,000軍勢で
天竜川を渡河
武田軍先鋒馬場信房隊が
「一言坂」で殿軍の本多忠勝、大久保忠佐を攻撃
小杉左近も本多隊の後方で攻撃
家康本隊と殿軍は全軍撤退
↓
信濃川と呼ばれているのは新潟県域
長野県は
千曲川(ちくまがわ)と呼称が変わる
新潟湾に注ぐ
河口は
阿賀野川河口に近く、信濃川は新潟の地で
合流して河口を共有していた・・・らしい・・・
↓揆・癸(みずのと・水野賭・視ず能登)?
冬の時期には田畑を平らかに
均(ならし)し、
耕(たがや)し、
四方から水を引き入れる・・・だろう・・・
溌剌(ハツラツ)
撥(バチ・はねる・かかげる)
撥(ばち)=弦楽器(三味線・琵琶)等の弦をハジク
引っ掛け離し、打つヘラ状の道具
桴・枹(ばち・フ・Percussion mallet)は
打楽器(太鼓)を叩く棒
四絃一撥 (シゲンイッパツ)
弦楽器の弦が一斉に掻き鳴らされ、
絹を裂くような物悲しげな音を立てること
撥雲見日 (ハツウンケンジツ)
暗雲に晴れ間の陽射し
心配事が払拭され希望がみえるような様子
撥雲見天 (ハツウンケンテン)
撥乱反正 (ハツランハンセイ)
乱を撥(おさめ)て正に反(かえす)・・・?
乱発を反正で、「撥(おさめる)」ではないだろう
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「水の都」とは「ベニス=ベネチア」だが、
「京都」が「水の都」となったのは
「琵琶湖疏水(びわこそすい)」の完成によってである
琵琶湖の湖水を京都市へ流すために作られた
水路(疏水)である。
「琵琶湖疏水」
1881年(明治十四年)1月19日
北垣国道が京都府知事に2月就任し
京都産業復興と
上水道・灌漑・水運・水車動力確保として
琵琶湖疏水の検討
1883年(明治十六年)5月22日
田邉朔郎(二十二歳)が京都府御用掛に採用
(7月京都着)
1883年(明治十六年)11月
勧業諮問会に起工趣意書提出
1885年(明治十八年)1月29日
琵琶湖疏水起工の特許を指令
1885年(明治十八年)6月2日
起工式・8月6日
第1トンネル竪坑より着工
1889年(明治二十二年)2月27日
第1トンネル貫通
1890年(明治二十三年)琵琶湖疏水を完成
ーーーーーーーー↓治水・利水
・・・以下は「日本史」の「都造営」と「遷都」に関する「類似記事」である・・・「水の都」は奈良にも存在した・・・?・・・河洲、河口付近はスベテが「水の都」で・・・江戸の「八百八町」、「京都の八百八寺」、河川、運河の都は淀川河口の「浪華の八百八橋」の「大坂・大阪・逢坂」でもあるが・・・丘陵地帯でもあった・・・淀川(よどがわ)は、琵琶湖から流れ出る唯一の河川。瀬田川、宇治川、淀川と名前を変えて大阪湾に流れ込む。滋賀県、京都府及び大阪府を流れる淀川水系の本流。
琵琶湖に流入する河川や木津川などを含めた淀川水系全体の支流(支川)数は965本。信濃川(880本)、利根川(819本)・・・
「仁徳天皇」の前方後円墳の外堀は灌漑用水を兼ねたモノ・・・?
当時の代表的な治水遺跡
吉備岡山県岡山市の
津寺遺跡
足守川の旧流路に沿って
約90mにわたり
六千本以上の杭が打ち込まれており、
堤防・護岸の跡・・・最古の治水遺跡の一つ・・・
ーーーーーーーー↓日本書紀・巻第廿六(巻第二十六)
皇極斎明天皇
推古天皇二年(594年)
〜
斉明天皇七年七月二十四日(661年8月24日)
第三十五代天皇(四十九歳)
在位
皇極天皇元年一月十五日(642年2月19日)
〜
四年六月十四日(645年7月12日)
重祚
第三十七代斉明天皇(齊明天皇・六十二歳)
在位
斉明天皇元年一月三日(655年2月14日)
七年七月二十四日(661年8月24日)
諱は寶女王(たからのひめみこ、たからのおおきみ・宝皇女)
後世の尊称・・・?
和風諡号は
天豊財重日足姫天皇
(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)
敏達天皇の
皇子・押坂彦人大兄皇子の王子
茅渟王の第一王女
母は
吉備姫王
高向王(用明天皇の孫、父は不詳)と結婚
漢皇子を産んだ
舒明天皇二年一月十二日(630年3月1日)
三十七歳で舒明天皇の皇后
舒明天皇との間に、
中大兄皇子(天智天皇)
間人皇女(孝徳天皇の皇后)
大海人皇子(天武天皇)を産んだ
皇極天皇元年
一月二十九日(642年3月5日)
阿曇比羅夫が百済の弔使を伴って帰国
四月八日(5月12日)
追放された
百済の王族、
翹岐が従者を伴い来日
七月二十五日(8月25日)
蘇我蝦夷が雨乞いのため
大乗経典を
転読させた
微雨のみで効果がなかったので二十九日中止
八月一日(8月31日)
天皇が天に祈ると雷が鳴って大雨が降り、五日間続いた
九月三日(10月1日)
百済大寺の建立・船舶の建造を命じる
九月十九日に宮室を造ることを命じる
十二月二十一日(643年1月16日)
小墾田宮に遷幸
皇極天皇二年四月二十八日(643年5月21日・五十歳)
飛鳥板蓋宮に遷幸
11月1日(12月16日)
蘇我入鹿が
山背大兄王を攻め、
十一月十一日に王は自害
ーー
斉明天皇元年
高句麗、百済、新羅が朝貢
蝦夷と隼人も衆を率いて内属し、朝献・・・?
東北会津と鹿児島・熊本?
ーー
有間皇子の変
蘇我赤兄は天皇の三つの執政
一、大いに倉を建てて民の財を積み集めた
二、長く溝を掘って公糧を損費した
三、船に石を載せて運び積んで丘にした
ーー
斉明天皇二年(656年・六十三歳)
八月八日
高句麗が
大使に
達沙、
副使に
伊利之、総計八十一人を遣わし、
調を進める・・・?「調べる」の示唆?
九月
高句麗へ、
大使に
膳葉積、
副使に
坂合部磐鍬以下の使を遣わす
ーー
斉明天皇元年(655年)の冬に
板蓋宮が火災(放火?)
飛鳥の岡本(雷丘)に宮を造り始める。
途中、高句麗、百済、新羅が使を遣わして
調を進めたため、・・・?「調べる」の示唆?
紺の幕を張って饗応
宮室が建ったので、遷幸し
後飛鳥岡本宮と名付ける
岡本宮が火災に遭う(放火?)
香山の西から石上山まで
溝を掘り、舟で石を運んで垣を造る
吉野宮を造営
西海使の
佐伯栲縄と
吉士国勝らが百済より還って、鸚鵡を献上
する。
ーー
多武峰(とうのみね・タブホウ)
奈良県桜井市南部にある山
および、その一帯にあった寺院
多武峰の山頂付近に石塁や高殿を築いて
両槻宮(ふたつきのみや)とした
「日本三代実録・天安二年858年」の記録に
「多武峰墓を藤原鎌足の墓とし、十陵四墓の例に入れる」
と記録・・・?
「多武峯略記」に
「最初は摂津国安威
(大阪府茨木市大織冠神社、阿武山古墳か)に
葬られたが、後に大和国の多武峯に改葬」
とあるらしい・・・
明治初年の神仏分離により、談山神社となった
多武峰街道は
談山神社から
等弥神社を経て山の辺の道に接続・・・?
ーー
飛鳥京跡
諸宮を中心とする複数の遺跡群からなる都市遺跡
宮殿
祭祀施設、生産施設、流通施設などから構成
伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきみやあと)を中心に、
川原寺跡、飛鳥寺跡、
飛鳥池工房遺跡、
飛鳥京跡苑池、
酒船石遺跡、
飛鳥水落遺跡などの諸遺跡
ーー↓
飛鳥岡本宮(630〜636年)
飛鳥板蓋宮(643〜645、655年)
後飛鳥岡本宮(656〜660年)
飛鳥浄御原宮(672〜694年)
ーー↓日本書記原文
元年春正月壬申朔甲戌、皇祖母尊、卽天皇位、於飛鳥板蓋宮。
夏五月庚午朔、空中有乘龍者。
貌似唐人。着青油笠、而自葛城嶺、馳隱膽駒山。
及至午時、從於住吉松嶺之上、向西馳去。
ーー
二年秋
八月癸巳朔庚子、高麗、遣達沙等進調。大使達沙、副使伊利之、總八十一人。
九月、遣高麗大使膳臣葉積、副使坂合部連磐鍬、大判官犬上君白麻呂、中判官河內書首、闕名。小判官大藏衣縫造麻呂。
是歲、於飛鳥岡本、更定宮地。
時、高麗・百濟・新羅、並遣使進調。
爲
張
紺幕於此宮地、而饗焉。
遂起宮室。天皇乃遷。
號曰
後飛鳥岡本宮。
於田身嶺、冠以周垣。田身山名。此云大務。
復於嶺上
兩槻樹邊起觀。
號爲
兩槻宮。
亦曰天宮。時好興事。
廼使水工穿渠。自香山西、至石上山。
以舟二百隻、載石上山石、順流控引、於宮東山、累石爲垣。
時人
謗曰、
狂心渠。
損費功夫、三萬餘矣。
費損造垣功夫、七萬餘矣。
宮材爛矣、山椒埋矣。
又、謗曰、作石山丘。
隨作自破。
若據未成之時、作此謗乎。
又作
吉野宮。
西海使
佐伯連𣑥繩、闕位階級。
小山下
難波吉士國勝等、
自
百濟還、獻鸚鵡一隻。
災岡本宮
ーーーーーーーー
「撥」は「百姓一揆」の「撥=揆」で、
水飢饉状態での支配者暴政への叛乱であるが
打開策の陳情、要請が始まりであった・・・
発=發=ハツ・ホツ・たつ・ひらく・あばく
撥=揆は
雨露、沼沢、小川の象徴
伝統・努力・学問・ 知恵を意味する
象形は刃が四方に出た武器
回転させ用いるもので、回って元に戻るの意
「癸」は「發」で
「癶(はねる・ハチハツ)」に合字は
「癶+天」と
「癶+弓(ゆみ・キュウ)殳(ほこ・シュ・ズ)」の
違いである
類字は「葵(あおい)=徳川家家紋」である
↓
睽(ケイ)=六十四卦の第三十八番目の卦
内卦(下)が兌
外卦(上)が離
で構成
兌の少女と離の
中年女とが目を叛(そむ)け争う
西の九紫・卦象としては・・・?
睽=小事吉
初九、悔亡。喪馬勿逐、自復。見悪人无咎。
九二、遇主于巷。无咎。
六三、見輿曳。其牛掣。其人天且劓。无初有終。
九四、睽孤。遇元夫、交孚。窅无咎。
六五、悔亡。厥宗噬膚。往何咎。
上九、睽孤。見豕負塗、載鬼一車。
先張之弧、後説之孤。
匪寇婚媾。
往遇雨則吉。
・・・どっか(何処か)へ、出かけて
雨降りに遭うは吉・・・?
・・・その度合い、程度はヒトによる・・・
「癸(ミズのト)」が慈雨であればイイのだけれど・・・
雨、雨、降れ降れ、かぁサンが・・・
雨、雨、降れ降れ、もっと降れ
私のイイヒト、連れて来い・・・
ーー↓
瞿麥
(なでしこ)。・・・なでしこ・撫子
瞿麦(クバク・グバク・キョクバク)
蘧麦(キョバク)
瞿=おそれる・みる・ク・グ・キョク
懼れる=恐れる・恐怖
瞿=目+目+隹(ふるとり・スイ)
麥=麦(むぎ・バク・ハク・ミャク)
麥=來+夂=麦=主+夂(おくれる・チ)
「瞿麥=ナデシコ=瞿麦」と
「撫子」は「意味」も違う・・・だろう
「草の花はなでしこ、
唐のはさらなり
やまとも、めでたし」・・・?
カワラナデシコ(河原撫子)は、
ナデシコ、ヤマトナデシコの異名
ナデシコ属の学名で
「園芸品種=ダイアンサス・Dianthus」
秋の七草の一
伊勢ナデシコ
薬用、
開花期の全草を瞿麦(クバク)、
種子を乾燥したものを瞿麦子(クバクシ)
利尿作用や通経作用に効く
カーネーション (D.caryophyllus L.) も
ナデシコ属である。
セキチク(石竹)
別名に
カラナデシコ、
コウアンナデシコまたは
モウコナデシコ
ーー
さくら。・・・・・・作句等
山吹。・・・・・・・やまぶき・埜真部記
物語に
めでたし
と
いひたる
男・・・・・・・・・音拠
女の・・・・・・・・音名之
かたち。・・・・・・掛他知
ーーーーー
・・・モノガタリに「メデタシ」と「イイタル男女のカタチ」が・・・「おとる(劣る)」で「面白くない」んだ・・・モノガタリの男女の結末に嫉妬しているのか・・・?・・・「劣等」・・・「列島」・・・
・・・「メデタクない」のは「オトらない」のか・・・「優等」・・・「有等・佑等・夕等・友等・悠等・遊蕩・友党・雄踏・勇等・由等・右等・由宇等・U等・熊等・酉等・邑等・結う等・・・言う等」・・・?